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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 真の姿

 「ダ・ヴィンチの罠」と、およそ
関係のない『砂漠化』『緑の壁』 
における記事の内容部分を要約すると、


          「サヘル地域」 globalnewsview.org

 20世紀後半にアフリカのサヘル地域の諸国は、
しばしば旱魃に襲われて国土が激しく疲弊して
しまいます。

 さらに、乾燥地帯の拡大に伴い、砂漠が南部
に広がる可能性が生まれてきました。

 そこで、

 2007年、アフリカ連合(AU)の主導により、
アフリカ西岸のセネガルから東へモーリタニア
、ブルキナファソ、マリ共和国、ナイジェリア
、ニジェール、チャド、スーダン、エチオピア
、エリトリア、ジブチの沿岸までの約8000kmを
樹林帯でつなぐグレート・グリーン・ウォール
プロジェクトが開始され、11か国に及ぶ大規模
な植林活動が始まります。


     「巨大な緑の壁」事業 www.yomiuri.co.jp

 2017年までの10年間の活動で、巨大な緑の壁
計画のうちの約15%の植林が進み、サヘル地域
の約400万ヘクタールの土地が回復しましたが、
 その一方で住民による土地の管理能力が低い
故に、新しく植林された80%の木が数ヶ月未満
のうちに枯れてしまうなどの報告もあり、一進
一退を繰り返しながらも辛うじて前進している
というのが現時点における実情でしょうか?

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
の記事から、適宜に抜粋引用しました。

 ところで、

 一進一退を繰り返していたのは「緑の壁」の
プロジェクトだけではありませんでした。

 ユダとイエス、そしてパウロとペテロによる
「イエス・キリスト計画」におけるシナリオも
似たり寄ったりの経過を辿ることになります。 

 たとえば、それは、


ユダとイエス William Hole画 ceramicarte.majo.moo.jp

 こういうことだったのかもしれません。 

 「過ぎ越し祭り」が始まる3日前までの
1週の間に、イエスとイスカリオテのユダが
極秘裏に話し合いをもっていたとする内容の
古文書が発見されています。


        『ユダの福音書』 natgeo.nikkeibp.co.jp

 偽書・偽典とされる『ユダの福音書』なる
古史古伝(古代史の主要な資料とは、著しく
異なる内容を伝える文献)です。

    ユダの福音書 - ユダの福音書の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

 ユダの福音書(写本の最初のページ)

 ★ その『ユダの福音書』によれば、

 イエスの教えを真に理解しているのは、
ユダだけであり、イエスはユダをほかの 
使徒よりも一段上の存在として、彼らを
導いて行くのはユダの仕事だと語ります。 

 要するに、

 最もイエスから信頼されていた弟子が
ユダであり、実際上のNo.2だったユダ
に対して、イエスは、さらに、

 「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲
とすることで、すべての弟子たちを超える
存在になるだろう」と話し、イエスを包む
物質としての肉体をイエスから取り除き、
内なる真の自己、つまり「神」の本質
を解放するように諭したのでした。

 つまり、これが、

キリストの受難 神様の領域
      画像元:godarea.net  

 〝裏切り〟とされる行為における真実
の一片であり、決してイエスをサンヘドリン
(ユダヤ教最高法院)に売り渡したのでは
なく、素直にイエスの言葉に従った結果が、
捕縛されて、たらい回しの裁判沙汰の末に
ゴルゴダの丘へ続く 「ヴィア・ドロローサ」
(悲しみの道)を辿り、贖いの十字架刑に
果てるという一連の磔刑事件の顛末です。

 そのすべては、


      出典:blog.goo.ne.jp     

     
      「完了した !!

 イエス自身の、否、パウロが描いた周到
なる奸計(シナリオ)に基づいての野外劇
(一大ページェント)であったとするのが
、ダ・ヴィンチが導き出した結論です。


     イエスの死(磔刑) www.jizai.org

 しかしながら、

 『ユダの福音書』の存在はともかくも、
その内容については、ダ・ヴィンチの知る
ところではなかったはずなのですが、


         磔刑(十字架刑)objapan.org

 こうした推理や帰結の基にあるのは彼が
幼少期に体験したと思われる啓示的な幻に
よる影響が大きいものと考えられます。

 
 洞窟内での幻視体験イメージ takashi1016.com

 さらに、『ユダの福音書』によれば、

 イエスは「神」に祈りを捧げる弟子たち
を見て笑います。

 ここでの「神」とは、天と地を創造した

アダムの創造 ミケランジェロ 西洋絵画美術館
   アダムの創造 ミケランジェロ画

 旧約聖書の「神」で、イエスは・・・


        レプタリアン 画像元:shanti-phuia.net

 その「真の姿を理解せよ」
弟子たちに強く迫りますが、


          ドラコニアン 画像元:seesaa.net

 弟子たちは目を向けようとしませんでした。

 そんな中で、ユダ、ひとりだけが、イエスの
前に立ち、彼のいた場所(地球外)に存在する
「神の国」を言い当てたのです。

 そこで、前述のように、イエスは、ユダに、

 
出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net

 「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、
 私から物質としての肉体を取り除くことに
 よって、内なる真の自己、つまり、『神』
 の本質を解放せよ」 

 さすれば、「すべての弟子たちを超越する
存在になるだろう」と誘惑し、イエスを包み
込む殻としての肉体をイエスから取り除き、
内なる真の自己、つまり「神」の本質を
解き放つよう諭したのです。

 すなわち、それは、

 イエス自身を官憲の手先に引き渡して処刑
(肉体の死をもって完結)させよ!!という
「裏切り行為」をユダに対して強要していた
 ということなのですが ・・・

 そして、

ユダのイエスを裏切る気持ち。太宰治の『駈込み訴え ...
    ユダの接吻 ポール・ギュスターヴ・ドレ

 このことによって、ユダが他のすべての
使徒や弟子たちからの憎悪と非難の対象と
なることも、もとよりイエスの言葉として
『ユダの福音書』に記述されています。

 さらに、このことが「罠」の伏線の
ひとつである窓の数と窓の外に映る景色
との関係性がイエスの出生に纏わる経緯
を介して、人類の創世の秘密を暴露して
いるわけで、


『ブノワの聖母』  『リッタの聖母』   『最後の晩餐』  『カーネーションの聖母』

 窓の数が1~4に増えていくのに従って、
外の景色が徐々に上空から地上に近づいて
いるように描かれた母子の意図を探れば、

 
『ブノワの聖母』 窓部分 smartomaizu.com 『リッタの聖母』 窓部分 smartomaizu.com


    『最後の晩餐』 窓の部分     『カーネーションの聖母』 窓の部分

 前述した幼少期における洞窟内での幻視
体験から導かれたもので、ダ・ヴィンチは
おそらく、未知の存在(たとえば、異星人)
によって、何らかの飛行物体に乗せられた
夢や幻を見せられたうえに、人類が異星人
の手によって創造されていたという事実を
垣間見せられたとの推理がはたらきます。


          染色体イメージ karapaia.com

 同時に、このことが、小生には、

     
    ヴォイニッチ手稿のページ ja.wikipedia.org

 謎の「ヴォイニッチ手稿」と関係して
いるように思えてならないのですが、それ
はそれで長大にして難しい解説になります
ので別の機会に案内したいと考えています。


         ヴォイニッチ手稿 部分 karapaia.com

 ところで、

 イエスの死後、初期のキリスト教内では
様々な教えを説く分派が乱立し、それぞれ
の教義の核となるべき『福音書』が個々に
存在していました。

 その中で、『新約聖書』に収められている
のは「正典」と認められた、マルコ、マタイ、
ルカ、ヨハネの4つの福音書のみで、これら
の福音書が「正典」として承認されたのは、
西暦150年~200年頃とされていますが、

 初期のキリスト教父であるエイレナイオス
(2世紀末のリヨンの司教)は、その著作物
『異端反駁』(西暦180年頃)のなかで、

   
    エイレナイオス Wikipedia

 『ユダの福音書』は、グノーシス主義の
「異端の書」であるとして、口を極めた攻撃
(批判)を加えています。

 要は、

 この「禁断の書」が、多くの信者たちに
読まれていて、少なからざる影響を与えて
いたことへの不満の裏返しなのでしょうが、

 正統をもって任じる一派は激しくこれに
反発し、何度も攻撃を繰り返し、最終的に
勝利を得たということなのかもしれません。

 それにしても、


     「私は渇く」 blog.goo.ne.jp

 西暦30年頃の事とされるゴルゴダの丘で
の野外劇は見事なるパフォーマンスでした。

   
   「私は渇く」 jcfa.exblog.jp

 イエスが十字架にかかった時点では
、彼こそがユダヤ教における異端者で
であり、改心なき汚れ役を演じていた
わけなのですが ・・・


      「完了した」 blog.goo.ne.jp

 つまり、イエスの時代に、

 正当のユダヤ教とされたサンヘドリン
(ユダヤ法の最高法院)や律法学者たち
から見て、「神の国」を説くイエスは
「異端」の際たる者であったわけです。


   サンヘドリン(長老会)biblestory.jugem.jp

 イエスは、ユダヤ教の世界の住人で
ユダヤ人たちを対象に宣教活動をして
いましたので、彼には異教徒伝道とか、
共同体を組織化して、独自の教会組織
(教団)を作り、その教えを世界的規模
にまで発展させ、それを未来の社会に
向けて、広範に伝道していくという発想
は持ち合わせていませんでした。

 あくまでも、ユダヤ教の改革者として、
サンヘドリンに対し、異端的であったと
というだけのことですが、

 パウロの巧妙(奸計)に嵌まり、
その最大の「汚れ役」=「裏切者」
をNO.2のユダに引き受けさせるという
大芝居を打ってしまったわけなのです。

 さて、

 そんなユダがガリラヤに向かう途中で
、エルサレム(神殿)に寄った可能性は
高く、偶然にも街中のどこかでパウロと
接触していたのかもしれません。

 ただし、もし仮に、

 二人に何らかの接点があったとしても
「イエス・キリスト計画」の密約に際し
ユダの関与はなかったというのが、

  

 レオナルド・ダ・ヴィンチの見解です。

 とは言え、

 洗礼者ヨハネの謀殺は、パウロの計画
をブレイク・ダウンしたシナリオであり
ヨハネの死は必要条件だったのです。

 しかしながら、この斬首刑にパウロは
直接的な関わりをもっていません。

 彼のシナリオでは、捕縛・投獄の後、
日を待たずしてヘロデ・アンティパス
の命令により処刑されることになって
いたので、手違い(刑の執行がなされ
ないまま)のパウロにとってはユダの
存在はまさに渡りに船だったのです。

 そして、

 ユダの介入にしても積極的な働きかけ
としての行動ではなく、あくまで誘導を
目的としたサジェスト的なプロパガンダ
であって、ヘロデ・アンティパスに対し
政治的な決断の後押しとなる工作をした
に過ぎないものであったと思われます。

 その手段や方法については、ここでは
明言できませんが、

    

 フェイクではないが、100%真実でも
ない噂を撒き散らして、洗礼者ヨハネを
捕らえさせたときのようなパウロ的手法
(ヘロデ・アンティパスに不都合となる
話を故意に流布させる方法)とは、別の
やり方だったのでしょう。 

 ダ・ヴィンチは密使となる人物に手紙
のような書き付けなどを託して、処刑後
の善後策を伝えたものと考えました。

 要するに、処刑後に危惧される民衆に
よる暴動を回避するための方策や方便、

 つまり、「そういうことなら已む無し」
と民衆が納得をせざるを得ない言い訳を
伝授することで後顧の憂いを失くさせた
ものと推理したわけです。

 他にもローマに対する独立とユダヤの
解放をヘロデの名のもとに行い、それを
イエスが、全面的にサポートするような
奇策・妙案がしたためられていたのかも
しれませんが ・・・

 さもあれ、

  
 『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年

 インフォメーションだけで具体的内容
には踏み込めずにいた洗礼者ヨハネの
斬首刑にかかわったとされる踊り子の
正体は、ヘロディアの娘(サロメ)では
なく 「サロメ」という名前の別の女性で
あったとする件に関しても、

 マグダラのマリアとともにイエスの
磔刑を見守り、安息日が明けた日の早朝
にイエスの墓を訪れた女性たちの一人に
イエスの弟子のサロメがいますが、

 彼女もまた、


  『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年

 その踊り子ではありませんでした。

 そもそも「サロメ」という名前の女性
など実際には存在すらしなかったのかも
しれないということなのです。

 果たして、ダ・ヴィンチの推理による

  
 『洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ』チェザーレ・ダ・セスト

 その密使がサロメであったのかどうか
も、また、その方便が福音書に記された
ヘロディアの娘(サロメ)のエピソード
とかかわりのあるものかどうかも、今と
なってはわかりません。

 畢竟するに、『福音書』には、

 

 単に、ヘロディアの娘とあるだけで
「サロメ」とは記されていません。

 ただ 古代イスラエルの著述家である
フラウィウス・ヨセフスが著すところの
『ユダヤ古代誌』に、「サロメ」という
名があり、父母の名前が福音書の記事と
符合することによって同一人物であると
見なされているだけのことで、

  

 この「サロメ」は、洗礼者ヨハネとの
関連性において、まったくもって無関係
なる存在なのです。

 それでは一体、洗礼者ヨハネの処刑に
ついて、ヨセフスは如何に記しているか
というと、

『ユダヤ古代誌』 第18巻5章2節

 ここに洗礼者ヨハネの処刑の記述が
ありますが、途中を一部省略して節の
初めと末尾を引用してみます。

 Wikipediaによれば、

  こうである!

 さて、

 ユダヤ人の中にはヘロデ(アンティパス)
の軍隊の壊滅は、洗礼者と呼ばれたヨハネ
に対して彼が行ったことへの神による罰で
あり、まったく義にかなった事だと考える者
たちがいた。というのも ヘロデは彼を殺害
したのである。 が、ヨハネは、正しい人で
あり、ユダヤ人たちに互いに義なるを行い、
また神への敬虔を尽くせと命じ、その証に
洗礼を受けるように言っていたのである。

 (中略) 

 さて、人々が群れをなしてヨハネの許に
押し寄せ、彼の言葉に大きな感銘を受けて
いた。ヘロデは、ヨハネの民衆への大きな
影響力が、彼の権力に及び叛乱へと繋がる
ことを恐れた。彼はヨハネがもたらすかも
しれない一切の悪影響を防止し、ひとりの
人間の命を惜しんだが故に、ことが起きて
から手遅れだったと後悔するような困難に
自らを陥らせぬためには、殺してしまうの
が最善だと考えた。

 そこで、ヘロデは、その猜疑心を払拭
すべく、囚人を、既に私が言及した城で
ある、マカイロスに送り、そこでヨハネ
を殺害した。 で、ユダヤ人の間に、彼の
軍隊の壊滅はヘロデへの罰であり、神が
彼を不快に感じていることの証だとの説
が生じたのである。

 ―『ユダヤ古代誌』第18巻5章2節 ―

 すなわち、


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 ヨセフスによれば、ヨハネの処刑は
あくまでヘロデ・アンティパスによる
政治的判断であり、ヘロディアや娘は
処刑にはかかわっていないことになる
わけです。

 また、ヨハネの処刑はマケラス要塞
で行なわれており、この点もマルコが
利用した伝承(福音書の記述内容)と
異なっています。

 なお、「サロメ」の名前はこのあと
の5章4節にヘロデ大王関連の人物関係
が記述されていて、そこにヘロディア
の娘であり、母の再婚によって伯叔父
にあたるヘロデ・アンティパスの継子
となったサロメの話が記されています。

 結局のところ、

 イエスを崇め奉る信奉者となって
いたユダの工作が功を奏した内容が、
『ユダヤ古代誌』のなかで語られて
いるとの推測のもとにダ・ヴィンチ
は次のように考えたのです。

 ヘロデにすれば、ひとつのしるし
さえ証しできない洗礼者ヨハネより
数々の奇蹟を見せることによって、


   イエスの奇跡(水の上を歩く)exblog.jp

 人々を熱狂させるイエスの方が余程
危険な存在であって、むしろ民衆を煽動
して暴動や叛乱などを起こすとすれば、


  イエスの奇跡(五千人に食べ物を与える)

 その影響力とリスクは、イエスの方が
ずっと大きいはずであるにもかかわらず、


      出典:www.bible-jp.org

 「ヘロデは以前からイエスに会いたい
と思っていたので大変に喜んだ」と、

 イエスの裁判時におけるヘロデの心境
を『福音書』等は伝えていますし、

 『ルカの福音書』では(イエス)に

 
   『ルカの福音書』 Wikipedia

 「会ってみたいと思っていた!!」
    (ルカの福音書 9:9)

 と綴られています。

 このように、ヘロデ・アンティパスが、
イエスに会いたがっていても、捕らえて
牢につなぐという選択をしなかったのは、


      出典:windychaple.com

 そのため(ローマに対し反旗を翻しても
その矛先は、ヘロデ王には向けないという
イエスの名を借りて書き送っていた手紙の
の存在)で、このことはユダの働きが顕著
であったことをあらわしていますが、

 結果的にパウロのシナリオを補強して
障害を復旧し、修復(ナイス・リカバリー)
してしまったことで、

 彼のシナリオに欠かせない「裏切り役」
(キーパーソン)として、格好のターゲット
にされてしまうのです。

 北部辺縁(辺境)の地であるガリラヤの
田舎者たちの集まりであったイエスの
弟子たちの中で、エルサレムにほど近い
カリオテ出身のユダは 都会的センスに
溢れ、博学で学識にも恵まれた特異なる
存在であったがゆえに、

 パウロにとって似た者同士のユダは
ライバルというよりも不俱戴天の仇となる
存在であり、将来のイエス共同体での
呉越同舟などは見込めないものと判断
したパウロが、早々にも仇敵となり得る
ライバルの芽を摘んだというのが、

 ダ・ヴィンチが見立てた真相であって、

 洗礼者ヨハネの処刑はあくまでも、
ヘロデ・アンティパスの政治的判断で
あり、ヘロディアやその娘は処刑には
一切かかわっていないというのが、彼
の導き出した結論だったのです。

 では、なぜ、

 ヘロディアの娘が宴席で舞を披露し、
その褒美にヨハネの首を所望したなど
という話がマルコとマタイの福音書に
記されているのでしょうか?

 もちろん、その裏には練りに練られた
パウロの深謀遠慮があったのですが、

  
     パウロの肖像

 それはまた、別の機会での話(解説)と
いたしましょう。


 「武器化(ウエポナイゼーション)」と
いう言葉は、化学物質や細菌などを含めた
軍事的用語(大量破壊兵器)としての表記
である「核武装」(weaponization)とは
英語での読みや綴りが同じですが、 

 次回では、 

 宗教を「武器化(ウエポナイゼーション)」
したのがキリスト教であったという観点から
の考察に挑戦してみようと思っています。

 宗教を「武器化」したのはキリスト教です。

見出し画像

 中世における十字軍の遠征や大航海時代に
見られた植民地化への先兵としての宣教師の
派遣などが典型で、イエズス会はその代表例
と言えるでしょう。

   

        
          なるほど!
 

     イエスの死(磔刑) www.jizai.or
    
        『ユダの福音書』 natgeo.nikkeibp.co.jp

最後の晩餐 キリストとユダ
          『最後の晩餐』部分 amazing-trip.


       踊らされ利用されただけのユダ❓ shutterstock.com

  ところで、

 この記事によると

 ユダパウロは都会人だそうな、

 そんだら、わしらは、やっぱし、
 「田舎もんだっぺか」

  これですから。

 「そんだらこつ、認めらんねえだ」

     「え !!」

 「きっ、君まで、そんな言葉を!」
  
  いやいや、主イエスのナザレ訛は、
  
「もっともっと、半端なくキツイぞい」

  ・・・ っておいおい!

     
        マジか !?

… to be continued !!

 

  「あーだ、こーだ」と 言ってみたところで、

 
     「闇の中」www.i9tmg.com

 すべては、闇の中での出来事だったのです。

コメント一覧

小吉
宗教っていったいなんなんだろう。

哲学っぽい。

そしてややこしい。ストレートじゃなく遠回りな表現が多いのも謎。
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