弥勒山日記

自分の好きな分野を気ままに歩き回り、色々と考えます。
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弥勒山日記 (22)     2015/04/16~2015/05/14

2021年11月22日 15時07分20秒 | 日記
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弥勒登山224回目 反時計回り 2015/04/16 木曜日 
すっかり春めいて小虫も増えて来たので今シーズンの弥勒山通いも終わりに近い!

(1)弥勒山頂のツツジも満開となった。(2)(3)
 陽気映え
 山は急いで
 衣替え

(4)天候不順が続いた間に弥勒山頂の桜は盛りを迎え、そして散って行ったらしい。

(5)32番標識近くの「深山シキミ」の花も盛りを過ぎて散り始めている。
赤い実が成るはずだが山が暑くなり過ぎる前に実るだろうか?

(6)32番標識と弥勒小屋の間の林道脇できれいに咲いていた。(7)これは「雪柳」のように見えるが正しいだろうか?



弥勒登山226回目 反時計回り 2015/04/21 火曜日 
久しぶりの快晴にあわてて弥勒山へ出かけた。
谷の水量は多く、道も濡れていて滑り易い。

こしあぶらの芽が伸びて食べ頃になったので道々摘みながら歩いたら沢山収穫できた。
こしあぶらの食べ方も色々とあるが、癖のない油で天婦羅にするのが最も美味しい。

(1)これは取ってはいけない! 枝の先端の芽を摘んでしまうとその枝は成長しなくなる。(2)それぞれの枝の先端は必ず残して収穫するのがルールである。

(3)弥勒山頂ではこの時期には珍しくはっきりとした御岳山が見えた。よく見ると今でも噴煙(水蒸気)は出ている。

(4)32番標識の「深山シキミ」はすっかりと花を落としてしまった。(5)




曼陀羅寺藤祭り 2015/04/24 金曜日

愛知県江南市前飛保町で昨日からから始まった藤祭り(04/23~05/06)に出かけた。

曼陀羅寺に隣接する曼陀羅寺公園では多数の藤棚が設けられていて、夫々少しずつ色の違う藤の花が垂れ下がっていた。(1)(2)足元はプラスチック製の歩道が敷き詰められていて、上を見ながら歩いても安全に図られている。(3)(4)(5)少しずつ違う藤の花を見上げながら公園内を彷徨うのも中々のものだった。

(6)(7)藤棚の下には多数の牡丹が開花していた。(8)牡丹に気がついてみるとこちらも中々見事だった。筆者としては主役の藤よりも端役であるはずの牡丹により好感を持ってしまった。
この美しさならば藤を無視して牡丹祭りに変更しても納得できる。と筆者は勝手に思ってしまった。

調べてみると


春牡丹:春牡丹は4-5月に開花する一般的な品種。
寒牡丹:春と秋に花をつける二季咲きの変種。 
 通常は、春にできる蕾は摘み取り、秋にできる蕾のみを残し10月下旬から1月に開花させる。
冬牡丹:春牡丹と同じ品種を1-2月に開花するよう、特に手間をかけて調整したもの。
 寒牡丹と混同されることが多いが、これは放置すると春咲きに戻ってしまう。

日本牡丹・中国牡丹・西洋牡丹(ピオニー) 品種改良が盛んに行われ園芸品種が非常に多い。との記述があった。

牡丹は花が大きい割りに大味ではなく好感を持ち易い。
又、古中国では盛唐期以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花よりも愛好されるようになった。との記述もあり日本国内でも各地に牡丹祭りがあるようだ。
ざっと見ただけでも名古屋市の徳川園、知立市の慈眼寺(じげんじ)、鎌倉の長谷寺、奈良県桜井市の長谷寺、徳島県鳴門市の観音寺、滋賀県長浜市の総持寺、岡山県津山市の清眼寺(通称、ぼたん寺)など枚挙に暇がないほどであり、そのほかにも地方自治体が企画する牡丹祭りが多数あるようだ。

どうやらここで牡丹を持ち上げるのは「屋上屋を重ねる」ことになり兼ねないので却下することにしよう。

会場入り口近くに鉢植えの藤があった。
いっぱいに枝を広げて花を下げる藤のこの姿もいいものだ。(9)

帰りに会場近くでうなぎを昼食とした。良い香りに惹かれたがこれは失敗だった。(10)うなぎ自身はまずまずだったがご飯がやわらかすぎて箸に掛からない。たれが異様に甘くて気持ち悪くなってしまった。肝吸いにはワカメや麩が沢山入っていて、さっぱり感の少しもない代物だった。結局半分近くを食べ残して退散した。




霊仙山 2015/04/25 土曜日
霊仙山(りょうぜんやま)名物である福寿草が先週は群生地で満開だったとの報告を聞いたので、ほぼ5年ぶりに出かけた。

榑ヶ畑(くれがはた)廃村跡が登山口なのだが久しぶりに来てみると旧道入り口に建物が出来ていて、谷とその右手が削られて車の入れそうな新しい道が出来ていた。(1)車の通れる(しかし舗装はない)道の終点から山道が始まる。(2)(3)見覚えのある廃村の石垣が見えてきた。

廃村の最奥にある「かなや」は健在だったが屋外トイレは封鎖されていて使用不能だった。(4)07:06

(5)記憶にある登山道とはかなり様子が違う。

平成24年(2012)9月の大雨でほとんどの登山道が通行不能になり、現在も回復していないルートがあるとは聞いていたが、そのせいなのだろうか? 明らかに水流でえぐられた跡だ!(6)(7)

記憶にある榑ヶ畑ルートに比べて木陰が少なく、快晴の陽射しが辛い。(8)08:13 六合目

霊仙山もその北にそびえる伊吹山も基底は石灰岩である。霊仙山には小さいながら「河内風穴」と名付けられた鍾乳洞もあるように白っぽい石灰石が到る所にあって、日に映えてまぶしい。(9)

やっと高原部に到着。この先にもアップダウンは多いが広々とした高原地帯を歩くことが出来る。(10)しかし、記憶にある情景とはかなり違っていて違和感が大きい。
記憶にある霊仙山の高原部分は背丈ほどもある笹に全面が覆われていたので、このように道の路面は見えていなくて一面の笹原にウネウネと伸びていく線として見えていたのである。
(11)08:27 七合目(12)お虎ケ池の近くで残雪を発見。
弥勒山はもはや暑過ぎ、虫が多過ぎで辛かったが、さすがに1000m超の山は違う!(13)残雪は他にもあった。見上げると山頂から下ってくる細い谷も雪渓になっていた。

 雪渓に
 冷風なんの
 福寿草

と、思わず詠んでしまったが、実はまだ福寿草は見ていない。
群生地はもう少し先である。


(14)08:55 九合目(経塚山)左端に柏原ルートの避難小屋が見えている。

(15)(16)09:09 霊仙山最高点
この最高点(1098m)は実は山頂ではない。山頂(1084m)は別のピークなのだがふもとからは最高点は見えないので、ふもとから見える霊仙山の天辺が山頂ということになる。

(17)霊仙山頂遠望(18)09:28 霊仙山頂マラソン登山している若い女性と普通の登山装備をしている中年男性の二人にカメラのお手伝いで気安くなってしばらく会話した。

笹原がないことを不思議がると、女性はここに笹が生えていたことを知らないと言う。
中年男性が言うには鹿が繁殖して食べ尽くしたのだと言う。鹿が笹を食べるのか否かは知らないが、笹がなくなった時期と蛭が居ついた時期が同じらしいので納得できる説明である。

蛭は自分で移動できないので鹿の体に着いて運ばれて行く。だから鹿が出没し始めた山はいずれ蛭の繁殖地となるのだ。

(19)西南尾根(20)真北に伊吹山(21)かすんで見難いが長浜辺りの琵琶湖湖岸が見える。360度の景観を楽しみながら湯を沸かしてカップラーメンの朝食を食べ、コーヒーを沸かして飲んだ。これが弥勒山ならば虫だらけであり、目に飛び込んで来る、口に飛び込んで来る、耳に入って来るヤツも居る。今年前半の弥勒山はもうお終いである。

360度の遠景の中で涼しい風に吹かれながら、入れたてのコーヒーを楽しむこの快感!

(22)下山途中で振り返る。笹原ではない霊仙山にはかなりの違和感を覚えるが、笹がないための広々とした景色にも魅力を感じる。

それにしても福寿草は全く見当たらなかった。
頂上で会話した女性とは下って行った汗拭き峠で再会したので聞いてみたが、やはり福寿草は全く見当たらなかったそうである。
先週が満開だったそうだが盛りを過ぎた後の凋落が極めて早かったと言うことなのだろうか?

車まで戻ったのは11:20だった。
頂上で昼食を摂るのが弥勒山での習慣なのだが、早めの行動、速めの撤収は山での原則なのだ。




奈良・京都 2015/04/30 木曜日
5月1日に開かれる京都の「都メッセ古書市」に出かけるついでに1日早く出発して奈良国立博物館を見ることにした。

国立博物館は東京、奈良、京都、九州と四つ有って、東京、九州は既に訪問しているのに近場の二つが漏れていた訳である。

国立の博物館としてはこの他に、
 国立科学博物館(東京都台東区上野)
 国立民族学博物館(大阪府吹田市)
 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)があって、やはり近場の大阪がまだ行けていない。


06:49高蔵寺 07:21名古屋 JR中央本線・岐阜行 410円
07:50名鉄BC(バス乗り場3F8番) 10:25近鉄奈良駅前 高速バス(名古屋-奈良) 2,550円

奈良国立博物館
 奈良市登大路町50番地 050-5542-8600
 開館時間:午前9時30分から午後5時まで
 休館日:毎週月曜日 一般 520円
 近鉄奈良駅下車 登大路町を東へ徒歩約15分

予報どおり夏日となって快晴の陽射しがとても強く散策には辛い日となったが、奈良は大量の旅行者で溢れていた。(1)(2)野良犬ならぬ野良鹿

幼稚園児、小学生の団体は主に広場の鹿を相手にしていたが高校生にも同じレベルの団体が居て、鹿を見るよりも人を見る方が面白い。


(3)奈良国立博物館正面玄関目的の博物館にはがっかりしたが、奈良の博物館が奈良時代を専門とするのは当然のことで、筆者の関心がもっと古い時代であることは彼らの責任ではない。

特別展「平安古経展」をやっていたので覗いてみた。
経典と言っても素人の筆者に読める訳はないので、観察するのは字体の違い、紙質の違い、墨色の違いなどである。妙に墨質の濃い写経があったので近くにいた説明員に質問したが墨のことは判らないとの返事だった。学芸員に聞いてくれる様子もないので、学芸員はどこに居るのかと問うたら、この博物館には学芸員は居ないと言う。
そんな筈は有り得なくて、博物館に学芸員を置くことは定められている居るのだが面倒なので追求することは止めた。

奈良時代の和束(わつか)の地で日本における墨の生産が始まったと正式記録にある、と「幻の墨」と言う本に載っていたが、墨の使用はもっと古く、残された写本の量から見て輸入品だけで賄えたとはとても思えないのでもっと古くから、そしてもっと多くの場所で墨作りは行われていたと想像できる。 
そしてその通りならば様々な品質の墨が出回っていただろうことも想像に難くない。

瓦材に文字を彫り込んで焼き固めた瓦経(がきょう)11/12世紀
銅板に掘り込んだ銅板経(どうばんきょう)12世紀
どちらも経塚出土だそうで保存状態は素晴しい。

「考古コーナー」と記された一角は在ったが展示品は少なくその説明も素っ気無い。
やはり奈良朝以前のことには関心がないようである。


奈良国立博物館としては意外な存在として「青銅館」が隣接していて故美術商の寄贈した中国の青銅製遺品が展示してあった。
考古学ではなく美術の視点で収集された展示品は筆者の関心からはやや外れるが、大変に見事な逸品ぞろいだった。
大量に並べられた爵(しゃく)は酒を温める容器らしくて三本の足と取っ手が付いていたがこの取っ手を持って酒を注ぐと言う動作と、日本語の「お酌(おしゃく)する」の間に何か関係はないのだろうか?      bing.com/imagesから

盉(か)も酒を注ぐ道具だが細かい文様と注ぎ口の細長い筒に特徴がある。
青銅の鋳物なのだが模様が細かすぎる上に注ぎ口のこの形は鋳型で作ることはできそうに無い。
模様の細かさについては中国には大変な量の黄沙があり、あれはほとんどホコリと同じ細かさでありながら水を吸えば可塑性が現れてくるので細かい粘土で鋳型を作るのと同じ事にはなれる。
しかし注ぎ口の形からは溶接以外に思い付かない。

ここにあるのは商殷の初期から周末までの遺品である。商の歴史はBC17世紀まで遡れるが、それは文字記録から確認できた訳ではなく発掘物による考古学判断なのだ。
その意味でBC2589年と確認できるクフ王のエジプトには敵わない。

2階に周末以降の遺品が展示してあったが、それにしても個人が寄贈したとは思えないすごい量である。


(4)ついでに正倉院を見に出かけた。正倉院へ行くには東大寺の境内を通らねばならないが筆者は仏教寺院に殆んど関心がないので、ただ通過するだけである。
折角なのに大仏さんを見ないのかと言う声が聞こえてきそうだが、考古学的にも美術的にも筆者は価値を見出せないでいる。

厳密には民俗学或いは民衆心理の題材にはなりそうだが、あまり関心は湧いてこない。

(5)1300年を経た木材が少しも脆さを感じさせないのもすごい。(6)正倉院の本来の正門

正倉院の中は特別企画の時にしか見ることはできず本日はもちろんだめであるが、例え見ることができたとしても実はここに所蔵品は何も無い。安全の為に別所に保管されているのである。 
全て木造の正倉院に保管していて火災に会えばとんでもない損失になるからである。

とは言え、木造の建物自身も国宝なのである。
世界最古の現存木造建築物である法隆寺金堂および五重塔 推古天皇9年(601年)建立には及ばないが、正倉院の建立も天平勝宝8年(756年)前後とみるのが通説なので十分に古い。

正倉院を後にして少し歩いたところで「そば処 喜多原」を見つけたので昼食におろしそばを注文したら大変に良いそばだった。
そば自体もさることながらそのつゆが美味い。使われている大根も良いが山葵の香りが特に良い。香り高く辛味鮮烈で久しぶりに満足できた食事だった。

かって、陳瞬臣氏がエッセイの中で日本人の山葵好きを皮肉っていた。
曰く、山葵のような強烈な調味料唯一つで食べる日本人のこの単純さ。との記事だったと記憶しているが、シンプルさの中に美を見出すのが日本人の日本人らしさなのである。


仏教寺院には関心がないと先に述べたが唯一の例外に奈良興福寺がある。
何故なら興福寺は藤原氏の菩提寺であり、尚且つ、その中金堂は中臣鎌足の次男である藤原不比等が建立しているのである。
古代史の転回点で暗躍した鎌足と不比等の親子には無関心ではいられない。

のみならず、興福寺にはあの「阿修羅像」があるのだ。
阿修羅像については歴史はともかくとして美術的に素晴しいものであって、いつまで見ていても飽きることが無い。 
機会がある度に見に行かざるを得ないのは、井戸尻縄文館にある「神像円筒型土器」と同じである。

(5)興福寺国宝館阿修羅像はここにある。 そして見事な映像と共に解説してくれるスクリーンサービスもある。
年中無休 09:00~17:00 拝観料¥600


予約していたゲストハウス「ウガヤ」に着いて見ると若いオーナーが正座して薩摩琵琶を演奏中だった。まだ時間が早くて客が居ないので練習中だったようだが不思議な音色で楽しかった。

奈良ウガヤゲストハウス  予約済み
 奈良県奈良市奥子守町4-1 電話番号:0742-95-7739 E-mail:ugaya@angel.ocn.ne.jp
 男女混合・女性専用ドミトリー(2段ベッド、和室) 2,500円 トイレ(温水洗浄便座付)
 JR奈良駅から徒歩5分 JR奈良駅前のローソンの信号を東へ渡り、直進右手。

本日は満室だそうで、私があてがわれたのは2階の一室に5つある2段ベッドの一つの上段だった。しばらく雑談していると就職したばかりと言う若い男が到着。続けて若い男女6人のグループが到着して徐々ににぎやかになってきた。


2015/05/01 金曜日 朝は8時までゆっくりと寝てから、JR奈良駅まで歩いて各駅停車で京都駅まで行き地下鉄を乗り継いで東山三条駅下車、徒歩で都メッセには10時前に着いた。

(1)古書市都メッセ古書市は私にとって最も評価の高い古書市である。
国内最大ではないがかなり大規模であり、展示される古書の質も高い。 さすがは京都とほめたくなるほど状態のいい本が並んでいるのだ。
古書市ではあちこち渡り歩いて来たが落書きされた本や損なわれた本が平気で並べられている市もあり、ここではその点で全く安心できるのである。

最終時間を15時と決めて、場内をざっと区分けして棚1列を30分と決めてから探し始めた。
結局本日の収穫は9冊だった。もっと少なかった時もあるのだからこれで良いことにしよう。9冊ならば宅配を使わなくても持ち帰る事ができる。

15:22三条京阪 15:25烏丸御池 京都市営東西線・太秦天神川行 260円
15:29烏丸御池 15:34京都駅 京都市営烏丸線・竹田行
16:00京都駅  18:41JR名古屋 高速バスJR1番乗場0020便 2,550円 当日支払い可
19:02JR名古屋 19:31高蔵寺 JR中央本線・瀬戸口行




五月計画 宮崎県 2015/05/10 日曜日
恒例となった「G.W が過ぎてから出雲の墓参を兼ねて、県一つ丸々見てやろう計画」の今年は宮崎県である。

2015/05/10 日曜日 02:30 出発
米原、木の本、マキノ、小浜、舞鶴、朝来、鳥取、松江、出雲、松江、浜田

19:00 道の駅「サンピコ浜田」で車中泊。夜はやはり寒くて長袖が欲しい。

2015/05/11 月曜日 二日目大分県最南端の道の駅「かまえ」にて車中泊。

港に近いので期待していたのだが、そこは鄙びた漁村であってスーパーが一軒あるだけで食事もできないし最寄りの温泉が遠過ぎる。がっかりしてスーパーでホカ弁を買い入浴は諦めた。

2015/05/12 火曜日 三日目台風6号の影響で断続的な雨と風。 視界が悪い。

(1)09:59 道の駅「日向」にて荒れた海も面白いのだが横殴りの雨風でカメラの焦点を合わせるのがとても難しい。(2)

(3)日向市歴史民族資料館は見付からなかった。
電話番号からカーナビが連れて行ってくれた場所は普通の民家だった。
 日向市美々津町3244番地 電話(0982)58-0443 おとな210円
 休館日:毎週月曜日 午前9時~午後4時半

(4)人影を見つけたので尋ねて、やっとたどり着けたらそこは旧廻船問屋だった。(5)(6)展示物は廻船問屋としての遺物と建物だけで当時の地域民に関するものはなかった。

(7)(8)二階に上がるとそこは船宿なのか当時の従業員の寄宿所なのか、奇妙に段差をつけた部屋割りになっているがその理由の説明は見当たらなかった。

(9)千石船の模型、舵に特徴がある。(10)肋材の一部

日本の航洋船(沿岸を離れて大海を行く船、外洋船とも言う)は室町期には風切りのできる(つまり風上に向かって進める)能力があり、フィリッピン(当時は「るそん」と呼んだ)への定期航路もあったが、江戸期の鎖国政策から航洋のできない型に制限され、同時に船尾の舵もこの形に決められてしまった。

この形の舵は船の大きさからすればきわめて大き過ぎ、その支えは貧弱に過ぎるために極めて脆く、少しの波で容易に破損してしまうので沿岸から離れられないのである。
江戸中期に発達した商品経済のために千石船の輸送需要はとても大きかったので僅かな時化で漂流・遭難する事件が跡を絶たなかったが、三河の山奥から出てきた百姓政権である徳川は鎖国政策も在って海についても海上輸送についてもほとんど関心を払わず徳川300年間放置し続けたのだった

(11)
(12)ここ美々津町は神武天皇が東征のために船出した土地であるとパネルに在った。実在したか否かの確認すらされていない人物の行動が事実として断定的に語られ、尚且つその場所がここだったと断定されている。

(13)西都原(さいとばる)考古博物館は西都原古墳群の中にあるので古墳専門の博物館であると思って余り期待していなかったが実は縄文系にも踏み込んでいて、尚且つ十分に検討された素晴らしい展示であった。宮崎県西都市三宅5670 0983-41-0041
休館日:月曜日 午前10時から午後6時 入館料:無料

(14)ガイドの中年婦人が色々と説明し案内してしてくれたのでしばらく話し込んでしまった。

博物館3Fのラウンジで「ランチDE古代\500」を昼食にした。
古代米(赤米)、団子汁(鶏肉、大根、人参、ネギ、コンニャク、小麦粉のダンゴで味噌味)
キャベツのサラダ、ヨーグルト で結構旨かった。
赤米は初めて食べたが、見た目も食感味共に赤飯と同じで中々旨かった。朝鮮半島では古来から農業の改善も品種改良も行われなかったのでいまでも赤米、黒米混じりの稲作が残っていると聞いている。
ただし、白米とはやはり違う味わいなのでこれで刺身を食べる事は想像できない。

(15)(16)鬼の窟古墳206号墳は西都原古墳群のほぼ中央部に1基だけ独立して存在する、周囲に土塁を巡らせた全国で唯一の円墳である。と解説されている。

(17)(18)(19)西都原古墳群の中では横穴式石室を有する唯一の古墳であり、古墳群を形成することなく畑の真ん中にポツンと築かれていることの理由は判らない。
又、江戸時代後半頃にはすでに南に開口していたため、内部の副葬品についてはまったく不明で築造年代を明確にすることができないため、築造時期はおおまかに6世紀末葉から7世紀初頭の頃に比定されている。だそうである。


(20)高鍋町歴史資料館
 宮崎県児湯郡高鍋町大字南高鍋6937-2 TEL:0983(23)1322
 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:毎週月曜日 入館料:大人210円ほとんどは高鍋藩の遺品だが、発掘物も若干あり、過去の民具もあった。
ここでも係の人が付き切りで説明してくれたのでよく解って嬉しかったが興味の無い部分もあって、その部分も熱心に聴かなければ申し訳ないのでやや困った。

結論を言えば申し訳ないがここには余り興味深い歴史はなく、有史では島津家と大友家、或いは島津家と豊臣秀吉軍の争いの接点に位置していた事位である。

有史前について西都原考古博物館でも気付いた事は九州中南部がシラス及びアカホヤと呼ばれる火山灰に深刻なほど傷付けられている事である。場所によっては数Cm,幸運な地域でも1mも掘れば火山灰層になる。水を通さず有機物も含まないこの層から下には植物の根が伸びて行けない。 
農業には非常に不利な土地柄で、不断に土作りに励まなければならないこの土地に住んだ九州人のせめてもの幸せは稲作を知った事だろう。稲作適正地においても福音のようなこの植物がなければ南九州には人は住めなかったのではあるまいか。
今のところ稲作の先進地とみなせるのは九州北部の佐賀であって、そこが朝鮮半島を含めた列島弧の際先進地である。

稲の信じられない程の優位性は「連作障害」が無いところにある。殆どの植物には連作障害があって、数年同じ種類を栽培すれば目に見えて成長が悪くなり収穫が激減する。これが連作障害であって、土地の持つ特定成分の枯渇が原因なのだが稲はこの影響を逃れる事ができる。筆者は十分な知識を有しないのでその理由を解く事はできないのだがこれは神の恩寵と言ってもい良い。
筆者はかって「農業の移動性と牧畜の定着性」と言う普通なら「それは逆だろう」と叫ばれるような意外な事実に気付いた時にその理由が農作物の連作障害だという事から納得できた。
稲と言うこの奇跡の作物ならば移動しなくても農業が続けられるのである。
これはやはり(無心論者の筆者が言うのもおかしいが)神の恩寵なのだろうと思う。

話を元に戻して古代の南九州での生活が相当にリスク過剰であった事は「縄文海膨」の縄文時代に人口が激減している事でも判る。同じ時代に青森の三内丸山遺跡では縄文草創期からの集落が続いているのにである。

HOTEL AZ 宮崎高鍋店 宿泊
 宮崎県児湯郡高鍋町大字持田字下河原3373 0983-21-1200
 <予約受付番号:RYa04hth5r> 消費税込:4,660円 LAN有
ここは街から外れているので飲みに行くのは不便であって、選択肢は隣接するレストラン一つきりないのだが、ここが焼肉バイキングをやっていて、味も良し、食材も豊富なかなりお値打ち店だった。


2015/05/13 水曜日 四日目台風一過の快晴。日射はきついが風が爽やか。

(1)佐土原城の二の丸跡地にある鶴松館(佐土原歴史資料館)宮崎県宮崎市佐土原町上田島8202番地1 TEL 0985-74-1518
開館時間:午前9時~午後4時30分 休館日:毎週月曜日 入館料:無料

(2)(3)書院作りは濡れ縁も天井が高くてとても涼しい。

(4)出土文化財管理センター
民具などの展示だが、ここでの関心事は建藩以降に限定されているようだ。


(5)宮崎歴史文化館宮崎市大字芳士2258番地3(蓮ヶ池史跡公園内)TEL 0985-39-6911
休館日:毎週月曜日 午前9時―午後4時30分 入館料:無料

旧石器から近現代まで規模数量ともこじんまりとしているがそれなりに上手くまとめてあった。
説明パネルもやや曖昧ながら比較的詳しく説明されていて良かった。

(6)諏訪池の周辺には多数の横穴墓があった。(7)(8)副葬品にもめぼしいものはなさそうなのでこれは古墳と言うよりも「お墓」と呼ぶべきなのだろうと思う。

(9)諏訪池 この池の周りに横穴簿が集中している。この池が人工なのかどうかの判断材料は無いが沢山の墓があることから周辺の人口は多かったと推測できる。多くの人口を養うのには農業が必要であり、農業には水の管理が必要であると考えることはできる。
現代の感覚からすれば唯の小さい濁った池に過ぎないのだが、はすの花はきれいだった。

(10)13:20 宮崎県埋蔵文化財センター宮崎県宮崎市跡江4058?1 電話:0985-47-8001
休館日:月曜日 入館料:無料 9:00~16:30

ここは「生目(いきめ)古墳群」の中にあり、別名を「生目の杜遊古館(いきめのもりゆうこかん)」とも言う。

(11)(12)生目古墳群の7号墳5世紀に作られた前方後円墳であるが、後円部の右側から掘り進めた地下式横穴墓がありこれが埋葬主体の可能性があると説明にあった。
これは納得できない話である。前方後円墳というものは前方部から羨道が伸びて来て後円部中央に墓室が作られているのが普通なのである。
(時代と地域によって少しずつ変化して行くから必ずそうなっているとは言い切れないが!)

だから、ここでは横穴墓は前方後円墳を自然の丘と間違えて後から掘られたのではないだろうか?  それとも本当に前方部からの羨道は無くて形だけの前方後円墳だったのだろうか。
文化館の職員に7号墳について質問したいが誰かいますかと尋ねたら作業服を着た若い男性が出てきたので、7号墳は正規の羨道と玄室を持っているかを尋ねた。

回答は、十分な調査はされていないので判らないとのことだった。たまたま地下式横穴墓の入口が見つかったのでそこだけ試掘したが途中で陥没していたので調査は止まったままだそうで、少ない予算と人数で破壊されそうな遺跡を優先して調査する為にこれが限度とのことだった。

(13)(14)古墳地帯の空の下
草萌え木は伸び
野に還る
昔の権力夢の中
うぐいす夏草
風の中

(15)

(16)天ヶ城歴史民俗資料館宮崎県宮崎市高岡町内山3003-56 電話:0985-82-2927
午前9時~午後4時30分 休業日:月曜日、料金:入場無料

(17)(18)島津が薩摩防衛の為に作った山城と、その後で城山の下の川添いに発展した高岡町の主に川に関わる民俗をテーマとして、再建したコンクリートの天守閣内に展示室が1階から3階まで階ごとにテーマを変えて展示してある。(19)(20)(21)

4階は展望台となっていて眼下に川と、川をはさんで両側に拡がる街を見下ろして広々と広がる絶景であった。
天ヶ城はこの川(大淀川)の北側にある。おそらくは九州北部からやって来るであろう徳川軍に対する薩摩防衛の機能は使われることがなかったようである。(22)

高岡温泉 やすらぎの郷
 宮崎県宮崎市高岡町小山田1953 TEL:0985-82-5454 
 営業時間:10:00~21:00(受付20:30まで)
 定休日:木曜日 大人(中学生以上)500円 いい湯だった。冷水浴あり、綿棒サービスあり。

道の駅 高岡 車中泊
 宮崎県宮崎市高岡町花見304-5 電話:0985-82-4936
 郊外の国道沿いでやかましいのが難点


2015/05/14 木曜日 五日目


(1)09:00 宮崎神宮宮崎県宮崎市神宮2-4-1 TEL 0985-27-4004  駐車場あり 無休
主祭神:神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)

(2)(3)大層濃い樹林の中の宮崎神宮はまだ準備中で、箒を使う人や何かの箱を運ぶ人が動き回っている中の拝殿の脇で一人の巫女さんが琴を弾いていた。準備中であっても神前なのだと言う心構えが見事であった。(4)

(5)本殿の前にある六脚の門には大きな菊の紋章があって天皇家と同じ「十六八重表菊」で神武天皇を祀っている事を強く主張していた。(6)屋根の鰹木にも菊の紋章(7)賽銭箱にも菊の紋章

総じて鄙の穏やかな大社と言った所であって、神武伝承を否定されたら何も残らない唯の自然公園であると言ってしまっては申し訳ないが、しかし平地のただ中にこれだけの鬱蒼とした森を維持管理できている事は其れだけで一目置く価値が有る。


(8)10:24 宮崎県総合博物館 さすが県立、内容豊富で工夫も十分。 宮崎県宮崎市神宮2丁目4番4号Tel.(0985)24-2071
開館時間: 9:00~17:00※入館は閉館30分前まで
休館日:火曜日、12月28日~1月4日など 入場料:常設展は無料(特別展は入場料が必要)

(9)1Fが自然。(10)

(11)2Fが歴史(12)

(13)今回見てきた博物館資料館どこでも戊辰戦争・西南戦争に大きなスペースをさいている。
この2つの事件はこの地域に取って避けては通れない重大事項らしいがそれは理解できる。

(14)宮崎県埋蔵文化財センター 分館(普及資料課)宮崎市神宮2丁目4-4 TEL 0985-21-1600
休館日:年末年始 9:00~17:00 観覧料:無料

(15)

(16)15:41 青島は少し離れた駐車場から歩いた。(17)(18)

青島の周囲は観光パンフレットで有名な「鬼の洗濯石」で囲まれていた。(19)(20)

(21)15:52 青島の青島神社(22)せっかく来たのだから覗いてみたが特に気になるものは無かった。(23)

青島ルートイングランティアあおしま太陽閣
 宮崎県宮崎市青島西1丁目16―2  0985-65-1531
 無休(レストランは土・日曜、祝日休)大人600円
少し塩味のする湯だったが設備はよくて、ゆったりと入浴できた。そして無料の浴衣を貸してもらい休憩室にいけばそこは漫画喫茶かと思うほど沢山の漫画がカバーを掛けてきちんと棚に並べてあって、最新刊のコーナーもある。

道の駅フェニックス 車中泊
 宮崎県宮崎市大字内海字三池381-1 電話:0985-65-2773
海岸沿いの、設備が良く小奇麗な駐車場だが、天気が悪くて海の景色も星空も楽しめなかった。




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1 コメント

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Unknown (四女)
2014-04-30 19:06:34
弥勒山では草花や滝や、色んなものが見られるんですね。
幼少期に何度も連れて行ってもらったはずですが、展望台があったことくらいしか覚えていません。大人になった今行けば、見える景色も違ってくるでしょうね。
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