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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 流行語

 世界最大の英語辞書であるオックスフォード
英語辞典(英オックスフォード大学出版局)は、
2016年の流行語(注目を集めた英単語)として
「ポスト真実(post truth)を選びました。

 symbol2 「POST TRUTH」とは、疑似真理、
真実のように感じられること、客観的な事実や
真実が軽んじられる事態や事柄を指すもので
真実よりも個人の感情や信念が重要視される
風潮を意味する言葉として使われました。



 裏を返せば、客観的事実が、感情や個人的
な信念(必ずしも確信的である必要性はない)
よりも影響力を持たない状況を示す形容詞で、
「ポスト真実の時代」などの表現でマスメディア
やブログの記事にて多用されていたようです。

  

 たとえば、それは、

 フェイスブック等のSNS(会員制交流サイト)
を介して爆発的に広がる拡散デマゴギーの類
で、ゴシップや噂程度の流言飛語ならまだしも
、何の根拠もない作り話を政治的に、あるいは
意図的な煽動目的で流布させるわけですから、

 そこには虚偽伝播に対する何らかの
意識があってもおかしくはないのです
が、罪悪感皆無に等しいのです

 事実憶測混同するのが受け手側
の不始末であるのならば、ともかくも、  
 
 良識のある人間ならば、ひと目でデマである
と判断し無視することができるような情報でも、
頭と尻尾をつなげただけの架空UMA
(未確認生物)の如くに、ある事象の経緯経過
(中間プロセス)を省略して、結果だけを吹聴
したり、最初と最後だけを結んだ内容の記事
に修整加工することで、一瞥では識別不能の
いかにもそれらしい形状をした事物の顛末に

 まったく別の「ポスト真実」誕生
して、勝手に独り歩きを始めるわけです。

 言わば、

 「風が吹けば桶屋が儲かる」
式の因果関係の構築は、単なるこじつけから
 
 まさに、

     
    ミステリーサークル rakuten.co.jp

 芋づる式に虚構を作り出すわけで、 
 
 こうした、

 「ポスト真実」の氾濫にも見られるよう
に、現代が 事実よりも感情に左右されて
過敏に直情反応する社会(ネット世界)になり
つつあるように感じられますが、感情よりも
さらに身体的なものに「情動」があります。

 この「情動」にともなう感情行為
結び付きは、我々の振舞いを思っている以上
に強固に動機付けるのかもしれませんが、

 人間の思考や理性は通常考えているよりも
もっとずっと身体に根ざしているのです。

 「情動」を言い換えるとエモーション
(情緒)なのだそうですが、我々の指向は心の
中で感じられる何かが、エモーショナル
(情緒的)に共鳴すれば、詩や音楽や絵画など
の芸術分野に興味を抱き、それが機械工作や
システムの構造に向かえば、技師(エンジニア)
や科学部門に、倫理や道徳にシンクロすれば、
哲学や宗教的なものにのめり込むのでしょう。

 通常はそうした分野のひとつふたつに通じる
だけでも目一杯であって、かなりのマルチ人間
でも数種のカテゴリーに触れるのが精々です。

 ところがダ・ヴィンチは、

 

 そのほとんどすべての分野に精通するような
超マルチな万能天才であり常識では
測れない振幅を持った人物でした。

 あらゆる分野における

 古今東西の天才・偉人・英雄たちのエピソード
の大部分は神格化されたフィクションであること
の方が多いのですが、それらがサンタクロース
などの存在と同等のある種の「神話」である
ことは自明ではあっても、そこに伝記物語として
の貢献があることは事実です。

 たとえそれが

 不都合なる真実だとしても、子供たちの
可能性を芽生えさせる希望に直結する
モチベーション効果否定できない
以上は、それが不都合ではない「虚構」
であることは確かであり、「一方の真実」
であるとも言えないことはないのですが、

 ダ・ヴィンチにはそうした大袈裟な脚本も演出
も振り付けも不要でした。

 ただ、彼を真に理解するには「情動的」
視点が必要で、エモーショナルな「直観力」
とインスピレーションは必須にして不可欠です。

  
     アテナイの学堂 プラトン
  (モデル=レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 その意味からもズバリ言えば、ダ・ヴィンチは
「神ってる」わけで、清水寺で発表された
昨年(2016年度)の漢字「金」をも凌駕する
プラチナ級の「罠」の仕掛けが彼の神業
にして真骨頂たる芸術の極みなのです。


 「ポスト真実」「一方の真実」
は、似て非なるものですが ・・・

 前者が完全なる虚偽による「虚構」である
のに対して、後者は部分的な視点や他の一面
における広角的な視野による多角度的な考察
あるいは別の次元から推察した場合の事実や
真理であって、ある国ではテロリストであり
、ある国では英雄であることと同義なのです。

 ところで、

 それでなくても問題視されていた道行く人々
の歩きスマホが格段に増えたと実感したのは
昨夏のことでした。

 そう、遂に

 あのポケモンGO日本でリリース
配信されたポケモン狂想曲(狂騒曲)
の時のことで ・・・

 次々にテクノロジーが進化・発展して現実と
ゲームとの境界が交錯すると、あのバカ騒ぎ
の実態をして、ゲームが現実世界のメタファ-
であることを痛感させられるわけで 日常とは
臨場の最も進化したバーチャル・リアリティの
世界だと、はからずも思ってしまったのでした。

 
  アテナイの学堂 ラファエロ画 1510-11年

 仮想現実 right 夢舞台 right 役者


      プラトンとアリストテレス

 そして、

  
  プラトンとしてのレオナルド・ダ・ヴィンチ

 500年前にそのこと(一方における真実)
知っていたダ・ヴィンチだからこその「罠」
であったのだとすると、彼の絵画における
不思議なと絶妙なる筆さばきの仕掛けに
あらためて心が揺さぶられる思いがします。

 さて

 年頭にあたり、今年のブログ始め
昨年の「流行語」を振り返り、虚構性
の中に見え隠れするダ・ヴィンチの『罠』
「ポスト真実」度について、あれこれと
考えてみましたが、

 前出の「一方における真実」よりも、さらなる
バーチャルな世界での“気づき”であると
して推理・考察を続けて行こうと思っています。

 そこで予定は未定であることを十分に承知
をした上で、次回以降では、


       出典:blog.goo.ne.jp

 この世は、

 「各々の想念が現実化
       した世界である」


 認知させるプログラマーの存在を知覚した
ダ・ヴィンチが描く 『最後の晩餐』
出演する人物たちの演技と、プロデューサー
たるダ・ヴィンチ自身の脚本・演出による
「サムシング・グレートの何たるか」について、

 

 その存在理由(レゾンデートル)の一片
にでも迫ることができればと考えています。


 「お餅の食べ過ぎで脳が
      伸びちゃたのかしら」


   

 「むずくて、ボケもツッコミも、
    取り付く島もないのじゃ」



 ・・・ って、酉年だけに、トリつくシマ(鳥)で
 
    
    伝説上のパンゲア大陸 wikipedia


  「はい。 整いましたぁ」peace

     
     パンゲア大陸の分離 wikipedia

 何年前の話じゃ !!



       出典:blog.goo.ne.jp

        出典:rakuten.co.jp

     出典:www.riaanbooysen.com

 … to be continue !!




コメント一覧

小吉
あまりよくわからなかったです。
客観的な事象よりも主観的な「視点」が真実よりも上位に位置するという意味でしょうか。

この世界が仮想現実であるという考え方もアリですが実はあまりピンとこない。
神だとか次元だとか宇宙だとか、人間がこの世界を人間の思考によって複雑化しているんじゃないかなと思ったりします。
ある意味「出来すぎた世界」でもあるのですが……
透明人間5号
「ポスト真実」があれば、真実を嘘っぽく伝播させる
ウソのような真っ赤な真実っという「ポスト虚構」も
アリですよね!

うっかりすると陰謀論にされちゃうけど・・・
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