転勤族で遠くの町に暮らした。
9年前にこちらに引っ越してきて
年老いた両親の病院通いなどを手伝いながら
「たまに行く嫁」として
仲良く、何の問題もなく、
感謝されながら過ごしたが
7年前、義父が亡くなって以来
実家に一人で暮らしていた義母も93歳。
雪の降る間は、仙台の我が家で暮らす、の3年目。
今年はとうとう、春になっても実家には帰らなかった。
…帰れない、と言うべきか。
最初は帰る帰ると度々言っていた義母も、とうとう
それを言わなくなった。
(とはいえ、ほぼ毎週実家へは連れて行く)
結婚した頃…年に数回、帰省すると
子供らと数日間、夫の実家に滞在した。
あの頃の義母を時々思い出す。
私くらいの年齢で、曾祖父母を世話しながら
帰って来た息子の家族をもてなしていたのだから
さぞ疲れたことだろう。
私の中に「不機嫌な」人、というイメージが残っている。
孫と過ごす時には、優しく笑っていたが
余計なことを口走る義父を咎めたり、
食事の支度の段取りをしたりと
原因がいくつか思い当たり、
あの時の義母の気持ちは、今の私には理解できる。
しかし
営業職で笑顔が売りの仕事に従事していた私には
その苛立つような無表情にはいつも違和感を覚えた。
表情の変化で義父の行動をコントロールしていたようにも感じたし、
亭主関白だった私の実家と比べると
義母の不機嫌さはとても不思議に思えた。
昨日、友人が来て
弟さん夫婦と同居しているお母様の話をしてくれた。
「一緒に住んでて、会話もないし、笑顔もないのよ。」という
彼女の言葉を聞きながら、身につまされる。
私の弟家族と住んでいる実母も同じ状況だし、
実際、今の私もそうなのだ!
会話もないし、笑顔もない。
つまらなそうな表情はもしかしたら
27年前の義母と同じなのだろうかと思う。
…なかなか思う通りにできないものなのよ、と
ため息が出た。
私はついこの間まで、彼女側にいて
同じことを思っていた。
今は、弟家族の立場で物を考えてしまう。
それがどう、ということではなく
自然な成り行き。
ただ、「こっち側」に立つ経験もできて
よかったな、とは思う。
魂レベル上がったかも〜
なるようにしかならない人生。
その、なるようにしかならない中で
どう生きるのか?
なるべく良い人でありたいし
自分が壊れてしまいたくもない。
みんなが最高の幸せを感じながら生きるなんて
到底無理なこと。
事実、私が辛い時には義母は嬉しくて
義母が辛い時は、私が嬉しい。
意地悪な意味ではなく、
お互いの幸せは背中合わせだということ。
病気以来、一人ずつで過ごすことにも慣れて
今は、リビングと小上がりと
同じ部屋ではあるけれど、
視線が遮られる場所に、二人でいる。
そろそろ10時のコーヒーを出さなくては。
義母は何してるのかな?
わからない編み物をいじくり回しているのかな?
私は楽しいブログ更新だったけれど、
一人にされた義母は寂しく思っているに違いない。
…隣から、ため息が聞こえて来た。
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