キューピッドの持ち物で有名なのが 弓矢と矢筒です。
前回の『ダ・ヴィンチの罠 クピド』に書きました
ように、キューピッドは人々を恋に狂わせる黄金の矢と
恋心を失わせる鉛の矢を持っています。
これを覚えておくだけでも、かなりの部分で天使との
見分けが可能ですが、少々マイナーな持ち物のひとつに
松明（たいまつ）というアイテムがあります。
燃え上がる松明の炎は「恋心」の象徴でしょうか？
でも、
炎は消えるものだから、同時に恋の儚（はかな）さ
も示していると考えると結構、意味深い気もします。
ニコラ・プッサン『エコーとナルキッソス』1630年頃、ルーブル美術館所蔵
ところで、
上の絵で前面に倒れている男性はナルキッソスです。
ナルシストの語源となった人物ですが、水面に映った
自分に恋をし、そのまま水仙の花になってしまいます。
『エコーとナルキッソス』ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス（1849-1917年 ）Wikioo.org
「エコーとナルキッソス」の物語で最も有名なものは、
オウィディウスの『変身物語』です。
それ以後、現代まで、この話が焼き直される場合には、
そのほとんどが オウィディウスの『変身物語』を元ネタ
としています。
その『変身物語』を即興風に紹介をすると、
むかし、ギリシャの森に、エコーというお喋り好きな
妖精（ニンフ）がいました。
ある日の事です。夫のゼウスが森の妖精たちと楽しく
遊んでいると聞いたヘラは、怒って森に入っていきます
（大変、ゼウスを助けなきゃ！）そう思ったエコーは、
ヘラのところへ行くとあれやこれやと忙しなく話しかけ、
その間にゼウスと一緒にいた妖精たちをうまく逃がして
やったのです。
その事に気づいたヘラは、怒りに震えました。
「エコー、おだまり！」これからは「お前は、決して
自分から喋ってはならない」と言って、人の言った言葉
を繰り返す以外、喋ることを禁じてしまいます。
お喋りが大好きだったエコーはびっくりして、ヘラに
一生懸命お願いします。
「ヘラ様、どうかそればかりはお許し下さい。お願い
です。もう決して、お節介なお喋りはしませんから」
しかし、ヘラは聞き入れようとはしませんでした。
落ち込んだエコーは森の奥へと姿を消してしまいます。
それから数年の後、ナルキッソスという美しい青年が
森にやってきました。
「まあ、何て素敵な人でしょう」
エコーは思わず、木陰から飛び出しました。
見事な金髪に、青くすんだ瞳 ・・・
エコーはたちまち、ナルキッソスに夢中になります。
「あんなに素敵な人は、これまで見たことがないわ。
一度でいいから、わたしに話しかけてくれないかしら、
そうすれば、彼とお喋りが出来るのに」
その日からエコーは、ナルキッソスのあとをついて
まわりました。
あるとき、ナルキッソスは山で道に迷い、友だちと
はぐれてしまいます。
ナルキッソスは、大声で友だちを呼びました。
「おーい、どこへ行ったんだい？」するとエコーが、
その声を真似します。
「おーい、どこへ行ったんだい？」
それを聞いたナルキッソスが、答えました。
「わたしは、ここだよ」するとエコーは、声を真似
しながら、ナルキッソスの前に飛んでいきます。
「わたしは、ここだよ」ナルキッソスは、声真似を
するエコーに驚きました。
「誰だ、お前は？」 「誰だ、お前は？」
「なぜ、真似をする」 「なぜ、真似をする」
「くち真似をするな！」 「くち真似をするな！」
「だまれ！黙れ！黙れ！」 「だまれ！黙れ！黙れ！」
自分の声を真似るエコーに腹を立てたナルキッソス
は、エコーを睨みつけてどこかへ行ってしまいます。
ナルキッソスに嫌われたエコーは、泣きながら森の
奥深くに隠れました。
そして、悲しみのあまりに体がどんどん痩せていき、
ついには声だけになってしまったのです。
そんなエコーの悲しい結末を知った他の妖精たちは、
ナルキッソスに仕返しを考えました。
ナルキッソスに罰を与える女神 greek-myth.inf
「ナルキッソスを、つらい目にあわせればいいのよ」
「そうだわ、復讐の女神さまに、お願いしましょう」
復讐の女神エリニュス kamigami-cafe.com
「でも、どんなお願いをするの？」
「自分に恋して、他の誰も好きになれなくするのよ」
それから何日か過ぎたある日のことでした。
喉が渇いたナルキッソスは、通りかかった池の水を
飲もうとして、はっとします。
「ナルキッソス」ルネ・アントワーヌ・ウアス作 1688年
「誰だろう、この美しい人は？」
ナルキッソスは水に映っている自分の姿を、美しい妖精
だと思い込んだのです。
「何と素敵な妖精だ。妖精よ、池からあがっておくれ。
ボクの前に出てきておくれよ」
「ナルキッソス」Jan Cossiers 作 1600-1671年
当然のことに、水に映った自分は何も返事をしません。
「外に出てきてもらえないのなら、せめて、あなたを
ずっと見つめていよう」
自分の姿に恋をしてしまったナルキッソスは、その池
から離れられなくなりました。
「ナルキッソス」ミケランジェロ・カラヴァッジオ作 1597年
そして、食べることも、寝ることも、忘れてしまった
ナルキッソスは、ひどく瘦せ衰えてしまいます。
それを知ったエコーは、じっとしていられずにすぐに
ナルキッソスの傍らにやって来ました。
「ナルキッソス」Placido Costanzi 作 1702-1759年
エコーはナルキッソスが小さなため息をつくと自分も
同じようにため息をつきます。
自分に見とれ続けるあまり、このまま動けずに飲まず
食わずのナルキッソスはどんどん衰弱していきました。
「ナルキッソス」Nicolas Bernard Lepicie 作 18世紀
すっかりとやせ衰えたナルキッソスは、ある春の日に
美しい自分の姿が映っている池に手を伸ばしました。
「美しい妖精よ。今日こそはボクのところに出て来て
おくれ」そしてそのままバランスを崩したナルキッソス
は池の中に落ちてしまったのです。
体の弱っていたナルキッソスは、池の底に沈んで二度
と浮かんではきませんでした。
エコーはもちろんのこと、復讐の女神にお願いをした
妖精たちも、池の底に沈んだナルキッソスを探しますが、
どんなにどんなに探しても、それでも、ナルキッソスは
見つかりません。
その代わり、黄色いおしべの白い花が、池のほとりに
咲いていました。
「ナルシサス（Narcissus）」別名：雪中花 （水仙） horti.jp
その「きれいな花」はとても上品で、どこか寂し気で、
死んだナルキッソスにそっくりでした。
「この花は、ナルキッソスの生まれかわりよ！」
以来、妖精たちは、その花をナルキッソス（水仙）と
名付けて大切にしたそうです。
さて、この話を「要約」すると、
エコーは森のニンフ（妖精）でお喋りが大好きでした。
『ニンフたち』ウィリアム・アドルフ・ブグロー（1878年）
ある時ゼウスの正妻ヘラに対して長話をし続けたため
ヘラの怒りを買い、自分から話しかけられず相手の言葉
を繰り返すことしかできないようにされてしまいます。
それ故に、木霊のことを〝エコー〟と呼びます 。
エコーは、ナルシス（ナルキッソス）に恋をしますが
話しかけて告白することができないために、屈辱と恋の
悲しみからやせ衰え肉体を失い、声だけの存在となって
しまいます。
ナルシスは、エコーが何も話せないため退屈だという
理由で見捨てますが、これを見た復讐の女神ネメシスは
他人を愛せないナルシスが、たた自分だけを愛するよう
にしてしまいます。
ある日ナルシスが水面を見ると、水中に美しい少年が
いました。もちろんそれはナルシス本人で、ナルシスは
ひと目で恋に落ち、そしてそのまま水の中の美少年から
離れることができなくなってしまい、やせ細って死んで
しまいます。また、水面に写った自分に口付けをしよう
としてそのまま落ちて水死したという話もあります。
ナルシスが死んだあとには水仙の花が咲いていました。
「ナルシサス（水仙）」horti.jp
この伝承から、スイセンのことを欧米ではナルシスと
呼びます。だから自分が大好きな人のことをナルシスト
（ナルシシズム）と言うのです。
こうして、
このブログでの「透明人間たち」とは、まったく別の
透明人間になった〝エコー〟は、森の奥から人々の声に
反応してそれを繰り返すようになったのです。
これが、“echo”（エコー）という言葉の由来です。
さてと、ここで冒頭でのニコラ・プッサンの絵解きを
してみることにしましょう。
ニコラ・プッサン『エコーとナルキッソス』1630年頃、ルーブル美術館所蔵
真ん中にキューピッドがいるので、この絵が恋の話
だということは分かりますよね！
そのキューピッドは燃える松明をもっています。
松明の炎＝燃え盛る「恋心」の象徴です。
そして、あらぬ方向に矢があり、キューピッドは矢を
手にしていません。
これは「恋が成立しない」ことを意味しています。
なぜなら、
ナルキッソスは、水面に映る自分に恋しているのです
から、絶対に成就しない「不可能な恋」なのです。
そして、物語は不幸な結末を迎ことになるわけです。
ところで、
クピド（キューピッド）と誤認されることの多い天使
は階級によって、表現の仕方がいろいろ違いますが、
ここでは、キューピッドと混同させる天使の姿だけを
見ていくことにします。
ルネサンス様式の時代、天使が幼児の姿で表現される
ことが多くなっていきます。
ちなみに
ルネッサンス様式は15-16世紀におけるヨーロッパの
美術様式で「古代ギリシャ、ローマの美術を見直そう」
という動きを指して言います。
漢字でいうところの「古典芸術の復興」です。
この幼児姿の天使たちが、我々にキューピッドなのか
天使なのかを混同させるのです。
それもその筈で、幼児姿の天使のモデルとなったのが、
古くから存在する「ぽっちゃり系の幼児型キューピッド」
だったからで、とどのつまりは、天使がキューピッドの
マネをしたってことなのです。
ニコラ・プッサン『天使に戴冠されるアレオパゴスのディオニシオ』1620-1621年 ルーアン美術館
上の絵の天使は眞にそれの典型ですが、キューピッド
と混同しそうなばかりではなく、魔女のホウキもどきの
植物まで手にしていますよね！
兎にも角にも、天使は絶対に弓矢を持っていません。
ロッソ・フィオレンティーノ『リュートを弾く天使』1518年、ウフィティ美術館所蔵
天使の持ち物には、ラッパやリュートや竪琴といった
楽器類がありますが、通常は何も手に持っていないのが
普通の状態です。
ただ、竪琴にはちょっと注意が必要で、古代ギリシャ
の陶器に描かれているエロス（キューピッド）が竪琴を
持っていたりします。
たまに竪琴を持ったエロスの彫刻などを見かけますが、
かなりマイナーなので心配ないでしょう。
なお、天使の頭上には、いわゆる「天使の輪っか」が
載っていることがありますが、キューピッドには絶対に
ついていませんので、ご承知おきください。
下記に描かれている幼児はリュートを奏でているので、
天使だってことがわかりますよね。
『リュートを弾く天使』部分 ロッソ・フィオレンティーノ 1518年、ウフィティ美術館所蔵
ところで、この絵を描いたイタリア人の画家ロッソは、
むちゃくちゃ気性が激しく、喧嘩っ早い人だったそうで、
とても意外ですが、そういう性格の人が不思議なことに
こうした落ち着いた絵を描いてたりするんですよね。
それでは、キューピッドと天使の見分け方をまとめて
みましょう！
１、キューピッドや天使の持ち物に注目する！
【キューピッドの場合】
弓矢や矢筒を持っているか、近くに置いてある。
【天使の場合】
弓矢や矢筒などを持っていない代わりに、楽器を
持っている場合がある。
また、頭上に天使の輪が描かれていることがある。
２、一緒に登場する人物や神様にも注目する！
【キューピッドの場合】
周りにヴィーナスやギリシャ・ローマ神話に登場
する神々がいる。
簡単な見分け方としては、周囲の人や周りの神々が
裸だったり、肌が透けるような衣を身につけていた
ならば、キューピッドである可能性が高い。
周りに愛し合う恋人たちが描かれていることもある。
【天使の場合】
キリスト教の話である場合には、とにかく天使です。
イエスや聖母マリアと一緒だったり、その他の聖人
たちとともに描かれる。
登場人物たちは衣装を身に着けていて、透けた衣装
は着ていない。
３、飾り場所や何に絵が描かれているのかに注目する
飾ってある場所や絵が描かれている「もの」に注意
が必要です。
【キューピッドの場合】
古代ギリシャの陶器に描かれている場合にはエロス
（キューピッド）です。
【天使の場合】
教会内に飾ってある絵や彫刻は、ほとんどの場合が
天使です。
以上を踏まえたうえで、最後に例題を出します！
★ 次の２つの絵を見比べてみてください。
どちらの絵がキューピッドでどちらが天使でしょう？
【絵画】A
ルーベンス『ヴィーナスの饗宴』1635年頃, 美術史美術館（ウィーン）所蔵
【絵画】B
ルーベンス『聖母被昇天』 1616–1618年 クンストパラスト美術館所
【正解】は、
上の【絵画】A が「キューピッド」です。
理由は、登場している神々が皆な裸だからです。
さらに、中央の下で踊っているキューピッドは矢筒を
持っています。（青枠内と赤丸印）
この絵のようにキューピッドが大量発生している場合、
キューピッドはひとりだけで、その他はキューピッドに
起源をもつ精霊プットたちが描かれているのです。
プットは単数形だから、正確には複数形のプッティが
正しいわけですが ・・・
プットの意味は「小さい男の子」です。
とにかく隙間あったらプットでも描いておこう！」と
いうのが、バロック時代の流行りであり、派手なものが
好まれて持て囃（はや）されました。
同時に天使もいっぱい描かれるようになります。
ちなみに、
バロックとは、16～17世紀のヨーロッパの芸術様式で
ぐねぐねと曲がりくねった曲線と豪華絢爛が特徴です。
次に、【絵画】B の「天使」ですが、
一緒に登場する人物たちが服を着ているから、すぐに
天使だとわかります。
キューピッドと天使の違いを箇条書きにすると・・・
● キューピッドと天使は似て非なるものです。
● キューピッドはギリシャ神話、ローマ神話の神エロス
● 天使はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神の使者
● キューピッドは弓矢と矢筒を持っている。
● 天使は弓矢は持たないが楽器を持っていることがある
● キューピッドのまわりに描かれている神々は裸の状態
● 天使の周囲に描かれている神や聖人に裸はありえない
以上を覚えておけば、
十中八、九は、キューピッドか天使かを当てられます。
おそらく、キューピッドと天使の違いを知っただけで、
似たり寄ったりの宗教画とか古代ギリシャ・ローマ時代
の絵画が面白くなることは間違いありません。
たとえば、
愛の神キューピッド（クピド）は、太陽が何者をも光
で触れて温めるように、すべてを情熱的に追い求める男
の情欲を表します。
その欲望が強すぎると過ちも犯すので、目隠しをして
恋の矢を放ち、光る松明を掲げた若者に象られる。
その母親は情欲の女神ヴィーナス（ヴェヌス）であり、
父神の睾丸（こうがん）が投げ込まれた海の泡から誕生
したゆえに、貝殻に乗った全裸の美女として表現される。
ボッチチェッリの『ヴィーナスの誕生』
海の貝は交接の際、完全に開いてすべてを見せるので
性交の悦（よろこ）びを表現しているのです。
ええっ！
ホンマかいな？
ま、まさか、お前さん！
「妊娠しておらんじゃろな？」
ええっ、
「ヴィーナスじゃないっちゅーの ！」
そ、そっち なの？
智天使ケルビムのことかもな！？
画像元： domani.shogakukan.co.jp
いつもの相棒が見当たりませんが ・・・
とされますが、次回以降に詳しく取り上げてみたいと
考えています。
ダ・ヴィンチの推理は続きます。
なんだかなぁ！
智天使ケルビムの勇姿
… to be continued !!
