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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 花言葉

 『岩窟の聖母』「罠」は、
ルーブル版とナショナル・ギャラリー版に続く
、第3のバージョンが登場することによって、


   ルーブル版とナショナル・ギャラリー版

 さらなる岩窟の迷宮へと、その昏迷の
度合いを深めることになったわけですが、



 それぞれのバージョンに描かれている
草花の違いが、その「罠」を明らか
にしてくれるのかもしれませんpeace

 そこで、まずは、手始めに

 「花言葉」について調べてみました。

 起源は17世紀のトルコだとか、由来
ギリシャ・ローマの神話にあるとか ・・・

 いろいろな説が飛び交っていますが、諸説
ぷんぷんでハッキリしたことは不明です。

 現在のような「花言葉」の慣行は19世紀
の西欧社会で盛んであったとされていますが、

 不明確な点も多く世界の多くの国々で草花
に象徴的な意味を付加する独自の文化風習
が発展してきました。

 日本に「花言葉」輸入されたのは
明治の初期とされていますが、今では日本の
歴史や慣習に見合った「花言葉」が形成
されていて独自の進化を遂げています。

 要するに、

 ダ・ヴィンチの時代には「花言葉」的な
共通の慣行は存在せずに、それぞれ独自の
解釈による草花への思いがあったとの推察
は可能ですが、やはり、そこにギリシャ神話
などの影響が大きく関与していたことは否定
できないことであったと考えます。

 従いまして、

 現代的な意味での「花言葉」の類は
ここでは完全無視することにします。

 さて



 第3の『岩窟の聖母』がダ・ヴィンチ
真筆であるとした場合に、聖母マリアの
頭上に光輪が描かれていることからも、



 ルーブル版とナショナル・ギャラリー版との



 あいだをつなぐ中間的バージョンであると



 するのが一般的ですが、当方ではそうした
考えには与(くみ)しませんnose7

 それでは

 描かれている草花に注目しながらその違い
をみていくことにしましょう。

 ルーブル版と第3バージョンで描かれている
植物は似ていますが、少しだけ違うようです。

 
 
  ルーブル版と個人蔵版(第3バージョン)

 合掌する幼児(イエス)の足もとにあるのは
どちらもアイリスとハナシノブのようですが、

    
    左がアイリスで、右がハナシノブ

 花の咲き方と本数に違いがみられます。



 アイリス(イリス)もハナシノブも旧約聖書の
伝説に関連しますが、アイリスについては

 『ダ・ヴィンチの罠 化け物』でも
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/478.html

 触れたように、ギリシャ神話の女神
「イリス」を念頭に、大洪水の後に
ノアに示した「約束の印」である
意識して採用したものと思われます。

 ハナシノブの英名は「ヤコブの梯子」
で、旧約聖書のなかでヤコブが夢に見たという
天使が上り下りにつかう天国から地上にいたる
梯子(はしご)です。

 いずれの草花も旧約聖書に所縁(ゆかり)の
ある植物で、大空に懸かる虹や天と地をつなぐ
梯子を意図したものだと考えると、



 やはり、合掌する左の幼児がイエスであって
右の幼児が洗礼者聖ヨハネであるとするのが
妥当なところでしょう


 次に、その右側の幼児の足先(左)にある花
と尻や足に敷かれている植物は、ルーブル版
ではイワカガミ、それとオオアマナでしょうかquestion2
 
    
      イワカガミとオオアマナ

 それとも第3バージョンと同じすみれの仲間で
ある植物の一種とオオアマナなのでしょうかquestion2


  スイートバイオレット(別名ニオイスミレ)question2

 仮に、

 スイートバイオレット(ニオイスミレ)だとする
とヒヤシンスやユリと並んで「死の象徴」
としてギリシャやローマの神話に頻繁に登場
する花ということになります

 尤(もっと)も、キリスト教の世界においては
「受肉した神の子の謙遜を表す」
ものらしいのですが ・・・

 つまり、

 ルネサンスを代弁するダ・ヴィンチの本意は
前者にあって、聖母マリアを象徴する代表的
な植物であるマドンナリリー(白いユリ)
にギリシャ神話の「死の象徴」を重ねて
いるわけです。

 ここにきて、漸(ようや)くのことに、

     

 『受胎告知』での聖母マリアを見つめる

   

 白百合を手にした大天使ガブリエルの射抜く



 ような視線の意味が分かろうというものです。

    

 同時にそれは、まず先に第3バージョンが、
描かれ、その意図を隠匿したままに祭壇画と
して飾られるのがベストであるとして、奇怪さ
の目立つ第3バージョンの大天使ウリエルの
妖しさを抑えて草花の種類や造形を微調整
したうえで用意したのがルーブル版であると
いうことの証でもあるのです。

 さらにその隣で足や尻の下に敷かれている
のはオオアマナで、これもユリ科の植物です。

 しかも、

   

 別名では「ベツレヘムの星」
(スター・オブ・ベツレヘム)、あるいは、また
「イスラエルの星」と呼ばれている
草花ですから大変です。

 

 今度は『東方三博士の礼拝』にも
関連してくるわけですが、

 

 そんなキリスト(メシア)の誕生を知らせる
大事な(オオアマナ)をケツの下にどんと
敷いちゃっちゃ、そりゃあ、拙(まず)いでしょ

 聖母マリアもイエス・キリストもメシアも否定
する不敬どころの始末では済まない暴挙です。

 だからこそ、

      

 ナショナル・ギャラリー版では、オオアマナを
すべて消し去ってしまったのでしょう

 

 まあ、そうだったとしても、

 ダ・ヴィンチとしてはもうひとつの別名である
「鳩の糞」だと言い張っても別段、問題は
なかったのかもしれませんが、には
入れたのでしょうね

 次いで、

 左の幼児の膝の上に位置する植物ですが、

    
      この植物は何でしょうquestion2

 ガーベラのようにも、ツクバネソウにも見える
不思議な植物です。

 しかし、

 ガーベラの歴史は浅く、精々100年そこそこ
ですからツクバネソウの仲間かもしれません。



 だとしたらギリシャ神話が想い起こされます。

 衝羽根草(ツクバネソウ)はギリシャ神話の
英雄で、トロイア戦争のキッカケをつくった
パリス(Paris)の名前に由来します。

    
  『パリスの審判』フィリップ・パロット画

 あの「パリスの審判」のパリスです。

 そう考えると、

    

 これまた意味深で「トロイの木馬」
悲劇連想されます。

  

 あるいは、そこにはそういう「罠」(作戦)
が仕組まれていたのかもしれませんが ・・・


 続いては最終的に教会に納品され、祭壇を
飾ることになったナショナル・ギャラリー版に
描かれた草花ですが、

 
 
   ルーブル版とナショナル・ギャラリー版

 十字の杖を携え、薄毛皮の衣を着せられた
左の幼児の足もとで咲く植物はアイリスから
スイセンへと変更されています。

    
     スイセンとバラのつぼみquestion2

 杖の石突(いしづき)あたりには、つぼみと
バラの花のような植物が描かれ、その右手
(聖母マリアの真下)には、一輪のアネモネ
らしき花がぽつんと置かれていますね。

    
      アネモネのような一輪の花

 群生していたオオアマナ(ベツレヘムの星)は
完璧に消し取られているようです

 要するに、

 イエスが洗礼者ヨハネにすり替わっていること
をアイリスがスイセンに変わったことで表現して
いるわけですが、Narcissus というスイセン
の学名はギリシャ神話に登場するナルキッソス
に由来します。

 そうです

 「ナルキスト」の語源になった美少年の
ことですが、「自惚れるなよ!!とでも
ダ・ヴィンチは言いたかったのでしょうか

 水辺であたかも自分の姿をのぞき込むように
して咲く花がスイセンですから、ルーブル版での
泉ではなく、水のないナショナル・ギャラリー版
での岩肌に咲くスイセンには違和感を覚えます。



 もちろん、そこにダ・ヴィンチの明確な意図を
感じるわけで、岩窟(胎内)でのイエスの洗礼
をイメージしたルーブル版がダメならば、



 光輪やアトリビュートやイエスと洗礼者ヨハネ
の交換までは譲歩するけど「マリア教」
変貌する教会は「水の枯れた泉」
と同じで欺瞞だらけのニセモノであるとの
皮肉が込められているようです。



 第3バージョンでの「死の象徴」だった
スイートバイオレット(ニオイスミレ)は、

     

 ルーブル版では無難なイワカガミとなり、

    

 ナショナル・ギャラリー版ではバラの蕾や花と

    

 なって一輪のアネモネへと変身するのです。

 聖母と結びつく植物は数多くあって、代表的
な花がユリですが、バラの園に座る聖母マリア
の絵画もポピュラーです。

 しかし、

 当時のユリやバラが、現代のそれと同じとは
言えず、旧約聖書の「シャロンのバラ」
は、ドイツ語ではスイセンと訳されていますが、
最新の研究ではヒヤシンスのようでもあります
し、「谷間のユリ」こそがスイセンである
という説もあります。

 アネモネは、ギリシャ語のアネモ(風)または、
風の娘が語源で、イギリスではウインドフラワー
(風の花)やリリー・オブ・フィールド(野の百合)
とも呼ばれ、聖書に出てくる「野のユリ」
とはどうやらアネモネのことらしいのです。

 その一節(マタイによる福音書6:28-29)には、

  「ソロモンの栄華も
   一輪のユリに如かず」


 とあり、これは人間の作ったものは「神」
創造物(自然)には及ばないということ
比喩で、この「一輪のユリ」こそが
アネモネであるとすれば ・・・

 しかも

 それが、聖母マリアの真下にあるとなれば、

 これはもう、

 「いわずもがな」の話でしょう。

 いずれにせよ、ユリでもバラでもスイセンでも
聖母マリアに纏(まつ)わる植物なのですから、
言い逃れはいくらでも可能なわけです


 まあ、こんなところが、ダ・ヴィンチの描いた
無手勝流「花言葉」ですが、

 『最後の晩餐』の最終的な「罠」
むかって、デビュー作である『受胎告知』
から『東方三博士の礼拝』を経由し、
『岩窟の聖母』へと脈々とそのDNA
が受け継がれていたというわけです。

 つまり、

 すべてが初めから計画されて実行された
「罠」であったということを次回以降では
順を追って説明したいと考えていますが、

 それには新しい画像作りが必要ですので
更新に少々時間がかかるかもしれません。

 なんじゃ、なんじゃ !!

        

 エクスキューズに言い訳か

     

  いくら拝んでもムダだぜ

  

 それなら、

  「わしは『ふんが~』じゃな」

  

  「鼻を鳴らしただけの
     『鼻言葉』なんちゃって」



 まったくオチにも言い訳にもなってませんが ・・・

 … to be continue !!


  

 「十分に終わりのことを考えよ」
         
  

 「まず最初に終わりを考慮せよ」

  

 「自分の芸術を真に理解できる
     のは数学者だけである」


      (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

コメント一覧

小吉
常々不思議に思ってたことですが、なんで花はあんなに多種多様でそしてまた綺麗なのか。
ただ受粉をさせるためだけであればあんなに多種多様である必要はないんですね。
ある意味「神の意図」あるいは「神の趣味」みたいなものを感じられます。
花と虫システムなんかも面白い。
小吉
細かい罠ですね!
 (´ε`;)ウーン… 見つけるのも一苦労。
やぶにらみ
なるほど、明快ですな。
恐れ入り谷の鬼子母神的な聖母マリアですか!
むらさき納言
アネモネの花言葉には、「見捨てられた」「見放された」
という意味もあるそうですよ。

なんだか、嵌まり過ぎていて怖い気がします。
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