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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 予定稿

 ゴッホが極貧に喘ぎながら400枚もの浮世絵を
収集していたことはつとに知られる話ですが、

 彼は浮世絵のどこにそんなに魅かれたのか

 我田引水的な付会ですが ・・・


   名所江戸百景 大はしあたけの夕立

 浮世絵そのものに魅了されたのではなく、その
背後に窺い知ることができる江戸の暮らし振りや
日本人のものの考え方や身の処し方(仁義、誠、
礼節、作法)などにあったのではないでしょうか。

  
     名所江戸百景 両国花火

 例えれば、「宵越しの金は持たねえ」
の江戸っ子気質の「粋」というか、いい意味での
プライドや痩せ我慢のような矜持です。

 姓はゴッホではなく、ファン・ゴッホ(Van Gogh)
で「Gogh出身の」という意味ですが、ダ・ヴィンチ
(ヴィンチ村の …)と同じ名前のあり方ですね。

 フィンセント・ウィルム・ファン・ゴッホ
(1853-1890)はオランダの改革派の牧師の家に
生まれたこともあってか いずれは聖職に就いて
伝道師になりたいという希望を持っていました。

     
      ゴッホの自画像(1887年)

 実際に、

 伝道師の仮免許を貰い、貧しい人々に説教を
する伝道活動に入りますが、自分自身も貧しい
人々の暮らしに合わせて同じような生活を送る
ようになり、食事も着る物も粗末でみすぼらしい
かぎりの自罰的行動が伝道師の威厳を損なう
ものとして仮免許を剥奪されてしまいます。

 こうして、

 伝道師の道を絶たれたゴッホは齢26歳にして
画家を目指すことを決めたのでした。

 「だからどうだ」と言われると困るのですが、

 「日本の芸術を研究してみると、あきらかに
 賢者であり哲学者であり知者である人物に
 出会う。彼は歳月をどう過ごしているだろう。

 地球と月との距離を研究しているのか、いや
 そうではない。ビスマルクの政策を研究して
 いるのか。いやそうでもない。彼はただ一茎
 の草の芽を研究しているのだ。

 ところが、この草の芽が彼に、あらゆる植物
 を、つぎには季節を、田園の広々とした風景
 を、さらには動物を、人間の顔を描けるよう
 にさせるのだ。

 こうして彼はその生涯を送るのだが、すべて
 を描きつくすには人生はあまりに短い。
 
 いいかね。彼らみずからが花のように、自然
 の中に生きていくこんな素朴な日本人たちが
 われわれに教えるものこそ、真の宗教とも
 言えるものではないだろうか。

 日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気
 にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。
 われわれは因習的な世界で教育を受け仕事
 をしているけれど、もっと自然に帰らなければ
 いけないのだ」

 (硲伊之助訳『ゴッホの手紙 中』より引用)

 ところで、

 この賢者にして哲学者で知者なる人物とは
歌川広重のことで『名所江戸百景』
への感想を綴(つづ)った手紙の一文ですが、


   名所江戸百景 する賀てふ(駿河町)

 名前の綴り方だけでなく、考え方もゴッホと
ダ・ヴィンチには似たものを感じます。

 それは、自然への畏敬の念と尊崇を貴び、
経済的で物質的なものよりも精神的な面に
その価値を置いていたということです。

 要は「お金では買えないもの」
への憧憬です。

 尤(もっと)も、不遇の中で自らの命を絶ち、
死後になってから漸(ようや)く評価を受ける
ことになるゴッホと違い、ダ・ヴィンチの方は
存命中から優遇され名を成していたわけで、

 真逆に近い性格の相違が原因か、世渡り
の違いや処世の不一致には甚だしいものが
ありますが、頑固天邪鬼のところは
共通するようです。

 さて

 『岩窟の聖母』の制作が依頼された
1483年は有名なシスティーナ礼拝堂の建設
などで知られるローマ教皇シクストゥス4世が
「無原罪による御宿り」教義
を受け入れない者はカトリックから破門する
と信者たちを脅した年でもありましたが ・・・

 シクストゥス4世といえば、

 1464年にフランチェスコ会総長に選出され
、教皇パウルス2世のもと1467年に枢機卿と
なって、1471年に第212代目のローマ教皇と
なった人物です。

 さらに彼は、

 1481年にシスティーナ礼拝堂の壁画創作の
ためにフィレンツェからはボッティチェッリ
など才能あふれる若手の画家たちをローマに
呼び寄せましたが、ダ・ヴィンチを招聘する
ことはありませんでした。

 この辺りの経緯(いきさつ)については、

 『ダ・ヴィンチの罠 聖母像』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/415.html

 『ダ・ヴィンチの罠 非常識』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/466.html

 などを参考にしてみてください。

 まさか、

 その時の意趣返しではないでしょうが、
「聖母無原罪の御宿り信心会」
からの注文内容をことごとく無視するかたちの
祭壇画=『岩窟の聖母』を描いた
裏には「罠」以外にもまだ何か別の思惑が
あったような気がしてなりません。

 前回の

 『ダ・ヴィンチの罠 大発見』では
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/475.html



 ルーブル版とナショナル・ギャラリー版に続く
、第3のバージョンとして個人による所蔵版が、
新たに登場したわけですが、


 個人所蔵の『岩窟の聖母』第3バージョン

 果たして、

 これは、ダ・ヴィンチの真筆でしょうか



  はたまた、贋作なのでしょうか

 もしも、

 これが、ダ・ヴィンチの真筆だと仮定すると、
また違った展開が推察されることになります。



 そして、

 その推理がダ・ヴィンチが指定された内容と
完全に異なる祭壇画を制作した動機を考えた
ときに、一番しっくりと嵌まってくるのですが、

 要するに、こういうことです。

 3枚ある『岩窟の聖母』のうちで、
まず、最初に描かれたのが第3バージョンで、
しかも、その制作は1483年の受注時点よりも
ずっと以前のことであったということです。

 おそらくは、



 フィレンツェ時代で、事実上のデビュー作品



 『受胎告知』での挑戦的な実験結果や



 ヴェロッキオの『キリストの洗礼』



 でのイタズラ的な隠し絵を経て、



 『東方三博士の礼拝』における



 最初の「罠」の挿入にいたるまでの間の



 1478年から1481年頃と推測されます。

 つまり、『受胎告知』続編として
のアイデアのひとつで祭壇画などへの転用
を視野に入れたものだったのでしょう。



 聖母マリアにだけ見られる光輪は後世の
加筆であると思われますが、

 仮に、ダ・ヴィンチ本人が意図して描いた
ものだとしても辻褄は合います。

 ただし、それはフィレンツェでの計画であり、
近い将来にミラノでロドヴィコ・スフォルツァに
仕えるとは、その時点ではまだ想像すらして
いなかったものと思われますが ・・・

 というのも、

 ダ・ヴィンチが活動していたフィレンツェでは
洗礼者ヨハネは守護聖人で、イエスと並んで
格が高く崇敬の対象であり、洗礼者ヨハネが
宗教画のメイン(主役)であっても何ら問題は
ないのですが、件(くだん)の祭壇画の依頼主
はミラノの教会です。

 そのままで、というわけにはいかないことは
百々承知なわけで・・・

 そこで、



 最終的には、ナショナル・ギャラリー版での
納品を考慮に入れて折り合いをつけるべく、



 第3バージョンにおける大天使ウリエルの
毒々しさや怪奇性を幾分か和らげつつも、



 受け入れ難い内容のままのルーブル版と

      

 完全に無毒化したナショナル・ギャラリー版



 を並行して制作したと推理したわけです。



 言わば、ルーブル版は(オトリ)であって
「咬ませ犬」やコマセ(撒き餌)だったのです。

 1477年の教書によって、

 12月8日が「無原罪の御宿り」の祝日
とされ、1483年に処女マリアの御宿りの祝日
を終生にわたって公に祝うことを特別な聖務
と定めるなどの「グラベ・ニミス」(教皇令)が
シクストゥス4世によって出されます。

 先にも触れたように、

 そんな聖母の無原罪強要する
教皇令が出された1483年に、

 ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂
の礼拝堂に飾る祭壇画の依頼がダ・ヴィンチ
のもとに舞い込んできたという次第ですから

 この機に思い切ったのでは

 ・・・ という推理が働くわけです。

 要は、
 
 ルーブル版及びナショナル・ギャラリー版は
タイミングに乗じて、周到に準備・計画された
「予定稿」というか、「予定版」だった
というわけですね。

 次回では、そのあたりの事情について、
もう少し突っ込んでみたいと思いますが、

 12月8日の「無原罪の御宿り」
祝日が祭壇画の受け渡し日であったことを
考慮すると、ますますもってたる動機
因縁を感じないではありません。

 ところで

 冒頭のゴッホの指摘(真の宗教)とは、

 「品性」より「品格」権威
権力よりも価値のあるものと見なす
ような稀有なる日本人の国民性のなかに
求めたものではなかったでしょうか。

 一般に支配者とは富と権力がワンセット
になっていますが、

 ゴッホとダ・ヴィンチは権力の横暴と富の
乱用には決して媚びるものではないという
確固たる気概矜持共有して
いたものと思われます。

 それは、

 お金では買うことのできない精神です。

 そうは言っても

   「衣食足りて礼節ありじゃ」

   

   「物質が豊かにあることが
      まずは先決じゃて
!!

 それに、今の日本人は西洋文明に感化され、
毒されてしまった抜け殻ですし ase2

 面目ない ・・・ase




 でも

  

 本当はあれもこれも「抜け殻」なのかも、

        
 … to be continue !!

     
        幼児の洗礼者ヨハネ

コメント一覧

小吉
日本の絵を見てどこか落ち着くのはわたしが日本人だからなのだろうか。
海外の絵を見て「落ち着く」ということはない。
ちょっと変な話をするけれど、この地球に人間として生まれることそのものが「奇跡」なのだけれど、その上で日本人として生まれるというのもまた「奇跡」なのである。残りの人生を逆算してみるとわたしが日本人でいられるのもあと数十年だなと思うと日本という国がとても尊いものに思われます。
もうすぐ8月15日ですね。
みのむし
肉体と魂の関係や昆虫の変態や爬虫類の脱皮でしょうか?
小吉
「抜け殻!?」なんの?
透明人間2号
そういう解釈も可能ですが、むしろ空蝉的な掛け合わせ、
つまり、脱皮するものの現実というか、進化というか、
これ以上はネタバレになりますので、この辺で ・・・
デッキブラシ
本当はあれもこれも「抜け殻」とは、すべてが虚構だ
という意味ですか?
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