このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
「プラトニズム」の起源であるプラトンの
思想に傾倒していたダ・ヴィンチは彼が二分法
によって、この世界の理(ことわり)を理解しよう
と努めたのと同じく、彼もまた、感性よりも理性、
肉体よりも精神の優位性を認め、そのことに
重きを置くようになります。
その考えに基づき「精神性を重んじた恋愛」
を表す言葉として一般的に用いられるように
なったのが「プラトニズム」から派生した
「プラトニック・ラブ」です。
直訳すれば“プラトン的な愛”という
意味になりますが、なにも禁欲的な恋愛
をプラトンが説いたわけではありません。
元来、
我々は両性具有であるにもかかわらず、
この世に生を受けるときに、肉体はどちらか
一方の性しか持つことができないので、半身
は捨てるか、置いてくることになります。
『イブの創造』 ヨハン・ハインリヒ・フュースリー画
そこで、かつてはひとつであった、もうひとつ
(もう一人)の自分を追い求めて異性として
の魂の伴侶(ソウルメイト)を求めるという
のが、聖書 『創世記』(創造神話)にいう
「アダムとイヴの物語」の裏側にある
アナザー・ストーリーであって、
出典: blog.livedoor.jp
曰く、
『神』は「人(アダム)がひとりでいるのは
良くない」として、「ふさわしい助け手を造ろう」
としますが、家畜や空の鳥や野にいる獣など
あらゆるものをもってしても人にはふさわしい
助け手が見つからなかった(創世記2:18-20)
出典:blog.goo.ne.jp
そこで、
『神』は人を眠らせ、そのあばら骨から
女(エヴァ)を造り、人(アダム)のところへ
連れてくるわけです(創世記2:21-22)
出典:abeblo.jp
すると、
人(アダム)は「これこそ、ついにわたしの
骨の骨、わたしの肉の肉。
「男(イーシュ)から取ったものだから、
これを女(イッシャー)と名づけよう」
(創世記2:23)
要するに、女(エヴァ)は、
『イブの創造』 模写レプリカ
イーシュ(男)から分けられたのだから
イッシャー(女)と名付けられたわけで、
もともとは同じ人間(アダム)なのです。
有体(ありてい)に言えば、このときに、
人間(アダム)である(男×男)=(YY)から、
女(エヴァ)としての(男×女)=(XY)が創造
されたということですが、『創世記』には、
その前段で、すでに男性とともに女性が
造られていた件(くだり)が載っています。
便宜上、XとYでの表記となりましたが、
染色体(X,Y)とは別物ですので誤解
のないようにお願いします。
そうして
『神』は人をご自分の像(かたち)に創造
してゆき、『神』の像に これを創造された。
『アダムの創造』ミケランジェロ
システィーナ礼拝堂にある天井画の部分
『アダムの創造』ウィリアム・ブレイク画
出典:yahoo.co.jp
すなわち、
男性と女性とに、これを創造された。
(創世記1:27)
出典:midoridaichurch.jp
つまり、
アダムのあばら骨からエヴァが造られる
以前に、男性(男×男)=(YY)=アダムと
女性(女×女)=(XX)=イブ=(リリス)が
Lilith <ジョン・コリア>画
『神』により創造されていたのです。
この人類にとって最初の女性(イブ)である
ところのリリス(リリト)については、
透明人間2号と5号の誕生とも
密接に関連する物語を綴(つづ)った
『アダムとイヴのへそ <5>』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/243.html
『アダムとイヴのへそ <6>』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/244.html
『アダムとイヴのへそ <7>』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/245.html
『アダムとイヴのへそ <8>』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/246.html
に詳しいので参考にしてみてください。
土の塵からアダムと一緒に造られた最初の
妻であるリリスは アダムと仲睦まじく暮らして
いましたが、ある時、リリスはアダムに対して
対等の立場を要求します。
要約すれば、
一切の行為(性交渉も含む)に関して対等
の権利を主張し、それが受け入れられずに
出奔(家出)をするわけです。
これが、『神』にとっての躓(つまず)き
の始まりでした。
『聖書』が述べる『神』の目的は、
「われわれのかたちに、われわれに似せて
人をつくり、これに海の魚と、家畜と、地の
すべての獣と、地のすべての這(は)うもの
とを治めさせよう」(創世記1:26)
とするものでした。
こうして『神』は、『神』の像(かたち)
に人を男と女とに創造し(創世記1:27)
『神』は彼らを祝福して言われた。
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせ
よ。 また、海の魚と、空の鳥と、地に動く
すべての生き物とを治めよ」(創世記1:28)
もう、お分かりですね
家出をされては「生めよ、ふえよ」
の話どころではありません
そこで『神』は、
「アダムがひとりでいるのはまずい」と思い、
ふさわしい助け手としてアダムのあばら骨で
エヴァを造ったという次第です。
アダムと同時期に土から創造された女性
リリス(イブ)は、(女×女)=(XX)であり、
のちにアダムの肋骨から造られたエヴァは、
(男×女)=(XY)ですので、別の人間です。
要は、
人間の本質に隠されている属性には、
【男×男】 アダム型=ゲイ性向
【男×女】 エヴァ型=標準性向
【女×女】 リリス型=レズ性向
の3種類があり、肉体的な性別の他にも
精神的な属性をもっているということです。
上記「プラトニズム」の概略については、
『ダ・ヴィンチの罠 小宇宙』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/429.html
を参照してみてください。
「To be, or not to be:
that's not the question」
「ハムレット」ではありませんよ。
「彼とすべきか、彼女とすべきか、
それは問題ではないのです」
そう、この人の性別は「男+女」なんです。
えっ、「モナ・リザ」
あぁー、いやいや、こっちでしたね
あれぇ、なんか、どこかで見たような
デジャヴの如き展開ですが ・・・
え~っ、さてと、定説(通説)では、
『最後の晩餐』で、イエスの右隣り
(向かって左側)にいる彼女、否、女性らしき
人物は使徒ヨハネだとされてきました。
しかしながら、
彼女は彼であり、彼はまた別の彼女であり、
また違う彼でもあるわけで、
前述の「プラトニズム」から導かれる
3パターンの隠れた属性を代表させる
配役(キャスティング)になっているのです。
この人物を『ダ・ヴィンチ・コード』
では、マグダラのマリアだとしているわけです
が、彼女でもあり、聖母マリアでも、アダムの
最初の妻リリスでも、後妻としてのエヴァでも
あり、アダムでも、イエス・キリストでもあって、
もちろん、使徒ヨハネでもあるわけですが、
而して、その真の正体はダ・ヴィンチ自身
であるのかもしれないのです。
そして無意識なる領域から訴えかけてくる
サムシング・グレートのメタファ的
な寓意として、のちに 『モナ・リザ』
や『聖アンナと聖母子』の聖アンナ
および『洗礼者聖ヨハネ』 など ・・・
『モナ・リザ』『聖アンナと聖母子』『洗礼者聖ヨハネ』
最後まで手もとに残していた3枚の油彩画
に共通する謎の微笑として再現されて
いるものがそれを如実に物語るわけですが、
畢竟、ダ・ヴィンチは最後の最後になって
『洗礼者ヨハネ』を描きます。
そこにおいて、
彼は彼女であり、彼女は彼であることを意図
していたフシが窺えるのは、もう明白ですね。
要するに、
両性具有の視覚的寓意は残された3枚
の絵に通底するテーマのひとつだったのです。
ところで、
昔、「琴姫七変化」という時代劇のドラマが
放映されていましたが、
『最後の晩餐』のヨハネ 『岩窟の聖母』のマリア
この使徒ヨハネに配されるキャスティングは
七変化どころか怪人二十面相も
真っ青になるくらいに重層的な役回りであり、
極論(視点を変えた見方を)すれば、
(上の画像とは逆角度の視点で見た場合)
中央に陣取るイエスを凌駕するばかりか
イエスを表の主役とすれば裏の主役
や光に対する影の主役という側面の他
にも、表面的には名目上も、形式の上からも
『最後の晩餐』の告白のシーン
を装いつつ、実質的には人類の歴史と
未来の出来事を代弁する「罠」の
総合的な主役たる位置づけにあるのです。
光と影のコントラスト
そうです。
初めに『神』は天と地を創造された
(創世記1:1)という天地創造から始まる
『創世記』の記述によれば、
人類の歴史は「エデンの園」から
スタートしますが、
『エデンの園』 出典:ameblo.jp
そこが人類の苦難の始まりでもありました。
なぜなら、
それ以前にあった出来事としてのおぞましい
記憶がすっかりと消されてしまっていたのです。
『アダムとイヴ』 ルーベンス画
「わしがアダムであんたが
エヴァってのはどうじゃ」
「ペテロ役や言うてるでしょ」
オッサン。
… to be continue !!
【天地創造の六日間】
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