褒めるべきか、叱るべきか、
ふとあることに気が付きました。
前置きから、まず書いておくのですが、
以下、すこしお付き合いのほどヨロシク。
私たちの身の回りには、
実に、いろいろな物事があります。
たとえ、それがどんな何であろうと、
「ひと」というものが生きていくのなら、
自分が遭遇をしたところの、相手であっても、
また出来事にしても同様ですが。
それらにつきまして、その人というのは、
自分の選びによって試行錯誤をするであろうし、
考えてみたり、決めたりをしていくことですが。
すなわち、そこでの選択の仕方というものが、
その人らしさの独自性も醸し出しきますし、
それらが、生き方として現れてくる訳ですね。
当然、そこで用いる自分なりの価値観だとか、
判断力などが、そのなかへ実を結ぶかっこうで、
その人をして、その人らしい人生を、
歩ませていくし、活きさせているという話です。
さて、前置きは、そういうことなのですが。
私が、ふと気付いたのは、次のようなことです。
あるひとが、物事を選ばなきゃいけない、
そういう分岐点に立っていると、
そう思ってみてください。
そのひとが、そこで何かを選ぶときにですが。
もし、このひとが、なにが駄目で良くないか、
それを知っている人という場合と。
何が大事で、どこを大切にすべきか、
そっちを心得ている人だというケースと。
この二つに分けてみたとしたら、
それらの違いがどうなってくるでしょうか。
そういう想定にして考えてみることにしますが。
まず、どれじゃ駄目で良くないのか。
これが飲み込めている人というのは、
ダメなものは除けるし、
不味いことを避けるだろうというのは、
まあ、それなりに行うにしても、
本当に自分にプラスになるような。
そういう選び方で、何かを手にするのでしょうか。
確かに避け上手、逃げ上手な、そこの点は認めます。
でも、もしかして困難の向こうに目的地があって、
その目的地を、果たして目指したりはするのでしょうか。
はい。もう、お気づきかもしれません。
そうなんです。何が大事で、
どういうものを大切にすべきかを、
そこを知っている人というのはですよ。
目の前にある自分が出くわすであろう、
そうした困難さについて、いち早く気が付き、
これを回避する器用さで敏捷でもないし、
ある範囲、疎い行動にもならざるを得ない。
でも何を目指せばいいのか知っていますから、
多少の困難が仮に伴う話であったにしても、
まあ、そこは愚直にとでも申しましょうか。
自身の目前の難敵を避けることよりは、
もっと先にある目指すべきものを指向します。
まだ求めるものは、手中にはしていないけど、
すでに狙いをつけて、もう見定めているのです。
このひとは、自分の求めるところへ、
すこしでも近付こうと、迫ろうとしており、
まだまだ先に進もうとするはずですよね。
その結果、この両者がどうなるのかといえば。
ダメなもの、良くないものが嗅ぎ分けられるより、
本来的に大事にすべきものを知っていたほうが、
何かを手に入れるには、賢い行動をするのです。
何を求めるべきかを正しくマッピングしていけば、
何をしたら、うまく行かなかったかというのも、
自動的に学ぶであろうプロセスとして含みます。
でも、どれが不味い、何がダメか、それだけでは、
目前の困難イコール避けるべき課題にしか映らない。
どういうのがダメだよと詳しく説いてあげても、
もし、それだけしか身につけていかなければ、
最終的に狙うべきものを見定めて掴み取るまでは、
到達などできないし、届く日が来ることもない。
目の前の人間に対して、ただただ詰まらなく、
それでは、駄目だと指摘しているだけなら、
不味いこと上手くないことを避けたり除けたりは、
身に着けられて、避け方の上手さは学べるかも。
でも、人生が何を築けるか、そっちが肝とすれば、
その人でも、消去法で残ったものを手にするとして。
目指すところまで、いつか辿り着くというのは、
かなり偶然な行き当りばったりに低い確率だろうし。
手にしたものの価値を推し量ることもできない。
目指すべきものを求めようとする感覚を、
もし少しでも強化させてやろうと思ったら、
それは良いことや、いま出来ている大事なことを、
それが尊いものだと気が付かせてあげるべきです。
その人が大事なものを知るということは、
良きことを褒められた体験ができた部分と、
きっと実に密接にリンクするはずです。
人というのが、何を入力されたら、
どういう生き方を選ぶようになるかが、
ここにあるんだなあと、そう思ったのです。
ひとは、きっと、そのようにして、
自分の人生を処していくことになるのです。
相手に対して、どう関わるかというのは、
結果そういう人生上の選び方をすることに繋がる。
そこが実際の人生なんだろうなと思う。
答案用紙の三択問題だったら、
消去法で解答を正解にすることが可能でも、
人生なんて
「人間の数」×「選択の可能性」=「ほぼ無限大」
これではダメ潰しから正解に辿り着くというのも、
限りなく小さな確率になることでしょう。
つまり、これがダメなことを叱る方法や、
学校で身につけさせる教え方だけでは、
一番に、欠けてしまうところになるんでしょうね。
要はダメダメ情報の列挙もこれなんですよ、きっとね。