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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 預言者

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 預言者(改)』です。

 (以下、本文)

 

 「それゆえ、主みずから、あなたがたに
 ひとつのしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、
 その子を『インマヌエル』と名づける」

    (イザヤ書7章14節)

 『受胎告知』の場面における聖母
マリアの身近にあるアイテムのひとつに、
読みかけの『聖書』がありますが、


 『聖告(受胎告知)』 ルーベンス(1609年)

 大抵の場合、それは、

 

 真ん中からやや後ろあたりのページが
開かれたかたちで描写されています。

 冒頭での一節 ・・・

 「それゆえ、主みずから、あなたがたに
 ひとつのしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、
 その子を『インマヌエル』と名づける」

    (イザヤ書7章14節)

 旧約聖書における『イザヤ書』
の記載が大体その辺りにあるからですが

 それは、

   

 「神はわれらと共におられる」
という意味を持つ『インマヌエル』
こそが他ならぬイエス・キリスト
誕生であると明示したいからなのです。


 聖書のなかで、ただ1度きりしか登場
しない「猫」ルーベンスは宗教画
のなかに1度だけ描きます。


  『受胎告知』 ルーベンス(1628年)

 それも、もうひとつの『受胎告知』
と題する絵画のなかに眠った姿で ・・・



 さて、

 『受胎告知』テーマである
この二つの作品の制作年には約20年
ほどの開きがあります。

 ウィーンの美術史美術館が所蔵する
『聖告(受胎告知)は 西暦1609年
に制作されたもので、地上に舞い降り
た大天使ガブリエルは跪拝するかたち
で聖母マリアと対面するという伝統的
なスタイルで描かれていますが、


 『聖告(受胎告知)』 ルーベンス(1609年)

 降臨する大天使ガブリエルが聖母の
背後にあって、驚いて振り返る彼女に
空中から受胎を告げるといった構図を
採用した1628年の作品には「猫」
マリアの足もとでうずくまっています。

  
  『受胎告知』 ルーベンス(1628年)

 この『受胎告知』はアントワープ
にあるルーベンスハイスの所蔵で、
ウィーンの作品を描いた翌年には制作
に着手していたとされています。

 ところが、

 ルーベンスは右半分を描いたまま、
20年近くも放置をした挙句の1628年から
1629年にかけて、スペインのマドリッドに
滞在中に左の半分を描き上げ、さらには
聖母マリアを修正して、絵を完成させたと
いうことですが、

 果たして、

 「猫」がいつの時点で描かれたのか
正確にはわからないと ・・・



 作家 多胡吉郎氏のサイト

 『美路歴程』MY ART ODYSSEY
http://www.arch-club.net/my-art-odyssey

 では語っています。

 「猫」の登場がオーソドックス・スタイル
ではないことは確かでしょうが、

 それでは、

 このときに読まれていた『聖書』
箇所はそれぞれどこのページでしょう

 『聖告(受胎告知)では中央やや
後ろのあたりですから『イザヤ書』
での件(くだん)のページが濃厚です。


 『聖告(受胎告知)』の聖書(左) 『受胎告知』の聖書(右)

 それから19年後に完成することになる
『受胎告知』では左の半分ほどが
影になっていて、判別しにくいのですが
「哀歌」続編における「猫」
登場シーンだと仮定すると、



 ダ・ヴィンチの『受胎告知』での
隠されたシグナルに対して、



 ルーベンスは、唯一、「猫」
現れる『聖書』でのページと「猫」
尻尾隠匿したシグナル
返答してみせたのでしょうか

 要するに、



 「猫」尻尾に見せかけた隠し絵

    

 としての「蛇」で応じたということです。




 symbol2 「猫科の一番小さな動物、
つまり猫は最高傑作である」


   (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 というダ・ヴィンチの言葉の持つ本当の
意味とは何なのでしょう

 彼が思う最高傑作「猫」である
とするならば、


 猫、ライオン、ドラゴンの素描部分

 何故、ダ・ヴィンチは最高傑作
あるはずの「猫」の姿をデッサン
の中にしか残さなかったのでしょうか

 このことは重要なポイントです


 『猫のいる聖母の素描』1478-1481年

 「猫」聖母子のスリーショットの
デッサンは6枚もあるのに絵画として
完成品がないのはなぜでしょう
 
 あるいは、そこには

 『聖書』との関連性を抜きには
語れない特殊な理由(わけ)でもある
のでしょうか

 「猫」「猫」として描くことに躊躇
せざるを得ないような特別な何かが・・・

 ダ・ヴィンチが描く、『受胎告知』
での『聖書』を見てみましょう。



 これまでは、まったくもって、気にも
止めていなかったのですが、

 『レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
 url https://blogs.yahoo.co.jp/sonosono159

 というブログサイトを運営されている
みのるさんという方からいただいた

 『ダ・ヴィンチの罠 変身譚』

 における2017年7月13日(19:52)付
のコメントに、



 「(聖書を)最後のページまでめくり
 あげるマリア(中略)受胎の告知と
 ともに、その子(イエス)の最後まで
 を告知しているんじゃないか」

 という趣旨の指摘がありました。

 聖母マリアは『イザヤ書』のなか
の例のページがどこにあるのか探して
いるものとばかり考えていた小生には、

       

 このコメントは大きな示唆とアイデア
(気づき)を与えてくれました。

 視点(解釈)はまったく異なりますが、
最後のページをめくろうとする動作に
ダ・ヴィンチの意図が読めたのです。

 『旧約聖書』の最後に置かれている
一書は『マラキ書』です。

 マラキという名の預言者が著した書
という位置づけで、預言書のなかでは
『ゼカリヤ書』の後として、旧約
の正典の最後に配置されていますが、

    

「マラキ」とはヘブライ語で「私の使者」
、「私の天使」という意味ですので、

 現在では、

 単純に神の使者を意味するだけで
あって、「マラキ」自体は特定の人名
ではなく、匿名の預言者によって、
この書が著されたとするのが通説に
なっています。  (Wikipediaより)

 そこで、

 

 『マラキ書』の内容を抜粋して
現代風にわかりやすくすると、

 「見よ、わたしはわが使者を遣わす。
 彼はわたしの前に道を備える。

 またあなた方が求めるところの主は、
 たちまちその宮に来る。

 見よ、あなた方の喜ぶ契約の使者
 が来ると、万軍の主が言われる」 

   (マラキ書3章1節)

 紀元前400年~440年頃に書かれた
とされる『マラキ書』の預言以降、
イスラエル(ユダヤ)の民には「神」
からの言葉が与えられないまま400年
という長い沈黙の期間が訪れます。

 「見よ、主の大いなる恐るべき日が
 来る前に、わたしは預言者エリヤを
 あなた方に遣わす」 

   (マラキ書4章5節)

 「彼は父の心をその子供に向けさせ、
 子供の心をその父に向けさせる。

 これはわたしが来て、のろいを持って
 この地を打ち滅ぼすことのないように
 するためである」
 
   (マラキ書4章6節)

 新約聖書の福音書ではイエスの前に
洗礼者ヨハネが登場しますが、

 要は、

 このときの「マラキ(神の使者)
洗礼者ヨハネであり、

  
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 洗礼者ヨハネこそが預言者エリヤの
再来であって、先駆者(先導者)と
して、その道を整え、あなた方の喜ぶ
契約のために「神」はそのひとり子
であるイエスを賜って十字架のうえで
罪を贖い、新たな契約を完了させる
というシナリオを確認しているのです。

 「神は、実に、そのひとり子をお与え
 になったほどに世を愛された。
 
 それは御子を信じる者がひとりとして
 滅びることなく、永遠のいのちを持つ
 ためである」

  (ヨハネによる福音書3章16節)

 このように記された新約聖書の内容
に少なからざる違和感を覚えていた
ダ・ヴィンチは後に、その手記に、

 「解剖して分かったことだが、
人間は死ぬように出来ている」


   (レオナルド・ダ・ヴィンチ) 

 と綴っていますが ・・・



 『受胎告知』において、聖書を
めくる聖母マリアの右手をダ・ヴィンチ
が意図的に長く描いたのは、



 アナモルフォーゼ(歪像画)と
しての技法だけでなく、

   

  アナモルフォーゼについては、

 『ダ・ヴィンチの罠 蓋然性』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/508.html
 『ダ・ヴィンチの罠 無頼漢』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/509.html



 などを参照してみてください。

 ダ・ヴィンチの『受胎告知』での
聖母マリアのポーズが、



 旧約聖書での「哀歌」の後続
小編6章21節(エレミヤの手紙)の中の
「猫」が登場するページを押さえつつ



 聖書の最後にある『マラキ書』
の預言にあるとしての「先駆者」
(預言者のエリヤ)を探している仕草だと
仮定すると、



 大天使ガブリエルが示す右手のサイン
に応じるマリアの左手の仕草(手ぶり)に
も新たな解釈が生まれることになります。

 

  ジャン・ケン・ポンで、



 チョキに対してパーを出したということ
ではありませんよ

     
 (しょうもな、言わずもがなやで)

 キリスト教美術で手の表情が重要視
されるのは「手は口ほどにものを言う」
からで、手の動きだけで会話や意思の
疎通が可能なのです。

 この場合に、

 一般的には、ガブリエルのチョキは
「祝福」を意味し、マリアのパーは
「驚き」をあらわすとされます。

 まあ、チョキはピースサインpeacepeace
だから分からないでもないけど、

 手のひらをガブリエルに向ける落ち
着き払ったマリアの顔に驚きの表情は
微塵も見られません。



 むしろ、「ちょっと待って !!

     

 「それ以上近づかないで」
と拒否する「接近禁止」のサイン

  

 あるいは、また、

 裁判の法廷で聖書に手を置いて
宣誓するときのポーズのようです。

 そうです。



 これは、「契印」ポーズです。

    

 『聖書』に唯一、登場する「猫」
偽預言者(偽メシア)のメタファです。

 聖母マリアとイエスという偶像の前に
「猫までやって来ます」という
隠喩でもあり、『マラキ書』における
「預言者」再来と ・・・

 

 「MALACHI RETURN TO ME」

 新約聖書真実を問うもので、

 ダ・ヴィンチの描く『受胎告知』



 契約(密約)を確認する宣誓
場面であって、

 すでに「ダ・ヴィンチの罠」
このときから始まっていたのです

 そのことを痛烈に物語るシグナルが



 長い右腕と丸印に見られる描写です。



 つまり、

  

 ダ・ヴィンチ(ここでは大天使ガブリエル)
告知(暴露)に対して、冷静に密約
いをたてるマリアの姿はシニカルで
辛辣なアレゴリー(寓意)の塊です。

 その演出トリックを見抜いていた
のが他ならぬルーベンスであって、

 
 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 彼は母に対する不貞をはたらいた父を
軽蔑しつつも どこかで父を愛し尊敬して
いるという自己撞着を抱えながらも ・・・

 おそらくは、プロテスタントとして
洗礼を受けたであろう彼の生い立ち
を振り返ってみたときに、


 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 敬虔なるカトリック信者としての対面を
保ちながらも、すっかりと「マリア教」
と化してしまったカトリック教会とは深層
において、すでに決別していたとの推測
が十分に成り立つわけです。

 この辺りの経緯がわかりにくい方は、

 『ダ・ヴィンチの罠 舞台裏』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/537.html

 を参照してみてください。

 ルーベンスの『受胎告知』における


     『受胎告知』 ルーベンス

 大天使ガブリエルの右手は、ダ・ヴィンチ
の作品によく見られる天を指し示す
ポーズでマリアの背後に舞い降ります。

  
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 この構図は、ダ・ヴィンチのサイン
「応答します」という意味でしょうか、

  
  『受胎告知』 ルーベンス(1628年)

 驚いて振り返るマリアの動きは、さらに
「返信」の意図を明確に伝えています。



 アレゴリーメタファのなかには
「マリア教」に対する痛切なる批判が
込められていますが、



 床を這う鋲状の留め具が、ガブリエル
とマリアに向かって続く、「猫」の足跡
のようにも見えますねase2

 関連記事として、

 『ダ・ヴィンチの罠 サイン』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/404.html 
 『ダ・ヴィンチの罠 謎の肢』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/405.html
 『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/406.html

 なども参考にしてください。



 スヤスヤと眠っている「猫」の姿にも
きっと意味があるのだと思われます。

 畢竟


  『受胎告知』 ロレンツォ・ロット

 ロレンツォ・ロットの『受胎告知』での


 『受胎告知』 ロレンツォ・ロット(部分)

 「やだー」 と逃げるマリアが読んで
いたと思われる聖書のページも ・・・

 冒頭における『イザヤ書』の一節
と考えれれますが、

   

 それを踏まえたうえで考察すると、

 「見よ、処女が身ごもって男の子を産み
 その名をインマヌエルと呼ぶであろう。

 これは、『神はわれらとともにおられる』
 という意味である」

  (マタイによる福音書1章23節)

 「乙女(おとめ)」を「処女(おとめ)」とし、
その子の名が「インマヌエル」と呼ばれる
「イエス」であるとする新約聖書の付会に


      (ゲロゲロ ・・・)

 ロットの描く「猫」も怪訝そうですが、

 「疑わしきは徴税人の利益じゃ」

 「それ、マタイの弁護なの」

  

 「偽預言者の言葉じゃよ !!



  ジャン・ケン・ポン !!



 「ガブリエルの勝ちニャ~」



 『ダ・ヴィンチの罠 猫物語』
 『ダ・ヴィンチの罠 メス猫』

 「よろしくなのニャー」



 結局、ジャンケンだったのね

 ・・・ って、

       
      (んなわけないやろ)



 真の勝負は、

 「これから脱皮(だっぴ) !!  


     By 預言者一同

 … to be continue !!


 『聖告(受胎告知)』聖書部分 『受胎告知』聖書部分

コメント一覧

国士無双
真の勝負は「これから脱皮!!」By 預言者一同。

ここでの真の勝負とは、「善と悪」との最終戦争のことか?

果たして、脱皮した蛇はどっちの陣営なのか!?
ヨハネの方舟
デビュー作からして、キリスト教はマリア教であって、その実は「悪魔教」であると知らせてくれていたんだね!?
むらさき納言
気になるってことは、立体パズルのピースになるのかもって踏んでるんでしょ?

でも、「アテナイの学堂」の他は、ダ・ヴィンチが死んだ後の作品だよ。
江戸川ドイル
どうやら意図的に誘導されているような気がするが、それはそれとして、真の勝負は、「これから脱皮 !!」By 預言者一同、には特別な意味を感じる。

マリアの背後に舞い降りた大天使ガブリエルの右手は、例の天を指す人差し指のポーズだ。

ダ・ヴィンチの作品以外では、他に「アテナイの学堂」でのプラトンや「ソクラテスの死」の場面でのソクラテスも同じポーズをしている。

ダ・ヴィンチの罠との直接的な関係性は薄いと思うが、気になるのでコメントしておくことにするよ!
江戸川ドイル
そう思えば納得できるかも、って、だけで他意はないよ。 
そのぅ、預言的比喩のことだけど。

ただ、ここに来て、誰かが意図的に操作してる可能性は排除できないし、否定もしない。

その件とポヨヨンちゃんは無関係だと個人的には思うけど、アナグラムは兄貴のアイデアからがスタートだったし、スヌーピーの謎の言い出しっぺはポヨヨンちゃんだよ。

わんばんこさんとアウトリガさんは確かに怪しい、というか、確信犯だね。
おじゃま虫
でも、預言的な比喩だったとしたら、「スヌーピーの謎」や不思議と記事の内容とつながるアナグラムなどは、すべてが偶然のなせる業ということですか?

重要なメッセージを伝える場所として、このページを選んだ“わんばんこ”さんの目的は何ですか?

言葉を預けた人が拍手して、ここに誘導したのでしょうか?
わんばんこ
預言者ですか❕

だとすると、言葉を預けているのは誰でしょう❓
江戸川ドイル
そうか! なぜ、このページを最後にポヨヨンちゃんの姿が消えたのか?

むらさきさんのコメントで気づいたんですが、預言者だったってことですよね!

「かくれんぼ」も「鬼ごっこ」も「スヌーピーの謎」も全部が全部、預言的な比喩だったと思ってみれば、なんとなくだけど納得できるのかもね・・・
むらさき納言
きょうは「平成」最後の日、大晦日です。
霧雨模様の朝空に、時代の流れの名残りを感じます。

差し詰め、「なごり雨」でしょうか。

ドイルくんが想うように、ポヨヨンちゃん
にはワガママな一面もあったけど、憎めない存在でした。

そう、ポヨヨンちゃんもそうだけど、みのるさんの存在も大きかった。

いろいろと問題もあったけど、懐かしい気がするのは何故でしょう?

この記事の中に「レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋」という、みのるさんの運営するサイトが紹介されてますが、興味深いブログですので、ダ・ヴィンチ好きの方は是非どうぞ!

ところで、

このページのタイトル、「預言者」とは、それぞれにとって、因縁浅からぬ人物たちを指しているようにも思えるのです。

真の勝負は、「これから脱皮!!」By 預言者一同って、そう言うことでしょ。
江戸川ドイル
このページを最後に、忽然と姿を消してしまったままの
ポヨヨンちゃん・・・

まあ、ここんとこ、ずっと盛り下がるだけの流れだった
から仕方ないか。

でも、一体、何だったんだろう? 不思議な人だったな。

みんな、振り回されっぱなしで、オタオタだったけど、
憎めないキャラで魅力的だった。

また、覗きに来ないかな? ポヨヨンちゃん!!
ポヨヨン
鬼ごっこが始まったと思ったら、晩ごはんの時間になって、みんなおうちに帰っちゃったみたい。

つまんないな!
ココナン
半分描いたままで、20年近くほったらかしにしていた『受胎告知』の絵が完成したら、なぜかマリアの足元で猫が眠っていた。

さて、この猫は何を意味しているのでしょうか?

って、ことですよね!?
酢昆布
猫を描くって、漢字そっくりだしね!

さすがのダヴィンチも最高傑作だからこそ描くに描けなかったとも言える。

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