見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 挑戦状

 子供の頃に そろばん塾と英語塾に通わさせられる話が
唐突に持ち上がり、必死抵抗劇を演じたことを
ひょんなことから思い出したのですが、

 そろばんについては、早晩にも計算機の時代になるから
と口角に泡を吹かせて説き伏せたものの英語については、
これといった妙案も浮かばず日本語が話せれば生きて
いけるという説得力のない反論では空しいかぎりで、
結局は母親に押し切られるかたちで近所のお宅に教わり
に行くことになったのでしたase

 案の定、

 本人にやる気のないものは二重三重の無駄使いになる
もので、月謝と時間をどぶに捨て精神的な負荷という重荷
(ストレス)までをも背負い込む結果に ・・・

 確か半年くらいの悪あがきだったとは記憶していますが、
あれから50年以上が経過して、世の中は飛躍的に発展し、
計算機はコンピューター(パソコン)に昇格して各家庭で
大活躍しているありさまです。

 ついでに言えば、英語は自動翻訳(通訳)が可能
時代にまで突入しているのですが ・・・

 今だったら、、如何ようにも反駁することができたのに、
と臍(ほぞ)を噛んでも、母の記憶は疾うの昔に消えている
のでございます

 ただ

 こうしたパソコンやカーナビその他の電子機器の全盛を
手放しに肯定するのではなく、人間本来の能力の低下
につながると、むしろ否定的な立場にあるわけですが

 このままのスピードで機械の能力が進歩するとなれば、
AI(人工知能)の技術革新により、あと10数年もすれば、
ほぼ完璧といえるまでの翻訳機能AIが有する
ことになるわけで、小学校低学年からの英語の授業や
外国語教育そのものの教育方針も大幅に変更しなくては
ならない事態に陥るかもしれません。

 おそらく、

 同時通訳で外国の人と自由な会話が楽しめるようになる
だろうし、外国語の本や文章も簡単に日本語で読めるよう
になっているかもしれません。

 そうなれば、懸命に英会話を勉強するよりも、翻訳機が
理解しやすい正しい日本語が話せることの方が重要で、

 50数年前には空しく響いただけの「日本語が話せれば」
が俄然、大きな抵抗力となるのかもしれません。

 
 きっと、そんな屁理屈を捏ね繰り回して必死になって
英語の塾や勉強を拒絶している現代っ子がそこらへん
にもいるのかも ・・・

 ところで、

 「音楽は絵画と同様に感動を
  与えるが、音は消え、絵画は残る。
        ゆえに絵画は音楽に優る」
 

 ダ・ヴィンチは手稿にそのように書き残していますが、
このことは『最後の晩餐』テンペラ画法
で描いたことと大いに矛盾します。

       

 テンペラ画は湿気に弱く、壁画では腐食し腐敗して劣化
することをダ・ヴィンチは十分に承知していたはずです。

        

 しかるに何故(なぜ) ・・・ !?



 実は、このこととビッグバン以降の物質の誕生から
洗礼者ヨハネイエス・キリストの時代まで
演出する『岩窟の聖母』パリ・ルーブル版に
秘匿された「罠」とは密接関連するのですが、



 『最後の晩餐』は、ダ・ヴィンチの生涯でも、
最大挑戦にして最も危険賭けでした。

   

 そこにはリスクの大きすぎる「罠」が仕掛けられて
いたのですが、それは後日に紐解くとして、

 ここではその導火線となる事態を招くことになった
『岩窟の聖母』にメスを入れます。

  

 この作品はダ・ヴィンチがミラノに来てから、最初となる
大きな仕事(受注品)で、依頼主はフランシスコ会系の
「聖母無原罪の御宿り信心会」でした。



 ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の礼拝堂を
飾る祭壇画として1483年に委嘱されたのですが、依頼主
は図法上の条件をこまごまと指定し、それを完全に無視
した内容の祭壇画を目にした依頼主は激怒し、受け取り
と報酬の支払いを拒否した結果、支払いの履行を求めて
ダ・ヴィンチは訴訟を起こし、教会側と争ったことは以前
にも紹介しました。

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 指芝居』および
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/403.html

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 裏の裏』などを
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/439.html

 参照してみてください。

 依頼主である教会側は登場人物として、聖母マリアと
幼児のイエス、二人の預言者および天使たちを指定し、
配置や背景、彩色に至るまで、こと細かな条件を提示
したうえで着手金を支払っているわけで、どう考えても
ダ・ヴィンチの独断専行による契約無視(不履行)
としか思えないのですが ・・・ nose4ase2

 ちなみに、

 「信心会」とダ・ヴィンチたちとの間に交わされた
1483年4月25日付の契約書が残されているそうです。

 この裁判は決着に25年(1483年11月~1508年8月)
を要する泥沼の係争となったわけですが、

 『最後の晩餐』(1495年~98年)は、まさに
その真っ只中に描かれているのです。

 おっと、『岩窟の聖母』でしたねase2
 
 つまり、

 この祭壇画の趣旨はズバリ「無原罪の受胎」
テーマでした。
 
 ここで問題となるのが発注者の目論見です。

 無原罪と言ってもイエスの無原罪は周知されています
ので、ここでは聖母マリアの無原罪を意図しています。

 全人類は原罪を負って生まれるという聖パウロ以来の
キリスト教の普遍的なドグマ(教義)に例外を設けて、



 聖母マリアの無原罪受胎をカトリックの新たな教義に
しようと画策する、言わば「マリア教」を確固たる
ものにしようとする意図が見え見えの注文内容
であったという点が問題だったのです。

 キャスト(登場人物)の構成(配役)も、主役はもちろん
聖母マリアでイエスは脇役です。

 二人の預言者とは、ダビデと預言者イザヤ、あるいは
洗礼者ヨハネと預言者エレミアでしょう。

 ダビデはマリアの家系とその子孫からのメシアの到来
を意識させ、預言者イザヤは聖書(イザヤ書 7:14)に

 「見よ、おとめが身ごもって男の子を
 産み、その子をインマヌエルと呼ぶ」


 と記しているわけですが、

 インマヌエルとは「神はわれらとともに」という意味で、
キリスト教の誕生以降には聖母マリアの処女懐胎
のことであると解釈されるようになったわけです。

 洗礼者聖ヨハネと預言者エレミアの場合は、どちらも
この世に生まれる前に母親の胎内で特別の聖化
受けたとされる人物たちですが、それについては後日
に述べることにして、ここでは割愛します。

 おそらく天使たちは、キューピットのような複数の子供
の姿を想定していたのでしょうが、ダ・ヴィンチは受胎を
告知するガブリエルか、イエスを先導する洗礼者ヨハネ
の守護天使とされているウリエルを採用したようです。

 ダ・ヴィンチは「マリア教」に成り下がってしまった
キリスト教を嫌悪していましたので、教会の指示通り
に仕上げることはないにしても、完全無視をした
のには明確なる意思が働いていたということです。

 嫌なら断ればいいだけのことですから ・・・

 要するに、



 ヴェロッキオ工房での『キリストの洗礼』



 事実上のデビュー作『受胎告知』では無謀にも


   
 実験的に挑戦的ないたずらを仕掛けて反応を探り、




 『東方三博士の礼拝』ではプロローグ



 として最初の「罠」を散りばめ、未完成装う



 ように下絵仕様で意図的に放棄(中断)してミラノの



 支配者ロドヴィコ・スフォルツァのもとへ向かいます。

 このあたりの補足(関連)記事については、

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 摩天楼』などを
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/461.html

 参考にしてみてください。

 そして、

 ミラノでの最初の大作が『岩窟の聖母』だった
というわけなのですが ・・・

 さて

 ダ・ヴィンチが活躍した時代はレネサンスの黄金期
でギリシャ・ローマ時代の文化を再生・復活するという
ムーブメントにあったわけですが、それでも依然として教会
の力は強く、数百年にわたる異端審問も続いていました。

 ダ・ヴィンチの生まれる以前にはヤン・フス(1369-1415)
が、彼が没した後にもジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)
が異端として焚刑(火あぶり)に処されています。

  「それでも地球は回っている」
  (正確には、それでも地球は動く)で知られる

 ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)も地動説を撤回した
とはいえ、終身刑(後に減刑)を言い渡されています。

 そんな時代にあって危険を冒してまで自らの作品に
「罠」を仕掛ける動機となっているもののひとつが
天啓ともいえるにあることは否定できない出来事
であるとしても、もうひとつには未来への「挑戦」
いう側面があることも見逃せません。

 に関しては、

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 非常識』および
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/466.html

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 新天地』などを
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/458.html

 参照してみてください。 

 たとえば、

 冒頭でのAI(人工知能)が抱えている課題のひとつに
読解力があります。

 問題の内容さえ理解できれば、答えにたどりつくのは
それほど難しいことではないでしょうが、その前段として
何を問うているのかを理解する必要があります。

 それが可能になれば、今後、AI普及によって、
多くの仕事機械に置き換えられると想定される
わけで、「今の小学生の65%は現存しない職業に就く」と
さえ言われています。 

 ダ・ヴィンチの時代におけるイノベーティブ(革新的)な
動きとしては、傭兵を組織する群雄割拠の都市国家から
徴兵制を布く絶対王制への移行が挙げられますが、
ダ・ヴィンチはその先の先のそのまた先 ・・・

 「国家の垣根を越えて一体化する世界」

 つまり、

 現在のグローバル化のさらにその先にある国境などの
境界がさまざまな分野で曖昧になって、その意義を失う
ような未来社会を想い描いていました。

 それが宗教であれ、イデオロギーであれ、他の
何か別のものであれ、強力なる求心力によって共通する
ひとつの方向に収束し同質化する。

 そうした地球規模での標準化渇望(意図)
していたのかもしれません。

 当時のイタリアを物心両面支配していたのは
ローマ・カトリックですが、

 特に精神面での拘束力甚大なものでした。

 いわゆる「宗教的束縛」というやつです

 一介の画家に過ぎないダ・ヴィンチが教会を相手に訴訟
を起こすなど前代未聞の事件だったのかもしれませんが、

 そこにはミラノ公ロドヴィコ・スフォルツァという後ろ盾の
存在と時代を読んだ計算があったことは確かでしょう。

 『最後の晩餐』テンペラ画で描いたこと
とそのこととは決して無関係ではなく、いろいろな意味での
未来に対する「挑戦状」でもあったのです。

 今回は患部メス入れる前のカンファランスや
インフォームド・コンセントのような展開内容に終始
してしまいましたが、

 次回こそは、『岩窟の聖母』に込められた
「罠」の数々を法医学的な観点から解剖・鑑定
してみようと思っています。

 「解剖するとは大袈裟な。
  ダ・ヴィンチがクシャミしとるわ」


     

   「それを言うなら、苦笑でしょ」

  「ハ、ッ、クショウ !!

 なんちゃって、

 … to be continue !!





コメント一覧

ぴーひゃら・らぽーと
えっ、て、ことは、ダヴィンチはグローバリストってこと?

DSのハシリかいな!?
ダメな便利屋
おそらくは、コスモポリタンとも、ワンワールドとも違う
概念だと思うが、価値観の共有や相互理解による共通認識
、言わば、コンセンサスの問題だと思う。

それぞれの義が異なる、つまり、一方の「正義」が他方では「悪」なる宗教観では平和な世界など望むべくもないからね。

しかも現世界においては、主権国家はその利害の対立でしか存在理由を示せないのが現実だから、むなしい挑戦なのかもしれない!
寿限無寿限無
なるほどね。謎の多いダ・ヴィンチの絵画の数々は未来への挑戦状だというわけか!

それにしても、「国家の垣根を越えて一体化する世界」とか、「地球規模での標準化」とか、グローバリストかいな、ダ・ヴィンチは!
小吉
そうして人類の元に、真のバベルの塔が築かれるので、あった。
むらさき納言
猫も杓子も・・・
大人も子供も「ポケモンGO」に興じている。

これからの未来って、いったい・・・
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事