「死の罠」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、
100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。
記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、
正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。
上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの
重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を
果たさなければならないのですが、漸くこれで82作目です。
さてと、それでは、ここからが、
『ダ・ヴィンチの罠 死の罠(改)』
の記事になります。
(以下、本文)
画像元:u-note.me
と語ったジャン=ポール・サルトルの言葉の
ジャン=ポール・サルトル kirinuke.com
1967年・62歳のサルトル Wikipedia
滅ぼされたのは、まだ生を受けていない彼ら
もたらすよりは、彼らを死にいたらしめて、
誤用した自由意志を奪いとることのほうが、
いいと「神」が考えたからでしょうか❓
前回投稿の
「多様性の尊重」とは、
左翼的な価値観にそぐわない意見を封じ
込めるポリコレの欺瞞にすぎないもので、
「ポリコレ」とは、端的に言えば、
反差別を錦の御旗にした左翼イデオロギー
の押し売りで、「言葉狩り」を誘発すると、
断言いたしました。
そして、「多様性の尊重」や「言葉狩り」
の先には、ディストピアなる暗黒郷世界での
悪夢が我々を待ち受けているとも・・・
小説「1984年」に代表されるディストピア
(全体主義体制下における監視社会)という
闇黒郷世界のとば口に入ってしまったような
感のする昨今ですが、
「1984」 www.cnn.co.jp &「真理省」を描いたイラスト ja.wikipedia.org
権力者たちにとって都合の悪い言説などの
統制や言論封殺が当たり前になってしまった
現実を呪わずにはいられません。
その意味からは、
「次の2世紀はニヒリズムの時代になる」との
ニーチェの予言はものの見事に外れたとも、
半分以上は当たっているとも言えるのです。
つまり、消極的ニヒリズムを選択するのか
積極的ニヒリズムを選ぶのか、によって、彼
の予言の的中度合いに違いが生じるのです。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ colorfl.net
ニーチェは19世紀の人ですので、次の2世紀
とは、20世紀と21世紀を指しますが、ここで言う
「ニヒリズム」とは、これが絶対的に正しいとか、
これが絶対に良いとか、絶対的な価値や基準
といったものが消失して、その目的や意味合い
のすべてがなくなることを意図しています。
確かに、各個人の価値判断や基準において
は、そうした絶対的なものが 20世紀には完全
に破壊され、21世紀になっても修復できないで
いることは事実でしょう。
実際、21世紀を生きる我々は、誰も絶対的な
ものがあるとは基本的には思っていません。
当然ながら、民族、歴史、文化、政治体制や
社会制度など、さまざまな形でいろいろな違い
を認め合っているわけで、すべてに共通する
これが絶対に正しい事柄など見い出すことは
できないはずなのです。
つまり、それが、本質的な意味での
ということなのです。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)www.dnv.jp
世界中が“コロナ騒動”に揺れる中で
行われた米大統領選挙での欺瞞(虚構)に
続き、“ワクチン禍”とも言える世界同一
の価値基準としてワクチン・パスポートが
指向・推進され、それらに類する反対意見
や言説は適時に統制されて言論封殺される
という事態が発生しています。
いるわけで、「多様性」は完全に無視された
画像元:yawata-mhp.or.jp
この世界には、唯一絶対的なる「神」が
存在していて「死」を含めた宇宙のすべて
の出来事(森羅万象)や時空間を「神」が
自在に制御(コントロール)しているとして
アイザック・ニュートン Wikipedia
誰にとっての時間も空間も、同じひとつの
ものであるとしたアイザック・ニュートンは、
アイザック・ニュートン colorfl.net
「絶対空間」や「絶対時間」を主張
したわけですが、
ニュートンとリンゴ colorfl.net
それは、「神」の偉大なる御業を説明する
ことであり、ひいてはそれが絶対的な「神」
の存在証明になり得たわけです。
アルベルト・アインシュタイン wakara.co.jp
『相対性理論」で知られるところの
アインシュタイン博士でした。
(ごめんね! べ~ )
アルベルト・アインシュタイン izinden.net
彼は時間も空間も相対的(E=mc2)であり、
アルベルト・アインシュタイン mc2 karapaia.com
「人によって、それぞれの時間の流れ方も
空間の捉え方も違っている」としたのです。
人が現在どうであり、将来どうあるかについて
デカルトやライプニッツと並ぶ近世合理主義
哲学者として知られていますが、
バールーフ・デ・スピノザ iso-labo.com
「神はあらゆるものに
内在するものである」
とする『汎神論』を唱えました。
アルベルト・アインシュタイン antenna.jp
「聖なる好奇心をもちたまえ。人生を
生きる価値のあるものにするために」
『汎神論』を唱えたスピノザは、
バールーフ・デ・スピノザ colorfl.net
「自由な人が考えるのは、
ほかならぬ死についてである。
そして彼の賢明さは、そこから死ではなく、
生について熟慮を始めることだ」
「賢人の仕事は、いかに死ぬかではなく、
いかに生きるかにある」
と、「死」に絡めて、「生きる」重要性
を強調します。
ここで、話のついでに、
歴史上の偉人たちの「死」にまつわる
名言をいくつか紹介しましょう。
― クラウディウス ―
「死を恐れることは、自分が賢くもない
のに賢いと思うことと同じである」
― 孔子 ―
「いまだ生を知らず、
いずくんぞ死を知らん」
― 釈迦 ―
「人は死ぬ。 あたりまえだ」
― セネカ ―
「生涯をかけて学ぶべきことは、
死ぬことである」
「ソクラテスの死」部分 salvastyle.com
― ソクラテス ―
「死というものは、実は人間にとって
最大の祝福かもしれない」
「ソクラテスの死」部分 web.fc2.com
― レオナルド・ダ・ヴィンチ ―
「このところずっと、私は生き方を
学んでいるつもりだったが、最初から
ずっと、死に方を学んでいたのだ」
― フロイト ―
「あらゆる生あるものの目指す
ところは死である」
― マルティン・ルター ―
「死は人生の終末ではない。
生涯の完成である」
ふむふむ。
なるほど、含蓄があるというのか、
いろいろと考えさせられますが、
最後に作者不明の名言をひとつ
「天国はすごくいいところらしい。
だって、行った人が誰一人として
帰っては来ないのだから」
んなわけないがな
誰ひとり帰って来ないのは、
地獄も同じだろが ・・・
まあ、こっちは帰りたくても、絶対に
帰してくれないわけだけどね
アルファに始まり、デルタ、ラムダ、そして、
オミクロンと、頻繁にその姿かたちを変えての
プロポーズに余念のないウイルスたちですが、
デルタ株など猛威をふるう変異ウイルス
新型コロナ騒動を見るにつけても、すでに、
思考実験クラスから実践的実証実験の段階を
経て、フェーズが変わり、ワクチンを介して
最終ステージに突入したと思われるほどに、
世界中が同じ思考で一色に染まっています。
いささか口幅ったいもの言いになりますが、
かねてより申し上げてきたように、
小生には、
新型コロナの発生当初から、何か釈然と
しない『違和感』があったわけですが、
『ダ・ヴィンチの罠 違和感』
それは日を追うごとに違和感から懐疑心
が生まれ疑念が高じて疑惑となり、根強い
不審が大きな不信感となって、今日現在に
至っています。
小生が思うに、
『ダ・ヴィンチの罠 設計図(改)』
『ダ・ヴィンチの罠 デルタ(改)』
などを参考にしてみてください。
あって、贅沢品の所有や娯楽を礼賛礼拝する
しかしながら、
「妊娠しておらんじゃろな」
えっ、
「きゃ、やだぁ、わたし妊娠するの!」
・・・ って、おいおい、
(なんじゃそれ) (ネタ違いかいな)
いいえ、タネ違いですが!
画像元: domani.shogakukan.co.jp
下の図は、
に登場する“いわく付き”の遍歴をもつ女性
(黄アンダーライン)たちです。
イエスの系図における4人の女性(タマル・ラハブ・ルツ・バテシバ)sandacc.org
この場では、それぞれの遍歴や経緯に
ついての言及は差し控えますが
4人の女性を代表して最初に登場する
タマルを例に挙げると、
タマル ameblo.jp
彼女は夫(エル)と、その代わりとしての
弟(オナン)にも先立たれた末に、 已む無く
遊女のフリをして義父であるユダをダマし、
その子(双子のゼラとベレツ)を宿します。
ユダとタマル stayhappening.com
タマルの行為は、当時の律法に照らせば
『姦通罪』に相当し、石打の刑に
処される重罪を犯したことになります。
そんな忌まわしい事件にもかかわらず
血統を残すために命を賭けたということで、
聖書的には評価を受けているようですが、
ユダとタマル(19世紀、オラース・ヴェルネ画)
他の3人もそれぞれに経緯は異なるもの
の似かよった内容の出来事が起こります。
言うなれば、
そうしたイレギュラーな存在に、その意味
と意図が内包されていて、それが暗黙の裡に
イエスと聖母マリアの真実を暴露すると同時
に、洗礼者ヨハネの真の姿を物語ることに