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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 殉教者

 十二使徒の中で最初の殉教者となったのは、ヨハネの  
兄弟(兄)である大ヤコブでした。彼はゼベダイの子で
ヨハネと共に、雷の子と呼ばれていました。
     (マルコの福音書 3 章17節)

 大ヤコブの処刑はユダヤ人たちを大いに喜ばせます。

 それを知ったヘロデ王は、次にペテロを処刑しようと
思い彼を捕らえました。

 ここで言うヘロデ王とは、ヘロデ・アグリッパ1世
、ヘロデ大王の孫です。ヘロデ大王は、イエスの誕生の
際に2歳以下の赤子を皆殺しにせよと、命じた人です。

 そして、彼の

 息子であるヘロデ・アンティパスは、洗礼者ヨハネの
斬首を命じた張本人であり、イエスを裁いた人間のうち
の一人でもあります。

 こうしてみると、

 ヘロデの家系は世代を超えて「イエス・キリスト計画」
の推進に一役買う役割を果たしていたことがわかります。

 さて、

 大ヤコブは斬首されましたが、捕らえられたペテロは
御使いによって処刑を免れたことが『使徒言行録』12章
に書かれています。


    使徒ペテロの解放 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 1665-1667年

 なぜヤコブは殺され、ペテロは殺されなかったのか?

 『新約聖書』の厭らしいところは、こういった一般的
に見れば不公平極まりないと捉えられるような出来事を
さもありなん風に伝えていることです。

 その件ついて、『聖書』には何も書かれていませんが、
大ヤコブの死は、「イエス・キリスト計画」成就のため、
または、イエスの神格化のために用意された死であった
ように思われます。

 「何故?」と思う人物が、ある日突然、天に召される
ことは演出上における一種のツボであり、物語の展開に
欠かせない重要なスポットなのです。

 同じ病なのに、治る人もいれば、命を落とす人がいる
という一見すると『不公平』であると思われる取り扱い
が、ストーリーに深みと信憑性をもたらすのです。

 ところで、

 熱心なるユダヤ教徒としての立場から当初はキリスト
教徒を迫害する側にあり、ステファノの殺害(石打ち刑)
にも賛同し、協力していたとされているパウロですが、


       ステファノの殉教 www.lets-bible.com

 ダ・ヴィンチは そんなに生やさしいものではなかった
と考えていました。

 つまり、

 そこにはパウロによる積極的な働きかけ(偽旗作戦)が
あったということです。

 キリスト教における最初の殉教者はステファノです。

 symbol2 最初の殉教者となった聖ステファノについては、

 『使徒言行録』 6章 1節~ 8章 1節に詳細に記述されて
います。

 「主イエスよ、私の霊をお受けください」(7章59節)
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」(60節)

 こうして彼は、キリスト教初の殉教者となったのです。

 さもあれあれほど献身的に使徒や弟子たちの世話をし、
十二使徒を支え、身を粉にして奉仕していたステファノ
が、反対者から憎まれ、濡れ衣を着せられ、ボロボロに
された挙げ句の果てに石打ちの刑に処せられたのです。

 しかも、実際に石を投げたその中には、


          聖ステファノ殉教者 tomoshibi.or.jp

 後に使徒になるサウロ(パウロ)もいたわけです。

 当時の使徒たちの仕事の補佐をするために選出された
7人の一人が殉教者のステファノでした。

 大勢の弟子たちの中でも特に「信仰と霊に満ちた人」で
彼の言動は素晴らしいと皆に評価されていたステファノ
ですが、その彼が、サウロ(パウロ)も加わった加害者
である集団に殺害されたのです。

   殉教者ステファノの日 | 六本木ルーテル教会 Tel. 03-3405-9972
      画像元:luther-rose.com

 なんという悲惨なことでしょう。この事件が歴史的に
ユダヤ社会で起こった実際の出来事であると認めざるを
得ないわけですが、その未熟さは、現代社会においても
どこか似ているところがあるように思われます。

 ステファノのような殉教者を思うとき、いつの時代も
変わらない社会の現実に人間の限界を見る思いがします。

 ちなみに、

「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」という
ステファノの祈りは、『ルカの福音書』23章34節にある
磔刑上での「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何を
しているのか、わからずにいるのです」というイエスの
祈りの言葉に対応させていると考えられます。

 ところで、

 「カバラ」とは、神であるヤハウェの真意を探ろうと
するユダヤ教の神秘主義思想ですが、ユダヤ教における
「メシア運動」と「カバラ」は、切っても切り離せない
関係にあるようです。

 「カバラ」によれば、

 天国に秘め置かれている〝メシア(救世主)の魂〟が
地上に〝人の子〟として現れ、全ユダヤ人を救済するの
は、地上の悪が絶頂に達した時であるといいます。

 そこで問題となるのは、その時期です。

 ユダヤ人は、紀元前からその時期は目前に迫っている
と考え、熱心にメシアを待望していましたが、ユダヤの
地が、ローマ帝国から派遣される代官(総督)によって
治められるようになった紀元6年以後は、前にも増して
メシア待望熱が高まるようになったのでした。

        
    ユダヤ神秘思想「カバラ」によれば、
  天国に秘め置かれている“メシアの魂”が地上に
 “人の子”として現れ、全世界のユダヤ人を救済する
 のは、地上の悪が絶頂に達したときであるという。

    ユダヤ神秘思想「カバラ」 inri.client.jp 

 「カバラ」はユダヤ教の伝統に忠実な側面を持とうと
したという点で他の宗教の神秘主義とは異なります。

 本来の「カバラ」は、ユダヤ教の律法を遵守すること
や、神から律法の真意を学ぶことを目的としていますが
正統的なユダヤ教との親和性を持っていた時期もあった
ため、必ずしも秘教的な神秘思想とは言い切れません。

 しかし、キリスト教の神秘家に採り入れられるように
なると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な
神秘体験の追究手段として用いられることになるのです。
 
undefined 
      生命の樹 & セフィロト ja.wikipedia.org

 伝説では、アブラハムがメルキゼデクから伝授された
天界の秘密だとも、モーセが律法(トーラー等)に記し
切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだとも
言われています。

 「カバラ」は3世紀~6世紀頃に始まり、16世紀頃に
ほぼ現在の体系が完成したとされています。
      (ja.wikipedia.org)より

 なお、

 symbol2 「カバラ」については、別のページで、より詳しく
 取り扱う予定でいます。

 こうして、

 以前よりメシアへの待望感が強まるようになった結果、

      ティーチングレター「イエスと熱心党 Part-1」|B.F.P. Japan
        熱心党 www.bfpj.org

 一刻も早くメシアを引き寄せ、ローマからのユダヤの
独立と解放を成し遂げなければならないという切迫した
思いは愛国者たちを「ゼロテ党(熱心党)」に集結させ
、そのままローマとの戦争へとなだれ込ませます。

 これが、    

 AD66年-70年にかけての「第一次ユダヤ戦争」です。

 しかし、当時のローマに立ち向かうには、ユダヤ軍は
あまりにも非力でした。

ユダヤ人の年表-古代 | 世界の歴史まっぷ
『エルサレム神殿の破壊』フランチェスコ・アイエツ画 

 ユダヤの砦は次々に陥落し、遂にはエルサレムにある
「第二神殿」まで破壊され、炎上してしまいます。


             『嘆きの壁』 israel.bona.jp

 この神殿の破壊後に残ったわずかな神殿遺跡が、今日
の「嘆きの壁」なのです。

 さて、のちに、

  
      第10代皇帝ティトゥス

 第10代皇帝(AD79-83年)となるティトゥスは、
AD70年春に総勢8万の大軍でエルサレムを包囲し、
5か月に及ぶ大激闘の末に、聖都エルサレムは神殿
もろとも紅蓮の炎の中で滅亡するわけですが、

  
 『エルサレムの包囲と破壊』デイビット・ロバーツ(1850年)

 ここにおいてユダヤ教は、その中心であった神殿の
崩壊とともに、宗教的な社会としての全体系が瓦解し、
神殿を基盤としたサドカイ派、戦いを主導した熱心党、
それに同調したエッセネ派など、大多数の宗派・宗団
が消滅していったのです。


  『エルサレムの包囲と破壊』デイビット・ロバーツ(1850年)

 そんななかで、熱心党を中心にする一団が3年間に
わたり、砦に立てこもり、

   
        マサダの砦の跡

 ローマ軍と対峙して、集団自決を遂げた地が史実に
名高い「マサダ」でした。


           マサダの砦の跡 worldheritagesite.xyz

 思い起こせば、

 バビロン補囚以降、ユダヤ人たちは自分たちを政治的
な大不幸から解放してくれる救世主(メシア)の出現を
熱心に願ってきました。

 BC63年、ユダヤ地方がローマ帝国の支配下に入ると、
ユダヤ教徒たちはローマ帝国の統治政策に日増しに反感
を強めていきます。

 AD6年にユダヤ地方が、ローマ帝国から派遣された
総督によって治められるようになって以来、益々メシア
待望観念が高まったことは、先に述べたとおりです。 

 多くのユダヤ教徒たちが「一刻も早いメシアの出現を
願い、悪魔の手先であるローマ帝国を撃退して、ユダヤ
の解放と独立を成し遂げなければならない」と、熱狂的
な「終末思想」を掲げる「ゼロテ党(熱心党)」の下に
結集したわけです。

 AD66年、ユダヤ属州の総督フロルスがエルサレムの
インフラ整備の為の資金としてエルサレム神殿の黄金の
宝物を持ち出します。これがキッカケとなり、ゼロテ党
を中心とするユダヤ教徒抵抗勢力がローマ帝国の守備隊
を襲い、 ローマ軍に対して本格的な戦いを開始します。

 これが、

 前述した第一次ユダヤ戦争(AD66年-73年)です。

 ユダヤ属州のユダヤ教徒は武装蜂起して、ローマ帝国
からの独立と解放を試みたのです。

 しかしながら、

 ユダヤ軍は当時のローマ帝国に立ち向かうには非力で
あり、ローマ軍の力は圧倒的に強力でした。

 AD68年、皇帝ネロが派遣した将軍ウェスパシアヌス
に率いられたローマ軍7万人はユダヤ属州の都市を次々
に攻め落とし、エルサレムの孤立化に成功します。

 ところが、

 この時期に皇帝ネロが自殺をし、ローマ帝国では首脳
の間に大混乱が発生したため、将軍ウェスパシアヌスは
エルサレム攻略を目前にして、ローマへと引き返します。

 その後のAD70年3月に、

 ウェスパシアヌスの息子ティトゥスが率いるローマ軍
8万人は、ついに満を持して第一次ユダヤ戦争の決戦場
となるエルサレム攻囲戦を開始したのでした。

 先述のように、第一次ユダヤ戦争はロ-マ軍の勝利に
終わりますが、こうした状況下においても、ユダヤ教徒
のメシアを待望する思いは衰えませんでした。

  
ティトゥスの凱旋門に刻まれたローマ軍の勝利の様子。第二神殿から備品を運び出している図

 ティトゥスの凱旋門は、ローマのフォルム・ロマヌムに
ある古代ローマ時代の凱旋門で、AD82年、ローマ帝国の
第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝で兄でもある
ティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるために
建立されました。

 この凱旋門は16世紀以降に建てられることとなる凱旋門
のスタイルの手本とされ、有名なパリのエトワール凱旋門
などもその中のひとつです。   (Wikipedia )

 さて、

  時が経ち、AD130年に、ローマ皇帝ハドリアヌスは
エルサレムをローマ風の都市に造り替え始めます。

 エルサレムという名称を「アエリア・カピトリーナ」に
変え、エルサレム神殿の跡地にローマの神ジュピターを
祀る神殿を建設し、AD132年には割礼まで禁止します。 


           「バル・コクバの乱」 japaneseclass.jp

 その為、同年には、「バル・コクバの乱」と称される
第二次ユダヤ戦争(AD132-135年)が起こりますが、

バル・コクバの乱 - Bar Kokhba revolt - JapaneseClass.jp
        「バル・コクバの乱」 japaneseclass.jp

 この続きは、次回以降での話とします。

 ところで、

〝バル・コクバ〟とは「星の子」の意味じゃな!
 

 ま、まさか、お前さんの腹の中の子どもは、
 
 「スター・チルドレンじゃあるまいな!」
   
 
 「私の子ミスチル(Mr.Children)なのね!」
 
      そ、そっち なの?
 
   ・・・ って、おいおい、
  
 (星の子とスターチルドレンの違いかいな?)
 
 宇宙由来の魂の記憶を保持している子?
  
 いやいや、そもそもが、単純なるスターとミスターの間違いなのです!
           画像元: domani.shogakukan.co.jp
          なんでやねん!

   あーァ、ヨハネとイエスの本質を、

   
  バラしてやんの!        う~む  (^▽^;)(^^ゞ 

 
 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 
 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画


          スターチルドレン www.konohana-yuan.jp
 
             スターチルドレン note.com

      … to be continued !!

         symbol2 ダ・ヴィンチによる推理は続きます。

       
              なんだかなぁ

 

コメント一覧

aidman
イエスは当時のユダヤ人の最高権力者である大祭司から断罪され、ローマ帝国(総督ピラト)の裁決によって十字架で殺された人物です。
イエスを救世主(メシア)と認めないユダヤ人たちがイエスの弟子である大ヤコブの処刑に歓喜したのは、当時としては当たり前の反応だったでしょう。
小吉
突然何の話になったのだろうと思って読んでいましたが最後まで読み切れませんでした。

最初のところの大ヤコブが処刑されたことでユダヤ人が喜んだというところがさっぱり分かりません。

あれ? 大ヤコブってユダヤ人じゃなかったっけ? キリストの使徒なんだから人々から尊敬されていたんじゃなかったのかな?
とか、まあいろいろです。

そこから「分からない」が「分からない」を生み、結局何も分かりませんでした。
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