透明人間たちのひとりごと

あたりまえにありがとう

 東日本大震災福島の原発事故 から
きょうで丸2年が経過しました。

 1万5881人の尊い命が犠牲となり、2668人の方々の行方
は依然として不明のままで、31万5千人の被災者は未だに
仮設住宅などの不便な避難生活を強いられているのです。

 行方不明の方は一刻でも早く家族の元へ帰れるように …

 避難生活をしている被災者の方は、一日でも早く安心して
落ち着ける場所へ … と願わずにはいられません。

 さて

 つい先だってには、直径17㍍、重量1万㌧以上の広島型
原爆の30倍のエネルギーを有する隕石がロシアの大地を
激しく揺るがしました。

 その出来事を記事にした 『流星(隕石)の降る衝撃』 は
百年に一度とされる出来事です。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/290.html(参照)

 その前の前の記事 『好き嫌いに是非もなし』 では依然と
して大地震の起こる確率で全国第1位を独走しているのが、
我らが透明人間たちの地元静岡県であると書きましたが …

 南海トラフ巨大地震での想定では死者が10万9千人にも
上るという最悪の場合の数字が示されているのです。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/285.html(参照)

 千年に一度の大地震や大津波の教訓を語り継ぎ次代の
防災に生かすことは言うほどに簡単なことではありません。

 人間の特技にして、なお生きてゆくうえでの要件でもある
「忘却」 もまた時に必要なことだからです。

 「忘却とは忘れ去ることなり知ってるヮ !!

 思わずツッコミを入れたくなるこの言葉は、菊田一夫原作
のラジオドラマ 『君の名は』 の冒頭のナレーションの
フレーズで、「忘れ得ずして 忘却を誓う 心の悲しさよ」 と
続くのだそうです。

 若き日の母たちの時代に、銭湯を空にしたという伝説の
人気ドラマも、今や知る人ぞ知るだけの遥かなる忘却
彼方にあるのです。

 主人公である春樹真知子と言っても、ピンと来るのは、
村上春樹や渡辺真知子か里中真知子くらい …

 どっちにしろ古いって

 つまり、そのぉ~、こういうことなのです

 人間は忘れやすい動物だから、震災の事実を如実に示す
陸前高田の 「奇跡の一本松」 とか、赤茶けた鉄の骨組みと
土台だけを残す南三陸町の 「防災対策庁舎」 や陸に500㍍
も打ち上げられたままの気仙沼の大型漁船 「第18共徳丸
などを 震災のシンボル として残そうとする人たちと
それらを見ると辛い出来事を思い出して悲しい気持ちになる
ので一刻も早く忘れたいとする人々との間で、盛んな議論を
呼んでいる賛否相半ばする震災のモニュメントの問題です。

 もちろん、震災を忘れないための記念碑や象徴する遺物
が残されていれば風化しないというわけではありません。

 原爆ドームが残されていても、核問題は解決しないどころ
か、なおさらに、開発に邁進する国々が絶えません。

 中国や北朝鮮の脅威に対し、日本国内でさえもそうした声
が囁(ささや)かれるのですから … ase

 世界を震撼させた福島の原発事故を目の当たりにしても、
原発ゼロの方針は一時的なガス抜きと化して、いつの間か
現状維持の既定路線に戻ってしまうのです。

 咽喉もと過ぎれば、何事も忘れてしまう

 「忘却とは忘れ去ることなり」 … なのです

 とにかく、百年に一度であれ、千年に一度であれ、起きる
ものは起きるのです。 

 きっちりと計算通りではなく、いつ起きても不思議ではない
以上、大地震に見舞われた時には海岸近く人はすぐにでも
高台に逃げなくてはならないのです。

 それを 「あたりまえ」 にしなくてはいけないのです。

  symbol2☆★ 一にも二にも命を守る ★☆symbol2 

 まずは自分自身、次に家族や友人や隣人の命を守る対策
を常に考えることが、あたりまえの意識としてある限り、震災
の風化は食い止められているはずなのです。

 ところで

 「あたりまえ」 の反対が、「ありがとう 」って知ってました

 あたりまえのことのようですが …

 確かに、「あたりまえ」 じゃないから「有り難い」 わけで、
その意味ではあたりまえなのですが …

 最近では身の回りのモノコトが何でもあたりまえにある
ようになって、「ありがとう」 を感じることができない
ある意味で不幸な時代になってしまいました。

 電気がつくのはあたりまえで、テレビもエアコンも自動車も
あってあたりまえ、物質的に豊かになった日本人のヒトやモノ
に対する感謝の気持や大切にする心が薄らいできた時期に
期せずして大震災に見舞われたようにも感じるのです。

 しかしながら、そうしたモノは、たとえ、地震や津波で失った
としても、再び購入するなり、時間をかけさえすれば復元する
ことができるのですが、ヒトの命やカタチのないものはそうは
いきません。

 復興のスピードや進捗状況を見る限りにおいては、それを
「絆」 という美辞麗句でオブラートに包み、文字づらだけを
弄(もてあそ)んでは集団陶酔のなかでいたずらに時間だけ
が流れていったかのような2年間だったのかもしれません。

 「無理が通れば道理が引っ込む」 ように
「あたりまえ」 ではない出来事として大震災が起こった
わけで、普段 「あたりまえ」 だと思っている物事の多く
は、「あたりまえ」 ではなく、本当は「有り難い」
ことなのだということを知らせてくれたのだと思うのです。

 独居老人などに代表される孤立無援者を例にあげるまでも
なく希薄な人間関係は決して「あたりまえ」ではありません。

 逆の意味で、あってはいけない 「有り難い」 関係なのだと
いえるでしょう。

 自助、共助、公助、 いずれも 「あたりまえ」 の
ことですが 「有り難い」 ことでもあるのです。

 「あたりまえ」 のことに対してあたりまえに 「ありがとう」 と
思える心や気持が被災地の復興と被災した方々を救済する
うえで最も大切なもののひとつになるのかもしれません。

 大震災から丸2年の今日2013年3月11日に、あらためて
その教訓を心に刻もうと思います。

 忘却とは忘れ去ることなり、されど

 「忘れようとしても思い出せない 」 

 で一世を風靡した漫才コンビ「唄子・啓介」の鳳啓介師匠
も忘れられませんが …


 子どもの頃に聞き覚えたこのフレーズだけは、ポテチン

 忘却 しようにもなかなか思い出せないんですよ ase2

     … って、それでいいのだ

 アンタはもっと忘れられませんよ !!

 ☆ バカボンのパパ ☆

コメント一覧

バカボンのパパのパパ
わしを思い出そうとしても忘れないでほしいのだ!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事