弥勒山日記

自分の好きな分野を気ままに歩き回り、色々と考えます。
他の記事へは左下の[最新記事]欄で移動できます。

弥勒山日記 (20)     2014/10/09~2014/12/31

2021年11月20日 15時05分36秒 | 日記
 弥勒山日記 (19)」に戻る
 弥勒山日記 (目次)に戻る



伊那烏帽子岳登頂 2014/10/09 木曜日

北海道移住展 2014/10/13 月曜日
名古屋吹上ホールで人口減対策の移住者募集展示会だった。
移住の気は全く起こらなかったが北海道の食材、特に網走の魚介に魅力を感じた。

弥勒登山173回目 反時計回り 2014/10/16 木曜日 
陽射しはまだ強いけれど程々に涼しくなったと思ったので帰って来たが、やはりまだ暑かった。
(1)相変わらず多い、猪の掘り返し跡
(2)冬越しのための肥育はまだ先のことであるが、どんぐりがもうそろそろのこの時期は猪の大好物であるミミズの抱卵期でもあるので猪にとっては美食なのかも知れない。

(3)久しぶりの青大将。道樹山から谷へ降りる途中で出会った。長さ約1m位(4)



TP会 賢島宴会 2014/10/25 土曜日
今年のTP会は伊勢神宮詣と賢島での宴会
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
(8)赤福
(9)


弥勒登山176回目 時計回り 2014/10/28 火曜日 
(1)久し振りに見えた御岳山
噴気が以前ほど高く上がっていなくて山頂にへばりついた様になっている。
しかも真っ白なので、付加物が減り純粋の水蒸気だけになったのかもしれない。(2)涼しくなったと言ってもまだ十分ではないので遠くの山はくっきりとは見えない。
くっきり御岳山が見えるのはまだ一ヶ月以上先になるだろう。




大和三山と知恩寺古書市 2014/10/29 水曜日
京都百萬遍の知恩寺で開かれる古書市に出かけるついでに一日早く出かけて奈良県桜井市の大和三山を登ってみることにした。夜は大阪阿倍野に用があるので動物園前に宿を取った。

大和三山とは言っても山というよりも丘に近いもので、耳成山(みみなしやま140m)天の香具山(あまのかぐやま152m)畝傍山(うねびやま199m)に過ぎない。 しかし奈良平野南部の広い土地の中央にもっこりと盛り上がった緑の固まりは気になる存在である。

(1)

かっての藤原宮がこの三山に囲まれた位置に築かれ、その外側に三山を取り込むように藤原京が築かれたのも古代人が同じような気持ちを抱いたからなのでは在るまいか。

元々この三山に囲まれた土地は藤原と呼ばれていて、中臣鎌足がこの土地を拝領したために藤原氏を名乗るようになったと言ういきさつもあるように古代社会において何らかの特別視された土地であったようだ。

葛城山からみた印象で言えば、南にある甘樫の丘を含めて「大和四山」と呼びたいところだが、何々三山はあっても何々四山は存在しない。同じように三大何々(例えば三大祭、三大桜など)は沢山在るが四大何々に成ると、ない訳ではないが余り馴染みがない。
四は死につながるとして忌避されたものと思われる。

四山の例を調べている内に四山神社(よつやまじんじゃ)を見つけた。
熊本県荒尾市の山と言うほどでもない標高56メートルの四山山頂にあって、神社なのに虚空蔵菩薩が祭られているのが面白い。


高蔵寺  06:49 JR名古屋 07:21 JR中央本線・岐阜行 410円
近鉄名古屋07:30 近鉄名張 08:58 近鉄名阪乙特急  2,010円+指定席 1,320円
名張   09:04 榛原   09:20 近鉄大阪線急行・大阪上本町行 4番線発4駅
榛原   09:27 耳成   09:42 近鉄大阪線区間準急・大阪上本町行5番線発5駅


(2)近鉄耳成駅(3)駅から耳成山はとても近い

(4)耳成登山道入口は山口神社入口でもある。(5)(6)

(7)かってこの山がどう見えていたのかを推し量る資料がないので全く判らないし、現在では山の際を生活道路が走っていて周囲は住宅地になっている。見た目だけで判断すれば何の変哲もない雑木林としか見えない。(8)(9)道は山斜面を回りながら緩やかに登っていく。

(10)ほぼ一週半回った所に耳成山口神社がある。(11)耳成山口神社から頂上はすぐ近くである。

そういえば耳成山には耳成山口神社があり、天の香具山には天香具山神社があり、畝傍山には畝傍山口神社があるがどれも頂上にはない。

神社建築が始まる前の神道は山や岩などをそのまま祭って拝むものだったのだが、大和三山のように小さな山では誰でも頂上まで行けるのだから、神妙さを維持するためには何らかの工作が必要だったのではないかと思う。
だとすれば、その工作は山頂に建物を作るとか、岩を削って何かの像を作ることだと思うが、山頂ではなく少し下った位置に社を作った意味が解らない。

「山口」が山の登り口又は山への入り口を意味するのだから現在の位置は当たり前と言えば当たり前なのだが、頂上に神社がないということは山そのものが神社とみなされたのだろうか?
或いは山頂を神域として立ち入り禁止にして神域を拝む拝殿をふもとに作ったのが後にその目的を忘れ去られて、自身が拝まれる神社になってしまったのだろうか?

(12)山頂の三角点を通り過ぎて下っていく道があった。ウイッキペディアには「この山は新生代第三紀の中新世に噴出した火山岩が侵食されてその一部のみが残存した侵食地形である。瀬戸内火山帯に属する独立峰であり、安山岩より形成される。」と記述されているが火口らしい物は見当たらない。

大和三山は万葉集にも多くの歌が載せられている。
筆者が好きな歌は古今和歌集に載っている次の歌である。

「耳無の山のくちなし得てしがな おもひの色の下染(したぞめ)にせむ (詠み人しらず)」

残念ながらこの山にくちなしの木が特に多いのかどうかは判らなかった。
(正直に言うとクチナシがどんな木だったか思い出せなかったのでこの文はあまり意味がない)


(13)天の香具山遠景大和三山の内この山だけは独立峰ではないらしい。
ウイッキペディアには「他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる」と記されている。
写真左にやや霞んで見えているのが多武峰から続く山だが渡りの部分は人が開墾したのか、水害で尾根が崩れたのか、現在では畑地になっている。

(14)途中に藤原宮跡資料館があった。この施設の存在は知らなかったので早速拝見したら結構充実した展示で判り易い構成になっていた。

(15)登山道入り口近くに大きな建物が見えるが天の香具山とは無関係な天理教の施設だった。

(16)ここにも懇切丁寧な案内表示がある。(17)

(18)天の香具山の山頂には國常立(くにとこたち)神社があった。しかしこの神社は二つの祠のセットで、高龗神(たかおかみかみ)と國常立命(くにとこたちのみこと)が祀られていて、高龗神は貴船神社(京都市)の祭神である。この組み合わせは奇妙だしこの山との関係も伝わっていない。大和三山とは関係ないのではあるまいか?
(19)二つの祠のセット(20)山頂の樹間から畝傍山が見える。

(21)天の香具山と畝傍山の中間から北に見た耳成山

>(22)畝傍山登山口(23)(24)

(25)頂上に近づくと岩がちに成ってくる。 畝傍山は畝火山と書かれる場合もある。ウイッキペディアによると「瀬戸内火山帯に属しており、頂上近くの緩い傾斜面になっている部分は、黒雲母安山岩から形成され、ざくろ石黒雲母流紋岩の流離構造を示す貫入岩も存在する。ただし、きれいな釣鐘型の火山のような山容を持つが、第三紀に噴出した火山岩が侵食されて、その一部のみが残存した侵食地形である。噴火時の大きさは現在の2倍以上であったとされる。」とあって火山であることは確かなようだが噴火口は見当たらず、登ってみても火山を連想できるものはない。

(26) 頂上に「畝傍山口神社跡地」の碑があった。
山口神社が頂上にあるのは変だが(現在の畝傍山口神社は西側の山麓にある)少なくとも畝傍山の頂上に何らかの神社があったことは間違いなさそうである。

畝傍の名で思いつくのは「忽然と消えた軍艦 畝傍」の話である。
日清戦争の前にフランスに発注された3檣バーク型機帆船、つまり蒸気エンジンと帆を両方持った軍艦であり、先進的な水上魚雷発射管4門も備えていたのだが、1886年(明治19年)にフランス人乗員によって日本に回航される途中でシンガポールを出た後消息を絶っている。

飯牟礼俊位(いむれとしたか)海軍大尉以下日本海軍将兵(日本側回航員)、駐日フランス人の家族を含めて全乗客乗員計90名の消息は不明であり、漂流物の類は全く発見されなかったので、海賊に捕獲されそのまま海賊船になったとか、生きのびた西郷隆盛が奪取して南米に向かったなどの噂が流れたらしい。

軍艦の名は普通は継承されるのであるが、畝傍は縁起が悪いとして、一代限りで廃止されてしまっている。

(27)近鉄橿原線 畝傍御陵前駅

畝傍御陵前 16:23 橿原神宮前  16:25 近鉄橿原線 690円
橿原神宮前 16:30 大阪阿部野橋 17:12 近鉄南大阪線急行


宿は天王寺・動物園前南にあり、昔はとてもガラが悪く危険だった場所である。
道端で酔いつぶれている者がいたり、ケンカしていたり、座り込んで酒盛りをしていたりで、まともな者には不安で近づけない場所だった。
今でも労務者用の一泊千円前後の宿はあるが、コインランドリーや風呂の案内が貼ってあったりして、キチンと管理されているようである。

ビジネスホテル来山南館 大人:2200円
大阪府大阪市西成区太子1-3-3tel:06-6647-2195

それでも2200円の宿と言えば不安を感じる人も居るだろうが、この値段のホテルには労務者は来ないのである。その代わり、バックパックの外人がほとんどであり、単語も文法も寄せ集めの不思議な会話が飛び交っている。

又、このホテルは不思議な構造をしている。概観は普通のビルであるが玄関を入れば右と左にレセプションがある。右がビジネスホテル来山北館の受付であり、左がビジネスホテル来山南館の受付であって2階から上は北館南館を行き来することは出来ない。つまり内部は別の建物として拵えてあるのだ。
初めてこのホテルに来た時には最初に北館の看板を見たものだから、南館の建物を探して随分と歩き廻ってしまったものである。


2014/10/30 木曜日
会場 京都市左京区 百萬遍・知恩寺境内
会期 平成26年10月30日(木)~11月3日(月・祝)
営業 午前10時~午後5時 (初日は、古本供養終了後開店)


動物園前 07:56 北浜  08:05 大阪市営堺筋線・高槻市行 240円
北浜   08:11 出町柳 09:06 京阪本線特急 470円

(1)途中で朝食を取って、さらに知恩寺境内を散策してもまだ古書市は始まらない。(2)(3)(4)(5)

(6)15分遅れで市が始まった。
知恩寺の境内はあまり広くなくてこじんまりとした市だったので4時間あまりで見終わってしまい、買った本は宅配を頼まなくてもナップサックで持ち帰ることが出来た。

最大の古書市は下賀茂神社で行われて、とても1日では見切れない規模なのだが、困ったことに8月に開かれるのである。
8月の京都は暑さに弱い筆者にとっては地獄である。
汗をかくなんてものじゃあない、自分の歩いた軌跡が汗の痕になって点々と続く。靴の中も伝い降りる汗で水浸し。まるで服を着たまま泳いで来たようになるのだ。
水道水もお湯になっていてシャワーを浴びても少しもすっきりしない。

その次に大きい古書市は大阪天王寺の四天王寺古書市でこちらは4月なので気候は良いのだが何故か今年は開催されなかった。

規模ではなく内容で素晴らしいのは 京都左京区「みやこメッセ」の古書市。
これは五月初めに開かれるが、保存状態の良い本が多くさすがは京都であると素直にほめることが出来る。

出町柳 15:04 三条  15:07 京阪鴨東線特急・淀屋橋行 270円
三条  15:09 東福寺 15:15 京阪本線・中之島行4番線発4駅
東福寺 15:22 京都  15:24 JR奈良線1番線発3,020円
京都  15:30 米原  16:23 JR東海道本線新快速・長浜行2番線発11駅
米原  16:30 大垣  17:03 JR東海道本線6駅
大垣  17:11 名古屋 17:43 JR東海道本線特別快速・豊橋行 5駅
名古屋 17:48 高蔵寺 18:15 JR中央本線快速・中津川行7番線発7駅


興正寺古書市 2014/10/31 金曜日
名古屋市昭和区八事本町 京都知恩寺と比べるのは酷と言うものだが、収穫なし。


弥勒登山177回目 反時計回り 2014/11/04 火曜日
久しぶりに見えた御岳山。一週間前に比べると若干だがくっきり度が増している。
水蒸気はまだ噴出し続けて東に風で流されているようだ。左に見える乗鞍は既に冠雪して真っ白になっている。

異業種交流会 2014/11/05 水曜日 ポートメッセ名古屋



マスマス会・分杭峠 2014/11/09 日曜日
(1)蓼科でマスマス会の宴会があり、翌日の帰宅経路で分杭峠ゼロ磁場パワースポット訪問が企画された。

2014/11/10 月曜日

(1)山が美しく見える季節であり、山裾のエコーラインよりも標高の高い杖突峠からの眺めに期待していたのだが靄が掛かっていてよく見えない。とても残念だった。

(2)(3)(4)この時は10時過ぎで、この日の天気は午後にゆっくりと回復していくのだった。

本日の目的であるゼロ磁場パワースポットは伊那市の高遠の南にある分杭峠(ぶんくいとうげ)の北側斜面にある。
現場には駐車スペースがないので、高遠方向にかなり下ったところに駐車場が作られていて、そこから片道約15分往復650円のシャトルバスで運んでもらうことになる。

(5)現場のバス亭には土産物店とか軽食堂などが沢山あってもよいと思うが、欲がないのか思いつかなかったのか、ペットボトル入り500ml 250円の「ゼロ磁場秘水」を売っているだけのさびしい状態だった。(6)(7)

(8)数分歩いてパワースポットに到着。「気場」と表示してあるここは一見普通の沢谷に見えるが、木製の足場がこしらえてあって谷下に向かって手をかざすと「気」のエネルギーを感じるそうである。(9)残念ながら筆者が感じたのは風が運んできた冷気だけであった。天気は良くなってきたが風は冷たい。

このあたりには日本最大最長の巨大断層地帯である中央構造線が通っており、2つの地層がぶつかり合っているために双方の岩石に含まれる磁力が反発しながら拮抗して、そのエネルギーが凝縮しているゼロ磁場であり、世界でも有数のパワースポットとされているらしい。

ネット上で色々な発言を読んでいくと、中央構造線にそって何箇所も同様なゼロ磁場地点があるそうだが、記事の多さで並べると分杭峠、伊勢の瀧原宮(たきはらのみや)、松江西方の陣賀山(じんがさん)の順番になり、この三箇所で記事のほとんどを占めている。 しかし、ゼロ磁場ではなくパワースポットとして探せば無数にあるようだ。
中央構造線からもフォッサマグナからも遠い島根県の松江にゼロ磁場地点があると言うのも妙だが、それについての説明は見当たらなかった。

(10)霊水の矢印があったのでそちらに向かった。
車の通れそうな砂利道を数分歩くと広い沢に出会った。(11)ここにも観光客が集まっていた。後にネットを見ているとこの沢の写真が出ていて、こちらの方により強力な「気」が流れているそうであるが、磁場がゼロであることと「気」が流れることの関係がさっぱり判らない。

(12)又、ここの磁気処理された水は細胞を活性化させるそうであるが、近くに伊那市の建てた注意看板があって「この水は飲用水ではありません」と書いてあった。
はて、わざわざやって来た人としてはどうすりゃいいのだ?




小原村四季桜 2014/11/17 月曜日
毎年の恒例行事となってこの時期に豊田市の小原村(おばらむら) に出かけている。

(1)この村では四季桜と称する秋に咲く桜と紅葉が村一面に植えてあるのだ。
淡い白ピンクの桜と鮮やかな紅葉の赤のコントラストがとても美しいのである。

紅葉(もみじ)は紅(べに)の葉と書くが、紅と一言で片付るにはいささか複雑な色であって鮮やかな朱色から赤黒とでも言いたい暗い色まであり、紅葉だけでも十分観賞に値するが桜と並べて観賞すればその見応えはぐっと深まるのである。

(2)黄変したイチョウとのコントラストも又楽しい。

見所は何箇所もあるが我々は毎回同じ2箇所を訪問している。
一つは「川見薬師寺(せんみやくしじ)」で他の一つは「小原ふれあい公園」。

(3)薬師寺は長い石段を登って境内に至るまでさまざまな角度で周囲の桜、紅葉を鑑賞できる。(4)(5)ここの石段は88段、33段、42段と三つあって同行する義母が「今年も登れた」と自分の老いを確認する役に立っているのである。

(6)今年はほぼ満開の桜だが紅葉の方がまだ早いらしく鮮やかさが足りないような気がした。(7)(8)(9)

こうした桜はここだけなのだろうかと調べてみたら他にもあることが解った。
 岡山県真庭市神代の神代(こうじろ)四季桜
 愛知県東海市にある四季桜の寺 妙乗寺
 さらに
 兵庫県丹波市山南町下滝・微妙寺
 福島県伊達市梁川町の「やながわ希望の森公園」 にもあるらしい。

四季桜とは何者なのかと調べてみたら
シキザクラ(四季桜、学名:Cerasus × subhirtella ‘Semperflorens’)はバラ目バラ科サクラ属の植物。狂い咲きではない状態で、年に二度開花する桜の園芸品種。
エドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。と記述して会った。

又、東京農大のHPに「サクラは実は秋咲きだった!?」と言う記事があった。
ネパールの低地(低地と言っても標高1400mから2000m)の「ヒマラヤザクラ」という桜は秋咲きであり、標高3000m以上に育つ種類は日本の普通の桜と同じ春咲きだそうです。
ネパールの低地は一年を通して温度差は少なくとても穏やかな気候なので、そこで発生した本来の姿が秋に花の咲く桜であるという仮説です。

これに対して日本は春夏秋冬がはっきりしていて、一年でも最高と最低気温の差が30度以上あります。ネパール低地と比べるればとても厳しい気候なのです。又、ネパールの標高3000m以上も同じように厳しい気候なのです。
その厳しい気候を乗り切る手立てとして夏に出来た花芽を休眠させ、冬場に葉を落として活動を止めるという手段を獲得したと言うのです。そして日本では春に花が咲く桜が常識となっているところに「先祖返り」した四季桜が出現したと言うのです。つまり春に花が咲く日本の桜のほうが変種だと言うのです。
もし日本の四季桜がエドヒガンとマメザクラを交雑してつくられた園芸品種だとすれば、それがネパールの低地に在ることの説明がつかないので、東京農大の仮説は中々魅力的です。

(10)「小原ふれあい公園」の広い駐車場には地元の農産物やきのこ、自然薯、蜂蜜などを売る天幕が作られていて食事も出来れば「おでん」を食べたりも出来るが、家内は毎回ここで花の苗を買っており筆者は小さな園芸の小鉢を買っている。
ここ数年イワヒバにこだわっているが夏を越した後にいつも枯らしてしまい、小原村で買いなおすことを繰り返している。


産業交流展訪問 2014/11/19 水曜日 
東京お台場ビッグサイトにて 11/19水~11/21金の三日間を要した

弥勒登山180回目 時計回り 2014/12/02 火曜日 
用事と雨続きでご無沙汰だった弥勒山
久しぶりに帰ってきたらすっかりと冬枯れになっていた。(1)弥勒祠の気温は4℃で風も冷たく、カップメンが美味しい。
(2)下草もすっかり枯れ果てて、木立を透けて向こうが見える。

30番標識を通って29番標識を過ぎたあたりで雪が降り始めた。
積もるどころか地面に落ちた途端に消えてしまいそうなか細い雪ではあるが、懐かしくてとても嬉しい。28番標識まで降りると雪は止んでしまった。

弥勒山を歩き始めて本日で180回目になった。
これは退職後の回数であり、4月半ばから10月半ば頃までは暑さを避けて別のもっと高い山に通った結果の数であるから、そこそこ通ったものと言って良いかも知れない。顔なじみになり言葉を交わす常連も何人か出来た。

弥勒登山182回目 時計回り 2014/12/05 金曜日
(1)食料が乏しくなったのかヤマガラが大胆に寄ってくるようになった。(2)(3)シジュウカラも混じっているが、ヤマガラよりも臆病で少しもジットしていないから、写真には上手く捉えられない。(4)

弥勒登山183回目 反時計回り 2014/12/08 月曜日
27番標識と28番標識の間で遊歩道ルート上の最低部に開いている谷は今年の4月に登っているが、途中から左の谷に抜けたために行き詰っていた。
右の谷を行ったらどうなるのだろうと気になっていたので行ってみた。

(1)                 (2)
  
少し登ったところにある左右の谷の出合いを右に登るとすぐに水量の豊富な丸い池があった。

(3)岩が濡れて苔むしているので、滑らないように用心しなければ成らないが、大きなギャップもなく順調に登って行って滝に出会った。中々見ごたえのある滝で左手が登れるようだ。(4)登るにつれて次第に水量は減っていく。(5)砂防ダムに突き当たった。と思ったらその左手に何やら見覚えがあった。35番標識から下ったところにある通称「竹の休憩所」だった。


弥勒登山184回目 時計回り 2014/12/10 水曜日 
(1)快晴、御岳地獄谷とその噴気がくっきりと見える。(2)中央アルプス(3)白山



滝の沢 2014/12/12 金曜日 弥勒登山185回目 反時計回り

12/08に通った谷を詳しく撮り直すために再び訪れた。
(1)遊歩道と谷の接する位置から見ると2011年9月の水害で荒れた状態がそのまま残っていて痛々しい。(2)最初の砂防堰堤のすぐ先に次の砂防堰堤が見える。(3)二つ目の砂防堰堤の先はさらに荒廃している。(4)ガレ場を遡って行くと三つ目の砂防堰堤がある。(5)三つ目の砂防堰堤を過ぎるとしばらくは渓流に沿って登れる。(6)(7)

(8)谷の出合い。(9)左の谷は見事なチムニーになっているが行き止まり。(10)右の谷を渓流に沿って登る。(11)

(12)滝が見えた。(13)滝を見上げる

(14)滝の手前左を登って行く(15)滝の上から見下ろす。

(16)再び渓流を溯上する。(17)

(18)四つ目の砂防堰堤(19)堰堤の左側に「竹の休憩所」が見える。(20)名前の由来になった竹製のテーブルとベンチ


弥勒登山186回目 時計回り 2014/12/19 金曜日
(1)道樹山頂には二日前に降った雪がまだたっぷりと残っていた。(2)(3)全ての木の全ての枝に雪を載せているのでしばしばその塊を落としてくる。
雪の塊、氷の欠片が降り続く中を歩くものだから時には襟に落ちてそのままシャツの中に入ってくるヤツもいてびっくりしてしまう。

(4)大谷山頂(5)弥勒山頂(6)久々のくっきり御岳山 水蒸気の噴出もはっきり見えている

(7)32番標識近くの休憩所。ここは陽当たりが悪いので常に最後まで雪が残る。
今回の雪は高蔵寺より名古屋の積雪の方が多かったようだが、まだまだ本格的なものじゃない。なんと言ってもまだ冬至にさえ至っていないのだ。


弥勒登山187回目 反時計回り 2014/12/22 月曜日 
12/08に記事を載せた沢がすっかり気に入ってしまった。時計回りの度にここを通ることになりそうである。特に危険な所はないが場所によってはひどく滑り易いので注意が必要である。

この沢に名前はなさそうなので勝手に「滝の沢」と呼んでみる。
上りきったところが通称「竹の休憩所」なので「竹の沢」でもいいかも知れない。
沢がいいのか谷ではないかとも考えてみた。渓(たに)もある。

沢の説明に沢(さわ)は、細い川、もしくは短い川の通称であり、山岳部でよくみられる。 主に川の支流として多いとある。

又、谷(たに)とは、山や丘、尾根、山脈に挟まれた、周囲より標高の低い箇所が細長く溝状に伸びた地形のことである。渓、谿とも表記され、渓谷(けいこく)ともいう。とも記載されていた。

「谷」と「沢」とは、同じ意味を表す方言どうしであった、という見方も可能である。例えば、谷川岳と丹沢山とは、ともに谷あるいは沢の多い山を指す山名である。富山県では、谷は比較的規模が大きく深く、沢は比較的規模が小さく浅い意味で用いられる。という記述もあった。

三省堂の 大辞林には「たに 【谷・渓・谿】」と三つの文字をまとめて
山または丘にはさまれた細長い溝状の低地。
一般には河川の浸食による河谷が多い。
成因によって川や氷河による浸食谷と断層や褶曲(しゆうきよく)による構造谷とに分ける。また,山脈に沿う谷を縦谷(じゆうこく),山脈を横切るものを横谷(おうこく)という。

結局は明確な区分が出来ていないように思える。

(1)二つ目の砂防堰堤を越えた辺りに赤い木の実が大量に落ちていた。実だけもあれば枝付きのものもある。玉水木の実にそっくりだが見回しても実をつけている木が見当たらない。
玉水木は樹高10m位になるそうであり、周りに高い木は沢山あるが、実を付けた木が見当たらないのでどの木がそれなのか判らない。全ての実が落ちてしまったのだろうか?あるいは他の木の葉陰に隠れていて筆者が見つけられないだけなのだろうか?

(2)最近までは道樹山谷が気に入っていたがこちらの方がもっと見ごたえがあって面白い。


弥勒登山190回目 時計回り 2014/12/26 金曜日
このシーズンではソヨゴの真っ赤な実が全く見つからない。
前シーズンにはうるさいほどあちらこちらにあったが、あの実は1年置きに実るのだろうか? と思っていたら27番標識と24番標識の間で見つけた。(1)(2)木立のひどく高い所にまばらについている。そっくりに見えてこれは違う種類の実なのだろうか? それともソヨゴには本当に当たり年があって今回は外れの年なのだろうか? ガーデニングの本を見てもそのような記述はないのであるが。

伊那の越後屋 2014/12/30 火曜日 大晦日に食べる馬刺しを買いに出かけた 

柳橋市場 2014/12/31 水曜日 正月宴会用の マグロを買いに出かけた



 弥勒山日記 (21)に続く
 弥勒山日記 (目次)に戻る
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 弥勒山日記 (19)     2... | トップ | 弥勒山日記 (21)     2... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿