いっぱいでてますね。
ずっと気になっていたけれど、最近の話題の大きさに、なんだか私は不安になります。
それは事務所の存続とかそういうことではなくて、事態がどんな背景で起こって
どんな人の想いがあって、どんな苦しみがあって、起こってしまった出来事なのか。
どうしたら、これからは防げるのか...
そんなことが考えられる機会が失われて
事務所の名前を変更するかしないか、契約を更新するかしないか、事務所は存続するのかしないのか、そんな表面に浮かび上がってくることばかりが議論されるのでは。と懸念しています。
加害者と被害者が生まれてしまう性被害って、被害者の人の苦しみはとても大きいし辛いですよね。
それは許されることではありません。
でも、じゃあ、なんで加害者になる人は
そんな一方的なことをしたんだろう。
単なる興味なのかな。その場の勢いなのかな。
それとも、自分の性的指向は社会から許容されるものではないと、わかっていたから
それしか、なすすべがなかったのかな。
被害者になる人は、どんな気持ちで今話しているんだろう。事態が起こった時、誰に相談したんだろう。どんなふうに、話を聞いてもらってどんなふうに動いてくれる存在がいればよかったんだろう。
今からでも、何かサポートできることはないのかな。
忖度をせず、人の痛みに寄り添える組織や社会にどうしたら今の社会を近づけていけるんだろう。
そして、今のこの局面で
大きな世論の的になっている今、さらに
傷つく人が生まれるのではないか。
今、表で自分は性被害に遭ったと言っている人、逆に加害者を本当に慕っていたからどんな気持ちで今いればいいのかわからない人。
この報道がきっかけで過去の体験がフラッシュバックしてしまう人、自分も社会的に許容されない性的指向をもっていていつか自分も加害者になるのではとヒヤヒヤしてる人。
そして、忘れてはいけないのは、この件の場合、1番話を聞きたい人は
既に亡くなっていてもう話せないってこと。
亡くなってる人を悪く言っちゃいけない、とかそういうことを言いたいのではありません。
ただ、もう何も話せない立場の人がいるからってそれを利用して、大きな声を張り上げてその人を悪者にして全責任を押し付けようとしている人があまりにも多すぎる。
問題の構造をわかりやすくして
誰が悪くて誰が責任をとって
その悪いことをした人は相応の罰を受ける。
それは、当たり前のことかもしれません。
一番手っ取り早く、事態が解明されて
対策が打たれて社会として向き合ったことになる。
でも、本当に大事なのは
これだけ報道されるのなら、1人1人が
もっと頭を使って、考えて、想像して
他人事ではなくて、もう一歩自分に引き寄せて考えてみることだと思うんです。
正義を判断する人になるのではなくて、自分を登場人物に置き換えて考えてみることだと思うんです。
そして、考えたり議論したりして
自分なりの考えが生まれたら
それを大事にしてこれからを生きていく
ことができれば、と思います。
なんか、そんなことを
ここ数日考えていました。