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本業は「水」商売。そんな店長の趣味の世界へようこそ。

12月のパーソ[ナルー]レッスン

2021年11月23日 | SWIMMING

12月のパーソ「ナルー」レッスンのご案内です✌️

チバコクでのレッスン可能時間(12/17 16:30更新
《12月》  
 19日(日)14:00〜17:00※
       (14:00~16:00はメインプール使用可能です❗️)
 25日(土) 9:00〜11:00※
 26日(日)予約受付終了しました
 27日(月)15:00〜19:00※

※印の日はサブプールでのレッスンになります。メインプールは使用できませんので、スタート練習等をご希望される場合は※印のない日を選択してください。


30分、90分でのレッスンも承りますので、レッスンフィー(指導料金)等の詳細をご希望の方はご連絡ください。

また、上記時間帯以外でのレッスン、グループレッスン、チームへの指導等のご相談も喜んでお受けいたします。

レッスンお申し込みの際には(1回目の方は必ず)下記の事項を明記の上お申し込みください。

①お名前
②生年月日(年齢)
③泳力
④レッスンでやりたいこと、教わりたいこと
⑤レッスン希望日、希望時間帯(第3希望まで)


お申し込み、お問い合わせ連絡先
naluaquatics2005@aol.com


老若男女、年齢を問いません。全く泳げない方からトップクラスの選手まで泳力問いません。
元日本代表コーチ・日本水泳連盟公認コーチ4(上級コーチ)資格保有の「一木成行」が誠心誠意、責任を持って指導します!

初めての方もリピーターの方も是非!
オイラのスペシャルなパーソ「ナルー」レッスンを受けてみてください‼️

受ければわかる!マジで✌️

強くナルー
上手くナルー
速くナルー

お問い合わせ・お申し込みお待ちしております!!
naluaquatics2005@aol.com



自惚れ〜その5

2021年11月14日 | ノンジャンル

数えきれないほどの紆余曲折があり、ジュニア競泳クラブチームNalu Aquatic Clubは今年9月に創立16周年を迎え、17年目に突入した。

9月末の段階ではメインメンバー2名、サブメンバー1名、サブトレーニングメンバー1名、(ウチで登録している)ビジター参加のオジサン2名、水球女子1名…という史上最少の7名での新シーズンスタートとなったが、10月にタツヤ(知的障がい者競泳選手)が加入、11月にコハル(中3女子)が加入、そして来月からはさらに2名が『増殖』予定である。

実は、この夏が終わったらチームを解散しようかと真剣に考えていた時期があった。
夏が終われば高3が一気に4名抜けることはわかっていたし、コロナ禍の影響でこの2年「水泳での」収入は激減したことも大きい。しかしながら、支援していただいている株式会社日本都市様やRBCコンサルタント株式会社様のご期待に応えなければならないという使命感と、それこそ「何とかなるだろう」という『自惚れ』が、ここまでオイラの凹んだ気持ちを奮い立たせていることは事実だ。だって今まで何とかしてきたから。


(2016年の10周年記念パーティーより)

当面の目標は2025年に「20周年記念パーティー」を開催すること(笑)
あと4年なんてあっという間だから、きっと開催できる…と思っている。
それまでに再び現役メインメンバー20名くらいには「増殖」していこう。
そして再びインターハイや国体で活躍できる選手を育成していこう。
と、同時に全くの無名選手を覚醒させるお手伝いをしていこう。
さらには、競泳以外のことにも目を向け着手していこう。

「自惚れ」って、自己中なとか自分勝手とか、どちらかというと悪い意味で考えがちだけれど、読んで字の如く、自分に惚れるってことだと思う。誰だって自分のこと好きでしょ?

だから、どんどん自惚れて自分を好きになっていかなくちゃいけないんだと、最近特に思っている。結果的には自分に惚れる→自分を信じる→自信を持つってことに繋がっていくんじゃないかなと。

オイラから言わせれば、「もっと自分に惚れようよ」と言いたい。
世の中で一番好きなのは自分だ、と信じて疑わないのだ。

これって所謂ナルシストなのかなと思う時もあるが、ちょっと違う気もする。

そうか、ナルーシストなんだ❗️笑
 
 
お後がよろしい様で🙇‍♂️


自惚れ〜その4

2021年11月07日 | ノンジャンル

2004年5月

前スイミングを退職後、某大学水泳部の非常勤コーチとなるも、それでだけで生活していけるはずもなく、新聞広告に載っていた某スイミングにアルバイトとして入社。

そこで待ち受けていたのは、(選手コース指導を除いて!)1週間40コマ以上という地獄のような入水指導だった。
疲労と心労で体重は50キロを切り、不眠症になり、どうしようもないほどの頭痛や手の震え、そして蕁麻疹が出始めた。大会引率に行くと他のコーチたちから、「いっちゃん、大丈夫?痩せ方が尋常じゃないぞ」「やばい病気なんじゃないのか?」と心配された。

オイラ自身もちょっと怖くなり、総合病院に診察に行ったところ心療内科の受診を勧められ、推薦状を頂いた病院へ行くと「自律神経失調症、鬱病の一歩手前だ」と診断された。
これ以上過度の労働をすることは危険だと言われ、診断書と共に退職願を提出。2005年8月末日を以って退職した。(8月は合宿や大会引率を優先したため、事実上は7月末退職。)

2005年9月末

およそ1ヶ月の療養期間を経て、税務署に個人事業主としての届けを提出。
屋号を「Nalu Aquatics」とし、水泳指導全般を行うプロコーチとなった。
と同時に、前スイミングで指導していた選手を中心に結成した「Nalu Aquatic Club」を始動。

本来なら、もう水泳以外の仕事に就き家族のために安定収入を求めるのがスジなのだろうが、「オイラならできる!」という「自惚れ」の病がまたしても首を擡げてきたのだ。

 

最終回「自惚れ〜その5」に続く



自惚れ〜その3

2021年11月03日 | ノンジャンル

1998年12月
豪州から帰国し、せっせと仕事とバイトに勤しむオイラに一本の電話が入った。

「ウチに来て働かないか?」

それは、そこまで面識はないが大会会場で挨拶を交わす程度のT氏からであった。

「来年(1999年)春に姉妹校のスイミングをオープンするので、そこのオープニング(立ち上げ)責任者をしながら、ウチの選手強化の責任者になってほしい」と。

というわけで、1年2ヶ月お世話になった静岡のスイミングを1998年年末に辞め、1999年の年明けと共に千葉県内の某老舗スイミングスクールへ。

が、ココでも契約社員。
ただ、オイラも色々と学習したので、契約条件の中に「年間複数回の渡豪(=競泳の勉強のため)」を盛り込んで頂き、渡航費用や宿泊代を会社に負担してもらうことで合意した。

そして、1999年秋。

国体終了後の20日間、再び渡豪🇦🇺

そこで、「師」と出会う。

 

 

 

 


我が師、Mr. Ken Wood氏
(画像は2013年に渡豪した時のもの)

1999年当時、ジェフ・ヒューギル、リーセル・ジョーンズ、ターニー・ホワイト、メリッサ・ゴーマン等の世界記録保持者、オリンピアンを指導していたウッド氏に師事出来たことは奇跡に近く、多くのことを学ばせていただいた。ウッド氏との詳細は2018年6月、彼への追悼投稿となった「豪州の恩師逝く」をご覧ください。

それからは毎年オフの時期にウッド氏の元を訪れ、チームビルディング法、選手育成法、泳ぎの基本的な考え方、アプローチの仕方等々を伝授していただいた。
帰国しては、それを日本流そして「成流」にアレンジし、自分のスイミングへの指導へと活かした。

その結果、
全中、インターハイ、JO、国体といった全国大会において優勝者や入賞者を数多く輩出し、(オイラはコーチとして帯同していないが)ジュニア代表を含む日本代表選手も多く輩出することが出来た。単独チームとしてJOで男女総合4位まで行くことも出来た。

そしてまたしても自惚れた…。

2004年春、五輪選考会において惨敗したオイラを待っていたのは「契約解除=解任=クビ」だった。

 

 

(またまた)つづく



自惚れ〜その2

2021年11月01日 | ノンジャンル

1997年9月末
自惚れ野郎への報酬は「クビ」という最悪な形となった。

えっ、なんでクビになったのかって?
それは自惚れの絶頂にいたオイラの慢心以外の何物でもなく、若気の至りと言って片付けられるような歳でもなく(当時35歳)、天国から地獄へ、奈落の底へ落とされた時でありました。あまりにも抽象的すぎてよくわからないと思いますが、ちょっとココにはかけない内容なので、どうしても知りたいという方はDM下さい。教えないと思いますが…😅

当時の上司の計らいで解雇(クビ)ではなく依願退職という形になったため、それなりの退職金を頂きましたが、その大半は10月の1ヶ月間で使ってしまいました🍻

オイラにとって大きな大きな人生の転機でした。
自惚れから生まれた、自分自身への天罰でもあり、裏を返せば大きなチャンスでもありました。

1997年11月
1ヶ月のプータロー期間を経て、静岡の小さなスイミングに入社しました。
正社員だと思って入ったら、テイのいい契約社員だってことに入って1ヶ月後に気がつきました。◯トマン時代に比べ年収で✌️00万円ほど減りました。

しかしながら、結構自由が効いたので…
およそ1年後の1998年秋、オイラは自分でもビックリの大胆行動に出ました。

それこそ、今思えばこの行動も「自惚れ」の極みでした。


1998年9月

およそ2週間の休みをいただき、オーストラリア🇦🇺に水泳の勉強をしに単身で渡りました。
とはいえ、向こうに知り合いがいるわけでも英語が堪能なわけでもないので、🇦🇺と太いパイプを持つ知人にお願いして、最初の1週間のみ一緒に行ってもらいました。

そこで最初にお会いしたのが

この方(ラウリーローレンス氏)です。
※この写真は2016年に再渡豪した時に撮ったものです。

ラウリーの口利きで、当時オーストラリアの、いや世界のトップコーチとも言えるデニス・コテレル氏の練習を見学&アシストさせていただく機会を頂きました。
とにかく毎日が「目から鱗」状態でした。当時はスマホもタブレットもなく、パソコンすら持っていってなかった(持っていなかった笑)ので、全ては「手書きノート」へ。そのノートが今でもオイラのバイブルの一つであることは言うまでもありません。

2週間で一旦帰国。
スイミングの仕事の他に、夜間の道路工事やコンビニのバイトをしてお金を貯め、1ヶ月後には(今度こそ正真正銘の単身で)再渡豪。毎日が充実していて楽しくて楽しくて仕方なかった。

そして、11月末に帰国した際に、ある方から連絡が入ったのです。




(まだ)つづく