透明人間たちのひとりごと

最後の晩餐(謎の迷宮)

 先に予備知識として紹介した動画を見ていただいた方は
すでにご承知おきのように、『最後の晩餐』として
広く人口に膾炙(かいしゃ)し、普(あまね)く認知されている
レオナルド・ダ・ヴィンチ最高傑作とされる名画
描き出す「宴」場面の意味するところは …

 いわゆる「主の晩餐」ではなく、「復活の宴」
あり 、顕在証明するための「顕現の宴」だった
ということでしたが …

 最後は荒唐無稽トンデモ系のトーンに流れて
しまったことは、全くもって残念という他はありませんnose8nose7


 まあ、それも …

 真実一端を示す解釈なのかもしれませんが、
それが全てではなく、凡(すべ)てがダ・ヴィンチ劇場での
劇中における演目上の演出のひとつに過ぎないのです。

 前稿『最後の晩餐(CGの謎)』をご存知ない
方には、なんのことやらチンプンカンプンでしょうから …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/398.html(参照)

 概略を述べると、

 『最後の晩餐』 とされる壁画がヨハネの福音書を
重視しつつ、マタイ、マルコ、ルカの福音書にあるイエスが
裏切り者の存在を指摘する言葉を発した直後の弟子たち
の様子を個々の心の動揺にスポットを当てて、生き生きと
描いた、主イエスが主催した「夕食の宴」 right 夕餉
(ゆうげ)のシーンであるという定説に対して、復活後の
イエスと弟子たちとの対面の場面だとする某サイト
音声動画(下記 URL)が、今回の内容を把握するうえでの
予備知識になるだろうとのサジェッションがなされていたと
いうわけです。

 url http://www.youtube.com/watch?v=TYIPUdGz9wY

 symbol2 では、実際にはどうなのでしょう

 結論から言えば、そのどちらも正しく、また、そのどちらの
解釈も正しく(正解では)ないということになるのですが …

 まずは、

 この絵の中心にいるイエスの表情に注目してください。

 ダ・ヴィンチの習作(デッサン)から判断するとそのモデル
は、きっと彼女でしょう



            『女性の頭部』の習作
  
生気のない イエスの表情
の意味が解れば、きっと氷解するはずですpeace

 伏し目がちに力なく口を開き、タメ息をついている様子の
イエスは、一見するとユダの裏切りに悲嘆しているようにも
見えますし、復活後の消耗しきった肉体をかろうじてキープ
するのに精一杯の姿にも映ります。

 もちろん、そのようにダ・ヴィンチが描いているのですから
そのどちらに見えてもあたりまえなのですが、それだけでは
ありませんnose7

 何故に、イエスのモデルが女性なのか

 ここから先は1号さんの推理に誘発されて得た2号
インスピレーションによるものですので、ここでは割愛します
が、『ダ・ヴィンチの罠』が仕掛けられているとだけ
知っておいてください。

 それでは

 1号さんの推理のリメイクに専念することにします。


 この絵が一般に『最後の晩餐』とされる根拠は、
おおよそ聖書に基づく、以下のような内容に依ります。

  「あなた方のうちの一人がわたしを裏切るでしょう

  22、弟子たちは、誰についてそう言っておられるのか
    と戸惑いながら互いを見回した。
  23、イエスの懐の前に弟子の一人が横になっており、
    イエスはこれを愛しておられた。
  24、それゆえに、シモン・ペテロはこの者にうなづいて
    合図をしながら言った。「誰のことを言っておられる
    のか話しなさい」
  25、それで、その者は、イエスの胸もとに反り返って
    言った。 「主よ、それは誰ですか」

         (ヨハネ福音書第13章21~25節)




  ナイフを手にいきり立つペテロが「裏切り者は誰か」
 とイエスに聞くようヨハネの耳もとで囁く

      

  裏切りの対価として受け取った銀貨30枚が入った袋を
 握りしめたユダが、裏切り者について尋ねるようにヨハネ
 を促がすペテロの言葉に驚いて二人の方に振り返える。



  「裏切り者は一人ですか」と人差し指を立てるトマス
 と「私がお守りします」イエスに詰め寄ろうとするフィリポを
 待て待てと驚きながらも両手を広げて制止する大ヤコブ。



  その他の弟子たちはイエスの言葉に驚き、裏切り者は
 誰なのかとヒソヒソ話をする者たちや自分ではないと否定
 する者など弟子たちの動揺する姿が描かれていて、左端
 のバルトロマイはどういうことだと身を乗り出し、小ヤコブ
 は左手でユダを告発するかのように指を差し、アンデレは
 横で起こっている緊迫する出来事においおいどうなるんだ
 とうろたえる様子が描かれています。





  マタイは「主はあのように言っておられますが本当で
 しょうか」とイエスの言葉の真意を年長者であるタダイや
 シモンに問いかけ、タダイは「どう思うquestion2」とシモンに訊ね
 、シモンは「分からん」とばかりに両手のひらを上に向け、
 もうお手上げ「オー・マイ・ゴット」という感じです。

 次に

 同じ場面でもセリフや配役が代わるとどうなるのでしょう。



 復活後の顕現のシーンではユダは自殺していませんので
⑤のユダがフィリポに、⑥のヨハネがマリアに、⑨のフィリポ
がヨハネへと配役が移ります。

 この場合に、

 ⑥のマリアは、聖母マリアでもあり、マグダラのマリアでも
あるのですが、その理由は、

  
   『最後の晩餐』のヨハネ  『岩窟の聖母』のマリア

 このように同じモデルが使われているからです

 但し、ここではマグダラのマリアとして理解してください。

 同様に、⑤と⑨のユダとフィリポとヨハネのモデルは、


『ユダの習作』(上) ユダとフィリポの二役を兼ねる人物(下)


 『フィリポの習作』(上) フィリポとヨハネを兼ねる人物(下)

 … ということになりますpeace

 ここでは醜く描かれる「ユダ&フィリポ」と美しく表現される
「フィリポ&ヨハネ」の対比に留意してください。

 それでは、いよいよ開演の時間ですが、

 イエスを名乗る人物が、突如として弟子たちの目の前に
あらわれたとする顕現の場面です。



 1 「どうなんだ。 ヤツが主だと言うのか 以前に遭って
 いるお前ならわかるはずだ」 とそばに居るマリアに詰問
 するペテロは、もし、ニセモノや泥棒なら刺し殺してやる
 とナイフの柄(つか)を握る手に力を込めている。

 

 2 ユダと同じく金庫番の役を担っていたフィリポは泥棒
 というペトロの言葉に持っていた銭入れ袋を取られまい
 と警戒して身を引いた。

 両手を前に組んで落ち着いた様子のマリアはペテロの
 問いかけに耳を傾け「見た目は別人に見えますが復活
 された先生に間違いありません」と静かにうなづく。



 3 疑り深いトマスは、その手に釘の傷あとを見たうえで、
 その傷あとに、この指を差し入れられたならば信じようと
 人差し指を立て、イエスが平らげたものか、イエスの前の
 大皿が空っぽなのを見た大ヤコブは幽霊ではない生身の
 主が蘇ったことに驚き、生前とは違う容貌に戸惑うヨハネ
 も、「主よ、本当に復活されたのですネ。 嬉しいです」と
 目の前の現実に喜びを隠せないでいる。



 4 「別人にも思えるが本当に主(イエス)なのかquestion2」と身を
 乗り出して見極めようとイエスを凝視するバルトロマイに、
 「な、なんと主が蘇られた。信じられない」と驚くアンデレに
 「落ち着け、アイツは主ではない」とその右肩に手を添え、
 「早まるな」とペテロの右肩にも左手を伸ばす小ヤコブ。



 5 なにやら3人で揉めている様子ですが、「見てください。
 先生ですよ」と両手でイエスの方を見るように促すマタイ
 と「あれは生前の主ではない。生き返るわけがなかろう」と
 シモンに同意を求めるタダイに、「何だか訳が分からん」と
 いうジェスチャーで応えるシモンの姿でもあるのです。

 先に

 そのどちらの解釈も正しく、どちらも正しくはないと言った
のは、如何ようにでも受け取れるように … ダ・ヴィンチが
考えに考え、練りに練って、描いたということだからです。

 日の出から日没まで描き続けることもあれば、数日間も
手をつけずに、作品を眺めてはなにごとか思案し、ひとつ
ふたつ手を加え、去っていったかと思うと、別の仕事現場
から突然やってきて少し筆を入れては、また去っていった
というようなことが当時の記録に書かれているのです。

 そこで、この絵が新約聖書における二つの名場面である
最後の晩餐と復活後の顕現のシーンとの二重写しになる
ように画策したというのが、1号さんの推理でした。

 磔になる前夜にイエスが主催した晩餐の場面から心臓を
槍で突かれ絶命した後に復活を果たしたイエスが、その後
弟子たちのまえに姿を見せるという ― こうした時間の流れ
を超越させたパラレル・チェンジなトリックをパノラマ仕様に
描いて魅せたと絶賛した1号さんでしたが …

 そのリメイクとしてのエントリーがどこまで果たせたかは、
甚(はなは)だ心許ない限りですase2

 さて、ここからは、

 2号の閃(ひらめ)きに負う名画『最後の晩餐』
に秘められた“謎と迷宮”の世界へと誘(いざな)う
エントリーにチェンジ・ワールドします。

 それは『レオナルド・ラビリンス』に設けられた
いくつかのしょっくち(入口)に仕掛けられた巧妙
一つで、過ぎ越しの祭夕餉(ゆうげ)のでも
あり、イエスが磔にあった後にガリラヤに集まった弟子たち
朝餉(あさげ)に復活を果たしたイエスが突如現れ、
平然と席に着いた瞬間を描いたものでもあったのです。

 この中に「私を裏切ろうとする者がいる」という衝撃的な
イエスの言葉よりも、さらに驚愕すべき信じ難い出来事
である復活したイエスの姿に、驚き以上に渦巻く疑心に
戸惑いをみせる弟子たちの混乱ぶりをスナップ写真のよう
に表現してみせた「ダ・ヴィンチ・トラップ」
ものの見事に引っ掛かってしまったというわけです nose8

 つまり、

 夕があって … 朝があり … right また、こうして、夕となり、
朝となって五日目が過ぎ、そして、夕となり、朝となった。 

 六日目である。 (創世記第一章全節略)

 『創世記』のそれは同時に過ぎ越しの祭りの前日
から祭りの夜に捕縛され、翌日磔刑に処されて、3日後に
復活するまでをオーバーラップさせるもので …

 symbol2 こうしておよびその全軍完成した

 そして、七日目までに神はその行なわれた業(わざ)を
完了し、次いで七日目に、行なわれたすべての業(わざ)
を休まれた。       ―― 略 ――

 これは、創造されたとき、
造られた日におけるその歴史である。(第二章1~4節)


 天と地およびその全軍は完成した。
                downdowndown
 ダヴィンチが練りに練って描き込んだ思い込ませの迷宮
(ラビリンス)は、ここに竣工・完成をみたという次第です。


 神は“天地創造”一切合切を六日で完了し、
いまは“最後の審判”のその日まで休まれている。

 大雑把に言えば、

 旧約から新約への聖書の変遷を意図し、そこに大いなる
欺瞞を向けた一大ページェントなのです。

 さまざまな(聖書にある)事件を歴史的、時間的、流れに
沿って表現しようと試みたもので、そのエポックメーカーは
当然にしてアダムでありイエスです。

 アダム、セツ、ノア、アブラハム、ダビデ、ソロモン・・・

 そして、イエスへと連綿と続く系譜、名画(壁画)の時間
は左から右に流れていきます。

 イエスを挟んで向かって左側がBC(紀元前)で、右側が
AD(紀元後)を表現していますが、その解説にはあらたに
相当量の紙幅が必要となりますので、ここでの説明は別の
機会(次回以降)に譲るとして、ヒントだけを紹介すれば …

「生気なく嘆くイエスの表情に活目して、
女性がモデルであったことに留意せよ」


 ということになります


 仕掛けられた「ダ・ヴィンチ・トラップ」をひとこと
で言い表わすとすれば「すり替え」です。

 入れ替わり、すり替わり、なりすます … 一人二役どころ
か何役も兼ねることを想定し、時代を超えた生まれ変わり、
輪廻転生的な概念すらも含まれているものと思われます。

 たとえば、それは、

    イエス・キリストと洗礼者ヨハネ
    洗礼者ヨハネと使徒ヨハネ
    使徒ヨハネとマグダラのマリア
    マグダラのマリアとリリス
    リリスとシモン・ぺテロ
    シモン・ぺテロとイスカリオテのユダ
    イスカリオテのユダとフィリポ
    フィリポと使徒ヨハネ
    使徒ヨハネとシモン・ペテロ
    シモン・ペテロとイエス・キリスト
    イエス・キリストとアダム
    アダムとバルトロマイ
    バルトロマイと大ヤコブ
    大ヤコブとイエス・キリスト
    イエス・キリストとマグダラのマリア
    マグダラのマリアとイヴ
    イヴと聖母マリア
    聖母マリアとイエス・キリスト

 と、いった具合に、まだまだ多くの入れ替えやすり替えが
考えられるのです

 たった一つのこの絵の中にですょ !!

 
 下の画像は、

 イタリアのデジタル画像処理会社HAL9000のデジタル
高精彩画像ですが …


      up               up
ユダの手に握られたナイフ  イエスの手がヨハネ(マリア)     
をペテロが押さえつけている   の手と重なり合っている


 これも、ダ・ヴィンチが用意したトラップ(罠)のひとつで、
ユダとされる人物の背後から飛び出しているように見えて
いたナイフは誰の手に握られていたのか

 可能性のある人物としては、ペテロ、ユダ、ヨハネ、そして
誰でもない「神の手」としての象徴 …

 色褪せや剥落の進んだ現物での判定困難である
が故に、幾通りもの仮説が想定されるわけで、まさに天才
面目躍如も甚だしい限りです


 どうですか   アナタも …

 「ダ・ヴィンチ・トラップ迷宮の罠
に落ちてみるのも一興ですよ。

 宗教劇の一大イベントの数々がこの名画(迷画)の中に
渾然一体となって散りばめられているのですが …

 見事に仕掛けられた『ダ・ヴィンチの罠』
どっぷりと嵌ってみるのも、悦なる時間かもしれません。

 次回は、そうした『ダ・ヴィンチ・トラップ』
にメスを入れてみようと考えています

 
 それでは、また ・・・ チャオ !!

 「チャオ、チャオっと解いちゃおぅ」

  ・・・ってか !!

  ・・・・・・ nose4ase2 question2

コメント一覧

蚤仙人
なるほど、「ダ・ヴィンチの罠」とやらはこうして始まったというわけですな!

透明人間2号
マンマミーア! この時はすぐに終わるものかと ・・・

やはり「チャオチャオ」とは行かないものです。
むらさき納言
まさか、同じ記事へと2年半のブランクをおいて、コメントすることになるとは・・・
それほど長い期間にわたって、ダ・ヴィンチの
罠の謎は続いているのですね。
最新の記事の更新が遅れ気味なので、過去記事を読むことが多いのですが、現在進行中の謎のヒントがいくつもあるのがわかります。

でも、「チャオチャオ」とは解けていませんよね!

それが狙いなのかもしれませんが・・・
透明人間2号
むらさき納言さんといえば、『和もの』というか古典がらみの話題ではよくコメントをいただきましたが『洋物』ではおそらく初めて …

いえ、そのぉ…ですね。 『洋物』という表現は、いささか不躾でしたね。(汗)

小吉さんの言う三つとは、旧約、新約と、あとなんだろう。
ユダヤ教のタルムードとか、イスラム教のコーラン(クルアーン)でしょうか?
小吉
なんだかよくわからないので聖書読んでみます。
 三つ、みっちり。
 
むらさき納言
読み始めは変わり映えしないどこにでもある内容でしたが、途中から新たなミステリーや謎解きの要素も増えてきて、やはりダ・ヴィンチ・コードではないですが、この絵には秘密があるようですね。
謎解きは大好きだし、推理は個人の自由ですからいくらでも勝手に想像を膨らませることができますが、少々膨張し過ぎでは…、と心配になります(笑い)
それくらい大きなスケールの謎があるのでしょうね。 きっと・・・
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