透明人間たちのひとりごと

歴史を演じた男たち Ⅲ

 大日本帝国海軍のエースパイロットのひとり武藤金義が
『空の宮本武蔵』と呼ばれるにようになったのは、
1945年(昭和20年)2月に本土に飛来したグラマンの編隊
12機に対し、オレンジ塗装の紫電改を駆って、単機で挑み
数機を撃墜したという出来事がキッカケです

 オレンジ色は目立つので敵に狙われやすいという弱点を
逆手にとって、あえて、その標的になることを利用して敵を
集団から1機ずつ誘い出して撃墜するという戦法が、武蔵
と吉岡一門十数人との“一乗寺下り松の決闘”
を思わせる戦いぶりであったことから、その時を契機として
『ムトキン』『空の宮本武蔵』通り名
知られるようになったというわけです


    【オレンジ塗装の紫電改】 出典 blog.goo.ne.jp

 

 仲間内での忘年会で“撃墜王世界一”は誰だ
という議論から『歴史を演じた男たち』
エントリーが生まれたのですが、シリーズ化の発端が何で
あれ、 right 要は、筆力不足というか、話があしたを通り越し
て、あさっての方向へと展開するかと思えば、垂直に上昇
するような飛翔(飛躍)から急に降下を始める文脈を制御
できずにムダに紙幅を費やす right つまりは、現に今こうして
やっているような無意味に文字数だけを増加させる作業も
含めて、拙筆を痛感するのですが、戦闘機乗りにとっては、
全方位的な目配りや周囲への注視・関心に同時進行する
「ながら行為」などの多動性必要不可欠
要素で、かの坂井三郎も「一瞬一瞬に違う動作や
行為をすれば、あたかも複数の作業を同時にこなしている
ようにみえる」というようなことを 『大空のサムライ』
のなかで(記憶違いでなければ)言っていたような …


 戦闘機乗りにとってのスキルは、縦横無尽な大空での
戦闘をいかに優位に展開させるかにありますが、

 それには、まず先んじて敵機を見つけることが肝要で、
特にエースパイロットたちは、そうした索敵力の優れた人
が多かったようです。

 当然のことに、

 単なる視力だけでなく、動体視力の優秀さも重要なことは
言うまでもありませんが、一瞬の判断力と機敏な回避行動
も不可欠で、そのためには先の坂井三郎のように多動的な
「ながら行為」の習得はどうしても欠かせない必須
訓練要件だったのでしょう

 変幻自在にして、臨機応変なる操縦能力を生まれながら
に具えているような天才的なパイロットも、いないわけでは
ありませんが、大方の飛行兵たちは厳しい訓練で腕を磨き
スキルアップしていったというわけですpeace 

 あくまでも個人的な見解ですが、その点に関していえば、
坂井三郎努力の人で『ムトキン(武藤金義)
さんは天才肌の人だったような印象を持ちますね。

 二人は、「金ちゃん」「さぶちゃん」と呼び合う仲であったと
いいますが、1945年4月15日に戦死した70機撃墜のエース
杉田庄一上飛曹の代わりとして隊長菅野直大尉の護衛役
を期待され、目の負傷等で視力の衰えた坂井三郎との
交換トレード(源田実司令の希望指名)で、同年6月末
に第343航空隊 戦闘301飛行隊(新撰組)に異動したことが
後に二人の明暗を大きく分かつことになるのですが …

 ところで

 狭い操縦席の限られたスペース内で計器類に目をやり、
敵機を追いかけながらレバーやボタンやスイッチ類を自在
に操作するには、小柄な体格の方が絶対的に有利だった
に違いないと勝手に思い込んでいるのですが、

 つまり、

 “世界一の撃墜数(352機)”を誇るドイツ空軍の
エーリヒ・ハルトマン『ブビ(Bubi、坊や・ベビー)
と仲間内で呼ばれるほどに小さな身体をしていたと言うし、
『ムトキンさんもかなりのチビだったようで …

 日独のエースたちが揃って小柄だったことからド~ン
話を盛りに盛ってやろうと思って … ase2

 
 実は

 今回シリーズとなった『歴史を演じた男たち』
いうタイトルになる前は、

 『ブビ(ベイビー)とムトキン』という題名を想定
してしたわけで、その裏にはそんな思惑があったのです。

 もっともそれ以前からこの話は続いていたのですが …

        【参照ページ 一覧】

  symbol2 『撃墜王世界一の行方question2
  url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/393.html

 symbol2 『歴史を演じた男たちⅠ』
  url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/394.html

  symbol2 『歴史を演じた男たちⅡ』
  url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/395.html


  
 現代の空中戦は、一旦 相手をロックオンしたが最後、
熱感知式の自動追尾空対空ミサイルが相手を追い続けて
撃墜する“マシン&コンピュータシステム”
の闘いになっていますので、かなりゲーム感覚に近い
ものになっているような気がします。

 ガンサイト(照準器)も液晶パネル仕様でコンピュータ
と繋がったゲームの画面のようなデジタル表示でレーダー
機能や音声アナウンスもあるとなっては アナログ世代には
とてもじゃないけどついていけそうもない装備ですがnose8nose7

 しかし、

 第二次世界大戦の頃は、まだまだアナログ全盛時代で、
それだけに個人の技量が生死を大きく分けることになった
わけですが、照準器に敵機の姿を見つけることができたと
しても、右に左に … 上に下に … なにせ人間が戦闘機
を操縦しながら照準を合わせる技術は「神業」で、こちらの
方が数段に高度でムズい気がしないでもありません。

 これぞハイテクテクノロジーではなくテクニック)で
あると胸を張るのなら、むしろ、こちらの方だと2号には
思えるのですがねえ … nose7ase2 

 全長8mほどの戦闘機の機体を、視力2.0の人間で認識
できる距離は約8kmと言われますが、認識するといっても
ただの小さな点にしか見えません。

 互いに正面から直進すると仮定して、数kmの距離では
10秒以内に接近交差、あるいは衝突するくらいのスピード
での熾烈な空中バトルショー(ウォー)が演じられるわけで
シューティングゲームのように簡単にポイントが稼げて容易
にスコアUPするような世界の話ではないのですから

 さて

 『ムトキン』さんと坂井三郎との交換が二人の明暗を
分けることになった事件とは、1945年(昭和20年)7月24日、
武藤たちはわずか21機で10倍以上の米機動部隊艦載機
を迎撃するために出撃し、豊後水道上空で交戦状態となる
も彼は敵編隊に攻撃を加え、菅野隊長を襲う機体にも飛び
かかり撃墜します。

 激戦のなか、源田実司令の期待通りに獅子奮迅の活躍
を魅せた『ムトキン』さんでしたが、詳細は不明ながら
戦闘の最中に彼は未帰還(雲の上の人)となったのです。

 この日の戦闘で、343航空隊は、武藤金義、鷲淵孝隊長
など6名が未帰還となり、戦死の認定後に武藤は昇進して
中尉になりますが、その後の8月1日になって、菅野隊長も
戦闘で帰らぬ人となるのですase

 戦後、1978年(昭和53年)11月 愛媛県南宇和郡城辺町
(現・南宇和郡愛南町)久良湾の海底でその時(7月24日)
の戦闘の未帰還機と思われる紫電改が発見されます。

 引き上げられた機体には遺品などは残っておらず特定は
困難でしたが、301飛行隊の機体であると思われることなど
から武藤金義の機体である可能性も大きく、目撃情報から
搭乗員は被弾や機体のトラブルなど何らかの理由で戦場
から離脱し、巧みな操縦技術によって模範的な不時着水を
行い、機体とともに水没したものと推察されています。

 そして、この間の事情をモチーフにしてドラマ化したのが
昨年12月にNHKで放映されたドキュメンタリー・TVドラマ
『撃墜 3人のパイロット だったのです。

 米海軍元飛行兵、ロバート・アップルゲートのもとに一人
の歴史研究家が訪れ、久良湾で引き上げられた紫電改を
撃墜したのはあなただと告げる right 自分が落とした相手は
どんな男だったのか調べるうちに、アップルゲートは、初陣
『ムトキン』が中国のエースパイロット楽以琴を撃墜
し、同じく初陣の自分が『ムトキン』に撃墜されながら
も最後に放った執念の一撃が彼を戦線離脱(不時着水)に
追い込んでいたことを知ります。

 中国の英雄を初陣の日本の英雄が撃墜し、その英雄を
初陣である自分が撃ち落とすという不思議な廻り合わせに
奇妙な因縁を覚ったアップルゲートは、大空に散った二人
の人生を知るための旅に出る … という物語でした

 このドラマが忘年会での話題となって撃墜王談議
花が咲き、それが廻(めぐ)り廻(めぐ)って今日のブログの
エントリーにつながっているというわけです。

 戦闘機というものは、カタログデータよりも操縦者の腕で
その特性が左右されるというから二輪車(バイクやチャリ)
に似た乗り物なんだろうけど、大抵のパイロットは愛機の
性能に不満を持っているのが普通なのだそうですが、

 『ムトキン』さんにはそうした傾向がみられません。

 ドラマの中でも、自転車と飛行機は同じだと言いながら
妻となる喜代子を自転車の荷台に乗せ、立ったまま両手
を離して滑走し、一体化するシーンが象徴的に
描き出されていましたが、2号が思う個人的な意味での
“撃墜王”『ムトキン』さんではありません。

 symbol2 『歴史を演じた男たちⅠ』に記したように、

 個人的には、「ラバウルの魔王」の異名を持つ
西沢広義No.1に推したいのです。

 天才肌の『ムトキン』“撃墜王No.1”
指名しなかったのに特段の理由(わけ)などありませんが、
「ラバウルの魔王」の方にこそ推挙(考慮)すべき
理由(わけ)があるのです。

 先に、勝手な思い込みとして、小柄な方が戦闘機乗りに
とって有利だと書きましたが、西沢広義は長身でハンサム
(身長は180センチ以上)であったといいます。

 また、その死において、

 戦闘機ではなく輸送機内での移動中にグラマンF6Fに
撃墜されるという不運な出来事がなければ撃墜スコアを
さらに伸ばし、自称202機撃墜の岩本徹三凌駕
したであろうことが推測されるからです。

 決して美男子だからとか、最期が無念で残念でならない
などの判官びいき的な心情からではなく、あくまで、
条件による身体的なハンデや可能性を考慮しての判断で
あって、個人の公式記録が曖昧な日本や共同撃墜を加算
して記録する国があるなど各国間で統一された基準がない
以上、最後は各人の好みや判断に委ねるしか選出方法は
ないでしょうase2


 いずれにしても、彼らの尊い犠牲のうえに現代の日本が
あるのであって、そのことを努々忘れてはなりません。

 それはそうと …

 2号2号なりの歴史演じているのですが、
 アカデミー主演男優賞
 いつになったら頂けるのでしょうか

 永遠無理だってase

  それじゃ、消えるしかないのかなァ~

 透明人間なんだし・・・

 透明人間・・・ 透明人間・・・ 透明人間・・・ 透明人間・・・ 透明人間・・・

 … てか !!

コメント一覧

ヤマト・スピリット
前敵撃破は日本軍の常識です。 立ち向かわんで何とする。
当時、生きていたなら間違いなくそう思い戦ったと思いますが、
果たして、今ならどうだろう??
よく言えば大人の見識で、悪く言えばズルさを体得して立ち向かうか否かを判断するだろうと思うけど、愛する人たちを守るという純粋な気持ちにケチをつける権利は自分にはないと考える者です。
透明人間2号
機銃にしろ機関砲にしろ、銃弾には限りがあります。
フル充填でも数百発の単位だから数十秒も連射すればタマ切れです。
まあ、ほとんどが瞬間芸みたいなものだからタマ切れに近い状態で
ムトキンさんの方から戦闘を離脱したものと考えられます。
戦争中であり、本土に襲来した敵機に立ち向かうのは当然(心情的に理解できる行為)で、単機で挑んだことが問題ならば、すでに物量的な差はそれ以上の開きがあったし、発見即追撃の態勢がムトキンさんにしかとれなかったのかもしれません。

… ということで、ドイルさん、単純に「匹夫の勇」だと切り捨ててしまうのはどうなのでしょうか?

やぶにらみさん、後方からの援護射撃ありがとうございます。

演技賞については、前期高齢霊長類さんのおっしゃる意見はもっともですが、主役は各人それぞれが担っています。
江戸川ドイル
詳細が不明なので推測ですが、12機対1機の戦いで味方が何機か撃墜された段階でグラマンの部隊は逃げたわけですよね。
数の上で圧倒的に有利でも勝てない戦闘は避けるという能力が米軍にはあったということです。
もし逆に、米軍側にエース級のパイロットがいたら、武藤金義は逃げたでしょうか?
おそらく単機で挑んだからには相当の自信があったのでしょうが、撃墜されないまでも機体は激しく損傷し自身も深手を負ったに違いありません。
こういうのを「匹夫の勇」と言うのでは・・・
前期高齢霊長類
3次元空間でくるくるとアクロバチックなドッグファイトなどしたら血液が一方に片寄り、目は回るし、上下左右の平衡感覚は怪しくなるわで、ジェットコースターの比じゃあるまい。
そんな過酷なバトルを演じた戦闘機乗りは、全員が演技賞ものじゃい。
やぶにらみ
「台南海軍航空隊の中では西沢広義が一番うまかった」と坂井三郎が言ってたな。
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