正しい歴史の勉強(把握と認識)とは何だろう。
結局は勝者によって脚色されたシナリオを教わっている
に過ぎないことはわかるのだけど、だからどうだと言っても
どうなるものでもない。
歴史に絡めて言えば「文化財」というやつも、そうした
意味からは相当に怪しいものになってくる。
ましてや「国宝」や国が指定する「重要文化財」
は、1950年制定の文化財保護法によって、国がその
価値を定め、国宝や重要文化財などのランク付けを行なう
制度ではあるけれど、そうしたトップダウン(権威的)
なものには食指が動くまえに懐疑心に満たされて
しまう天邪鬼な性格はいったいどうしたものだろう。
天邪鬼ということであれば一枚も二枚も上手なのが、
誰あろう、ダ・ヴィンチ、その人であって、自分以外の何事
にも絶対的な価値を置かずに相対的に判断するさまは
負けず嫌いを通り越して負け惜しみの強い唯我独尊的な
超自信家(危険人物)そのものであったわけですが、
そうしたダ・ヴィンチの作品も分散した国々で一様に
国宝級の待遇を受けているに相違ないのです。
さて、
先だっての七夕は空梅雨も手伝って、久々の晴れ間
となり、牛飼いと機織り娘の逢瀬も ・・・
と、絵空事ながら二人が天の川の両岸に引き裂かれて
1年に一度だけ逢うことが許されたという牽牛織女の
悲恋の物語に思いを馳せていたのですが、
人間の営みにおける1年はそれなりに長い時間ですが、
時として、それが極めて短いと感じることがあったとしても
、星の一生における1年と比べたらそれは比較にならない
ほどに短い時間(僅か3秒間)でしかないようで、
つまり、
恒星の平均的な寿命から換算するとそんなものらしいの
ですが、1年に一度だけ七夕の夜に逢うことが許された
牽牛(わし座のアルタイル ひこ星)と織女(こと座
のベガ 織り姫)にしても、人間の時間にすれば3秒に
一度は逢っている計算になるわけで、
そんなもの天の川に羽を広げるカササギ(懸け橋)で
あるはくちょう座のデネブ、いわゆる「夏の大三角」
になぞられるまでもなく、いつも一緒にいる以上の頻度
で逢瀬を繰り返しているわけです。
まあ、そう言ってしまえば身も蓋もないのですが・・・
そうした無粋でロマンの欠片もない現実的なダ・ヴィンチ
の思考回路を狂わせたのが、若き日に見た例の幻影
だったのです。
幻影については、
『ダ・ヴィンチの罠 非常識』および
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/466.html
『ダ・ヴィンチの罠 訪問者』または
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/457.html
『ダ・ヴィンチの罠 新天地』などを
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/458.html
参照してみてください。
それでは、
その幻影に現れたという半人半魚の姿をした
洗礼者聖ヨハネの謎に迫ろうと思いますが、
結論から言えば、
その正体はメソポタミア(シュメール)でオアンネス
と呼ばれ、ペルシャではアプカルル、アフリカ大陸に
あるマリ共和国のドゴン族の間ではノンモと呼称される
半人半魚の生き物のことかと思われます。
ペルシャの伝説の中に「カル魚」と呼ばれるものが
ありますが ・・・
正式には魚のアプカルル(Fish-Apkallu)とされる
もので、メソポタミアの伝説にある賢者オアンネス
と同一視され、半身は人間で頭から背中にかけて魚の
皮を纏(まと)ったような奇妙な姿をしています。
アプカルルはヘレニズム時代のバビロンの神官
ベロッソスが著した『バビロニア史』では
オアンネス(Oannes)として登場しますが、
オアンネスはペルシャ湾から上陸し、ごく短期間で
人々に文明を授けたとされています(Wikipediaより引用)
一般的に人魚と言えば、上半身が人間で下半身が
魚ですが、バビロニアの魚人オアンネスはちょっと
変わった姿で登場します。
背面はほぼ魚のようですが、前面というか、顔、胸、腹
の部分は人としての特徴が随所にあらわれていて、えら
の部分からは顔が、胸びれのあたりからは腕が、尾びれ
から下には足があって、人間が魚の皮のマントを被った
ような恰好をしています。
この奇妙キテレツな姿をどのように理解したら
合理的かと言えば、魚の皮(衣服)が宇宙服で
あると考えれば合点がいくはずです
つまり、オアンネスは異星人だということです。
オアンネスは、神話の時代にペルシャ湾より姿を
現したとされ、シュメールの人々とはまったく異なる言語
を母国語としていましたが、シュメール人の言葉を理解し、
人間の食べ物は食べることはできなかったものの、彼らは
昼は陸地にとどまって人間に文明を教え、夜になると海に
戻って行ったそうで、その智恵は文字、建築技術、法律、
灌漑事業、天文学、数学、美術、工芸など様々な分野に
および、たった7日間で、すべての文化を人間に授けたと
いうのです
実際に、
シュメール文明は、およそ5800年以上も昔に忽然と、
しかも、高度に成熟した文化レベルの状態
で、いきなり古代史の表舞台に登場して来たわけで ・・・
この異星人説を根拠に乏しいと切り捨ててしまう
のは、みすみすダイヤモンドの原石を投げ捨てるに等しい
行為(愚挙)かもしれないのです。
宇宙服(防御用)であるなら、どうして全身を覆わない
のか という疑問は当然のこととして残るでしょう。
そこで、
気になるのが、オアンネスたちが常に手に携えて
いるポシェット状の持ち物(装置)です。
詳しいことは分かりませんが、生命の維持に欠かせない
重要な携帯物であることは確かでしょうし、このことと半身
だけの宇宙服には何か関係があるのかもしれません。
重力や大気圧に大気の組成の問題や夜になると深海に
帰るということも密接に関連するのかもしれませんね。
それに加えて、
魚の皮を被ったアプカルル(オアンネス)と翼のある
人の姿をした別のアプカルルが描かれていることも
奇妙ですが、空を移動することがあったとすれば翼の
正体も自明の成り行きということになりそうです。
ところで、
そのオアンネスが洗礼者聖ヨハネとして、
ダ・ヴィンチの幻の中に現れたということはどういう
理由によるものでしょう。
ダ・ヴィンチの永遠にして究極のテーマである
「すべてはひとつ」から導き出せる結論として、
地球上のすべての文明は同じ起源から派生した
ということです。
少なくとも古代文明のいくつかは第三者である
何者かの介在なしには、その成り立ちが説明できません。
事実、世界中の遺跡やピラミッド、神話などに共通する
事柄や似ている事象があまりにも多いからです。
このことからも推察されるように地球のあちこち
で文明の夜明けを教授した第三者が存在
していたことは疑いようもなく、神話や遺跡としての
建造物(ピラミッド形態をした遺物)などの共通点
が多いことからも第三者は同じ種族か、あるいは
同じ団体や組織に属していたものと考えられます。
オアンネス(半人半魚)が、ダ・ヴィンチの脳裏
に洗礼者聖ヨハネとして現れたもうひとつの理由
(わけ)はエホバ(Jehovah)の、あるいは、ユダヤ
(Jews)のオアンネス(oannes) ・・・
つまり、
J + oannes = Joannes Johannes で
オアンネス ヨハネス
ヨハネへの
転訛(てんか)がその由来となっているからです。
こうして如何な天邪鬼のダ・ヴィンチをもってしても、
洗礼者聖ヨハネへの否定は徹し難く、自らの
最後の作品には洗礼者聖ヨハネをモデルに
究極の罠をその指先に忍ばせています。
『洗礼者聖ヨハネ』
若き日に見た幻がダ・ヴィンチの生涯に何らかの
影を落としたのか それとも栄光に彩られた虹の
懸け橋となったのかは神のみぞ知るところですが、
後の世の名声を知る限りにおいては、後者であった
というべきでしょう
少なくとも、七夕のカササギの懸け橋よりは
真実味や現実味がありそうですが ・・・
事務所の閉鎖に伴う残務処理や後片付けに忙殺されて
1か月近くも更新できずにいましたが、なんとか急ごしらえ
ながらもアップできそうな気配となりました。
天邪鬼にしては上出来の首尾だと思うけど、
それも他人(ひと)の評価次第 ・・・
結局のところ、
歴史の評価も「文化財」の価値判断も
そのとき(その時代)のものであるとすれば、権勢次第
では、180度変わってしまうものなのかもしれません。
ダ・ヴィンチの作品に仕掛けられた「罠」が、たとえ
荒唐無稽な幻に感化されたものであったとしも、
その価値に些かの揺るぎもないことを天邪鬼として
ここに保証いたします。
なんちゃってね ・・・
ねえ、ねえ、
「天邪鬼とうそつき村の住人とは
どこがどう違うの」
「うそつき村の住民はウソしか言わんが、
天邪鬼は真実を吐くこともあるのじゃよ」
… to be continue !!
さて、今回は、
モノトーンを多用して梅雨時仕様にまとめてみましたが、
次回では、ビッグバン以降の物質の出現から
オアンネスである聖ヨハネやイエスの時代
までをカバーする『岩窟の聖母』ルーブル版
に秘匿された「罠」の全容についてメスを入れて
みたいと考えています。

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小吉

むらさき納言
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