勉強をすればするほど「常識」となる知識が蓄積
されて「常識に縛られる」という状態に陥ります。
勉強した事柄が正しいと思い込み、「本当なのか」
と疑ることも、果たして「どうだろう」と自分自身の目で
確かめることをせずに、本や教科書の記述を鵜呑みにして
せっかく蛇の姿をしたサタンが与えてくれた智の恵み
(知恵の実)を自ら放棄してしまうことになるのです。
哲学が疑うことから派生したように、疑問を持つこと
で智慧が働くスイッチがオンになるのですが ・・・
我々の住む世界(現実として経験している歴史的な宇宙)
以外にも別の世界や宇宙が沢山あることは、物理学
や量子力学ではあたりまえに論じられる仮説です。 が、
時間や空間、物質とエネルギー及びそれらを可視化して
記述するための物理法則や物理定数などすべての存在を
内包する宇宙の集合体をパラレルワールド=平行(並行)
宇宙として複数の宇宙を仮定する「多元宇宙」や複数ある
バージョンのひとつひとつであるとする「超弦(ひも)理論」
、あるいは量子論としてのエヴェレットの「他世界解釈」に
しろ、宇宙理論における「ベビーユニバース」といった仮説
にしても、我々が観測することが不可能であり、その存在を
肯定することも否定することもできない以上、勝手なる
妄想という点においてはそれらの仮説と本稿の解説
(ダ・ヴィンチの罠)における仮説とは、大同小異で
基本的には大した違いはない、などと言ったらどうでしょう。
それは知的生命体の存在を探る「第2の地球」探し
のような惑星の有無についても同様で、
地上から見た天の川銀河 アンドロメダ銀河
我々がいる天の川銀河だけでも1千億から2千億もの星
があり、そうした銀河系が宇宙全体でさらに1千億個以上も
あるわけですから、地球に似た惑星などいくらでもありそう
なものですが、なかなか見つけることができずにいました。
ところが、
1995年に有力な候補が初めて見つかってからは、新たな
惑星の発見が相次ぎ、今では4千個を超える惑星が候補と
なっているうえに大気の成分まで分かりつつあるようです。
そういえば、
先頃のことですが、太陽系に未知の「第9惑星」が
あるかも … というニュースが飛び込んできました。
米カリフォルニア工科大のチームが 1月20日、海王星の
外側に新たな惑星が存在する可能性を発表したのです。
太陽系外縁部の「カイパーベルト」と呼ばれる
領域の周辺にある6個の天体の妙な動き(太陽の周りを
回るスピードや軌道の傾き)などを分析すると大きな質量
(地球の10倍程度)を持つ惑星の存在が必要となる
のだそうで、実際の観測によって発見されると 2006年
に準惑星に「降格」となった冥王星に代わる太陽系
の「第9惑星」になると期待されているようです。
米カリフォルニア工科大が公開した太陽系第9惑星の想像図
すると、
翌日の1月21日、「真実はそこにある」として、
CIA(米国中央情報局)が1940年代後半から1950年代に
かけての「UFO」に関する調査資料の機密を解除し
、一般に公開したかと思えば、
昨年の12月には次期大統領候補の筆頭と目されている
民主党のヒラリー・クリントン女史が地元紙の質問に対して
「エイリアンはすでに地球に来ている」と
答え、過去には夫で米国の元大統領 ビル・クリントン氏も
「宇宙人が地球にいても驚くことはない」
とも語っていますが …
何とも偶然とは言い難い情報の開示や一連の発言は、
そろそろ真実を告げるべき瞬間(とき)が迫っていると
して、人類の動揺を極力抑えるための下準備とも
その時のためのアリバイ作りとも考えられないことも
ないわけです。
つまり、
かねてよりダ・ヴィンチが彼の作品を通して告白している
ような新事実の暴露が近々にも発表されるかも
しれないということです。
要は、
ダーウィンの言うようにサルから進化したのではなく、
異星人の介在によって、我々は人間として存在
するようになったという「新事実」ですが ・・・
さて、
ダ・ヴィンチの『レダと白鳥』に話を移しましょう。
オリジナル作品は失われてしまいましたが、ラファエロの
ドローイングと弟子たちによる模写が残されています。
2つを並べて見ると一目瞭然ですが、ラファエロの白鳥の
首は短く、模写の方は異様に長く曲がった首をしています。
ラファエロのドローイング チェザーレ・ダ・セストの模写
この違いは何を物語るのでしょう
あくまでも、ドローイング(スケッチ・デッサン)と模写です
ので、創作意図をもって描いたというよりも手本となる絵を
写したわけですから、この相違にはそれ相応の意味
があるはずです。
少なくとも時間的にはラファエロのスケッチが製作途中の
時期(1508年以前)で、完成した作品を弟子たちが1508年
以降に模写したという流れであったと思われます。
そして完成後にダ・ヴィンチがオリジナルの作品を自らの
手で意図的に処分した可能性が想定されるのです。
このことは、
『モナ・リザ』の左右の柱の部分をダ・ヴィンチ自身
が切り落としたという疑念も含め柱の土台を黒く塗り潰した
とされる左右に残る半円形をした黒い染みの跡とも密接に
関連する出来事でもあるのですが、
その辺りの事情については、
『ダ・ヴィンチの罠 バベル』および、
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/423.html
『ダ・ヴィンチの罠 聖と邪』などを、
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/424.html
参考にしてみてください。
父セル・ピエロが亡くなったとダ・ヴィンチが日記に綴った
52歳の時に、ラファエロがフィレンツェにやってきます。
この年(西暦1504年)から1508年にかけて、ラファエロは
フィレンツェに滞在し、ダ・ヴィンチの工房において制作中
であった『モナ・リザ』を模写スケッチしていたことは
すでに紹介済みですが、『レダと白鳥』のスケッチも
この期間内に描かれていたものと推測されます。
しかしながら、妙に首の短いガチョウかアヒルのような姿
の白鳥に違和感が拭えません。
小生でさえ、もう少しマシな白鳥を描く自信がありますし、
画才に恵まれたルネサンス期の三大巨匠のひとりに
数えられるラファエロの筆にしてはどう見ても稚拙です。
そうだとしたら、考えられるのはひとつしかありません。
元の絵がそのように描かれていたに違いないのです。
写実に拘(こだわ)るダ・ヴィンチがおよそ白鳥らしからぬ
首の短い白鳥の絵を描いていたということです。
それとは反対に弟子たちの模写の場合には気味の悪い
くらいに折れ曲がった異様に長い首をした白鳥です。
チェザーレ・ダ・セストとフランチェスコ・メルツィの模写
これはいったいどうしたことでしょう
これもまた完成したダ・ヴィンチが描いた白鳥の首が
そのように表現されていたということだと思われます。
要するに、
ラファエロがスケッチしたあとに首を長く描き直したうえで
弟子たちに模写をさせ、その元本となる作品を処分したと
いうことではないでしょうか。
何故に、そんな回りくどいことをしたのかといえば、
『ダ・ヴィンチの罠 近似値』および、
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/447.html
『ダ・ヴィンチの罠 遺伝子』の中で、
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/449.html
触れているように『レダと白鳥』のテーマ(モチーフと
なったギリシャ神話の真実)と『モナ・リザ』のコンセプト
の一部が同じであることから、より具体性のあるメタファ
(暗喩)としての存在をアピール(強調)したかったのです。
気付くべきべき時代(とき)までに、気付くべき地位や立場
にある人々に気付いてもらえるように配慮した訴えですが、
以前にもそうしたヒントとなるべき動きがありました。
前述した
ラファエロがダ・ヴィンチの工房を訪れた時のことです。
『アイルワースのモナリザ』
描き掛けだった『アイルワースのモナリザ』
を模写したいとラファエロがスケッチを願い出た時に、突然
あるアイデアがダ・ヴィンチの脳裏を駆け巡ったのです。
ラファエロの模写スケッチ
一計を案じたダ・ヴィンチは、そのときに自らの作品を
ジグソーパズルのピースのひとつひとつに見立てるという
トリッキーな「罠」を思い付くのです。
それがドラゴンレーダーという暗号解読補助装置として
日の目を見ことになるのですが、
ドラゴンレーダー(プロトタイプ)
ドラゴンレーダーについては、
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/416.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/420.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/427.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/430.html
などを参考にしてみてください。
ドラゴンレーダー (使用例)
ところで、
『ダ・ヴィンチの罠』はラファエロの存在と才能を
抜きには成立しません。
要所要所で彼の作品(デッサン類や絵画)と「罠」とが
交差してリンケージするのです。
『モナ・リザ』と『レダと白鳥』のスケッチ類や
傑作のひとつに挙げられる『アテナイの学堂』での
哲人プラトン(ダ・ヴィンチがモデル)の天を指差すポーズも
重要なヒントをもたらすもので、謎解きに欠くことのできない
キーパーソンとして、彼の才能と後の名声を見越したうえで
その存在と才能を最大限に利用しているわけなのです。
ラファエロによる『モナ・リザ』と『レダと白鳥』のスケッチ
『モナ・リザ』のモデルの顔とレダの顔とが妙に
似か寄って見えるのも単なる偶然ではなくて、ダ・ヴィンチ
によって、そう仕向けられていたのかもしれませんね
さてさて、
『レダと白鳥』(レダと神ゼウス)は、ダ・ヴィンチが
傾倒していたネオ・プラトニズムでいうところの
「2つがひとつ」という思想的な意味合いと、さらに
それを昇華・発展させた人類の創世に纏わる
謎と秘密を明らかにするものだったわけですが、
それは『モナ・リザ』においても同様で、こちらは
時間と空間や物質とエネルギー の循環 と
いった宇宙規模での創世物語になってます。
具体的な内容については、以下を参照してみてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/426.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/427.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/428.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/429.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/430.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/431.html
つまり、
白鳥の正体はギリシャ神話の神ゼウスではあるけれど、
そのゼウスの真の正体を示そうというわけです。
こうして2枚の絵画を見比べると随分と印象が違って
見えますが、『モナ・リザ』のモデルである人物 と
「2つがひとつ」となったレダと白鳥はひとつの
同じ対象(サムシンググレート)をあらわしています。
但し、その背後で蠢(うごめ)くものはまったくの別物です。
要は、こういうことです。
龍蛇族、あるいは人間で言う人種のように龍族や蛇族や
蜥蜴(とかげ)族などに分かれているのかもしれませんが、
古代において他の星からやって来た異星人たちが、
どうやら人類の誕生に大きく関わっていたようです。
その詳細については、また次回以降ということで ・・・
「異星人だとさ」
「宇宙人が首相になった国
だから別に驚かないわ !!」
副題を「新事実」と「交差点」のうちのどちらにしようかと
悩みましたが、異星人の介入でクロスウェイしたわけです
ので「交差点」(インターセクション)を採用しました。
… to be continue !!
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