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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 猫物語

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 猫物語(改)』です。

 (以下、本文)

 

 ルーベンスの作品にはかなりの頻度
でバイプレーヤー的に「犬」が登場します。


 『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
          up_slow
 『最後の晩餐』不敵ユダ
を登場させたルーベンスは、

   □
    『受胎告知』 ルーベンス

 『受胎告知』の中にを描きますが、



 「猫」の登場場面は『受胎告知』
他にはなかなか見つけられないでいました。

 そんな折、彼の『バッカス』をパロディ
にした「デブ猫」の画像を見つけます。



 あえて言えば、

 この肥えたバッカス(ディオニュソス)
に足蹴にされているトラが大きな「猫」
であるとも言えなくもありませんが、

しかく
 『バッカス』 ルーベンス(1638-1640年)

 多作で知られるルーベンスであって
「猫」は容易に見つかりません

 このことは、ある意味で聖書における
「犬」「猫」の扱いとも類似します。

 以前に

 『ダ・ヴィンチの罠 メス猫』

 の記事にも記したように、

 旧約・新約の両方の聖書を合わせても、
「猫」は、旧約聖書の中にただ1度のみ
登場するだけで、都合54回の記載がある
「犬」とは雲泥の差をみせています。

    

 この数字だけでも伝統的にキリスト教が
いかに「猫」忌避し斥けてきたかが
判ろうというものですが、


     『受胎告知』 ルーベンス

 あろうことかルーベンス神聖
なる『受胎告知』のシーンに「猫」
を登場させたのです。



 とは言え、『受胎告知』「猫」
登場させたのはルーベンスが初めて
ではありません。

 美術史家でもその道の専門家でもない
シロウト(小生)の調べでは些かの確証も
持てませんが、


 『最後の晩餐』 ヤン・デ・ビア(1520年頃)

 年代的に最も古いのはヤン・デ・ビアの
『受胎告知』(1520年頃)かもしれません。


  『最後の晩餐』 ヤン・デ・ビア(部分)

 目を閉じがちに端然と佇んでいる白い猫
と左奥の黒いネズミは何を意味するのか

 続いては、聖書の預言箇所に目を落とす
マリアの後方奥にある暖炉の前からそれと
なくこちらを見つめる猫を描いたガロファロ
の作品で1528年頃のものです。
 
 
『受胎告知』ベンヌート・ティシ・ダ・ガロファロ(1528年)

  さりげない登場ですが、意味もなく顔を
出すわけもなく、と十字架を担ぐ天使
(精霊question2)の姿や白いユリを捧げ持った
大天使ガブリエルと対比させるがごとく
に置かれた瓶差しの赤い(バラ)など、


    出典:www.arch-club.net

 寓意と象徴に溢れた画面の中で、ジーッ
と見つめる猫の目力はなかなかで特別の
意図を負っていると思われてなりません。

 次いで、

 同じ1528年の作とされるロレンツォ・ロット
『受胎告知』は実にユニークで、


  『受胎告知』 ロレンツォ・ロット(1528年)

 宗教の枠を飛び越えたパワフルで世俗的
な表現手法は漫画チックとも劇画タッチとも
違う現代的な雰囲気を滲ませています。


      (ゲロゲロ ・・・)

 「誰だ、こいつ」とばかりに
怪訝そうに大天使ガブリエルを睨み返す
「猫」の驚いた素振りと、



 「そんな、ヤダ~」という風に
逃げ出すマリアの動作と表情は、

 およそ世のある『受胎告知』の中
でも空前絶後の一品と言えるでしょう。

 続いて紹介するフェデリコ・バロッチには


 『受胎告知』 フェデリコ・バロッチ(1592-96年頃)
    down_slow
   

 2種類の『受胎告知』がありますが、
そのどちらにも「猫」が登場します。

 
     出典:www.arch-club.net
 
     出典:www.arch-club.net

 こうした『受胎告知』の絵における
「猫」の考察については、

 『ダ・ヴィンチの罠 メス猫』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/530.html 
 『ダ・ヴィンチの罠 帰納法』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/528.html 

 での記事も参照してみてください。

 おそらくは、宗教画に最も多く「猫」
登場させたのはフェデリコ・バロッチでは
ないでしょうか。


『聖家族(猫の聖母)』フェデリコ・バロッチ(1575年頃)

 幼児の聖ヨハネが手にする小鳥(受難
の象徴question2)に興味津々に後ろ足立ちする
「猫」の様子は意味深長ですが、

 
     出典:www.arch-club.net

 明るい色調と笑顔に溢れた微笑ましい
光景がその懸念(預言)を打ち消すか
のように描かれていますね。

 他にも


 『聖母の猫(Madonna della gatta)』フェデリコ・バロッチ

 『聖家族』がモチーフの絵画には
聖母「猫」の組み合わせは多く、


 『聖母の猫(La Gatta della Madonna)』

 『Madonna della gatta』等々
の作品がありますが、

 キリスト教で忌避されていた「猫」
ルネサンス以降の宗教画に描かれるよう
になったキッカケとして考えられるのが、

 イエスの誕生時に厩(うまや)でメス猫が
子猫を産んだという逸話です。

 この逸話(俗説)が人口に膾炙する端緒
のひとつにレオナルド・ダ・ヴィンチの手の
よるプロパガンダを思わせる類のデッサン
の存在があったのです。

 同時刻に同じ厩で子猫を出産したという
メス猫の伝承(言い伝え)の根拠は乏しく、
この逸話に関する文献や出典は明らかに
されていませんが、


 『猫のいる聖母の素描』1478-1481年

 「猫」を抱きかかえたイエスを膝に
乗せて、優しく微笑む聖母の姿を描写
した『猫のいる聖母の素描』
他にも聖母子が「猫」とともにいる素描
をダ・ヴィンチは6枚も描いています。

 たとえば、

 それらの素描の存在が、人伝えに流布
していく中で、その解釈を巡っていつしか
人々の間に広まった話が前述のメス猫に
関する逸話であったとか ・・・

       

 あるいはまた、ダ・ヴィンチが意図して
流した作り話だったのかもしれませんが、

 少なくとも聖母子「猫」を最初に
結び付けた張本人がダ・ヴィンチ自身で
ある可能性を否定することはできません。

 しかしながら、

 その場合においても後世の画家のなか
で、ダ・ヴィンチが意図した「猫」の寓意
を察知できたと思われるのは、


 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 ルーベンスとシャンパーニュくらいで、


 フィリップ・ド・シャンパーニュの肖像(制作年・作者不詳)

 ビアによる白い「猫」と奥のネズミにも、


  『最後の晩餐』 ヤン・デ・ビア(部分)

 ガロファロの見つめる「猫」にも何らか
の意味やメッセージ性は感じるものの、


    出典:www.arch-club.net

 ダ・ヴィンチの意図したそれとは別物で
あるような気がします。

 但し、ガロファロの「猫」の場合には、
前足の不自然さとシミのような黒い影が
気になると言えば気になるのですが、

 驚きながら逃げ出すロットの「猫」
言うに及ばず、


 『受胎告知』 ロレンツォ・ロット(部分)

 聖母子と幼児の聖ヨハネとの
絡みが多いバロッチの「猫たち」
いたっては単純に猫が大好きなだけの

   

 愛猫家としか思えません。

 
     出典:www.arch-club.net

 その違いは、

 ダ・ヴィンチからのシグナル・サイン
に応えているかどうかで分けられます。

 ルーベンスの場合には、

 
 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 ダ・ヴィンチの描く『受胎告知』での
書見台の脚に現れる



 不気味三本指や不自然に
曲がりくねった衣装うねりに対して、



 ルーベンスは蓄積された知見
中から一定の答えを用意します。

 それが、『受胎告知』に不釣り合い
「猫」描写であり、


     『受胎告知』 ルーベンス

 しかも

 天上よりの使者である大天使ガブリエル
の降臨にも動ぜずに泰然自若の体で
スヤスヤと寝息を立てている様子からは、
かなりの大物感が漂ってくるわけですが、



 ルーベンスの回答はズバリ「猫」
尻尾にあります。

  この尻尾のかたちですが、どことなく
おかしくはありませんか



 尻尾にしては妙に長いし、どこから
つながっているかもよく分かりません。



 尻尾の付け根や後ろ足との関係性
が非常に曖昧なのです。



 ダ・ヴィンチのシグナル・サイン
ある不気味三本指や不自然
に曲がりくねる衣装のウエーブに対する
ルーベンス知見からの結論は、



 それを龍蛇系の生き物の尻尾
あるとしたわけですね

 そこで、



 ルーベンスは、「猫」尻尾
見せかけた隠し絵「蛇」を用いて、


    

 ダ・ヴィンチのサインに応じたのです。



 而して、さらに、

 『最後の晩餐』の場面においては、


 『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
             up_slow
 ユダが座る椅子の脚にが咥える
の如く、頑丈な獅子足を描くことで



 三本指サインに応えます。

 イエスの話に関心を示さず、ただ一人、
何事かを問うようにアゴに手をやり、

   

 「この真実がわかるかい」

 とでも言いたいのか、不敵に鑑賞者を
見つめる目がそう語っているようですが ・・・

 さて

 ダ・ヴィンチが仕組んだ「罠」に潜在
するエネルギーを敏感に感じ取っていた
画家たちの代表格がルーベンス
シャンパーニュですが、

 他にもヤコポ・バッサーノやカラバッジョ、
ガロファロやジョン・コリア、あるいはまた
ベクシンスキー等も無意識的に受信する
周波数を確保していたのかもしれません。

 中でも幾久しく同調していたと思われる
のが同時代のラファエロ・サンティです。

  イタリア・ルネサンス期の三大巨匠


     出典:blogs.yahoo.co.jp

 
    出典:www.el.tufs.ac.jp

 ルーベンスが何処で、ラファエロ
『聖チェチリア』のサイン(鷲の肢)


 『聖チェチリア』 ラファエロ・サンティ

 に気づいたのかはわかりませんが、



 その回答も、ルーベンスの同名の作品
『聖チェチリア』に見つかります。
 

   『聖チェチリア』 ルーベンス

 聖チェチリアが奏でるオルガンの
細工されたスフィンクス獅子足



 右隅に寝そべるの三本指の足です。


    『聖チェチリア』(部分)

 同時に、これらの

 スフィンクスルーベンス
『最後の晩餐』での骨を咥える
ユダの座る椅子に描かれた獅子足
とも対応しているのかもしれません。

 何故ならば、


  『受胎告知』フェデリコ・バロッチ(部分)

 愛猫家らしきバロッチの描くスヤスヤと
眠る「猫」を思わせる獅子(ライオン)を


   ルーベンスの描くライオン

 ルーベンスも描いているからですが



 それが、『聖チェチリア』における



 「犬」の足、すなわち、獅子足


   ルーベンスの描くライオン

 意図するものと思われるわけです。

   


 ダ・ヴィンチの『受胎告知』における
シグナル(三本指の肢と衣装のうねり)
に対するルーベンスのひとつは
『最後の晩餐』でのユダ仕草
にかぶりつく姿椅子
に彫刻された獅子足であって、



 もうひとつが『受胎告知』での「猫」
尻尾に投影された「蛇」姿であり、
眠っている「猫」そのものでもあるのです。



 聖書の中で、たった1度きりしか登場
しない「猫」ルーベンスもまた彼の
描く宗教画に1度だけ登場させます。


     『受胎告知』 ルーベンス

       

 それも『受胎告知』場面にです。



 それは『聖書』の中での「猫」の持つ
意味合いや「犬」との関連性を抜きに
しては語れません

 1度っきりの「猫」登場シーン
「エレミヤの手紙」で、

 

 バルク書(外典)の「哀歌」における
後続小編6章21節での件(くだり)部分です。

 詳しくは

 『ダ・ヴィンチの罠 メス猫』

 を参照してみてください。

 そこでは、

 偶像のもとにツバメやコウモリとともに
「猫までやってきます」という
を持たない偶像崇拝する愚かさ
と同時に、偽預言者メシア
出現「猫」に重ねる文脈のなか
での登場でした。

   

 この『聖書』における「猫」の寓意と
眠る「猫」の尻尾に「蛇」を隠し描いた
ルーベンスの意図は、ダ・ヴィンチの
それとほとんど同じものだと思われます。

 そこで、次回では、


  『聖告(受胎告知)』ルーベンス

 2種類に描き分けたルーベンス
『受胎告知』における

   
    『受胎告知』 ルーベンス

 聖母マリアの手許にある読みかけ
『聖書』のページの内容について、


 聖告(受胎告知)のページと受胎告知のページ

 ダ・ヴィンチの描く『受胎告知』での
聖母マリアの場合と比較しながら



 考察に検討を重ねてみたいと考えます。

        

 「考察に検討と言ってものぉ」

  

 「ページが分からんじゃろ」 

 それじゃあ、まるで、

   □
    出典:www.salvastyle.com
□ □
 出典:www.salvastyle.com
   □
    出典:www.salvastyle.com

 「疑りのトマスですね」


 『聖トマスの懐疑』カラヴァッジョ(1599年頃)

 … to be continue !!





コメント一覧

江戸川ドイル
イエスの出産時に同じ馬小屋で子猫を出産したメス猫がいたという話をダ・ヴィンチが意図的に流したと仮定すると猫と聖母子を結びつけて描くことのアリバイ作りになることは確かで、ヤン・デ・ビア以前に「受胎告知」に猫が登場しないのが事実であり、またダ・ヴィンチの登場以前に、聖母子とともに猫が描かれる宗教画が絶無だとしたならば、その仮定は仮説なり得る根拠になるかもしれません。

いずれにしても、聖母子と猫が絡むデッサン画が6枚も残っていることには、何らかのメッセージ性を感じますし、最新の『預言者』の記事に見られるように、猫を最高傑作だと称賛することとも関連するのかもしれませんね。
酢昆布
イエスが生まれるときに、雌猫が子猫を出産した話をダヴィンチが作って流したとすると目的は何だろう?

猫の自由さに憧れやアンチクライストを見ていたとかの程度なら分かるけど、意図的に流す意味が分からない。
江戸川ドイル
言われてみれば、なるほど、この尻尾どうなってんだ?

付け根から左の後ろ足の下を抜けて、また付け根の方向にぐるっと巻き戻ってから、背中に向けて大きく輪を描くように曲がりながら、お腹の下にモグってると考えられるけど、それにしても、なんて長い尻尾なんだろう?

蛇を模していると言われれば、そう見えないこともないよな!
むらさき納言
ヤン・デ・ビアの澄まし顔の白い猫、細い目をしたお稲荷様みたいですね!

それで、ネズミにも反応しないとか・・・

まっ、そんな訳はないけど、聖書のページについては、イザヤ書のインマヌエルの箇所と相場が決まっていますが、

違うのかな?
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