今週水曜に遊びに来る予定だった実母から
「すい臓がんの検査が7日になったので
行けなくなった」とLINEがあって
驚いて電話をすると
以前も言われてMRIを受けたが
その時は何でもなかった、とケロッとしていた。
もう調べなくていいんじゃない~、と娘(私)も娘だが
母も
「そうなのよ~、嫌だって言ったんだけど。
もう治療もしなくていいし、病気を作っておかないと。」
最近読んだ本にもそんなようなことが書いてあったらしく
早くお迎えが来てほしい、といつも言ってる母だから
思った以上にドライだった。
・・・自分のことに置き換えて、がんの治療をどうするか。
この頃、やがて訪れる「その時」のことを考えるようになった。
私は・・・
70代なら迷うけど、80過ぎていたら、
自然のままに任せたいかなあ。
夫や子供たちに判断を任せるのは酷だから
自分のことくらい自分で決めたい。
「その時」の私がどう思うのか、
今はまだ実感はないけれど。
義母はきっと、治療をして生きたいタイプの人。
今だって毎日
「ダメだな、頑張らないと!」と自分を鼓舞している。
これといってやることもなく、
朝から新聞を読んで、オカリナを吹いて、
10時と3時に出されたコーヒーを飲んで
三度の食事をして、テレビを見て。
特に楽しそうにも見えないし、
ただ、時間を潰しているようにしか見えない今の毎日で
義母は幸せなのだろうか?と、いつも思う。
年寄りなんてそんなもんだよ、と
今日話した友人が言っていた。
彼女の両親は70代で施設に行って、やがて亡くなったという。
それもどうかな、って思うよ、と言われると
確かにもう少し長生きしていい年だと思うけど
やっぱり、与えられた命の長さはひとそれぞれ。
その人が自分の人生をどう思おうと
全うして生きるしかないのだ。
私は好きなこと・やりたいことがいつもたくさんあって
ずっと家にいなさいと言われても何も困らないほど
家が好きだ。
だけど90代の私はどうなのだろう。
今の義母のように、やり過ごすだけの毎日だったりして。
いやその前に、
彼女のように健康に長生きは出来ていないと思う。
今日も、笑顔もなく、会話もなく、
テレビを観ながら 、たまにハハハと声を出すくらいで
楽しいのか、しあわせなのか、まったくわからない義母。
そういえば今年の誕生日にも
義母からはおめでとうの一言もなかった。
今日誕生日なんですよ、と言ったら
ああそうだね、と知っていたかのように返事をしたが
それだけ。
二年前、初めての冬同居でこの状況だった時には
本当に心折れそうなくらい寂しかった。
夫から、子供たちから、実家の母から、友達から、
たくさんのLINEが届き
アカペラの仲間たちが、ランチとアザレアの鉢植えと
ハッピーバースデーの生歌でお祝いしてくれた。
なんてしあわせな60歳の誕生日。
だから、義母からのお祝いの言葉はなくても平気。
なんだけど、これはもう、なかば意地になって言っちゃう。
おめでとうの一言もなしかよ!