このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
「猫科の一番小さな動物、
つまり猫は最高傑作である」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
という言葉の本当の意味は何でしょう
『ダ・ヴィンチの罠 眠り猫』
の記事でも述べたように ・・・
レオナルド・ダ・ヴィンチにとって、
『聖書』に一度しか登場しない「猫」
のメタファが聖母子にあるとすれば、
『猫のいる聖母の素描』1478-1481年
6枚ある「聖母子」と「猫」の描写
(トリプルショット)はイエス・キリストが
真の救世主(メシア)たる「神」の子
などではなく、「猫」の寓意に依るところ
の「偽救世主」(偽メシア)であることを
示唆しているのでしょうか
ならばルーベンスが描く『受胎告知』
における「眠り猫」の登場理由は、
『受胎告知』 ルーベンス(1628年)
悪魔の使いや魔女の飼い猫としての
「猫」が眠っている間に聖母マリアに受胎
を告げ、悪魔(サタン)に「神の計画」
を邪魔させまいとする意思の表れではなく
むしろ、「神」こそが悪魔の正体で
あるとする隠喩なのかもしれません
何となれば、
魔女のペットたる「猫」が眠っていると
いうことはマリアが悪魔(サタン)と関わり
のある魔女であることを窺わせる演出
であるとも言えるからですが、
「ダ・ヴィンチの罠」の背景には
マリア教に変貌したローマカトリックに対する
アンチ・クライストなる精神がある
ことは言うまでもありません。
しかしそれはキリスト教の教義や教皇以下
の腐敗の構図を非難するプロテストであって、
イエス・キリスト、その人を否定するものでは
なかったはずなのですが ・・・
どうも、それだけではないのかもしれないと
いう証しをルーベンスはダ・ヴィンチの作品の
なかから見つけてしまったのかもしれません。
そうです。
1600年から1608年までのイタリア留学中
の期間と外交官として各国を巡る中で ・・・
ルーベンスの結論としては、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ
教会(修道院)の食堂の壁に描かれた
『最後の晩餐』における人物の配置
や構図などの研究による分析結果から
『最後の晩餐』でのイエスの言葉は
ユダに対するそれではなく、
「裏切者はわたしなのだ」という
イエス自身の出自の告白だと考えても
辻褄は合うし、構図的にも不自然でないと
いうことに気付きます。
むろん、第一義に「裏切者」の告発が
あることは言わずもがなのことですが、
それはわたしたち、つまり、ユダを除いた
出席者の全員が「裏切者」であると、
あえて、逆説的に
そのように考えることでダ・ヴィンチの絵に
纏わる一連の謎が解けてくるというのです。
出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net
『最後の晩餐』でのユダの存在は、
表向きのアリバイであって、ダ・ヴィンチの
意図には人類の起源の真実と「神」
の正体、そして地球(人類)の未来
に対する警告と顛末にあったのです。
『アンギアーリの戦い』ルーベンス模写
そのように考えると
『アンギアーリの戦い』の模写に
描き込まれた「異形なる者」の姿や
『聖アンナと聖母子』での立地に
おける不可思議な空間(スペース)と
背景に林立する切り立つ山々の怪に加えて
ありうべくもない母と娘の構図(母である
聖アンナの膝に腰かける聖母マリア)の謎と
甚振(いたぶ)るかのように子羊とじゃれる
幼いイエスの姿の意味 ・・・
さらには、
『モナ・リザ』のモデルと背景における
『黙示録』の記述との奇妙なる一致と
鏡絵(ミラーイメージ)に現れる奇異
なる異星人のような存在 ・・・
まるで異形なる宗教の祭祀を司る高位の
人物の如き、冠にマント姿のいでたちです。
そして、
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
最後の作品、『洗礼者聖ヨハネ』に
出典:deskgram.net
託された秘密と、鏡絵(ミラーイメージ)
に秘められた謎の人物の正体にも
出典:blog.livedoor.jp
ルーベンスは気付いていたかもしれません。
それが、
ルーベンスの『最後の晩餐』における
『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
ユダの足もとで骨にかぶりつく「犬」に
込められた寓意とユダの目が訴える
「この真実がわかるかい !!」
という鑑賞者への問い掛けなのです。
「聖母を疑え、イエスを知れ、
さすれば真実が見えてくる」
そうとも言いたげに顎に手をやり、こちらを
見つめるユダが座るイスの脚には獅子足
(三本指)がサインとして彫られています。
この獅子足の如き三本指は、
ダ・ヴィンチのデビュー作『受胎告知』
での書見台の脚に始まり、
そのシグナル的なサインに、
ルーベンスは『最後の晩餐』や
『エマオの晩餐』Ⓐ ルーベンス
『エマオの晩餐』において「犬」
とともにイスの脚に仮託させて応答します。
『エマオの晩餐』 フィリップ・ド・シャンパーニュ
その一方、テーブルの脚に獅子足を描き、
そこに「子猫」を登場させているのが、
フィリップ・ド・シャンパーニュによる
『エマオの晩餐』ですが、彼はまた、
『アウグスティヌスの肖像』シャンパーニュ
『アウグスティヌスの肖像』の
書見台の脚にも獅子足を描いています。
何か関連する秘密がアウグスティヌスにも
あるのかもしれませんね
さらに、
シャンパーニュが描く『モナ・リザ』の
模写の背景に展開される光景は、
『モナ・リザ』模写 シャンパーニュ
『アイルワースのモナリザ』の
不思議な背景と酷似しています。
「猫科の一番小さな動物、
つまり猫は最高傑作である」
としたダ・ヴィンチの意図する「猫」
の寓意を感知できたと思われるのは、
極々、少数の人たちで、
「ダ・ヴィンチのスピリチュアル的パワー
(作意にある無意識的な潜在エネルギー)
を敏感に感じ取れたり、受信することが
出来た数少ない画家たちの中でも、
確実に、
ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像
その意図を理解し、その寓意を自己の
作品を通してサポートしていた代表格が
ルーベンスやシャンパーニュであって、
フィリップ・ド・シャンパーニュの肖像
無意識的に受信していたと思われる
のがジョン・コリアやヤコポ・バッサーノ
であり、そのなかに、ベクシンスキーや
カラヴァッジョ、あるいはガロファロなど
も含まれるかもしれませんが、
出典:blogs.yahoo.co.jp
ダ・ヴィンチと連動して、協力していた
と思われるのがルネサンス三大巨匠の
ひとりであるラファエロ・サンティである」
ラファエロの自画像
イタリア・ルネサンスの三大巨匠
出典:www.el.tufs.ac.jp
というようなことを、以前の、
『ダ・ヴィンチの罠 演繹的』
の記事のなかに記しましたが、
やはり、シャンパーニュは、明確に何かを
感じ取っていた者のひとりでしょうね
さて、それでは、ルーベンスの描く
『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
『最後の晩餐』においてユダが
伝えたかった真実とは何でしょう
聖母の正体とイエスの出自
だけだったのでしょうか
言わば、
レオナルド・ダ・ヴィンチをして、最高傑作
と言わしめた「猫」に込められた寓意を
察知したルーベンスは、
『受胎告知』 ルーベンス
『受胎告知』の場面に飼い猫として
の「眠り猫」を登場させて、
「悪魔」=「龍蛇族」=「聖母」
に連なるイエスの出自を示します。
それは、
ダ・ヴィンチの『受胎告知』における
聖母マリアの姿にしかり、
「龍蛇族」なる聖母マリアを描く
『岩窟の聖母』での一幕にしかり、
大天使ウリエルによって、指を
さされる幼いイエスの真実にしかり、
さらには、
『レダと白鳥』のゼウスの化身
である「神」=「白鳥」の正体に
しかりというわけですが ・・・
畢竟、
ダ・ヴィンチのシグナル・サインで
ある不気味な三本指の肢や
不自然に曲がりくねる衣装のウエーブ
に対するルーベンスの結論は、
それを
龍蛇系の生き物の肢と尻尾である
としたわけですが、
「ダ・ヴィンチの罠」を構成する
重要な要素の中に地球外における
知的生命体の存在を見つけていた
のかどうかは定かではありません
ところで、
出典:www.patrasche.net
「猫」に対しての「犬」における寓意
には、欺瞞と虚構からなるカトリックの
忠実なる僕(しもべ)たるキリスト教徒を
『キリスト昇架』 ルーベンス(1610年)
イエスの養父たる聖ヨセフに重ねて
いるのが、ルーベンスの「聖家族」
シリーズでのメタファなのですが ・・・
それはまた、次回以降での解説として、
そのシリーズのなかの代表的な作品が
木槌を手に聖母子に近づく幼い聖ヨハネ
の姿を描いた絵画ですが、
『聖家族と聖エリザベス、幼児聖ヨハネ』
ピーテル・パウル・ルーベンス(1615年)
この作品は非常に人気が高かったという
だけでなく、聖母子と聖ヨハネとの
関係における重大な秘密を暴露
するものでもあったのです。
「ぼくらの秘密、わかるかな」
聖母マリアの胸に抱かれながらも
鑑賞者に対して 意味深長なる視線を送る
幼いイエスの目が物語るものは ・・・
はてさて、
「犬」に重ねられる聖ヨセフの姿
は何とも惨めで憐れです
『聖家族と仔羊』 ラファエロ画
言っておくが、
「わしゃ、ペテロじゃよ」
「ヨセフではないぞい」
出典:shanti-phuia.net
「猫科の一番小さな動物、
つまり猫は最高傑作である」
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
「解剖して分かったことだが、
人間は死ぬように出来ている」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
「裏切ったのはユダではない」
(そんなアホな・・・)
もう、お分かりですね
これって、完全なる
(印象操作でしょ)
・・・ って、おいおい、
(言わずもがなやで)
… to be continue !!