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皇居東御苑

皇居東御苑に行ってみました。

皇居外苑は行ったことがあるんですが、皇居東御苑は初めて。
和田倉噴水公園方向から行ったのですが、最初間違えて桔梗門のところへ。
東御苑には、桔梗門からは入れないんですよね。繋がってるんですけど。
トボトボと引き返し、改めて、大手門から入門です。


大手門を入って直ぐのところに、旧大手門に付いていた鯱が鎮座しています。

今の大手門は、1968年に再建されたそうなので、それ以前の、
本当の大手門に付いていたものという事になりますね。

別に入場料とか、手荷物検査があるわけではないのですが、
受付のところで、「入門票」を手渡されます。
ゆえに、そこだけ、通路が狭くなっています。
検査しないので、あまり意味のある行為とは思えないんですけどね。

東御苑は、結構植物が咲き乱れていると言うような話を聞いていたので、
植物園状態を想像していたのですが、実際には違っていて普通の公園です。
北の丸公園とおんなじ感じですね。道も舗装されてて、歩きやすいです。

歩道を歩いていると、同心番所があります。
ここは大手門から入城した大名が最初に通る番所で、
与力、同心が詰めて警護していました。

建物は、江戸時代からのものを修復・整備したもののようです。

そしてその直ぐ先が、ちょっと広くなっているのですが、
そこには、百人番所があります。

百人番所とは、その名の通り、各100人ずつの同心が配属されている甲賀組、
根来組、伊賀組、二十五騎組の4組が、24時間体制で詰めていた所です。
もっとも警戒厳重だったところだそうです。
ここも、江戸時代からのものを修復・整備したもののようです。

そして百人番所の先には、大番所が。

ここは、他の番所よりも位の高い与力・同心によって、警備されていました。
この先の坂を上りきると、本丸エリアになります。

本丸は、何もなくなっていて(当然だけど)、広い芝生の公園です。

本当、普通の公園になっているので、ここが皇居だと言うことを忘れそうです。

江戸城と言えば、松の廊下。

松の廊下とは、松の絵が描いている襖があったからそう呼ばれていたのですが、
本丸の結構端の方にあったんですね。

せっかく本丸に来たので、天守跡に向かいます。

いまは、石垣のみがその跡を残していますが、
その石垣の敷地面積自体も、結構小さいです。

そして、その天守跡から、いま話題の新丸ビル方向を見てみると・・・

何か、別世界から見ているような感じです。

この天守跡の直ぐ隣には、香淳皇后のご還暦を記念して建てられた音楽堂の
桃華楽堂があります。

八角形の外観になっていて、外壁は有田焼、信楽焼などの陶片が貼られています。
でも、使ってない雰囲気なんだけど、どうなっているんでしょう?
折角だから、使ってほしいですね。

一番奥の辺りまで来たので、後は帰るのみ。来たときとは違う経路で戻ります。
二の丸庭園のあたりに来ると、諏訪の茶屋があります。

案内図には、単に”諏訪の茶屋”と書いてあるので、一般の休憩施設かと
思っていたのですが、違うようで、元々は明治45年(1912年)に吹上御苑に
建てられたもので、東御苑の開放に伴い、移築されたそうです。
どういうときに使うんでしょう?
ちなみに、このあたりは、都道府県の木があるエリア。
私の郷里の木も当然ありました。
みんな、自分の郷里の木を背景に写真を撮っていたりしていました。

御苑内は広い上に、お城の跡なので、上り坂が結構あったりします。
結構疲れました。

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皇居東御苑の公開要領
http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-03.html
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