が脳内の神経伝達物質を制御しているらしいのですが、
グリア細胞には脳神経細胞(ニューロン)に信号を伝達
するシナプスの接合部分「シナプス間隙(かんげき)」
で、神経伝達物質のひとつである「グルタミン酸」の濃度を
調整する機能があるとのことなのです。
… と、言われても、チンプンカンプンですが
※ グリア細胞 脳を構成する神経細胞以外の細胞の
総称で、神経膠(こう)細胞とも呼ばれ、その数は人間では
神経細胞の10倍以上で、脳全体の9割を占めるとされる。
神経細胞の固定や栄養の供給など、神経細胞の働きを
助ける役割を担っているとされ、神経細胞の維持や再生、
認知機能にも重要な役割を果たし、脳機能解明の大きな
鍵を握る細胞として、十数年前から盛んに研究される
ようになった注目の細胞です。
さて、
脳機能解明の鍵を握るのが 「グリア細胞」なら、
『ダ・ヴィンチの罠』の重要なる鍵を握るのが
「合成・合体画像」のスーパーインポーズです。
※ スーパーインポーズ 2つ以上の画像を合成する
技術や技法。
まずは、下絵となった
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』 の
デッサン画と『聖アンナと聖母子』の油彩画とを
比較してみましょう。
いくつかの点で気づかされることがありますが、大雑把
に表現すれば、まるで席替えや左右のポジションチェンジ
をするかのようにそれぞれの配置が入れ替わっています。
聖アンナの膝の上に腰掛ける聖母マリアの両足の向きが
外側から内側に変わり、背を伸ばした姿勢から前かがみに
なって子羊と戯れるイエスを見守るかたちになっています。
同様に、聖アンナの両足も正面から外側に向きを変えて、
聖母マリアが腰掛ける膝も片膝から両膝に変わりました。
下絵では聖母マリアと向かい合うのは聖ヨハネだけです
が、最終的には子羊に変身した聖ヨハネと振り返るイエス
が聖母マリアを見つめるかたちになっています。
何故に、聖ヨハネは子羊の姿に変えられ、イエスは地に
下ろされることになったのか、大いに気になるところですし、
天を指さす聖アンナの謎めいた左手は聖母マリアの身体
のうしろに隠されていて、
その手には杖らしきものが握られているようです。
むしろ構図としては、膝の上に乗った聖母マリアを支える
意味からも、杖を立ててバランスをとる姿勢の方が、自然
な姿であると思われるのですが、どうして左手を隠すような
かたちを選択したのでしょうか
それに、
左腕の肘の角度を見る限りでは、『最後の晩餐』
での謎のナイフを持つ手とされているペテロの右手
が思い出されますが、男女や左右の違いがあるにしても
手首から先が謎という点では キーワード としての
“謎の手”である意味合いは同じです。
『ペテロの右腕の習作』
『謎の手』や『謎の指』の詳細については、
『ダ・ヴィンチの罠 謎の手』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/401.html
『ダ・ヴィンチの罠 謎の指』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/402.html
を参照してください。
その他にも、
聖ヨハネのアゴに手を添えて、祝福のポーズをとる
デッサン画でのイエスの姿は …
『岩窟の聖母』ルーブル版を彷彿させますが、
どちらがイエスか意見の分かれるルーブル版での真意を、
暗示するかのようなデッサンになっています。
依頼主であるミラノのサン・フランチェスコ・グランデ教会
との間で25年にも及ぶ裁判沙汰を引き起こしたこの絵には
お決まりの光輪や人物を特定させるアトリビュート(持ち物)
が描かれていません。
それ故に、宗教画としてのテイストが依頼主と合わずに、
反感を買ったわけで、いったい何が気に入らなかったのか
は描き直されたロンドン・ナショナルギャラリー版をみれば、
一目瞭然ですね
但し、その解説に紙面を割いている余裕はありません
ので、詳しくは、『ダ・ヴィンチの罠 指芝居』の
ページを参考にしてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/403.html
皆さんは意外に思われるかもしれませんが、定説とは
違って、ダ・ヴィンチが意図しているのは、
こちらがイエスで …
こちらが聖ヨハネです。
剃り込みのように鋭角に切り込まれた髪の毛の生え際を
みれば、向かって左側がイエスで、右側が聖ヨハネである
ということがわかってもらえると思うのですが …
それと、ダ・ヴィンチの
真意はどうあれ、キャンバス上にイエスと聖ヨハネを描く
場合には、常に、聖ヨハネはイエスよりも下の位置に配置
されています。
しかしながら、
少なくともそれは教会に対するポーズやアリバイ
であって、ダ・ヴィンチの思い描いている妄想とは大きく
違っているのですが …
どうでしょうか 納得をしていただけたでしょうか
しかも、
定説と異なるのはそれだけではありません。
たとえば聖アンナと聖母マリアの顔を見比べてください。
どうみても、
親子(祖母と母)にしては聖アンナは若すぎて、聖母マリア
とは、母と娘というよりも姉妹のようにしか見えません。
下絵の段階ではどうだったのでしょう。
これなら、老女と娘であることに合点がいきますが、
構図を変更してからのデッサンではどうでしょうか。
『聖アンナと聖母子』での聖アンナの習作
『聖アンナと聖母子』での聖母マリアの習作
やはり、それなりの年の差を感じさせるデッサンですね。
しかるに、油彩画として仕上がった聖アンナは若く、
その顔にはモナリザにも似た微笑みを浮かべていますが
こうした謎めいた微笑みはフマガッリと呼ばれるもので
「すべてを知る者の笑い」とされています。
デッサンに比べて、わずかに顔を正面に向き直し、視線も
やや斜め下からほぼ真下の方向に変わっているように感じ
ますが、思い過ごしでしょうか
思い過ごしと言えば、
聖母マリアが母親である聖アンナの膝の上に座るという
行為は異常で、女性の膝に女性が座るという習慣や文化
を持つ国や地域も聞いた例(ためし)がありません。
さらに言えば、
その差は微妙ですが、膝下の長さや前後での遠近値から
推察しても、ダ・ヴィンチの目的は明らかに聖アンナの方を
より大きな人物として表現しようとしています。
それも、不思議といえば、不思議な話ですよね
ダ・ヴィンチの研究家でも美術史家でもなんでもない只の
シロウトがインスピレーションだけを頼りにして熱弁を
奮っているわけですが …
興味の無い人間にとっては愚にもつかない妄想など
に付き合っていられるほど閑人(ひまじん)ではないという
ことになるのでしょうね
ところが、
そうした妄想こそが大事だということをダ・ヴィンチは
証明してくれたのです。
1452年、イタリア北部のトスカーナ地方フィレンツェ郊外に
生まれたダ・ヴィンチですが、父は政府の公証人をしていた
セル・ピエロで、母は貧しい農家の娘カテリーナでした。
家柄の違う父と母は正式な結婚ができず、ダ・ヴィンチは
いわゆる庶子(私生児)だったのです。
私生児ゆえに友人も少なく生来の移り気に加え勉強嫌い
も災いして、孤独な少年期を過ごしていたダ・ヴィンチ少年
に許されたことは妄想の世界で遊ぶことだけでした。
人間の発達段階において大人の導きが欠かせないのは
当然ですが、そうした導き手としての助力が得られなかった
子供は独力で世界を捉え、独自の世界観を生み出していく
もので、それには妄想という特効薬が必要でした。
孤独で特異な生育環境にあったダ・ヴィンチの脳内では、
ドーパミンやらβエンドルフィンが自在に飛び交い、時には
ノルアドレナリンに悪戯されたこともあったでしょう。
ダ・ヴィンチの持つ天才的な創造性はそうした環境
から編み出された処世術である可能性は否定できません。
つまり、
妄想癖が、天才 レオナルド・ダ・ヴィンチを生んだとも
言えなくもないわけで、そこに冒頭の「グリア細胞」が
どのように関わっていたのかは定かではありませんが …
「グルタミン酸」の濃度調整はおそらく完璧だった
ものと思われます
さてと、
正直、自分の想像をはるかに超えて進展して行く
驚きの展開に驚愕しまくりなのですが …
次回からは重要なる鍵を握るスーパーインポーズした
画像を解析することで、数々の疑問を一挙に解決
させようではないかと考えています(ムリ、ムリ)
下絵の聖アンナと油彩画の聖アンナの顔を基点にして
2枚の絵を重ね合わせると、どうなるのでしょうか
さらに、そこに、
「合成・合体画像」がインポーズされたら
どんな秘密の暴露が見られるのでしょうか
… to be continue !!
「取って置きのアイデアが
あるとか言っておったが …」
「何か聞いているか?」
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