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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 史実性

 洗礼者ヨハネやイエスに関する資料の考察と言っても
、主に『新約聖書』に記載された事柄についての史実性
(歴史的事実の信憑性)を、『新約聖書』に収められて
いる各種諸書のテキストを比較し検討するくらいのこと
しか出来ませんが、比較的に信頼できる文献資料として
は『新約聖書』の冒頭に収められているマルコ・マタイ
・ルカ・ヨハネの『四福音書』と、最近発見された外典
の『トマス福音書』あたりかもしれません。

f:id:AdonaiQuoVadis:20160626225855j:plain
      『トマスの福音書』 adonaiquovadis.hatenablog.com

 しかし、これらの福音書もイエスをキリストと信じる
キリスト教徒によって著作されたものですから、これら
に書かれている記事のすべてを史実と判断するわけには
いきません。

 しかしながら、

 最初の3つの福音書(いわゆる共観福音書)を批判的
に比較分析することによって、イエスの生涯については、
少なくとも次の三つの段階があったことを推定すること
は可能です。

 (1)洗礼者ヨハネの弟子時代。
 (2)ガリラヤにおける宣教の開始。
 (3)エルサレム入城と十字架での処刑。

 恐らくイエスは、ヘロデ大王(BC4年没)の晩年に
ガリラヤのナザレに生まれ、AD27~28年頃にヨルダン
川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、彼に信順するヨハネ 
共同体の洗礼活動に加わったものと思われます。


     イエスの洗礼 www.reiwa-revival.com

 洗礼者ヨハネはヨルダン河畔の荒れ野で〈神の国〉の
接近を宣べ伝え、人々に悔い改めを迫って、罪のゆるし
に至る洗礼を授けていました。

 我々は〈悔い改め〉と言われると、何か道徳的な意味
で改心を迫られているように感じますが、洗礼者ヨハネ
が求めた悔い改めは、むしろ人間の生活上の価値基準を
180度転換することで、それは 文字通りに回心すること
にあったわけです。

 当時のユダヤ社会の支配者たち、特に政治的・宗教的
エリートたち(サドカイ派、とりわけパリサイ派の人々)
は、彼らの生活の価値基準を彼らが神から与えられたと
信じていた律法に置いていました。

 彼らによれば、

 律法を守り倫理的に正しい生活をした人々がその功績
によって終末の時に〈神の国〉に迎え入れられ、律法を
守らない人々は〈神の国〉から閉め出されて〈地獄〉に
落されると確信していたのです。

パリサイ人 | 聖書入門.com
   パリサイ派の人々 seishonyumon.com

 しかし、

 ヨハネは、過去における律法の業を誇り、それを基準
にして律法を守らない人々、あるいは、むしろ貧しさの
ゆえにそれを守ろうとしても守りえない人々を差別する
人間の心のありようそのものを〈罪〉と見たのです。

 そこで、

 人間は自分の属する民族や社会層、学歴、宗教的敬虔
や性別などの過去の事柄ではなく、むしろ一切が白紙の
未来に価値の基準を転換すべきであるとして、人間が神
の支配領域としての未来における〈神の国〉にすべての
価値の基準を置けば、律法を守りうる者も守りえない者
も同じ条件において神の前に立たざるを得ないわけです。

 それにより、むしろ、


  『荒野で説教をする洗礼者ヨハネ』サルヴァトル・ローザ

 過去における律法の業を誇る者が神による審判の対象
となり、律法の業を誇ろうにも誇り得ない者が神による
救済の対象となるのです。

 要するに、

 このような意味において〈悔い改め〉を実践すること
で、その悔い改めにふさわしい実を結ぶこと、すなわち
倫理的生活を実践することが、ヨハネの求めるところで
あったわけです。

 こうしたヨハネの呼びかけに応じて、彼のもとに参集
した多くの人々の中にナザレのイエスもいたのでした。

 イエスはまもなくヨハネから独立し、ガリラヤ湖畔を
中心に一人で宣教活動を開始します。


          イエスの最初の弟子たち blog.goo.ne.jp

 その際、イエスはヨハネの立場を批判的に継承したと
いうふうにも考えられます。

 イエスの思想と行動の特色をヨハネの場合と比較して
みると、以下の3点が挙げられると思います。

 まず第1に、ヨハネは悔い改めにふさわしい生活形態 
として、世俗から離れての禁欲生活を実践する共同体を
形成します。

 これは、当時のユダヤ教非主流派の一つエッセネ派に
帰属する〈クムラン宗団〉と酷似していますが、それも
そのはずで、ダ・ヴィンチによれば、ヨハネはイエスと
ともに幼い頃からこの宗団に属していたとしています。

 symbol2 ダ・ヴィンチの考察では、

 洗礼者ヨハネとイエスは下級祭司であったザカリヤ
を父に、エリサベツとマリアを、それぞれの母として、
この世に登場するに至ったとするのが、ダ・ヴィンチ
「罠」を構成するプロットのひとつです。


 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 symbol2 ダ・ヴィンチによる推理はこうでした。

 クムランの共同体の中で幼少時より一緒だった二人は、
互いが兄弟であることを知らされないままに育ちます。

 
   『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

 クムラン宗団にはユダヤの解放に際し、

 車の両輪の如き「愛」と「義」をテーマに、ローマ
からの解放と独立を推進する「二人のメシア戦略」と
いうユダヤ解放計画がありました。

 その「二人のメシア」として白羽の矢が立ったのが、
ヨハネとイエスの異母兄弟だったというわけです。

 詳しくは、

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改) - 透明人間たちのひとりごと

「邪魔者」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改)』

ダ・ヴィンチの罠 眉唾物(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 眉唾物(改) - 透明人間たちのひとりごと

「眉唾物」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 眉唾者(改)』 

 などを参照してみてください。

 しかしながら、イエスは世俗社会に入り込んで極めて
自由に振舞い、禁欲を強制せず断食も勧めていません。

 イエスに敵対したユダヤの指導者たちは「大飯くらい
の大酒飲みで取税人や罪人たちの仲間である」とイエス
を非難しているほどです。

(マタイの福音書11章19節、ルカの福音書 7章34節)

 第2に、ヨハネは〈神の国〉の接近に基づいて人々に
悔い改めることを迫ったわけですが、イエスは〈神の国〉
が、すでにこの世の中に実現されつつあると告知します。

(マルコの福音書 1章14節、ルカの福音書17章21節)

 イエスにとって重要なことは、人間が他と区別できる
自己の帰属的アイデンティティ(民族・集団・組織)や
社会的な倫理的有能さに価値基準を置いて、自己中心的
に他人の価値を判断しようとする態度を放棄して、神へ
の信仰によって、自己を相対化し、敢えて自ら民族的に
も社会的にも倫理的にも弱者の位置に立つことにあった
のです。

 このような意味において、人間がもし弱い者の位置に
立つことを決意するなら、そこに神の国は実現されつつ
あると、イエスは見たのでした。

  (マタイの福音書11章 2-19節、ルカの福音書 7章18-35節)

 「実現されつつある」とは、未だに民衆たちの大多数 
は、「笛吹けども踊らず」であったという意味です。

笛吹けども踊らず? 2024年 3月3日 - YouTube
             画像元:www.youtube.com

  弱者の位置に立つとは、たとえば、

 「貧しい人々は、幸いである」というフレーズです。

 (ルカ福音書 6章20節、マタイの福音書 5章 3節)

 「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」

     (マタイの福音書 5章44節)

 「取税人や遊女は汝らよりも先に神の国に入る」

     (マタイの福音書21章31節)

 などの有名な言葉は、実際に弱い者の位置に立ちつく
したイエスによって語られているわけです。

 第3に、ヨハネとイエスとの相違点ですが ・・・

 イエスについては、多くの奇跡物語が言い伝えている
ように奇跡のオン・パレードであるのに反して、洗礼者
ヨハネには、その手の話はまったくの皆無であって奇跡
の「奇」の字も見当たりません。

 イエスは実際に病気をいやす能力を持っていて、今で
いう医療や臨床心理学的な諸知識に恵まれていたのかも
しれません。

 その結果、

 それが当時の〈奇跡物語〉という文学仕様の形式の中
で高められ、こうした物語は最終的に、彼の超人的な力
を誇示するように、救世主(メシア)や神の子としての
ミラクル・パワーに昇華していったことは否めません。

 しかし、最も重要なことは、

イエスはハンセン病患者を癒す — ストック写真 © DesignPicsInc ...
        ハンセン病患者を癒すイエス depositphotos.com

 イエスが当時の政治的・宗教的指導者たちにが軽蔑を
表わす語として用いていた〈地の民〉、あるいは〈罪人〉
として差別され、交わることを法により禁じられていた
身体障害者や病人たち、特に精神病者やハンセン病患者
と法を犯してまでも立ち交わり、みずから彼らの一人と
なることによって障害や病気を癒そうとした事実です。

    (マルコの福音書 3章28節その他)

 当時において、これらの人々にとってのイエスこそは
まさに〈奇跡の人〉そのものであったでしょう。

 やがてイエスはエルサレムに上り、これまでガリラヤ
で示した彼の振舞いの象徴的行動の一環として、激しく
ユダヤ教の神殿に批判を加えます。

      (マルコの福音書11節15-18節)

イエスが両替屋の台を倒しているところ
      神殿を清める(両替商たちを追い出す)イエス wol.jw.org

 エルサレム神殿はローマの属州でありながらも、ある
程度の自治を許されたユダヤ国家の政治・経済・宗教的
な拠点であったのですが、

 ユダヤの支配者たちは、おそらくこのようなイエスの
行動を直接のきっかけとして、「ユダヤ人の王」を語る
イエスをローマ当局に王位僭称者として訴え出るつもり
で、ユダの買収(イエスの抹殺)という行為に出たので
はないかと思われます。


    『キリストの奪取』(イエスに口づけをするユダ)画像元:artmuseum.jpn.org                  

 ところで、

 洗礼者ヨハネやイエスが生まれる少し前のユダヤでは、
南方のエドム人の子孫であるヘロデが親ローマ派として
元老院からユダヤの王の地位を与えられて、ヘロデ大王
としてユダヤの地に君臨するようになります。

 ヘロデ大王はエルサレム神殿を大改築して壮大な神殿
に造り替え、ユダヤ人たちの歓心を買うことに努めます
が、ユダヤ教徒のローマ化に対する反発にヘロデは常に
反乱の危険に怯えながら、懐柔と圧政を使い分けて権力
を維持しようとしました。

 
 第二神殿の模型(ヘロデ大王による修繕後、ヘロデ神殿)

 BC4年にヘロデ大王が死ぬと領地は三人の子どもに
分割され、ガリラヤ地方はヘロデ・アンティパスが領有
しますが、内紛と反抗は相変わらず続いていました。

 そんな折のことです。

 ヨハネは当時のガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスが
異母兄弟であるフィリポの妻ヘロディアと結婚したこと
を非難したために捕らえられ牢につながれてしまいます。

 そして、 

 タイミングを見計らっての斬首により、イエスの前に
「神」の道を整える先駆者としての姿がユダヤの人々に
否応なく定着してしまいます。

 話は前後しますが、洗礼者ヨハネはユダヤ教を異邦人
も含めたすべての人々に広めていく必要性を強く感じて
いました。

 そこで、

 信仰を守らない異邦人や異教徒を寄せ付けない排他的
な考えのユダヤ人が多いなかで、洗礼者ヨハネは「回心
すればすべての人が救われる」という「回心」の考え方
を導入し、ユダヤ人でなくても、何びとでも、何歳でも
過去に犯罪を犯した人であったとしても、誰でも「回心」
すれば、ユダヤ人と同じように死後、神の国へ行くこと
が出来ると説いたのです。

 そして、「回心」することを誓った人々に「洗礼」を
授け、神の国へと導いていました。

 ヨハネが殺されずにいたとしたら、果たしてイエスは
、そしてキリスト教はどうなっていたでしょう?


      出典:biblestory.jugem.jp

 サンヘドリン(ユダヤ最高法院=長老会)はイエスを
ローマのユダヤ総督ピラトをして無理やり政治的反逆者
に認定させ、イエスは十字架刑に処せられます。

 
   サンヘドリンでの尋問 webchapel.jp & サンヘドリンの裁判 He is Guilty  ニコライ・ゲー画 wikipedia 

 おそらく、イエスがヨハネから独立して公に行動した
期間は2年足らずであったように思われます。

 イエスの死後、かつてイエスに従いながらもイエスの
逮捕とともに彼を見捨てた弟子たちが復活したイエスに
出会うという嘘のような顕現体験によってイエスは今も
神と共にいると信じ、イエスを救世主(メシア)と呼び
、イエス・キリストと崇めて、信仰と宣教の対象とした
のが原始キリスト教(ユダヤ教ナザレ派)でした。

 洗礼者ヨハネの殉教はもとより、ユダヤ教ナザレ派の
命脈はいよいよ確実なものとなり、伝導師パウロの加入
と彼の活躍によって、原始キリスト教は隆盛の兆しの中
にあったのです。

 このようして、初期のキリスト教が成立したわけです
が、キリスト教徒は、とりわけイエスの死を人間の罪を
贖(あがな)う犠牲行為と信じ、このいわゆる贖罪信仰
をキリスト教の教理の中心に据えたのでした。

 このように意味づけられたイエスの死の背後に〈罪人〉
の〈罪〉を不問に付してまで、彼らとともに生きる天国
での「永遠の命」に、如何ばかりの価値が見い出せると 
言うのでしょうか? 

      

 ジャパンナレッジで閲覧した『イエス・キリスト』の
世界大百科事典のサンプルより(japanknowledge.com)
適宜に抜粋引用加筆構成いたしましたが、

 ダ・ヴィンチが仕組んだ大いなる「罠」の中には、

  1⃣ 人類はによって、創造されたのでは
   なく、異星種との交配により、作られたこと。 

  2⃣ 預言されていた救世主(メシア)はイエスでは
   なく、洗礼者ヨハネであったこと。

  3⃣ キリスト教(ローマ・カトリック教会)が世界
   を腐敗させる元凶であるとの告発をすること。

  など、全部で3つ目的が隠されていました。

 そして、 

 いまさらながらに思うことは、目的の3つ目を誘発
せたペテン師パウロによる『イエス・キリスト計画』と
いう名の世紀陰謀」が、すべての元凶となって
いたのですが、
 次回では、その「大陰謀」の内幕に可能なかぎり
肉迫してみたいと考えています。

 つまるところ、洗礼者ヨハネやイエスの足跡に関する

「史実性」有無大問題ですね! 
   
       だよね!       www.pinterest.jp  

 しかし、 

 これらの中の幾つかは、後付けのいつわり(欺瞞)や
まやかし(創作)であって、本当の救世主(メシア)は
イエスではなく、洗礼者ヨハネであったとダ・ヴィンチ
は頑なに信じていたのでした。

 
     イエスの真実         出典:www.jizai.org 


    (ん !!

 どうやら、彼はまったく何も、

 気づいてはいませんな

  このようにして、   


          イエス・キリスト計画 shiogamagrace.com

   キリスト教のイメージ(Photo Adobe Stock)出典:diamond.jp 

 パウロが思い描く『イエス・キリスト計画』は、着々と
進行して行ったのでした。

     ま、まさか、お前さん!
  
 「陰謀に加担していたんじゃあるまいな!」
 っ、   
 
 「きゃ、やだぁ、バレちゃったのね!」
 
     ホ、ホンマかいな?
 
 ・・・ って、おいおい、
 
 (なんじゃそれ!) (共謀犯かいな)

           画像元: domani.shogakukan.co.jp
          なんでやねん! 
       

            獄中のヨハネと弟子たち wol.jw.org   

     
     「アダムの創造」ミケランジェロのパロディ画像 metalogue.jugem.jp

  
      にゃんだかニャぁ~ 

     … to be continued !!

      symbol2 ダ・ヴィンチの推理は続きます。

コメント一覧

aidman(透明人間2号)
いろいろな動画の案内に感謝します!
小吉
小吉
小吉
クリスチャンが書いた『キリスト教って何なんだ?』という本を読んだのだけどそれでも「なぜキリストを信じるのか」が未だに分からないです。
なぜそこまで「信じる」ことができるのか。なぜ世界三大宗教となるまで発展したのか、どうにも分からない。
「悔い改めれば死後神の国へ行けます」と言われても、「うるせーよ、今が大事なんだよ、今報われたいんだよ」とわたしは思います。不確実な「死後」の世界に希望を見出すよりも確実に「今生きている」というこの世をより良くしたいからです。
他の人はそう思わないんでしょうか。
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