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(以下、本文)
洗礼者ヨハネの斬首はあくまでも、
ヘロデ・アンティパスの政治的判断で
あって、ヘロディアも、その娘(サロメ)
も、処刑には一切の関わりがないという
のがレオナルド・ダ・ヴィンチの結論です。
しかるに、
マルコとマタイの『福音書』では、
『サロメ』の物語が、さもありなん風に
ドラマチックな演出で語られています。
「サロメ」フランツ・フォン・シュトゥック 1908年
そこに至るには、
パウロの謀略シナリオを期せずして
フォローするかたちとなったユダによる
ヘロデ・アンティパスへのヨハネの
斬首に関する助言があったのですが、
出典:www.lets-bible.com
こうした働きかけの裏にはパウロとは
また違った意味でのユダの思惑が作用
していました。
イエスをして救世主(メシア)たらん
と目論む彼の期待のうちには、ローマ軍
を倒して、イスラエルの主権を回復する
新たなユダヤの王となるべき者として
のイエスを補佐し、バックアップする
ことで得られる利得、すなわち革命後の
支配的ポジションの確保とトップエリート
としての自尊と自負によるものでしたが、
ユダの助言の有無や真偽は別にして
も、領主としてのヘロデ・アンティパス
の立場からすれば、暴動の引き金となる
懼れのある洗礼者ヨハネの処刑は
至極当然の政治的決断だったのです。
実のところ、
パウロとユダが思い描く筋書きには
大きな乖離があったのですが イエスを
神輿(みこし)とする点では同じでした。
但し、
一方は、近視眼的に目先にぶら下がる
地位や利益をあてにした他力本願であり、
もう一方は、遠く未来を見据えたスキーム
のもとにイエスをキリストに祀り上げて
、自ら ミイラ取りを自認するユダをミイラ
にしてしまったわけで、
「えっ !!」
パウロの方がユダに比べて、一枚も
二枚も上手であったということなのです。
そして、もうひとりパウロの手によって
ミイラにされてしまった人物がいますが、
それが「偽善者」たちを大量生産する
システムの中心に据えられてしまうことに
なるナザレのイエスだったのです。
『旧約聖書』は歴史書としての価値
もさることながら、純然たる読み物としての
レパートリーも潤沢で、その内容(物語性)
もまた押し並べて秀逸ですが、
『新約聖書』はイエスをしてメシア
(キリスト)たらんすることに固執して強調
するあまり、押しつけがましいフレーズが
どうにもこうにも鼻につくようで、読み物と
しては敬遠したくなる部類のものであると
、そうダ・ヴィンチには思えたのです。
むろん、神の言葉に物語性を求める
ことの方が、無謀であり不見識である
ことは、百も承知のうえのことですが、
しかし、だからこそ、
『洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ』チェザーレ・ダ・セスト
人々が興味をそそるように、パウロは
『サロメ』の物語を『福音書』の中に
挿入するよう仕向けたのだと ダ・ヴィンチ
は考えたのでした。
ところで、
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
この『ダニエル書』9章にある預言を
クリスチャン(キリスト教徒)たちは、
イエスの洗礼 www.diwanmsr.com
イエス・キリストの初臨(洗礼者ヨハネ
の洗礼によって、膏そそがれた後、三年半
にわたる宣教活動)を経て、十字架上での
死による贖(あがな)いにおいて、この預言
が成就したと考えるのが一般的ですが、
イエスの死(磔刑)www.jizai.org
ダ・ヴィンチの考えは違いました。
少なくともイエスには 神の子、あるいは
「神」に匹敵する存在、さらには彼の意志
からは大きく逸脱し変節したもののイエスを
キリストであると教える「キリスト教」という
世界的宗教が残され、その影響力はあまねく
地域で、はかり知れないものとなっています。
一方で、洗礼者ヨハネと言えば「神」
から遣わされたイエス・キリストのための
先導者としての位置づけはされていても、
『洗礼者ヨハネ』サンドロ・ボッティチェッリ
ただの露払いの使いとして、イエスから
「あなたがたによく言っておく。およそ女
から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより
偉大な者は現れなかった。しかし天の国
で最も小さい者でも彼よりは偉大である」
(マタイの福音書11:11)
と言われるまでに貶められてしまいます。
さて、
前述した聖句(預言)の直前にある言葉は、
その「六十二週の後」となっています。
その六十二週の後、
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
つまり、メシア(救世主)が断たれるのは、
その六十二週の後ですから、「その」が何を
指すかが重要な問題ですが、
この辺りについては、
『ダ・ヴィンチの罠 受膏者』
を参照してみてください。
出典:www.mustardseedosaka.com
また、
『ダ・ヴィンチの罠 七十週』
の記述とも重複しますが、
AD27年、この年がひとつの鍵を握って
いると申し上げてきました。
この年は、「七十週の預言」における
「七週」と「六十二週」が、経過・満了
する年にあたります。
その「六十二週」の後、メシアなる者
は断たれることになるのですが、
この年は、洗礼者ヨハネやイエスが
30歳の頃で、ヨハネが洗礼活動を始めた
年でもありイエスの公生涯がスタートした
年でもあるのです。
それ故に、洗礼者ヨハネから洗礼を
受けるこの有名なシーンとともに、
イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp
メシア預言の成就があったとして人々
に記憶されているわけですが、
これこそが「何かおかしくね」
とダ・ヴィンチは思ったわけです。
「洗礼」を施しているのはイエスでは
なくヨハネの方で イエスはヨハネから
洗礼を授かっているのですよ
だ・よ・ね
そうした疑問を鑑賞者に投げかけている
ダ・ヴィンチの作品(絵画)が、
『岩窟の聖母』(ルーブル版)
『岩窟の聖母』ルーブル版であって、
『岩窟の聖母』ロンドン版
カトリック教会の意図によって、間違った
まま人々に伝えられ、誤認させられている
虚構の事実がロンドン版なのです。
洗礼者ヨハネとイエスが入れ替えられている
しかし、
洗礼者ヨハネの登場は、ヨルダン川
でのイエスの洗礼よりも、ずっと以前の
ことだと言うかもしれませんね
そこで、
洗礼者ヨハネの登場を『福音書』
で確認してみると ・・・
ルカは洗礼者ヨハネの宣教活動が
いつから始まったのかについて、
「皇帝ティベリウスの治世の第15年」で
あった、と、明示(ルカの福音書 3:1-3)
しています。
皇帝ティベリウスは西暦14年9月18日
(グレゴリオ暦)に帝位に就いているので、
15年と言うと西暦29年ということですが、
ティベリウス 在位 AD14年9月18日-AD37年3月16日
これでは逆に、前述のAD27年から
2年も先になってしまいますが
どういうことなのでしょうか
この齟齬はきわめて重大ですが、そう
言ってしまうと一切、何も書けなくなるし、
根拠をどこに求めるべきか、分からなく
なりますので、一応 『福音書』の記述
に準拠したかたちで話を進めます。
多くの聖書研究家や学者たちが指摘
するように『福音書』の記述を相互に
読み合わせてみると、ヨハネの宣教の
開始時期(ヨルダン川での洗礼活動)と
「イエスの洗礼」との間に それほど
の時間的な差は見受けられません。
そこで、
ルカが記す皇帝ティベリウスの治世の
第15年(おそらくAD27年)が ヨハネの
洗礼活動の開始の時期であり、同時期
に少し遅れてイエスの宣教が始まった
とするのがダ・ヴィンチの見解ですが、
イエスの宣教 wemmick3.com
ある説によると、
皇帝ティベリウスは、初代皇帝(前帝)
アウグストゥスの治世の晩年、AD12年
から共同統治者として 帝国に君臨して
いたので、その第15年目はAD27年
にあたるということも言えますが、
イエスの宣教 skk-tokyo.com
もし、この年にイエスが宣教を始めた
のなら、その時、彼は31-32歳くらいです
ので、ルカの言う「およそ30歳」であった
という記述とも不都合なく符合します。
また、ポンティオ・ピラトがユダヤ総督
の任にあったのは AD26年から36年の
ことですので、この点も合致しますね。
ポンティオ・ピラト plaza.rakuten.co.jp
さらに、
『ヨハネの福音書』2:19-20に
「イエスは彼らに答えて言われた。
『この神殿をこわしてみなさい。
わたしは三日でそれを建てよう』」
(ヨハネの福音書2:19)
「そこで、ユダヤ人たちは言った。
『この神殿は建てるのに四十六年
かかりました。 あなたはそれを
三日で建てるのですか』」
(ヨハネの福音書2:20)
ヨセフスによれば、このときの神殿の
建設はBC19-20年に着工されたもので、
そこから46年かかって完成したとすれば、
その時期はAD26-27年になるわけです。
エルサレム神殿の再建 blog.livedoor.jp
それは、
イエスの宣教開始の時期がAD27年
であったことの傍証になりますが ・・・
しかしながら、
同じAD27年には、洗礼者ヨハネも
ヨルダン川での洗礼による宣教を開始した
ことを決して見逃してはならないわけで、
『荒野で説教をする洗礼者ヨハネ』サルヴァトル・ローザ
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
と、預言されたメシア(キリスト)は
画像元:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
十字架にかけられたイエスではなく、
獄中で首を刎ねられた洗礼者ヨハネ
であるとして、ダ・ヴィンチは自分自身の
作品の数々に謎の罠を仕込んだもの
と思われるのです。
もともと、『ダニエル書』の9章は、
「あなたの民とあなたの聖なる都に
ついては、七十週が定められている」
(ダニエル書9:24)
として、イスラエルの民とエルサレムの
行く末について預言されたものですが、
『ダニエル書』 i.ytimg.com
結論から言えば、
六十九週の後に「メシア」なるひとり
の君(洗礼者ヨハネ)が現れ、彼は何も
残さないまま無惨にも命を断たれるわけ
で、その後に登場するイエスの身の上
に起こる十字架刑といったイベントや
復活のイリュージョンを巧みに利用した
ペテン師パウロのサクセス・ストーリー
(立身出世物語)が、『新約聖書』に
おける裏の真実であって、
その結果として、
『エルサレムの包囲と破壊』デイビット・ロバーツ1850年
ユダヤ社会がどうなり、世界がいかに
『エルサレム神殿の破壊』フランチェスコ・アイエツ 1867年
変遷し変貌を遂げたかについては、
ISIS(イスラミックステート) wikicom
その後の歴史が物語るところであり、
ISIS(イスラミックステート) Wikipedia
『ダ・ヴィンチの罠』が如実に
示す『偽善者』たちの大いなる宴が、
『最後の晩餐』の真相のひとつ
であり、「罠」の真髄でもあるのです。
ところが、
ほとんどのクリスチャンの聖書学者たち
は、『ダニエル書』の「七十週預言」
を以下のように理解しています。
エルサレムの再建命令から69週(483年)
を経て、メシアが絶たれるということは、
残り、あと1週(7年)分の期間があるわけ
で、そこに、未だ経験したことのない7年に
及ぶ大患難(艱難)が訪れるとしたのです。
つまり『ダニエル書』 9章24節による
「背きをやめさせ、罪を終わらせ、
咎を贖い、永遠の義をもたらし、
幻と預言とを確証し、至聖所に
油を注ぐ」という預言が、
この7年間に成就すると考えたのです。
要は、まだ見ぬ未来の出来事として
のそのときが、神がイスラエルに対する
罪の裁きを終えられる時としたわけです。
さらに、
この7年の大患難(艱難)時代に起こる
事件として『ダニエル書』 9章27節の
「彼は一週の間、多くの者と堅い契約
を結び、半週の間、いけにえと捧げ物
とをやめさせる。荒らす者が忌むべき
者の翼に現れる。 ついに定められた
絶滅が荒らす者の上に降りかかる」
という聖句(預言)にある「荒らす者
が忌むべき者の翼に現れる」の部分を
「荒らす忌むべき者」と一体化したうえ
で、それを『マタイの福音書』での
「荒らす憎むべき者」(マタイ24章15節)
とイエスが呼んだ者のことだとして、
黙示録の獣 signsoftimes.seesaa.net
その正体を『ヨハネの黙示録』に
登場する「獣」であるとしたのです。
が、しかし、すでに、
『ダ・ヴィンチの罠 分岐点』
などで解説してきたように、ダ・ヴィンチ
の推理では、この聖句(預言)における
彼とは、パウロのことであって、
彼(パウロ)は一週(7年)の間、協力者
たちと堅い密約を結び、半週(3年半)の
間に、いけにえ(犠牲)と捧げ物とを
やめさせる。
と解釈しました。
言うまでもなく、パウロと密約を結ぶ
相手はイエスとその高弟たちであった
わけですが、アンデレとゼベダイの子
ヨハネ(使徒ヨハネ)、そして 裏切り者
として蔑まれることになるイスカリオテの
ユダは、この密約とは無関係でした。
次の、
半週(3年半)の間にいけにえ(犠牲)
と捧げ物とをやめさせる。
出典:blog.livedoor.jp
これこそが偽預言者パウロによる
ところの「十字架の虚構」なる教義
(ドグマ)のもとになるシナリオでした。
「半週」とは、三年半です。
洗礼者ヨハネが、ひとり荒野を離れ、
ヨルダン川での洗礼を開始して、間もなく、
イエスがやって来て、ヨハネから洗礼
を授かります。
これがAD27年の出来事で、イエス
が十字架にかかるのは、過ぎ越し祭りの
前日で、しかも安息日の前日にあたる日、
つまり、過ぎ越し祭りの初日が安息日に
なる年で、それにピタリと符合するのは、
AD30年のニサンの月なのです。
つまり、
この時がイエスによる十字架上での
贖い(人類の罪の清算日)にあたります。
出典:blog.goo.ne.jp
これにより動物の犠牲が教義上からも
廃止され、アダムとイヴが負った原罪も、
屠(ほふ)られ焼き尽くされる動物たちの
供犠(くぎ)も消え、我々は浄められたと
いうことになるわけです。
ユダヤ教における生贄(動物の犠牲)
や捧げ物などの燔祭及び罪祭の儀式は、
イエスの十字架刑のあととなっては、
すでに意味を持ち得ないことを
『ヘブライ人への手紙』wikipedia
パウロは『ヘブライ人への手紙』
のなかで強調するよう仕向けます。
「ここで、初めに『あなたは、いけにえと
捧げ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法
にしたがって捧げられる物)を望まれず、
好まれもしなかった』とあり、
次に、『見よ、わたしは御旨を行うため
にまいりました』とある。すなわち彼は
後のものを立てるために、初めのもの
を廃止されたのです」
(ヘブライ人への手紙10:8-9)
「この御旨に基づき、ただ一度、イエス
キリストの体が捧げられたことによって、
わたしたちは浄(きよ)められたのです」
(ヘブライ人への手紙10:10)
まさに完璧とも言えるシナリオです
ここまでが、
「半週(3年半)の間に、いけにえ(犠牲)
と捧げ物とをやめさせる」の部分です。
さらに、そこから三年半後のAD34-35年
頃に、キリスト教における最初の殉教者と
なるステファノが「石打の刑」により、
殺害されます。
ステファノの殉教 www.lets-bible.com
これを契機に、以後、十二使徒に代表
される殉教(使徒ヨハネを除く)が相次ぎ、
救世主の福音はユダヤ人の手を離れて
「異邦人」のものとなるのです。
これが、『ダニエル書』が預言する
「あなたの民と、あなたの聖なる都に
ついては、七十週が定められている」
(ダニエル書9章24節)
とした神からユダヤ人に与えられた
70週(490年)にわたる恩恵期間であり、
「荒らす者が忌むべき者の翼に現れる」
の部分については、
荒らす者 パウロを筆頭とする
ユダヤ教を破壊する者たちの総称で、
パウロの肖像
イエスをメシアと信じる反神殿勢力
(ナザレ派)や神への信仰を見失った
ユダヤの人々を指します。
忌むべき者 ローマ帝国皇帝。
翼 属州となっているユダヤの地。
つまり、ダ・ヴィンチは、
「荒らす者が忌むべき者の翼に現れる」
を、ユダヤ教を荒らす者がローマ皇帝
が支配する属領地パレスチナに現れる。
という意味だと理解したのです。
そして、
恩恵期間であった七十週(490年)は
偽預言者にして、天才ペテン師である
パウロと、彼の謀略によってメシア
なる救世の偽善者を演じたイエス
の裏切りにより、満了するのです。
そして、ついに、
ユダヤ戦争『エルサレムの包囲と破壊』デイビット・ロバーツ1850年
「定められた絶滅が荒らす者(信仰を
見失ったユダヤ人)の上に降りかかる」
(ダニエル書9章27節)
ユダヤ戦争(エルサレム神殿の破壊)フランチェスコ・アイエツ
ということになるわけです。
畢竟するに、
これが人類の分岐点となった出来事だと
ダ・ヴィンチには思えたのでしたが、
AD66年に始まったユダヤ戦争とAD70年
のエルサレム陥落(神殿崩壊)の果てに
ユダヤ人が世界各地に離散(ディアスポラ)
する悲劇の歴史は、
本当に定められていた「神の計画」
だったのだろうか
そう自問するダ・ヴィンチの目には ・・・
『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)
洗礼者ヨハネの斬首に係る経緯に
神の逡巡が見えたのかもしれません。
こうして結果的に、イエスはパウロの
シナリオによって、贖いによる愛の人と
いう大いなる「偽善者」の役を諄々と
演じさせられてしまうことになるのですが、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
出典:blog.goo.ne.jp
「完了した❕」
出典:blog.goo.ne.jp
さてさて、
そこに至るまでの顛末や詳細ついては、
また次回以降での話としましょう。
それにしても、
「裏切ったのはユダではない」
「わたしなのだ !!」
(んんッ !!)
異端としてのダ・ヴィンチの「罠」の
謎は、さらに昇華していくようですが、
画像元:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
逡巡する神に、諄々たる演技の
イエス・キリストだとよ
「逡巡(しゅんじゅん)と諄々(くどくど)って」
「クドクドではない諄諄(じゅんじゅん)じゃ」
でも、どっちも、
「グズグズってことでしょ」
・・・ って、おいおい、
ところで、
ライオン顔のイエスのミラーイメージと
どことなく、
パウロの顔が似ているような ・・・
(んなわけないがな)(考えすぎやで)
誰もパウロの顔を見ていないのに ・・・
(ゲロゲロ ・・・)
… to be continue !!
(… to be continued !!)
諄々とは、
よく分かるように丁寧に言い聞かせるさま
を言いますが、この場合には、
繰り返し教え諭す演技を指しています。
「むむむ」
ヘロデ・アンティパスの政治的判断で
あって、ヘロディアも、その娘(サロメ)
も、処刑には一切の関わりがないという
のがレオナルド・ダ・ヴィンチの結論です。
しかるに、
マルコとマタイの『福音書』では、
『サロメ』の物語が、さもありなん風に
ドラマチックな演出で語られています。
「サロメ」フランツ・フォン・シュトゥック 1908年
そこに至るには、
パウロの謀略シナリオを期せずして
フォローするかたちとなったユダによる
ヘロデ・アンティパスへのヨハネの
斬首に関する助言があったのですが、
出典:www.lets-bible.com
こうした働きかけの裏にはパウロとは
また違った意味でのユダの思惑が作用
していました。
イエスをして救世主(メシア)たらん
と目論む彼の期待のうちには、ローマ軍
を倒して、イスラエルの主権を回復する
新たなユダヤの王となるべき者として
のイエスを補佐し、バックアップする
ことで得られる利得、すなわち革命後の
支配的ポジションの確保とトップエリート
としての自尊と自負によるものでしたが、
ユダの助言の有無や真偽は別にして
も、領主としてのヘロデ・アンティパス
の立場からすれば、暴動の引き金となる
懼れのある洗礼者ヨハネの処刑は
至極当然の政治的決断だったのです。
実のところ、
パウロとユダが思い描く筋書きには
大きな乖離があったのですが イエスを
神輿(みこし)とする点では同じでした。
但し、
一方は、近視眼的に目先にぶら下がる
地位や利益をあてにした他力本願であり、
もう一方は、遠く未来を見据えたスキーム
のもとにイエスをキリストに祀り上げて
、自ら ミイラ取りを自認するユダをミイラ
にしてしまったわけで、
「えっ !!」
パウロの方がユダに比べて、一枚も
二枚も上手であったということなのです。
そして、もうひとりパウロの手によって
ミイラにされてしまった人物がいますが、
それが「偽善者」たちを大量生産する
システムの中心に据えられてしまうことに
なるナザレのイエスだったのです。
『旧約聖書』は歴史書としての価値
もさることながら、純然たる読み物としての
レパートリーも潤沢で、その内容(物語性)
もまた押し並べて秀逸ですが、
『新約聖書』はイエスをしてメシア
(キリスト)たらんすることに固執して強調
するあまり、押しつけがましいフレーズが
どうにもこうにも鼻につくようで、読み物と
しては敬遠したくなる部類のものであると
、そうダ・ヴィンチには思えたのです。
むろん、神の言葉に物語性を求める
ことの方が、無謀であり不見識である
ことは、百も承知のうえのことですが、
しかし、だからこそ、
『洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ』チェザーレ・ダ・セスト
人々が興味をそそるように、パウロは
『サロメ』の物語を『福音書』の中に
挿入するよう仕向けたのだと ダ・ヴィンチ
は考えたのでした。
ところで、
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
この『ダニエル書』9章にある預言を
クリスチャン(キリスト教徒)たちは、
イエスの洗礼 www.diwanmsr.com
イエス・キリストの初臨(洗礼者ヨハネ
の洗礼によって、膏そそがれた後、三年半
にわたる宣教活動)を経て、十字架上での
死による贖(あがな)いにおいて、この預言
が成就したと考えるのが一般的ですが、
イエスの死(磔刑)www.jizai.org
ダ・ヴィンチの考えは違いました。
少なくともイエスには 神の子、あるいは
「神」に匹敵する存在、さらには彼の意志
からは大きく逸脱し変節したもののイエスを
キリストであると教える「キリスト教」という
世界的宗教が残され、その影響力はあまねく
地域で、はかり知れないものとなっています。
一方で、洗礼者ヨハネと言えば「神」
から遣わされたイエス・キリストのための
先導者としての位置づけはされていても、
『洗礼者ヨハネ』サンドロ・ボッティチェッリ
ただの露払いの使いとして、イエスから
「あなたがたによく言っておく。およそ女
から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより
偉大な者は現れなかった。しかし天の国
で最も小さい者でも彼よりは偉大である」
(マタイの福音書11:11)
と言われるまでに貶められてしまいます。
さて、
前述した聖句(預言)の直前にある言葉は、
その「六十二週の後」となっています。
その六十二週の後、
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
つまり、メシア(救世主)が断たれるのは、
その六十二週の後ですから、「その」が何を
指すかが重要な問題ですが、
この辺りについては、
『ダ・ヴィンチの罠 受膏者』
を参照してみてください。
出典:www.mustardseedosaka.com
また、
『ダ・ヴィンチの罠 七十週』
の記述とも重複しますが、
AD27年、この年がひとつの鍵を握って
いると申し上げてきました。
この年は、「七十週の預言」における
「七週」と「六十二週」が、経過・満了
する年にあたります。
その「六十二週」の後、メシアなる者
は断たれることになるのですが、
この年は、洗礼者ヨハネやイエスが
30歳の頃で、ヨハネが洗礼活動を始めた
年でもありイエスの公生涯がスタートした
年でもあるのです。
それ故に、洗礼者ヨハネから洗礼を
受けるこの有名なシーンとともに、
イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp
メシア預言の成就があったとして人々
に記憶されているわけですが、
これこそが「何かおかしくね」
とダ・ヴィンチは思ったわけです。
「洗礼」を施しているのはイエスでは
なくヨハネの方で イエスはヨハネから
洗礼を授かっているのですよ
だ・よ・ね
そうした疑問を鑑賞者に投げかけている
ダ・ヴィンチの作品(絵画)が、
『岩窟の聖母』(ルーブル版)
『岩窟の聖母』ルーブル版であって、
『岩窟の聖母』ロンドン版
カトリック教会の意図によって、間違った
まま人々に伝えられ、誤認させられている
虚構の事実がロンドン版なのです。
洗礼者ヨハネとイエスが入れ替えられている
しかし、
洗礼者ヨハネの登場は、ヨルダン川
でのイエスの洗礼よりも、ずっと以前の
ことだと言うかもしれませんね
そこで、
洗礼者ヨハネの登場を『福音書』
で確認してみると ・・・
ルカは洗礼者ヨハネの宣教活動が
いつから始まったのかについて、
「皇帝ティベリウスの治世の第15年」で
あった、と、明示(ルカの福音書 3:1-3)
しています。
皇帝ティベリウスは西暦14年9月18日
(グレゴリオ暦)に帝位に就いているので、
15年と言うと西暦29年ということですが、
ティベリウス 在位 AD14年9月18日-AD37年3月16日
これでは逆に、前述のAD27年から
2年も先になってしまいますが
どういうことなのでしょうか
この齟齬はきわめて重大ですが、そう
言ってしまうと一切、何も書けなくなるし、
根拠をどこに求めるべきか、分からなく
なりますので、一応 『福音書』の記述
に準拠したかたちで話を進めます。
多くの聖書研究家や学者たちが指摘
するように『福音書』の記述を相互に
読み合わせてみると、ヨハネの宣教の
開始時期(ヨルダン川での洗礼活動)と
「イエスの洗礼」との間に それほど
の時間的な差は見受けられません。
そこで、
ルカが記す皇帝ティベリウスの治世の
第15年(おそらくAD27年)が ヨハネの
洗礼活動の開始の時期であり、同時期
に少し遅れてイエスの宣教が始まった
とするのがダ・ヴィンチの見解ですが、
イエスの宣教 wemmick3.com
ある説によると、
皇帝ティベリウスは、初代皇帝(前帝)
アウグストゥスの治世の晩年、AD12年
から共同統治者として 帝国に君臨して
いたので、その第15年目はAD27年
にあたるということも言えますが、
イエスの宣教 skk-tokyo.com
もし、この年にイエスが宣教を始めた
のなら、その時、彼は31-32歳くらいです
ので、ルカの言う「およそ30歳」であった
という記述とも不都合なく符合します。
また、ポンティオ・ピラトがユダヤ総督
の任にあったのは AD26年から36年の
ことですので、この点も合致しますね。
ポンティオ・ピラト plaza.rakuten.co.jp
さらに、
『ヨハネの福音書』2:19-20に
「イエスは彼らに答えて言われた。
『この神殿をこわしてみなさい。
わたしは三日でそれを建てよう』」
(ヨハネの福音書2:19)
「そこで、ユダヤ人たちは言った。
『この神殿は建てるのに四十六年
かかりました。 あなたはそれを
三日で建てるのですか』」
(ヨハネの福音書2:20)
ヨセフスによれば、このときの神殿の
建設はBC19-20年に着工されたもので、
そこから46年かかって完成したとすれば、
その時期はAD26-27年になるわけです。
エルサレム神殿の再建 blog.livedoor.jp
それは、
イエスの宣教開始の時期がAD27年
であったことの傍証になりますが ・・・
しかしながら、
同じAD27年には、洗礼者ヨハネも
ヨルダン川での洗礼による宣教を開始した
ことを決して見逃してはならないわけで、
『荒野で説教をする洗礼者ヨハネ』サルヴァトル・ローザ
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
と、預言されたメシア(キリスト)は
画像元:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
十字架にかけられたイエスではなく、
獄中で首を刎ねられた洗礼者ヨハネ
であるとして、ダ・ヴィンチは自分自身の
作品の数々に謎の罠を仕込んだもの
と思われるのです。
もともと、『ダニエル書』の9章は、
「あなたの民とあなたの聖なる都に
ついては、七十週が定められている」
(ダニエル書9:24)
として、イスラエルの民とエルサレムの
行く末について預言されたものですが、
『ダニエル書』 i.ytimg.com
結論から言えば、
六十九週の後に「メシア」なるひとり
の君(洗礼者ヨハネ)が現れ、彼は何も
残さないまま無惨にも命を断たれるわけ
で、その後に登場するイエスの身の上
に起こる十字架刑といったイベントや
復活のイリュージョンを巧みに利用した
ペテン師パウロのサクセス・ストーリー
(立身出世物語)が、『新約聖書』に
おける裏の真実であって、
その結果として、
『エルサレムの包囲と破壊』デイビット・ロバーツ1850年
ユダヤ社会がどうなり、世界がいかに
『エルサレム神殿の破壊』フランチェスコ・アイエツ 1867年
変遷し変貌を遂げたかについては、
ISIS(イスラミックステート) wikicom
その後の歴史が物語るところであり、
ISIS(イスラミックステート) Wikipedia
『ダ・ヴィンチの罠』が如実に
示す『偽善者』たちの大いなる宴が、
『最後の晩餐』の真相のひとつ
であり、「罠」の真髄でもあるのです。
ところが、
ほとんどのクリスチャンの聖書学者たち
は、『ダニエル書』の「七十週預言」
を以下のように理解しています。
エルサレムの再建命令から69週(483年)
を経て、メシアが絶たれるということは、
残り、あと1週(7年)分の期間があるわけ
で、そこに、未だ経験したことのない7年に
及ぶ大患難(艱難)が訪れるとしたのです。
つまり『ダニエル書』 9章24節による
「背きをやめさせ、罪を終わらせ、
咎を贖い、永遠の義をもたらし、
幻と預言とを確証し、至聖所に
油を注ぐ」という預言が、
この7年間に成就すると考えたのです。
要は、まだ見ぬ未来の出来事として
のそのときが、神がイスラエルに対する
罪の裁きを終えられる時としたわけです。
さらに、
この7年の大患難(艱難)時代に起こる
事件として『ダニエル書』 9章27節の
「彼は一週の間、多くの者と堅い契約
を結び、半週の間、いけにえと捧げ物
とをやめさせる。荒らす者が忌むべき
者の翼に現れる。 ついに定められた
絶滅が荒らす者の上に降りかかる」
という聖句(預言)にある「荒らす者
が忌むべき者の翼に現れる」の部分を
「荒らす忌むべき者」と一体化したうえ
で、それを『マタイの福音書』での
「荒らす憎むべき者」(マタイ24章15節)
とイエスが呼んだ者のことだとして、
黙示録の獣 signsoftimes.seesaa.net
その正体を『ヨハネの黙示録』に
登場する「獣」であるとしたのです。
が、しかし、すでに、
『ダ・ヴィンチの罠 分岐点』
などで解説してきたように、ダ・ヴィンチ
の推理では、この聖句(預言)における
彼とは、パウロのことであって、
彼(パウロ)は一週(7年)の間、協力者
たちと堅い密約を結び、半週(3年半)の
間に、いけにえ(犠牲)と捧げ物とを
やめさせる。
と解釈しました。
言うまでもなく、パウロと密約を結ぶ
相手はイエスとその高弟たちであった
わけですが、アンデレとゼベダイの子
ヨハネ(使徒ヨハネ)、そして 裏切り者
として蔑まれることになるイスカリオテの
ユダは、この密約とは無関係でした。
次の、
半週(3年半)の間にいけにえ(犠牲)
と捧げ物とをやめさせる。
出典:blog.livedoor.jp
これこそが偽預言者パウロによる
ところの「十字架の虚構」なる教義
(ドグマ)のもとになるシナリオでした。
「半週」とは、三年半です。
洗礼者ヨハネが、ひとり荒野を離れ、
ヨルダン川での洗礼を開始して、間もなく、
イエスがやって来て、ヨハネから洗礼
を授かります。
これがAD27年の出来事で、イエス
が十字架にかかるのは、過ぎ越し祭りの
前日で、しかも安息日の前日にあたる日、
つまり、過ぎ越し祭りの初日が安息日に
なる年で、それにピタリと符合するのは、
AD30年のニサンの月なのです。
つまり、
この時がイエスによる十字架上での
贖い(人類の罪の清算日)にあたります。
出典:blog.goo.ne.jp
これにより動物の犠牲が教義上からも
廃止され、アダムとイヴが負った原罪も、
屠(ほふ)られ焼き尽くされる動物たちの
供犠(くぎ)も消え、我々は浄められたと
いうことになるわけです。
ユダヤ教における生贄(動物の犠牲)
や捧げ物などの燔祭及び罪祭の儀式は、
イエスの十字架刑のあととなっては、
すでに意味を持ち得ないことを
『ヘブライ人への手紙』wikipedia
パウロは『ヘブライ人への手紙』
のなかで強調するよう仕向けます。
「ここで、初めに『あなたは、いけにえと
捧げ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法
にしたがって捧げられる物)を望まれず、
好まれもしなかった』とあり、
次に、『見よ、わたしは御旨を行うため
にまいりました』とある。すなわち彼は
後のものを立てるために、初めのもの
を廃止されたのです」
(ヘブライ人への手紙10:8-9)
「この御旨に基づき、ただ一度、イエス
キリストの体が捧げられたことによって、
わたしたちは浄(きよ)められたのです」
(ヘブライ人への手紙10:10)
まさに完璧とも言えるシナリオです
ここまでが、
「半週(3年半)の間に、いけにえ(犠牲)
と捧げ物とをやめさせる」の部分です。
さらに、そこから三年半後のAD34-35年
頃に、キリスト教における最初の殉教者と
なるステファノが「石打の刑」により、
殺害されます。
ステファノの殉教 www.lets-bible.com
これを契機に、以後、十二使徒に代表
される殉教(使徒ヨハネを除く)が相次ぎ、
救世主の福音はユダヤ人の手を離れて
「異邦人」のものとなるのです。
これが、『ダニエル書』が預言する
「あなたの民と、あなたの聖なる都に
ついては、七十週が定められている」
(ダニエル書9章24節)
とした神からユダヤ人に与えられた
70週(490年)にわたる恩恵期間であり、
「荒らす者が忌むべき者の翼に現れる」
の部分については、
荒らす者 パウロを筆頭とする
ユダヤ教を破壊する者たちの総称で、
パウロの肖像
イエスをメシアと信じる反神殿勢力
(ナザレ派)や神への信仰を見失った
ユダヤの人々を指します。
忌むべき者 ローマ帝国皇帝。
翼 属州となっているユダヤの地。
つまり、ダ・ヴィンチは、
「荒らす者が忌むべき者の翼に現れる」
を、ユダヤ教を荒らす者がローマ皇帝
が支配する属領地パレスチナに現れる。
という意味だと理解したのです。
そして、
恩恵期間であった七十週(490年)は
偽預言者にして、天才ペテン師である
パウロと、彼の謀略によってメシア
なる救世の偽善者を演じたイエス
の裏切りにより、満了するのです。
そして、ついに、
ユダヤ戦争『エルサレムの包囲と破壊』デイビット・ロバーツ1850年
「定められた絶滅が荒らす者(信仰を
見失ったユダヤ人)の上に降りかかる」
(ダニエル書9章27節)
ユダヤ戦争(エルサレム神殿の破壊)フランチェスコ・アイエツ
ということになるわけです。
畢竟するに、
これが人類の分岐点となった出来事だと
ダ・ヴィンチには思えたのでしたが、
AD66年に始まったユダヤ戦争とAD70年
のエルサレム陥落(神殿崩壊)の果てに
ユダヤ人が世界各地に離散(ディアスポラ)
する悲劇の歴史は、
本当に定められていた「神の計画」
だったのだろうか
そう自問するダ・ヴィンチの目には ・・・
『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)
洗礼者ヨハネの斬首に係る経緯に
神の逡巡が見えたのかもしれません。
こうして結果的に、イエスはパウロの
シナリオによって、贖いによる愛の人と
いう大いなる「偽善者」の役を諄々と
演じさせられてしまうことになるのですが、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
出典:blog.goo.ne.jp
「完了した❕」
出典:blog.goo.ne.jp
さてさて、
そこに至るまでの顛末や詳細ついては、
また次回以降での話としましょう。
それにしても、
「裏切ったのはユダではない」
「わたしなのだ !!」
(んんッ !!)
異端としてのダ・ヴィンチの「罠」の
謎は、さらに昇華していくようですが、
画像元:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
逡巡する神に、諄々たる演技の
イエス・キリストだとよ
「逡巡(しゅんじゅん)と諄々(くどくど)って」
「クドクドではない諄諄(じゅんじゅん)じゃ」
でも、どっちも、
「グズグズってことでしょ」
・・・ って、おいおい、
ところで、
ライオン顔のイエスのミラーイメージと
どことなく、
パウロの顔が似ているような ・・・
(んなわけないがな)(考えすぎやで)
誰もパウロの顔を見ていないのに ・・・
(ゲロゲロ ・・・)
… to be continue !!
(… to be continued !!)
諄々とは、
よく分かるように丁寧に言い聞かせるさま
を言いますが、この場合には、
繰り返し教え諭す演技を指しています。
「むむむ」