ロシアで学ぶ万年学生の越冬生活

日々思った事を、徒然なるままに書いていきます。

今年を振り返って・・・。

2008-12-31 23:59:59 | Weblog
1月:卒論とレポートと院試対策に追われた月。誕生月でしたが行きつけのお店で祝福してもらいましたよ。月末はずっと大学に引き籠って勉強や卒論に追われていました。

2月:札幌へ院試を受けに。試験日が丁度雪祭り開催中だったので終わってから見に行きました。試験を受けに行く前に先生買わ言われた激励の一言は一生忘れません。

 「あそこの大学院の入試に落ちたら人間じゃないよ」

 素敵な激励のおかげで、受からなかったら未来永劫何言われるかわからない恐怖感と共に試験を受けました。まぁ、実際受けてみてなるほどな。と思いましたけれど・・・。

 試験後、卒業確定発表がされるまでの事。単位数がギリギリだと勝手に脅えていたので、追加で課題なんぞをやったのですが、実は全く必要なかった事に気がついたのです。必須単位よりも余ってしまいましたがまぁいい思い出です。確定発表がされた後2日でアパートを引き払い、荷物をまとめ、東京に送ったり、預かってもらったりで帰京したあわただしい月でした。帰京日には札幌に7時間ぐらいの滞在中に4月から住む所を見学し、契約したりと・・・。1日があれほど長く感じた事はなかったし、疲れました。

3月:親を説得し大学院進学を自分の進路としました。合格発表も来ていたので完璧に事後承諾だったのですが、渋々賛成してくれましたよ。それと同時に内定を頂いていた会社には内定辞退届を出しにいったり、紹介しれくれた会社にも書類を書きに行ったり・・・。重度の花粉症なので非常につらい1ヶ月でした。後半には東京サテライト校へ行って学籍が残っているうちに受けられる恩恵をすべて受けに行きました。その日はちょうど大学の卒業式だったのですが、出席しなかったのでH先生やI先生から個別に電話を頂きました。

「おい、お前今どこにいるんだよ?」

「大学ですが?」

「はぁ?いねぇじゃねえか」

「東京サテライト項ですが、一応大学です・・・」

「屁理屈ばっかこきやがって・・・etc」

と言う会話が秋葉原のダイビルの前で続いていました。


4月:住む場所を札幌に移し、専門もコンピューター情報からロシア語、大学生から大学院生に変わった月でした。1日に入学式があったのでそれには参加したのですが・・・。まぁ、何も言いますまい。週6回のロシア語授業と1回の英語の授業。初期段階では訳文がカオスで自分の世界が広がっていましたが、今ではそれなりになってきているので進学してよかったなと思います。

5月:日本最北の街稚内へ最後の巡礼(笑)残してあった荷物を全て引き取りに行ったり、H先生に会ったり・・・。札幌へ戻ってきて課題や論文の翻訳に翻弄される日々でした。そんな中月末に洞爺湖サミットで通訳バイトに先生から推薦され、なんともまぁ・・・。結局、承諾し6月30日から10日間洞爺湖へ行く事になりました。

6月:親が北海道に来た。勉強の日々は続き、サミットの前に一時的に帰京。まぁ、目的はもう書きますまい。終わった事です。その出来事がきっかけでそういう対象も『Change』しましたけど・・・。
東京で夏風邪になり、洞爺湖へ行く3日のうちにどうにか体調を整え、洞爺湖へ・・・。

7月:洞爺湖での仕事が終わって、モスクワへ行きたい気持ちが強くなりました。ロシア語の勉強よりも、動機づけの意味合いの方が大きかったかもしれません。政府高官にも会え素敵な経験ばかりでした。ただし、非常に疲れました。札幌に戻ったらその日はすぐにベットに乗り込み泥のように寝てました。1学期も無事に終了し、そろそろ修論に向けて活動を始めた月でした。

7月中旬から8月中旬(夏の帰京日当日)までは、ロシア語の授業がないにもかかわらず、ロシア語漬けの日々でした。知り合いのロシア人とICQでチャット、Skypeで会話・・・なら普段と変わらないのですが、さらに以前留学していたサハリンから多くの友人が1ヶ月間札幌に語学留学に来ていたのです。誕生日を迎えた友人もいたり、一緒に遊びに行ったり、部屋に招待されたリで札幌にきて初めてとも言えるぐらい非常に楽しい時間でした。ルスツに行ったり、バーに行ったり・・・。大学主催の勉強合宿なんて行かなかったらもっと色々できたことでしょう。

8月:3日間大学主催のロシア語勉強合宿で根室へ。まぁ、みんな勉強が好きなわけではないし、個人的にもあまり好きなイベントではないのでもう参加する事は絶対にないでしょう。終わってすぐに今度は某K先生主催のチェルノブイリ関係に引っ張られました。ベラルーシでもロシア語は話されているので多少はお手伝いできたと思います。餅つき大会などもあったので楽しかったです。餅つきも手伝いましたよ・・・。

それが終わってサハリンからの友人と一緒に居られる時間が少なくなったので、買い物の手伝いやご飯を食べたりとしてました。札幌のビックカメラに5・6人のロシア人(しかも女の子)に囲まれた一人だけの日本人。遠目に見たらどんな印象を受けたのでしょうか・・・。8月中旬に自分は東京へ、みんなはサハリンへ帰りました。帰京後直に家族旅行で東北地方(秋田・山形)へ。

9月:家の仕事が忙しくなったので札幌に戻る日を変更して親の手伝い。おかげで数年ぶりに地元の例大祭を見れました。新しいデジカメも購入しました。札幌に戻った後は再び勉強の日々が続きました。

10月:家族が再度札幌へ来ました。海産物、農作物を大量に買って帰って行きました。自分の食材も買ってもらったので、10月と11月の食費は5000円以内と恐ろしい記録を叩き出しました(笑)

11月:寒さが厳しくなった時期でもあります。おかげで冷蔵庫の役割はバルコニーに置いたと段ボール(笑)雪解けまでは節約できそうです(笑)修論中間発表準備、勉強に忙しい日々でした。

12月に至っては日数も少なかった上、修論発表後の打ち上げで残った食品を持って帰っていいと院生全員に配られたので普段食べられないものを数日食べ、帰京しましたよ。14日になんとか発表もできましたが、まだまだ絞らなければならないので来年の早い段階である程度の見通しと枠組みは作り、夏休み中には書きあげたいです。年末は恒例の家業の手伝い。今年も大変でした。



簡潔に書くと。


専門が変わった。

大学院に進学した。

住む場所が変わった。