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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 変身譚(改)

 「変身譚」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 変身譚 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 変身譚 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

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 『ダ・ヴィンチの罠 変身譚』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで14作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 変身譚(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 日本列島のほぼほぼ真ん中辺りに位置する
ごくごく標準的な地方の商業都市に生まれて、
北海道は札幌で学び、東京の会社に就職した
のですが、別に東京にあこがれを抱いて上京
(赴任)したわけではありませんでした。

 まあ言ってみれば、成り行きのようなもので
地元に近いし、いつでも親もとに戻れるという
ような安直でモラトリアムな考えだったわけで、
案の定、4年ほどで会社を辞め、引きこもりの
ような自由で気ままな自堕落的フリー・ライフ
(アパート暮らし)をエンジョイするわけです。

 ・・・ って、おいおい。生活費は 

     
    (まさか親がかりかぁ)

 いえいえ、そこはそれ、ちゃんと4年の間に
それなりの蓄えをしていたわけで、その金で
およそ1年半程を食いつないだのですase2

 この時、小生27歳にして無職のフリーター、

 比べるべくもない話ですが、

 14歳でアンドレ―ア・デル・ヴェロッキオの
徒弟として工房に入り、6年にわたるの修業
を終えてフィレンツェの画家組合に加入した
のは、ダ・ヴィンチが20歳の時のことでした。

 デビュー作品とされる『受胎告知』
(1472-1475)を描き始めたダ・ヴィンチは



 『受胎告知』のアナモルフォーズ




 翌年には大器の片鱗を見せるべく、師匠
ヴェロッキオの『キリストの洗礼』



(1470-1476)の創作を手伝い、左端の天使
と風景の一部を描いたとされていますが、

   
 

 これらの作品に「罠」の予行演習と
しての悪戯(いたずら)や
             

 

 アナモルフォーズ(歪像画)の予備実験
を仕組んでいたということは以前にも
何度か触れていますが、

 

 アナモルフォーズに関しては、

目線
(アナモルフォーズ(歪像画)への挑戦)

 『ダ・ヴインチの罠 無頼漢(改)』

 を参照してみてください。
 


 「十分に終わりのことを考えよ。
 まず初めに終わりを考慮せよ」
       (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

   聖母マリアの長い右腕と謎の肢                      
  
          down


     『受胎告知』書見台部分 の謎の肢

 この頃からすでに、

  

 その言葉通りに、終わりにつながる罠の
一部を企図し実行していたのですから、
啓示ともつかない幻視とともに、



 別の能力も授かっていたかのような思い
に駆られてしまいます。

 ダ・ヴィンチは幼少期での記憶として
二つの出来事を綴っています。

      

 ひとつはハゲワシが空から舞い降りて来て、
ベビーベッドで寝ている彼の口もとを その尾
で何度も何度も打ち据えるというものです。

 もうひとつは山を散策中に洞窟を見つけて、
その中に潜んでいるかもしれない化け物
に怯えながらも洞窟の内部がどうなっている
のか、という好奇心で一杯になったという
記述です。

 ダ・ヴィンチはメモ魔であったと思われる
ほどにたくさんの手稿の類を残していますが、
紛失や分散してしまっているために実際には
現存する約5000枚の手記の倍に相当する量
があったとされています。


     ダ・ヴィンチの手稿類

 その内容は『絵画論』や科学に関する研究
の成果や解剖の記録といったアカデミックな
ものから人生哲学、物語、日記、手紙、素描
の数々、果ては家計簿の如き日々の細かな
出入金に至るまで、多岐にわたるジャンルで
の記録が残されているのですが、不思議
なことにプライベートなことや人間関係
についてはあまり触れられていません。


     ダ・ヴィンチの手稿類

 父であるセル・ピエロの死に際しての記述
にしても「今日、父が死んだ」程度
の実にそっけない事務的な文面です。

 母親と思われるカテリーナに関する記述は
いくつか見られますが、父親と同様に会話の
内容や心の機微については一切触れられて
いません。

 母カテリーナの死に関しても埋葬にかかる
費用の金額が詳細に書き込まれているだけ
なのですが、

 そのなかには両親に対する彼なりの思い
が見て取れると思われる箇所があります。

 「父、7時に ・・・ 7時に死す」と
亡くなった時刻を二度繰り返しています。

 母の場合も同じように、

 「7月16日、カテリーナ来たる。
7月16日 ・・・」と日にちを二度繰り返して
いるのです。

 ダ・ヴィンチはカテリーナを母とは書かずに
カテリーナとしか記していません。

 なぜでしょうか

 察するに、カテリーナは言わば、父の愛人
としての母親であり、父が正式な結婚をして
からは、生きていくために別の男性と結婚を
しなければならなかった母親です。

 時たま会いにやって来る彼女のことを母親
と呼べずにカテリーナとだけ記していたのは
そうした理由によるものだったのでしょうase


 ところで、

 幼少期におけるダ・ヴィンチの記憶ですが、


      ヒマラヤハゲワシ www.excite.co.jp    

 ハゲワシが彼の口もとを、その尾で何度も
何度も打ち据えるという件(くだり)でピンと
来たのがプロメテウスの話です


  天界の火を人間に与えたプロメテウス

 プロメテウスが天界の火を盗んで
人間に与えた罰としてゼウスから受ける
永遠の拷問に登場するハゲワシと、


ハゲワシに内臓を食いちぎられるプロメテウス

 彼の口もとを何度も何度も尾で打ち据える
という行為についての解釈を、

 

 これから先、何度も見ることになる「幻」
の中身を決して言葉にしてはいけないという
大いなる何者からの戒(いまし)めのように
感じていたのではないでしょうか

 プロメテウスの神話や毎日内臓を喰われる
という永遠に続く拷問については、

 『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』
 『ダ・ヴィンチの罠 リリス』 
 『ダ・ヴィンチの罠 好奇心(改)』
 
 などを参考にしてみてください。

 洞窟での一件を、好奇心で一杯に
なったという言葉で誤魔化していますが、  

   

 このとき、

 ダ・ヴィンチの好奇心は凍り付きながら
も爆発寸前にまで昂揚していたことは、
 
 『ダ・ヴインチの罠 匙加減(改)』

 に書いたとおりです。

 そうです。 そうなのです。

 幼き日に、彼は洞窟の中で何者かと
出会ったか、「幻」を見せられたのです。


     神秘体験イメージ (知覚の扉)karapaia.com

 それが、

 松果体から分泌された神経伝達物質
DMT(ジメチルトリプタン)による仕業
(幻覚)か、白日夢か、は別にしても ・・・

 それらについては、

 『ダ・ヴィンチの罠 松果体』  
 『ダ・ヴィンチの罠 白日夢(改)』 

 などを参照してみてください。

 幼き日の記憶とともに定期的に訪れる
神秘現象(幻視体験)が幼少の頃より

  
    神秘体験イメージ (認知の扉)karapaia.com

 ダ・ヴィンチの身に起こっていたのです。


      出典:shanti-phuia.net

 それは、まるで、

 『聖書』の世界観の別バージョンや


 
 『ヨハネの黙示録』の逆パターン
を見せつけられているような内容でしたので



 教会の依頼による仕事の多いダ・ヴィンチ
には、とても厄介な問題だったのです。


       出典:shanti-phuia.net

 どうやら、それが「罠」という非常手段
に訴える動機のひとつになっていたことは
否定できないことのようですが ・・・

 
 
 いずれにしても、

 それが、

 単なる夢や妄想による「幻覚」とは
到底のことに思えなかったダ・ヴィンチは、


    画像元:jcnews.tokyo.png

 「罠」というトリッキーな告白の
方法を採用したわけです。

 たとえば

模擬実験的な『キリストの洗礼』

『受胎告知』を例に挙げれば、 

   upup_slow
 キリストの頭上の鳩を連想させる形の雲と
         downdown_slow


 ダ・ヴィンチの描く片膝をつく天使の姿と

   

 跪拝する大天使ガブリエルとの類似性 ・・・ 

 

 さらには、 

  

 射抜くように見つめる瞳の共通性です。

  

 その視線の先にあるものは ・・・

   

 『キリストの洗礼』の名場面であるのに
ローブを捧げ持つ幼い天使が見つめるのは、
イエス・キリストではなく、



 変な形をした枝先と思わせぶりな鳥の姿か、

     

 洗礼者ヨハネの顔の辺りとしか思えません。

 肝心のキリストは貧相で精悍な顔つきをした
聖ヨハネの引き立て役に思えてしまうほどです。


 イエス・キリスト      洗礼者聖ヨハネ

 その一方で『受胎告知』でのガブリエルが

  

 見つめる先には処女マリアが座っています。

   (な、何よ。その目は!)

 このとき、



 ダ・ヴィンチは大天使ガブリエルのなかに
龍(ドラゴン)の化身を見ていました。


      ドラコニアン 画像元:2seesaa.net

 そして、

 

 やや長めの右腕で聖書のページをめくる
聖母マリアには蛇の影を見ていたのです。

 さて、

 ここまでが悪戯や実験の段階で、本格的な
「罠」『東方三博士の礼拝』
から始まるのですが、


 『東方三博士(マギ)の礼拝』 1481-1482年

 それについては、

 『ダ・ヴィンチの罠 松果体』 

 を参照してみてください。

 ただ、ここで言いたいことは、

 初めから終わりまでが、すべて考慮されて
いて、キチンと繋がってるということです。

 前述した幼い天使の持つローブ(コブラ)が

 下の岩肌の質感から蛇の鱗の紋様を連想
させるだけでなく、背後の植物に蛇の群れを
想起させ、それらのイメージが天使の姿勢を
介して引き継がれているのです。


    down_slow
     
      down_slow       down
 
         down  down
 こうして、    down  down 天を指さす二人の
         down  down サインを合図に

 『東方三博士の礼拝』から本格的な
 「罠」が開始されていったのです up    

 

 そして、 down     down_slow     up  


   パリ・ルーブル版    ロンドン・ナショナルギャラリー版 

 跪拝する姿勢は『岩窟の聖母』では
大天使ウリエルや大天使ガブリエルへと引き
継がれ、凝視する視線の持ち主は幼いヨハネ
や幼児のイエスが受け継ぎます。

 そこから、さらに、  up down
 


 前屈みの姿勢と射るように見つめる視線は、

   
   

 『最後の晩餐』でのバルトロマイへと
バトンは確実にリレーされていったのです。


 要するに、

 『東方三博士の礼拝』のケース
では、イエスと聖母マリアと三人の賢者の脇
を固めるようにして、丸印の人物たちが、



 それぞれに青年、壮年、老年の姿
となったダ・ヴィンチの影を演じています。

 そして、その配置がそっくり、そのまま、


 R6 R5 R4  R3 R2 R1   L1 L2 L3   L4 L5 L6

      NHK復元CG画像

 『最後の晩餐』の舞台における

   

 バルトロマイ(R6)トマス(L1)マタイ(L4)
ほかのポジションへと引き継がれるわけです。

 この辺りの詳細については、

 『ダ・ヴィンチの罠 裏付け』

 を参照してみてください。

 つまり、

 「罠」の集大成として計画された
『最後の晩餐』のヨハネ(R1)の両手


 R6 R5 R4  R3 R2 R1   L1 L2 L3   L4 L5 L6

      NHK復元CG画像

 が、このように固く結ばれている場合には、

  

 『復活の朝餉』がイメージされていて


『最後の晩餐』のヨハネ『岩窟の聖母』のマリア

 聖母マリアとマグダラのマリアの二人を
使徒ヨハネが兼ねるということになるのです。       

    
     マグダラのマリア

 もともと、

 この絵に込められていた真の目的は
大いなる疑問点としての復活の顕現の
シーンを問い質すものだったのですが、



 聖書に名高い『最後の晩餐』
場面へと意図して改変・誘導したわけです。

 その解説には、時間も紙幅も必要なので、
ここでは割愛して別の機会に譲りますが、

 とりあえず、

 今はトマスの左手とされる素描の

 

 真の持ち主に話を移しましょうpeace

  

 それは、後においては『モナ・リザ』の
モデルとしても仮託されるのですが、



 ここではマグダラのマリアです。

  
マグダラのマリア カルロ・クリヴェッリ1477年頃

 要は、この『変身譚』が彼女で、

   
マグダラのマリア(部分) カルロ・クリヴェッリ1477年頃

 その手が強引に引き離された時に彼女の

 
   マグダラのマリアとイエス

 右手はナイフを握る選択をするのです。




 ところで、

 問題のトマスの左手ですが、


    up_slow
 ここにあるこれ。

   ・・・ って、やっぱ、それ、

      
     (トマスの左手じゃね)

 ちょっ、ちょっと待ってください。

 素描をよぉ~く見てみてください。

   

 ゴツゴツと節くれ立っているような男性の手
とは思えないくらいにしなやかで、華奢な感じ
に見える指先は、小生の欲目でしょうか

 どうみても女性の手です。 

 そもそも、

 この人差し指を立てている手も、もともと
はトマスのものではありませんでしたnose7

 なぜなら、

 前述したように、『最後の晩餐』では
なく、復活の顕現の場面だったからで
その時、トマスはその場にいませんでした。

 要するに、この顔出しのトマスは、

     

 付け足しのようなもので、11人の弟子たち
が揃ったガリラヤでの『復活の朝餉』
をモチーフに『最後の晩餐』を装った
というのが隠された真相ですから、

 指を立ててる右手もテーブルに置かれた
左手もトマスのものではありません。

 大ヤコブの左手とトマスの左手とされる素描
     down       down_slow
  

 ならば、縦(よ)しんば、

 それがマグダラのマリアの手だとして

    
     マグダラのマリア

 それではこの手は誰でしょう?      

   

 次回では、それらの「タネあかし」を
してみたいと考えてますが、なにせ変わり身
が早いので、どうなるものやら ・・・

 さてさて、

 カフカの『変身』ならずとも、小生も
27歳の初冬にして、履歴書を認(したた)め
、めでたく就職を果たします。

   
フランツ・カフカ「変身」filmarks.com

 結局、

 ここも9年ちょっとで辞めちゃうんだけど

 それじゃあ、ダメじゃん



 そういうのは、

   

  「『変身』とは言わんやろ」 

  

 「遍歴よね。ヘ・ン・レ・キ」


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 
出典:www.lets-bible.com  出典:shanti-phuia.net


      出典:mnsatlas.com

 【洗礼者聖ヨハネの首とサロメの物語】 

 
『音楽家の肖像』『ウィトルウィウス的人体図』『自画像』
 
 
 『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年


     『音楽家の肖像』1485年頃     


  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

   
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年


       フランツ・カフカ「変身」www.youtube.com

 … to be continued !!

コメント一覧

小吉
鳩の絵がなんか記号的。
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