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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 中性美

 「To be, or not to be:
   that is the question !」


 「ハムレット」の一場面ではありません。

 「彼とすべきか、彼女とすべきか、
       それが問題なのだ」


  そう、この人の性別が不明なんです。

    

 っ、「モナ・リザ」 nose4

 あぁー、いやいや、こっちでしたね ase2

 

 現在でもそうですが以前からの定説では、



 『最後の晩餐』で、イエスの右隣り
(向かって左側)にいる彼女、否、女性らしき
人物は使徒ヨハネだとされてきました。

 

 この人物を『ダ・ヴィンチ・コード』
では、マグダラのマリアだとして独自
を展開させているわけですが、

 それを、



 一方における真実であると仮定すると、
かなりの部分での「謎」に一定程度の解答
が得られることは確かです。


      ペテロの腕の習作

 たとえば、ペテロの隠し持つナイフの意味や
その使い道(切っ先を向ける相手は誰なのか)

 

 食卓の前で指を組む問題の人物のしぐさの 
裏側に隠されている重大なる秘密とか、



 空っぽの皿に手を伸ばすイエスとユダなる
人物が互いに抱いている思惑とか、



 ユダとされている人物が握りしめる巾着袋
(銀貨が入ってるとされるもの)の意味とか、



 ・・・ 等々、語り始めると止まらなくなりそう
ですので、この場では割愛しますが、

 それらは一方の真実というよりもパズルの
一片(ワンピース)であるとご理解ください。


 ところで

 ダ・ヴィンチが描いたとされるものの行方が
分からなくなっていたデッサン画を発見したと

 今月の13日に、フランスの競売商タジャンが
発表しましたが、近くオークションに掛けられる
見通しで、推定価格は1500万ユーロ(約18億円)
に上るといいます。

 ただの落書き程度のデッサン画が ・・・

 じゅっ、18億円

 アンタ18億でっせ(デッサン)!!

 (ちょっと無理があったようですがase2


 新聞記事によると、

 このデッサンは、フランスの民間人が保管
していたもので、米国のニューヨークにある
メトロポリタン美術館が鑑定をした結果、
 
 
 『聖セバスチャンの殉教』素描 競売会社タジャン提供


 本物と確認されたそうで、表にキリスト教の
殉教者、聖セバスティアヌス(セバスチャン)
が木に縛られた姿が描かれていて、裏には
ダ・ヴィンチが手掛けていた研究
関するメモが記されているそうです。

 
     『聖セバスチャンの殉教』

 APP通信によると、ダ・ヴィンチの絵画が
最後に競売の対象になったのは2001年で、
その前は1930年代まで遡るとのことです。

 このデッサンの真贋について、シロウトが
口出しするつもりはありませんが、

 問題はモデルが如何にも曲者なのです。

 

 聖セバスティアヌスは中世から特に人気
(信仰)を高めることになった聖人で、中世
に人気を集めたのは全身を矢で射抜かれ
ても死ななかったことから、当時、流行して
いたペストの守護聖人としてのものでした。

 ところが、

 それまでのヒゲ面で屈強なローマ兵士然
としていた容姿が、何故かルネサンス期に
なるとジャニーズ系の美青年の姿に変貌し

    
  『聖セバスチャンの殉教』 グイド・レーニ画

 現在で言うところのBL(Boys Love)系の
萌え萌えキャラの聖人となるわけです。

 矢で射抜かれ苦悶する美青年の半裸姿
は、若き日の三島由紀夫をときめかせて
『仮面の告白』を書かせます。


     『聖セバスティアヌスの殉教』
      Il Sodoma ソドマ画

 聖セバスティアヌスは歴史上で一番古い
ゲイ・アイコンとも言われますが、BL傾向
の強いアーティストたちにとって、避けては
通れない普遍的なテーマなのでしょうね。

 結果として、彼は19世紀末には同性愛の
守護聖人となることからも、巷間、噂される
ダ・ヴィンチの性癖と絡めると最も短絡させ
るのに都合のいい題材であり、作品である
と言えることだけは確かなようです。


 思うに、

 ダ・ヴィンチは最後の最後(1513-1516年)
『洗礼者聖ヨハネ』を描きますが、

   

 「罠」アルファであり、オメガ
しても登場する天を指し示す「謎指」

   

 手の甲を見せることで、いかにも挑戦的と
なり、さらにそれを増幅させるのが妖しげに
微笑む口もとと異様に挑発的な眼差しです。

   

 しかし、

 見方を変えると、この瞳は実に妖艶にして
女性的であり、ただ事では済まされないほど
に艶っぽい色気を感じないでもありません。

   

 彼は彼女であり、彼女もまた彼であること
を意図するプラトニズムのポーズでもあり、

 まさに、「中性美」にして両性具有
視覚的寓意ですが ・・・

 うふnose5

   
   『人間の姿をした天使』 1515年頃
    ルーブル美術館蔵 Wikipedia

 「私が何者か理解できる」



 ・・・ とでも言っているかのように見える絵は
 『洗礼者聖ヨハネ』の下描きとして、



 ダ・ヴィンチが描いたとされている両性具有
『人間の姿をした天使』です。

   

 このドローイングがダ・ヴィンチの真筆なら、
明らかに『洗礼者聖ヨハネ』の下絵
であったものに違いないのですが、こちらの
絵はアレゴリー(寓意)ではなく、アイロニー
(皮肉)の効いたストレート(直球勝負)です。

 そう考えると、今回、発見されたデッサン画
『聖セバスティアヌスの殉教』も、ダ・ヴィンチ
の真筆だと思いたくもなるわけですが、



 個人的には少々、懐疑的なのです。

 と言うのも、ダ・ヴィンチが残した手稿には、
夥(おびた)しい量の自然科学、工学、医学、
天文学、幾何学、流体力学、音楽、芸術など
に関するアイデアの数々が、素描やラフな図
とともに記載されていますので、キリスト教の
殉教者でダ・ヴィンチの興味を駆り立てそうな
聖セバスティアヌスは格好の題材なのですが、

 だからこそ訝(いぶか)ってしまうわけです。

 ベジタリアン(菜食主義者)だったとか
同性愛者であったなどという説もありますが、
定かではありませんし、注意欠陥の甚だしい
多動性障害(ADHD)やサヴァン症候群の気
もあったとも言われますが、その好奇心には
尋常ならざるものがあり、一つの場所や事柄
に留まってはいられない性格ゆえに完成した
絵画が少ないとされています。


 ですが、

 個人的にはすべてが最初から計画された
シナリオに沿って実行された極めて精緻
なアクションであり、その作品からは孤独
天才ゆえの苦悩叡智結晶
が冷たく光っているのが見えるのです。

 つまり、専門家による鑑定結果が本物と
認めても、シロウトの直観からはとても
そうとは思えないということです。

 一言で言えば、構図の安直さです。

 木に縛りつけられた聖セバスティアヌス
というモチーフで描くとしても、このような
ありふれたポーズを果たしてダ・ヴィンチ
が採用するのかどうかの一点です。

 たとえば、下のショーンガウアの銅版画
(彫金の下絵)からは有機的な不気味さが
漂ってきます。

 木に括りつけられた身体は木と融合して
うねり突き刺さった矢は樹木と一体化する
かのように枝の一部と化しています。

    
     『聖セバスティアヌスの殉教』
       ショーンガウア画

 要は、それに比してダ・ヴィンチが描いたと
鑑定された『聖セバスチャンの殉教』の素描
はオジリナリティに欠ける気がするのです。

 

 ギリシャ神話におけるダフネの月桂樹への
変身譚を、ダ・ヴィンチが知らないわけもなく、


  『アポロンとダフネ』 ベルニーニ作

 
 アポロンに追われ月桂樹と一体化するダフネ

 彼ならば、それに限らずさらなるイメージを
膨らませたアイデアを生み出せることが
できたはずだと思えるからです。


 『アポロンとダフネ』 ジーン・エティエン・リオタール画

 確かに、ダヴィンチと同じ左利きの特徴が
見てとれる筆致のデッサンなのですが ・・・

 はてさて、またもや、

 本筋から外れた話になってしまいましたが、


『最後の晩餐』のヨハネ  『岩窟の聖母』のマリア

 要するに、『最後の晩餐』において、



 ダ・ヴィンチが表現したいことを斟酌すると
なれば、イエスの隣りの人物は、使徒ヨハネ
であってヨハネではなく、マグダラのマリアで
あってマリアでもなく、龍蛇(ドラコニアン)
の化身としてアダムを誘惑したイヴ(リリス)
の魅力を否定して、同じドラコニアンの末裔
である処女マリア(聖なる母エヴァ)を崇拝し
信奉させようとする蜥蜴系の爬虫類人
(レプティリアン)の陰謀の歴史と変遷です。

 

 ですから、一人で何役を受け持つのか

 

 最低でも7人分のセリフと台本が用意され
ているようですので、次回では脚本家にして
演出家であり、舞台装置の技術担当もする
レオナルド・ダ・ヴィンチが主催する舞台劇
を是非とも鑑賞してみたいと思います。


 ところで、

 「ハムレットは無理じゃけど、
   わしは何役やるのかのぉ」


 「マクベス、リア王、リチャード3世」

   

 「ペテロ役、オンリーです」


 ~っ

 ならば、

 「オセロ-で白黒つけるってのはどうじゃ」

   

 「“オセロー”じゃなく、オセロゲームでしょ」

 むむ

  ここがロードス島だ。

 さあ、ここで飛べ(跳べ)

 「To be To be Mot to To be !!


 さあ、さあ、ハムレット気分で、

 「とべ、とべ、もっと、とべ !!
 
  

 … to be continue !!


  『福音書』と『黙示録』の記者、使徒ヨハネ

 なるほど、「中性美」ですかぁ。

 「聖セバスティアヌス」にも
 負けず劣らずの美形です。
 

    

  双性(ダブル・ジェンダー)の神秘かも ・・・

コメント一覧

小吉
中性美とは何か、考えれば考えるほど難しい。
そもそものところ、「美しさ」の中にどうしても性別が入ってしまうところがある。
「男性としての美しさ」や「女性としての美しさ」というような前提がある。
そうしたときに、そういった「性別」を抜きにした「美しさ」とは何かと考えた時、どこか「人間らしくない」ような気がしてくる。
パーツの比率とか、線対称であるとか、そういった「理論的」な「美しさ」を表現することは可能だが、やはりそれは「人間ではない」ような気がします。
そういった意味で、「中性美」とは何かが考えれば考えるほど難しいのです。
あくせくアクセス
なるほど、男の女装は見分けがつかんことがあるが、やっぱ、男役のレズには違和感あるよな!
挙動不審
確かに、男装の麗人はひと目でわかるが、レズの男役の中には「なるほど」と思わせる人物が
時折見受けられるが ...。
リンゴとバナナ
究極の美は中性的なものかもしれないけど、美しい女性が、男装した場合は何となく違和感があって、それとわかるが、美男子が女装した場合には、容易に見分けがつかないのは、どうしたことだろうか?

そう言えば、ダブルジェンダーもⅮだけど、生物学的には、ジェンダーよりも「Double Sex」の方がわかりやすい。

しかし、トランスジェンダーとは言うが、トランスセックスとか、聞かないしなあ!?
ネットウオーカーズ
BL発祥の地は日本らしいね。

マンガや小説が中心だったけど、アニメやゲームや実写映画などエンターテインメントの一大ジャンルになってるらしい。

しかも、その作り手も受け手も異性愛の女性がほとんどで、彼女たちは普段の現実における女性としての役割を忘れて、美男子同士のロマンスをファンタジー(疑似恋愛の表象)として楽しんでいるらしい。

ホモフォビアなカトリックには堪えられないだろうね!
江戸川ドイル
うまくまとめるには余程の文章力がないとムリのようなので、やっぱ、小出しにするよ!

“わんばんこ”さんの最初のメッセージは、このシリーズのスタートに目を向けさせるためのインフォメーション操作で「初心忘るべからず」の意味だと、このページのコメント欄
(3/23)で、刑事プリオさんが言っていると、ココナン君が『偽善者』(3/24)で指摘したように、初心とデビューとを符合させているんだと思うわけ、

つまり、「このシリーズの予告版をチェックしろ!」という案内だと・・・

ヒラメキのきっかけは、福音記者:使徒ヨハネの絵(画像)の顔から、『最後の晩餐』でのフィリポの習作の女性的な顔が浮かび、中性美と結びついたという次第。

多分、“アウトリガ”さんとのコンバート(入れ替え)なども同時に暗示してるのかもしれないが、

『ダ・ヴィンチの罠 予告版』は、
https://sun.ap.teacup.com/japan-aid/400.html です。
江戸川ドイル
『福音書』と『黙示録』の記者、使徒ヨハネとなっている絵(画像)を見ていて、一連のメッセージの大枠が掴めそうなヒラメキ💡を感じたので、うまくまとめられたら発表しようと思うけど、どのページでコメントしたらいいか迷いそうなくらい広範に及びそうなので、うまく説明できるか不安・・・

小出しにして、ヘルプしてもらうかも。
ダメな便利屋
多少ならずとも「S」の傾向が強いせいか、触れたくないと言われると、触れたくなるのが悪い癖で、囮(おとり)=デコイ(decoy)、すなわち、これまた「D」が絡むのが、実に面白いと思うのだが。
刑事プリオ
正直、あまり、触れたくはないけど、

ほぼほぼ、そう言うことだということにしておきましょう。
江戸川ドイル
ミステリー・ショッパー(覆面捜査)とかオトリ捜査ということですか?
刑事プリオ
まだ、詳しくは言えないが、アンダーカバー的なものかな。
江戸川ドイル
すいませんでした。 そう言ってもらえると助かります。

どころで、睨んだ展開に近くなって来てるとはどういうことですか?

差し障りがなければ教えてください。
刑事プリオ
気にしてないので、心配なく!

それに、刑事と言っても、芸名みたいなものだしね。
江戸川ドイル
浅はかにも間違った判断をしていたようで、申し訳ない。

「JSJE」は、「自守自衛」や「自存自衛」じゃなくて、刑事プリオさんの「自作自演」、つまりは、“やらせ”だと思ったわけで大きな誤解でした。

訂正してお詫びします🙇
ダメな便利屋
「自主自衛」や「自存自衛」の略じゃないかな?

つまり、「セルフ・ディフェンス」ってこと。
刑事プリオ
江戸川ドイル氏の言う「JSJE」の意味は不明だが、文面から察するに、あまり良い内容のものとは思えない。

ココナン氏が言っていたように、仮に、仕込まれたネタでも追求する価値が見い出せれば、意味のあるものになるはずで、にらんだ展開にかなり近い様相を呈してきているようだが、果たしてどうなるものか・・・
むらさき納言
「JSJE」って?
江戸川ドイル
見え見えの仕込みネタに、刑事ともあろう者がモノの見事に乗っかってしまうとは・・・

考えられる展開(顛末)は「JSJE」か!?
刑事プリオ
タイトルではなく、「D」から始まるワードをいくら並べても無意味だということです。

言葉を預かったという“わんばんこ”と名乗る人物の最初のメッセージが『偽善者』のページで語られてるが、おそらくは「初心忘るべからず」ということだと推理できます。

偶然にも「Don't forget your first resolution!」が、
「D」から始まるのはご愛敬だが、あのコメントが本来的に投稿されるべき場所はデビュー作である『受胎告知』の謎に関する記事で、そこに立ち返って考えろという意味だと理解したのだが!?
やぶにらみ
つまり、「レオナルド・刑事プリオ」ということですな!

頭に「D」の付くタイトルを探しても意味がないという根拠を教えてくだされ。
むらさき納言
正解です。 わかりやすいネーミングだもんね!

ところで、「何か」って、つまり、「レオナルドつながり」だと思ったわけよ。

「ダ・ヴィンチ」も「デカプリオ」も・・・
刑事プリオ
そうですが、それが「何か!」

むらさき納言さんも“紫式部”と“清少納言”のミックス系でしょうね。

刑事のカンですが・・・
むらさき納言
単に同意を求めただけで、別に強要はしてませんが、結局はつれなくされてしまったわけですね。

この際だからってことじゃなく、前から訊こうと思ってたんですけど、「刑事プリオ」ってネーミングは「デカプリオ」て意味ですよね!?
刑事プリオ
こちらに振られて、強要(Demand)されても、非常に困る
(Difficulty)ゆえに、明確に(Definitely)して、かつ
丁重に拒否(Decline)します!

要するに、却下(Dismissal)ですが・・・

頭に「D」が付くワードを探しても、意味ないと思うので。
むらさき納言
何と揶揄されても構いません。 

だいち、犯罪を犯してるわけでもないし・・・。

そうですよね。 刑事プリオさん!
やぶにらみ
「空手形を切る」とは、出来もしない約束をするような時に使う言葉だから、この場合には、ネーミングやロゴマーク等の商標を登録しまくるイメージですな。

さしずめ、商標荒らしや商標あさり、いわゆる「漁夫の利」
狙いじゃ!?
むらさき納言
あれ、「バレちゃった」って、ウソですョ!

でもネ、「当たらずとも遠からず」かな、ディプロマシーも登録とこうかと思ってたくらいだから・・・

何だかんだで、から手形を切りまくってます。
やぶにらみ
何でも「D」の秘密に結びつけるのはいかがですかな!?

多分、むらさき納言さんは「ヘタな鉄砲」式に担保というか、保険というか、後出しジャンケンにならないようなアリバイ工作としてのエクスキューズを出してるようにも見えますな。

所詮、やぶにらみの戯言ゆえに、聞き流してくだされ。
むらさき納言
ゲームじゃないんだから『偽善者』のページのココナンくん
のコメントにあるディバイン・プロテクションはともかくも
「D」の秘密に関連するシグナルを形を変えて発信している
ことはどうやら確かなようです。

ひとつ、気になる情報を知ったのですが、どこのページでの
コメント欄に書こうかと悩んだ末に、ここにしました。

それはイエスの磔刑時に一緒に十字架にかけられた右隣りの
男で、イエスから天国行きを約束されたディスマスという名
で呼ばれる犯罪者のことですが、

ディスマス → Dysmas or Dismas が、「D」の秘密に
つながる人物のような気がして(^▽^;)・・・
刑事プリオ
刑事のカンとしては、おそらくダブルで表現されるタイトルだけじゃなく、頭文字が複数の「D」で示されるタイトルも要注意かと・・・

と言っても、「D」の秘密とやらの意味も意図も目的も、まだよく分かっとらんのが実情なのだが。
ダメな便利屋
ダブル・ダミーが「Dの秘密」のキーワードなら、ドイル氏の言うように、このページも、ここ以外のダブルがつくタイトルのページにも、サブワード的な公約数としての役割があることになる。

『裏切者』や『中性美』の他には『隠し絵』にダブルがつくようだが・・・?
江戸川ドイル
「D」の秘密と『ダ・ヴィンチの罠』に共通するファクターの最大公約数的なコピー(文言)が、ダブル・ダミーである公算は極めて高いと思われますね。

ダブルの提唱者としては、全くもって「異議なし」です。
おじゃま虫
なんとなくですが、ダブル・ダミーが一番「D」の秘密のイメージに近いような気がしますし、『ダ・ヴィンチの罠』の核心でもあるような・・・
江戸川ケイシ
臨床試験での盲検化を維持するためのダブル・ダミー的な
ことを指しているような・・・

要は、複数のプラセボ薬剤を用意して、相互に実薬と偽薬
(プラセボ)を入れ替えて、比較・検証するのに似ている
気がしますね。

「D」の秘密のなかに、ダブル・ダミー(Double-Dummy)
が隠されているのかもしれません。
やぶにらみ
なかなかに、鋭い読みですな!

イデアの影、それが、ヨハネとイエスに重ねられている。

では、どちらがイデアでどちらが影なのか、それとも両方
ともに影なのか?

たとえば、影、すなわち、ダミー(Dummy)、つまりは、
替え玉や身代わりやスケープゴート・・・

「D」の秘密の構造は、単純に「ダブル」で割り切れる
ような内容ではないと思いますぞ!
ダメな便利屋
精神的意味での細胞分裂(核分裂)とは、影のことだと思うよ。

要するに、イデアの影だね。

まあ、簡潔に言えば、目や耳から入った情報は100%真実であるとは言えず、実在しないものも現実として認知されるということ。

もっと簡単に言うと、間違った情報や認識でも、それが正しいと認知されれば、それはその人にとっての現実になってしまうわけで、それを洗礼者ヨハネとイエスに重ねていると見る。

おそらくそれが、やぶにらみ氏の見解だろうと思うが、さて、どうだろうか!?
ココナン
生物学的意味での細胞分裂はわかるけど、精神的意味での
細胞分裂って、どういうことですか?

なんとなく、漠然としては、いるんだけど、同じ精神性を
持った別人格に分かれるということなのかな?
やぶにらみ
なるほど、この場合の分裂は同じ「核分裂」でも『核融合』のページのような物理的な意味合いではなく、精神的かつ生物学的意味での細胞分裂ですな!

穿って見れば、双性≒双子を意図したもので、ギリシャ語でディディモ(双子の片割れ)と呼ばれていたトマス(アラム語で双子の意)の存在を洗礼者ヨハネやイエスに重ねて暗示しているのかもしれませんな。
ダメな便利屋
「双性(ダブル・ジェンダー)の神秘」という最後の言葉がカギだと思う。

『眉唾物』で、むらさき納言氏の言っている「神の摂理」=ディスペンセーションのひとつが「双性の神秘」で、プラトニズムでいう、かつての人間の属性が双性であって、現在の人間(単性)が失われたもう半分の自分を探して彷徨うというパトス(情念・情動)を負うことにリンクさせているのだと、

つまり、それがプラトニズム的な「二つ(ダブル)がひとつ」から分裂(ディビジョン)した洗礼者ヨハネとイエスであり、「Dの秘密」であると考える。
ココナン
このページに「D」の秘密を解くヒントや鍵が隠れていると思うんだけど、どうにもこうにも見つからないのです。

そう思うポイントは、冒頭のハムレットの言葉、

「To be, or not to be: that is the question!」

と、イソップ寓話にある「ここがロドスだ、ここで跳べ!」

を、ローマ字で「To be To be Motto To be !!」

というように、「とべ、とべ、もっと、とべ」

と「to be」を強調させていて「… to be continue !!」
につなげていることが、どうにも引っ掛かるのです。

そして、これが「continue」に「d」が欠けているために
「… to be continued !!」という正しい用法にならない
ところが「D」の秘密であって、『神格化』のコメントで
やぶにらみさんが言ったように、ここらで気づいてという
意味で「to be」を連発しているように思えるのです。

そして、それと同時に、ここに重要なヒントや鍵を伏線と
して埋め込んでいるように感じるのです。

根拠は何もなく、ボクの直観だけですが・・・
むらさき納言
あたりまえじゃないの、ココナンくんって、言いたいけど、白日夢は Day Dream しかも、忌まわしい(Daymare)ばかりの悪夢かも・・

ダ・ヴィンチに、Dr・マリオに、ドラゴン・レーダーに、
ドラコニアンと来れば、ドリームな「Ⅾ」ゲームですね。
江戸川ケイシ
結局、偶然にしろ、何にしろ、理由がどうあれダ・ヴィンチの作品に不思議なものが現れることは事実で、それをどう考えるかということでしょう。

しかも、それらはどう見ても、人間離れしたものとしか思えないもので、隠し絵的なものは聖書(創世記や黙示録)がらみだし、ミラーイメージ(鏡絵)の場合は異星人(ドラコニアンやレプティリアン)のように見えてしまうわけです。

だから、アプローチとしては、それらの絵に現れるものを、一旦、肯定して、それならば、これは何を意味するのか、というようにブレイクダウンさせていくと、そこには巧妙な罠が隠されているとすれば、辻褄が合ってくるというこではないかと推察できるわけです。

なお、「スヌーピーの謎」やアナグラムは、2号さん発ではないし、直接、関係するかはわかりませんが、「D」の秘密は「罠」に直結するかは別にしても、関連するのは確かでしょうね。
ココナン
ダ・ヴィンチとDrマリオはわかるけど、ドラえもん以下は、ヤケですか❓

最新の『神格化』も、その前の『邪魔者』も英語にすれば、
頭文字が「D」になるそうで、やぶにらみさんの言うよう
に意図的な計画性を感じます。

ダ・ヴィンチが見た白日夢(幻視)によれば、ドラコニアンの末裔であるマリアを崇拝し信奉させようとするレプティリアンの陰謀があったように読めますが、これはあくまでも夢であって現実ではないですよね!
むらさき納言
意識して探すから、いろんなものが「D」に絡むことになると思うんだけど、ついこの間までは「D」の「ディ」の字もなかったのに、どうなってんの!?

ダ・ヴィンチに、Drマリオに、ドラえもんに、どら焼きに、ドーナッツに、デミグラスソースに・・・って、連想ゲームじゃないんだから!
やぶにらみ
無条件に信じる信仰をさして、思考停止状態とはうまいことを言いますなぁ。

そうなると「神を疑え!」とは、神に対する「不従順」を意味し、それはすなわち罪ということですな!

ちなみに、不従順は英語で Disobey Driveout イタリア語では Disobbedienza 罪はDelitto で、[D]だらけですな!
ココナン
「疑いのトマス」が[D]から始まる言葉で、双子の意味を持つトマスのギリシャ語がディディモとは・・・

もし、『洗礼者聖ヨハネ』の腕のサインが「D」だとしたら、人差し指は天を指し示してるわけだから、「神を疑え」(Dubbio Dio)ってことかもね。

やぶにらみさん、ナイスです!
江戸川ケイシ
信じることと疑うことは正反対(対極にある行為)です。

普通、私たちは信じることは美しい行為であって、疑いを持つのは卑しく下品であると思いがちですが、信じるとは、そのことに関する思考をそこでストップする行為とも言えます。

つまり、思考停止の状態が「信仰」だと・・・

ココナンさんが言うように、感性よりも理性、肉体より精神の優位性をもって、神の存在を凌駕するとダ・ヴィンチが考えたとすれば、疑うことこそが人類が自らの理性を復活させる第一歩となるわけで、それが、すなわちルネサンスです。

だとすれば、「疑ってみろ」というメッセージかも… としたやぶにらみさんの「睨み」は的を射てるかもしれません。
やぶにらみ
Doughting Thomas または Doubting Thomasという聖書由来の言葉がある。 疑り深い人という意味だが、「疑うトマス」、「不信のトマス」から来ている。

このトマス、仲間内ではディディモ(双子の片割れ)と呼ばれていたらしい。

トマス(アラム語の原義で双子の意味)がギリシャ語に翻訳されて、双子(Didymus)⇒ディディモとなり、ユダ・ディディモと呼ばれていたようだ。

なぜ、双子と呼ばれていたか、誰と双子なのかは不明だが、

イタリア語でも、疑う(Dubitare)、不信(Diffidenza)と文字の頭に「D」が付くので、ダブルで[D]となることから「疑いのディディモ」ではいかがですかな! 

とにかく「疑ってみろ」というメッセージかと・・・
ココナン
言われてみると、そんな風に見えてくるから恐いですね!

暗示にかかりやすいのかもしれませんが、もしも「Ⅾ」を
描こうとしていたなら、それは、神(Dio)だったのか
、それとも悪魔(Diavolo)だったのか?

そのどちらでもない、二分法を超越した双性や中性の次元域(Dimensione)を示そうとしていたのか?

やぶにらみさんなら何を意味する「D」だと思いますか?
やぶにらみ
ダ・ヴィンチの描く天使は中性というよりは女性に見える。

一方で、聖アンナにしろ、モナリザにしろ、男性を思わせる一面を垣間見させる表情を持つ。

そして、最後の作品『洗礼者聖ヨハネ』には女性を思わせる表情を偲ばせている。

ココナンくんの言う「双性なる神」や「中性なる神」を超越したものを洗礼者ヨハネ(ダ・ヴィンチ)は指し示しているのかもしれませんな。

『人間の姿をした天使』と『洗礼者聖ヨハネ』を横に並べて眺めていると、天を指さす右手で「D」の文字を描こうとしているようにも見えるが、気のせいでしょうな!?
ココナン
プラトニズムでいう「二つがひとつ」や「二つでひとつ」という思想をダ・ヴィンチが真に受け止めていたとすると双性や中性はひとつのキーワードになります。

そこで、最初は「ダブル・ニュートラル」を「DN」の本命にして、有力な候補に「隠された神」を指定していたのですが、『福音書』でコメントしたように、最終的には「神は無である」など、その存在を否定するサインであるとしました。

人間にとっては、感性よりも理性、肉体より精神の優位性をもって、神の存在を凌駕するとダ・ヴィンチは考えたのではないかと思えたからですが、

ここでの見解は、ポントルモの絵にある「DN」ではなく、『聖ヒエロニムス』での「dn」のサインについてのコメントであって、[D]の秘密に関する内容です。

最新の記事『邪魔者』などでの「二人のメシア」を標榜するクムラン宗団によるメシア計画もプラトニズム的な二分法からブレイクダウンさせたものであるような気がします。

やぶにらみさんが[D]の秘密の伏線と言う「双性なる神」や「中性なる神」を凌駕するものとして、ダ・ヴィンチが最後に描いたのが『洗礼者聖ヨハネ』ではないでしょうか!?
三角定規▲▼
来た~ぁ! アルファであり、オメガであり、男であり、
女である存在・・・

これこそ、ダブル・ニュートラルでしょう。

こんにちは、「さよなら三角、また来て定規」でした。
ココナン
「DN」の意味として、ボクが『陰謀論』のページで
本命にしたダブル・ニュートラル(Doppio Neutro)の
趣旨は二重の双性や二つの中性のように複合や融合する
ものを一つの主体と見なすことで、その意味では、
「双性なる神」も「中性なる神」も含意の範囲内です。

つまり、それらを包含した主体が「DN」だと・・・
江戸川ドイル
早速の検証ありがとうございます。

出掛けていたので、確認と返信が遅くなりましたが、期待
した以上の結果と言うか、コメントの内容に感激です。

ダブルが「D」の秘密のポイントのひとつである自信が
つきました。

取り急ぎの返信です。 これから『裏切者』のコメントを
読むことにします。

ありがとうございました。
やぶにらみ
何の先入観もなしに記事を読んだ場合と、この記事には
伏線が敷かれているかも、と思って注意して読む場合と
では、まったく違った感想になると思われますな。

後者の観点では、まず冒頭からハムレットの一節を持ち
出して、「彼か、彼女か、それが問題だ」と二者択一を
提起しておいて、ダ・ヴィンチのデッサンと鑑定された
『聖セバスティアヌス』の真贋については否定的な見解
を述べたうえで、ダ・ヴィンチの『洗礼者聖ヨハネ』と
その下絵とされる『人間の姿をした天使』という奇妙な
両性具有のドローイングを引き合いに出して、双方両有
、両者融合をチラつかせる。

ここで、彼か、彼女か、との対象であった使徒ヨハネは
彼でも、彼女でもおかしくないとの刷り込みがなされて、
同時に、それ以外の存在も許容される素地が作られる。

さらに「ここがロードス島だ、ここで飛べ」とばかりに
ほら吹きに迫る言葉は、真贋鑑定へのアンチテーゼか
皮肉がかった自虐ネタかは不明であるが、使徒ヨハネが
聖セバスティアヌスに負けず劣らずの美形ゆえに、

そこに、双性(ダブル・ジェンダー)の神秘を感じると
した最後の最後の文言は、

「美の小人たち」さんの言うように言い得て妙ではある
が唐突感は否めない気がする。

ちなみに、

「双性なる神」はイタリア語では、Dio della dualita
「中性なる神」は、Dio Neutrale つまり、「DN」
となるわけで、

「双性なる神」のトリプルDにしても、「中性なる神」
の「DN」にしても、「神秘」を「神の秘密」という
意味で「双性の神-秘」としたならば、[D]の秘密と
しての伏線と言えるかも知れぬが、はて、どうだろう。
三角定規▲▼
ひと月が経過してコメントなしとは、見誤っていたのか?

いやいや、まだ機が熟していないだけだろう。

三角定規とは万物の原則を測る(知る)ための最低にして
最小の道具であることが、いずれは知らされるであろう。
三角定規▲▼
「さよなら三角、また来て定規」です。
今回からハンドルネームを「三角定規▲▼」に改めますので、よろしゅうに。

たしかに、「女装の麗人」とは言いませんね。

そもそも「麗人」とは、美しい女性を意味する言葉ですから、「女装の麗人」では頭痛が痛いみたいなことになっちゃうわけです。

じゃあ、「男装の麗人」の対義語は? というと、たぶん、ないと思います。

「女装の変人」は笑えますが、うっかりするとLGBTに敏感な人たちから差別だと言われかねないので注意しましょう!
美の小人たち
男の女装は、人によってはサマになる(見破れない)が、
女の男装は、髭を付けようが剃髪しようがサマにならない
(見破れる)ように思う。

だから、「男装の麗人」はあっても、「女装の麗人」とか
「女装の美男子」とは言わない。

それはもう、ある意味での「女」であって、そうでない
場合は、もっぱら、「女装の変人」が精々なのだ。

しかし、ダヴィンチの描く使徒ヨハネは「女装の麗人」と
言っても違和感はなく、もちろん女にしか見えないことも
ないが、最後の一言「双性の神秘」は言い得て妙である。
三角定規
いかんいかん。 肝心なことを言い忘れてしもたがな。

ヨハネ繋がりで言えば、双性の使徒ヨハネもまたしかりや、

いくら異形や言うても爬虫類人は可哀想やろ!

以上、関西弁バージョンでお届けしました。

ということで、「さよなら三角、また来て定規」でっせ!

三角定規
「さよなら三角、また来て四角」のはずが、また来てしまった三角定規ですが、

それにしてもグイド・レーニの「聖セバスチャンの殉教」も、ソドマの「聖セバスティアヌスの殉教」もボーイズ・ラブ系の人にはたまらないアイコンなんだろうね!?

ところで、双性の巫は異形なるがゆえに神聖にして秘なる力を有するという。

ダヴィンチの「洗礼者聖ヨハネ」も同種のパワーを求めて描いたのかも・・・

ということで、「さよなら三角、また来て定規」を合言葉とします。
ココナン
先日の5月2日、ダ・ヴィンチの没後500年にあたる日に、
『裸のモナリザ』が、ダヴィンチの作品である可能性が
高いと鑑定されたというニュースが報じられていました
が、「来たか!」という思いで『人間の姿をした天使』
が掲載されていたページを探しました。

ここに「罠の謎」を解くヒントがあると感じたからで、
2号さんが『鑑定法』のコメントで、ネタばらしをした
内容に近いものを漠然とイメージしていたからですが、両性具有はキーポイントだと思います。


痴恥的マニア
なかなか立派なものをお持ちのようだが、彼、否、彼女は何に対して欲情するのか、それが知りたい。
三角定規
「美人」とは、もともと美しい「男」を指すことばだったであったとか。

「中性美」が中性的な男とも女ともつかない美しさを指すのだとしたら、そこには妖しさが醸し出されてはいけないのだと思う。

然るに、大抵は妖しいものになっている気がする。

ところで、この人間の姿をした天使とやらは、ユニセックスとは違う、アンドロジニー(androgynous)=両性具有ですな!

正直、キモイだけのような・・・
道草便り
一筆啓上、18億円ですか!?
直感でダビンチらしくないデッサンだと思う。

近頃500億円超で落札された絵もそうだが、とてもそんな価値があるとは思えないし、個人的にも欲しいとは思わない。

ベルニーニの彫刻なら話は別だけどね!
怪傑ハマリオ
いま流行りの「忖度」ですか?
ダヴィンチの表現したいことを斟酌したって言っても、余計なお世話だし、まるでオカルトじゃんか!?
ココナン
なるほど、三島由紀夫もときめくわけだ!と言いたい
ところですが、ボクには無縁の世界。
でも、ここに謎を解くカギがありそうです。
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