共通の敵(エイリアン)の出現がない限り、地球上
の人間の心がひとつになることはないのかもしれません。
エイリアンでなくとも、本来ならば悪魔が共通の敵に
なってもよさそうなのですが、決して、そうはなりません。
第2次世界大戦が終わって、70年、そして東西冷戦終結
から四半世紀以上が経過して、世界各地でナショナリズム
の台頭が目立つようになってきました
また、
過激派組織 IS 「イスラム国」(Islamic State)などの
無差別テロや世界中で頻発する紛争と戦争に世界が騒然
とするなかで、ひとり日本人だけが「誰もが仲良くなれる」
と能天気に短絡していたわけですが、ISによるシリアでの
後藤健二さん殺害事件を契機に、誰もがテロの対象として
狙われうるという現実に恐怖したのも束の間、相変わらず
「きれいな世界だけしか見ようとしない」
そうした日本人を、よく言えば、心の優しい“お花畑”の住人
だとして揶揄する一方で、『平和憲法』のもとに
軍隊を持たない国であることが矜持(きょうじ)であるかの
ような 誤解と錯覚のうえで平均的な日本人である我々
は毎日を平和のうちに暮らしているのが現実なのです
もちろん、そこには、
聖徳太子の時代からの「和を以って尊しと為す」
という基本的な考え方が骨の髄まで染み渡っていることの
証しでもあるのですが …
ちなみに、
『十七条の憲法』によれば、「以和為貴」です
ので、正しいというか、原文に忠実な読み下しの表記として
は「和を以って貴しと為す」でしょうか
これは、
外界からの宗教や哲学によるものではなく、生活基盤を
根こそぎ破壊されるような侵略や略奪といった外敵の襲来
をほとんど経験しないままに、何千年もの間、平和な環境
の下で暮らすことが可能だった島国ならではの稀有な気質
であり属性なので致し方ないといえば、それまでですが、
農耕が主体の社会では、近隣住民全員の協力が生産性
を上げるための絶対条件であって、出る杭は打たれるは、
能ある鷹は爪を隠さなきゃならないは … で、妙に賢くって
突出していたり、理屈や筋を通す人間は歓迎されなかった
わけなのです
とにかくも、
今年の収穫を確保するには、とりあえず皆なで協力して
多少の揉め事やゴタゴタがあったとしても、一応、仲直り
をして助け合ってことに当たれば最終的には良い結果を
生むということが経験的にも歴史的にも認知されていて、
「無事是名馬」にみるように何事もなく、普段と
何ら変わりのない「無事」であることこそが最も望ましい
ことだったわけで …
以来、この「無事」を良しとする日本人的な考え方は
“国是”のように我々を支配していたのですが、それが
、ペリー率いる黒船の到来で一変します。
「無事」を良しとして、
お互いに助け合って「敵」を作らない、言わば、互いを
エサとして争わない草食動物のような平和的な人々の
築く理想社会に、ひとたび「無事」を良しとしない乱入者
があらわれたら、どうなるでしょう
ヒツジの群れに飢えたオオカミたちが乱入したと
思えば、簡潔にして明瞭ですね
まあ、そんな感じだったのでしょう
「明治維新」の前夜の状況は …
異性間の争奪に関して、「肉食系」、「草食系」と
いうカテゴリーが巷に登場して久しいですが、
異性に貪欲で常に牙をギラつかせている肉食系と異性
や恋愛に淡白で磨ぐべき牙をもたない草食系 …
野生の世界では、そんな分類は何の役(腹の足し)にも
なりません
牙を抜かれたライオンが草食になるのかといえば、否、
という答えが返ってくるでしょうし、突然変異で俄かに牙が
生えた草食動物が突如として、肉食に変身するという
ことも考えにくい話だからです。
しかし、雑食系の動物が肉食になるのには、大した時間
がかかりませんし、ベジタリアンになることも極めて容易な
ことで、すべてはその個体の周囲の食環境次第なのです。
日本人が生粋の草食動物なのか、それとも環境の影響
で草食化していただけの雑食動物なのかはわかりません
が、多分、生来からの肉食動物ではなさそうです。
たしかに、
明治維新後の日本はオオカミやライオンの襲来から身を
守るために自ら牙をとぎ、周りの国々にかみついた時期
があったことは事実ですが …
ライオンやオオカミにとって、草食動物を餌食にする
ことは、生存するための第一義であって、家族や子供たち
の生活を守るべく続けられている由緒正しき行動です。
彼らにとって牙は命にも等しく、牙を抜かれたら
死ぬしかないのです。
目の前のヒツジを襲わないオオカミはオオカミじゃないし、
狩りをしないライオンもライオンではありませんが、満腹で
「ごちそうさま」のあとの彼らは平和主義者です
それも、頗(すこぶ)るほどの平和主義者なのです。
批判を懼れずに換言すれば、これがアングロサクソンに
代表される西欧的な民主主義の正体(本性)です。
現代世界は、
IS(イスラム国)の問題のように、西洋対東洋とするより
も、西洋と非西洋との価値観がせめぎ合い、しのぎを削る
あらたな暴力的な時代にあるといえます。
15世紀後半からの大航海時代を経て、群雄が割拠した
列強による大植民地時代、生き残りを賭けて戦った二度
にわたる世界大戦後の二大イデオロギーの対立となった
東西冷戦、それも漸く終結したかと思う間もなく世界各地
で勃興するナショナリズムのうねりと頻発するテロの嵐 …
こうした世界の矛盾を直視すれば、
西欧的民主主義を「善」とする流儀で世界を
均質化(ある意味でのグローバル化)しようとする試み
が、破綻 しつつあるプロセスに「今がある」と
考えるべきなのかもしれません。
仮に、
ナショナリズムをその国の「正義」や「義侠心」の
表れだと考えてみたらどうでしょうか
オオカミ国にしても、ヒツジ国でも、両者間における対等
な意味での平和共存が原理的にありえないことは
自明のことです。
自然の調和とは一定程度の割合でヒツジ国がオオカミ国
の牙の犠牲になることを前提に成り立っているわけです。
この場合の「犠牲」とは、現代的には資源であったり、
肉体労働であったり、経済的な意味での原資や搾取される
対象物で、「牙」に当たるのが、軍事力・経済力・技術力
といったパワーです。
どの国もヒツジやオオカミとしての両面性があるわけで、
要は、そのバランス次第です。
翻って、日本の現状を見れば、
安倍首相が、国会で自衛隊を「我が軍」と言った
言わないで、騒動になっていますが、それが自衛のため
であれ、防衛であれ、何であれ、牙は牙以外の何者
でもなく詭弁を弄するまでもなく 自衛隊は軍隊です。
同様に、先日就役した護衛艦「いずも」を、他国に脅威を
与える攻撃型空母ではなく、ヘリコプター搭載型の護衛艦
だとするのも詭弁であり、無理があるのも明白です。
ヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」
護衛艦「いずも」 と 護衛艦「ひゅうが」
就役中の“ひゅうが級”の護衛艦には、同型2番艦となる
護衛艦「いせ」も配備されています。
すでに配備されている護衛艦「いせ」の勇姿
にもかかわらず、
日本の軍隊を日本の首相が「我が軍」と呼ぶこと
に躊躇が必要とは、なんたる悲劇でしょう
これでは、“羊質虎皮”ならぬ“虎質羊皮”で、
クオリティーやキャパシティーの点から言えば完全なる
憲法(9条)違反です。
それこそ、「能ある鷹は爪を隠す」が如きの
戦略的詭弁ならともかく自分自身を欺く振舞いです。
自衛隊を解体し、災害派遣専門の組織体に改組するの
ならばともかく、ここは、あるべき姿にキチンと憲法を
正すべきでしょう
ことほどさように、
本来的に草食性平和志向の著しい日本人の牙
としての軍隊は身を守るための牙であって、断じて肉を
裂くためのものではありませんが、
未だに肉食嗜好だと思われているのか、あるいは、
そう思われることを政治的に利用しようとする近隣国から
格好の餌食にされているのが日本という草食性国家です。
草食性国家である以上、いつ何時(なんどき)に肉食獣
に襲われるかわかりません。
身を守るためには“張りぼて”でもなんでも見せて
威嚇するのが野生の世界の常套手段ですが、虚勢
ではなく、有効な防御力を有しているに越したことは
ありません
“お花畑の住人” よろしく、
「キレイな世界だけを見よう」 とすれば、
出来ないこともないですが、そこにある“野糞”を踏んで
しまってから後悔しても遅いのです
この「お花畑に野糞」なる表現をことわざである
「掃き溜めに鶴」の対義語にしたい、と目論んだ
『ドングリの背比べ』という記事がありますが …
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/123.html(参照)
日本の自衛隊は、すでにして「掃き溜めに鶴」
なる存在なのです。
つまり、
草食性にして実は、雑食的肉食系の「牙」を有している
ということです。
西欧的民主主義を「善」とする流儀で世界を
席巻しようとする、言わば、「アメリカ主義」的なもの
が限界にきていると前述しましたが、異なる民族や宗教
をもつ人々のアイデンティティーを理解し、イデオロギーも
含めてその違いを認める度量が必要なことは今も昔も
変わりません。
現代における西欧的民主主義が、ダ・ヴィンチの生きた
時代ではローマ・カトリック=キリスト教だったわけですが、
500年も前から、そのことを未来に問うべく教会組織や
聖職者たちの狭量(もっとはっきり言えば神の狭量)と
戦っていたのが、ダ・ヴィンチであり、彼の牙は、その絵画
に残した罠として、現代に受け継がれているのです。
一連の膨大な数に上る素描に比して数少ない完成品の
「謎」がそれを証明する材料となるわけですが、
ダ・ヴィンチの作品には、表立っての表現描写は稀薄
でも、人間性の絶対的根源に否応なく存在する暴力性や
破壊願望、激情的な破滅衝動を直視して、猶、否定しない
奥行きの広さや懐の深さをもっていて、善と悪を超越
するエネルギーが感知されるのです。
さて、次回は、
『ダ・ヴィンチの罠 善と悪』を予定しています。
『現代考』と題し、“箸休め”のつもりで時事関連
の話題を今回は挿入してみましたが、“箸休め”と
なったでしょうか
「迷い箸することもあるんだよな。
迷って迷って待ちくたびれて …」
「でも、まだ待っているらしいぜ」
「21世紀になったというのに」
「主の再臨とやらをよぉ 」
… to be continue !!
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