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いまの日本で、江戸時代の本丸御殿が現存しているのは、
この川越城のものと、高知城だけだそうです。
(喜多院のガイドも言っていたし、ここの人も言っていた)
喜多院とは異なり、本丸御殿は撮影可なので、
屋内の写真があります。
まずはこちら。
本丸御殿の向かい側に、ひっそりと(?)立っていました。
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お城があったという事を認識するような
石垣などはありませんでした。
入館料は100円(安い!)
市立美術館や市立博物館との共通券制度も有るようです。
入って直ぐ近くにあるのが、十三畳半の使番詰所
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写真奥に物置があるので、こう言う中途半端な
広さになったようです。
その隣の十二畳の番抜老体詰所
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番抜老体って、どう言う役職?
さらにその隣。
一番奥に有るのが、十二畳の物頭詰所
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ここまで通ってきた反対側の廊下から、十五畳の使者乃間。
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玄関に近く、広間の隣の位置になります。
って言うか、入るとき、この部屋に気が付かなかった(苦笑)。
渡り廊下を渡ります。
家老詰所になります。
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明治の頃に解体移築され、商家で使われていたのを
後に川越市が寄贈を受けたというもの。
館内の説明には「発見され」みたいな書き方がされていたので、
「え?地中にでも埋まっていたのか?」と思いましたが、
家屋として建ってはいたけど、その由来が不詳だったと言う事ですね。
家老詰所の中は、近年まで商家で普通に使われていたということもあり、
ごく普通の日本家屋。
家老だからと言って、装飾が特別にキレイだとかいうことはありません。
ちょっと拍子抜け。
そんな部屋の一つの家老詰所(十畳)が、セットになっていました。
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川越藩は、幕末に第一・第二・第五台場の警備を担当させられたそうですが、
このセットは、警備計画について、相談している家老たちだそうです。
御殿本体に戻ります。
入ってきた時とは違う廊下を通ります。
途中、こんな表示。
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今も昔も、坊主は隠された(笑)。
こちらは、今の川越の写真に重ねた川越城の領域
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でも、市内に遺構として残っているのは、
あまり無い印象でした。
こちらは、大広間
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写真左手が玄関になっています。
それで、こちらは大広間の襖絵。
上の写真で奥に写っているものです。
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その隣は、使者乃間になっています。
なので、襖絵がキレイに描かれているんでしょうね。
これで、本丸御殿は終了。
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この石碑、意外に目立たないところにあります(苦笑)。
本丸御殿の向かい側にある三芳野神社に向かいます。
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仕切りもなく、敷地的には、
本丸御殿からそのままつながっているように見えます。
そしてこの三芳野神社は、上記の写真にある通り、
「おおりゃんせの発祥の地」
だそうです。
本丸御殿の向かいに位置していることから分かる通り、
一般の人間の参詣がやりにくくなった様子を描いた歌とも
言われています。
こちらは本殿。
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少し痛みがあるように見えます。
そのため、社殿の建て替えも検討されているような
看板が掲げられていました。
次は、バスに乗って氷川神社へ
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日本有数の大きさの、木製鳥居。
高さは15mあります。
この写真だと見えにくいですが、
扁額の文字は勝海舟直筆だとのこと。
と言う事で、アップ
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こちらは本殿。
三芳野神社と異なり、沢山の人がお参りしています。
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縁結びの神様と言う事で、(若い)女性が多く見られます。
本殿の裏側に回ることが出来ます。
そうすると、ご神木がありました。
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こちらも女性に人気。老いも若きもね。
ご神木周りということが出来て、
その通り、このご神木の周囲を回ることが出来ます。
ご神木の根本は、根が荒らされないように、
足を乗せて歩くための足場がありました。
境内はそれほど大きくはありませんが、
中々賑わった神社でした。
東京で言うと、東京大神宮見たいな感じかな?
本丸御殿・氷川神社エリアはここまで。
次は、蔵の街エリアへ向かいます。
(続きは明日)