ロス五輪の女子レスリング3階級“金メダル”独占
(18日)に気を大きくさせて、「全階級金メダルだあ」
と意気込んだまではよかったのですが ・・・
前日の“金メダル”独占という結果が皮肉
にも日本選手団のキャプテンであるという彼女
の責任感に必要以上の重圧をかけてしまい、
まるで運命の糸に絡めとられるように「罠」
としての落とし穴に嵌ってしまったのです
霊長類最強女子も
いつかは負ける
背負うものがあまりにも多すぎて半端のない重責
とプレッシャーのなかでも、なんとなく勝てるだろうと
いう思い込みが決勝のマットにあがった吉田沙保里
に仕掛けられていた“落し穴”だったのです。
要は、相手が悪かったのです。
過去、2戦2勝(フォール勝ち)をしている想定外
の選手が決勝まで勝ち進んできた相手でした。
本人も“落とし穴”だったと認めているように
楽勝できるという心のスキに加え、ポイントを
リードされてもその気にさえなれば、いつでも勝てる
という油断があったことも事実でしょうが、
「罠」とは往々にして、そういう時(タイミング)
と場所(オリンピックの決勝という大事な舞台)に
仕掛けられるものなのです。
それが目に見えないオリンピックの魔物
と呼ばれるものなのかもしれません
一方では、
勝利の女神が米国のヘレン・マルーリス選手
には微笑んだわけで、
タイムアウトと同時に、二人の選手はマットの上で
泣き崩れていましたが、
「魔物」と「女神」は気まぐれである以上に
表裏一体なのです。
悲しい時にも、悔しい時にも、そして嬉しい時にも
溢れ出す涙のように ・・・
ところで、
「罠」に嵌まったという点に関してのみ言えば、
霊長類最強女子としての吉田沙保里選手
と「聖母無原罪の御宿り信心会」は
同類(心のスキや油断につけ込まれたわけ)で、
その差は故意か偶然かの違いでしかありません。
細かく仕様を定めたうえでの契約でもあり、
まさか一介の画家風情が教会に盾突くはずもない
という常識的な判断が「信心会」側の油断
を誘っていたのでしょう。
唐突な展開でゴメンなさい 🙇
ここからは、2枚ある
『岩窟の聖母』の謎解きになります。
まずは、この祭壇画の委嘱先としてダ・ヴィンチが
指名された経緯(いきさつ)についてですが、
「信心会」(聖母の無原罪による懐胎を信奉
するフランチェスコ会)としては対立するドメニコ会
(原罪受胎を主張する会派)系の権力者である
ロドヴィコ・スフォルツァがダ・ヴィンチのパトロンで
あることを十分に承知したうえで、敢えて祭壇画の
依頼先として彼を指定したのではないでしょうか。
だからこそ、登場人物や構図、彩色、材料に至る
までの詳細なる指示を授けたわけで、指示通りに
描けば、結果としてドメニコ会側が屈服したかたち
となって、彼らフランチェスコ会側の溜飲は大いに
降ったことでしょうし、仮にそうでなかった場合には
クレームをつけての描き直しや口コミや裁判などを
通じて、ドメニコ会側を不利に追い込めると踏んで
いたものと思われるのですが ・・・
まさに、
シェークスピアで有名な『ベニスの商人』
でのシャイロックのような企(たくら)みと過信が
「信心会」の側にあったような気さえします。
この辺りの考察については、
『ダ・ヴィンチの罠 想定外』または
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/471.html
『ダ・ヴィンチの罠 反作用』および
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/470.html
『ダ・ヴィンチの罠 挑戦状』などを
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/469.html
参考にしてみてください。
ところが、
仕上がった祭壇画は指定した条件をまったく無視
する暴挙ともつかない代物で、予想を遥かに超えた
内容に戸惑いを覚えたのは教会側の方でした。
というのも、当時のミラノでは原罪派と無原罪派の
教義対立に沸き返り、互いに一般の信者である
より多くの大衆を自らの陣営に引き込もうと、現代の
選挙戦さながらの街宣活動と異端呼ばわり
を主体とするネガティブ・キャンペーンを
展開するという過熱ぶりで ・・・
そうした状況下での予想外の内容に一計を案じた
教会は、逆に「罠」の存在を訝(いぶか)って
クレームとしての権利主張には無頓着
を装い、祭壇画の受け取りの拒否と残りの代金
(報酬)の支払いを拒んだだけで、違約金の
請求や着手金の回収には一切、触れずに
「お茶を濁す」かたちでの様子見を
決め込んだのではないでしょうか
背後でミラノ公(ロドヴィコ・スフォルツァ)が操って
いたのかどうかは定かではありませんが、
何を思ったのか、契約違反を犯した側である
ダ・ヴィンチの方から依頼主である教会に対し報酬
を求めて提訴をしたという顛末です。
この想定外の事態は、長らく尾を引くことと
なり、泥仕合とも受け取れる消耗戦は結局
のところ、外見・外聞からは両者ともに痛み分けの
ようなかたちで、件(くだん)の教会の祭壇画として
飾られるという最終決着をみるのですが ・・・
具体的に言えば、受け取りを拒否された祭壇画は
それから16年の間、ダ・ヴィンチの工房(アトリエ)で
ひっそりと眠りつづけ、1499年の末に フランス軍の
手によってミラノが陥落してからも紆余曲折の末に
1508年8月18日になって、漸(ようや)くのことにして
「信心会」に引き渡されることになったのです。
その絵が現在、
ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されている
『岩窟の聖母』なのですが ・・・
つまり、
この間の1506-1508年にナショナル・ギャラリー版
が制作され納品されたとする根拠がそこにあるわけ
ですが、ここではその説は採用せずに、
『ダ・ヴィンチの罠 想定外』の中で
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/471.html
記したように、1483年の受注時点から同時並行的
に制作されていたものと考えています。
ダ・ヴィンチにとっての本命であるルーブル版は、
彼の意向によって密かに別人に売却され、公式には
1625年にフランス王室のコレクションとして記録
されているわけですが、
結論から言えば、これは痛み分けでも何でもなく、
完全なるダ・ヴィンチの勝利だと思うのです。
なんとなれば、
教会の礼拝堂に飾られたナショナル・ギャラリー版
にしても、当初の指定とは登場人物・構図・彩色など
も、あきらかに異なっているわけで、彼らが期待した
ような聖母の無原罪による受胎を印象付ける
描写などは微塵のかけらもありません。
それでは、何故(なにゆえ)に
教会側ではナショナル・ギャラリー版を受け入れて、
聖堂の祭壇画として飾ることになったのでしょうか
そこにはダ・ヴィンチの巧妙なるコマセ(撒き餌)
としてのルーブル版の存在があるわけですが …
要は、
端からナショナル・ギャラリー版を飾らせる目的で
制作されたルーブル版は、ダヴィンチの思いの丈を
ぶつける内容であり、そこには彼の意思と主張
が如実にして明確に示されているのです。
つまり、
「物質」の実在と「神」の不在、そして
人類誕生の真実と未来への警告です。
もちろん、
そんなことは当時の誰ひとりとして、そして、現代の
我々の大多数の人々にとっては歯牙にもかけない
ヨタ話であって、気づくことのない実相ですが ・・・
それらの真相については次回以降ということにして
きょうはこの辺で ・・・
チャオ、アデウス !!
ダ・ヴィンチとリオデジャネイロ・オリンピック(五輪)
に絡めて、イタリア語とポルトガル語での挨拶です。
「わしゃあ、五輪ロスで
五輪終(ご臨終)じゃあ」
「オリンピック(五輪)も終わり、強者
(つわもの)どもの爪のあとじゃのぅ」
それをいうなら、
「夢のあとですよ」
それに、
「兵(つわもの)でもないし」
「へえ(兵)~」
そうなのかぁ
それでは、お後(あと)がよろしいようで …
この2人、泥仕合にならなくてよかったね
… to be continue !!
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