このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
『ダ・ヴィンチの罠 展開図(改)』の予定です。
(以下、本文)
イエスの系図に登場するイレギュラーな
4人の女性たちの存在が「罠」の原点
であり、根源にして根幹たる彼女たちを、
「4人のモナリザ」見逃したテレビドラマを見る方法
変化・変容する立体(正多面体)パズル
の正四面体において、これ以上、内側に対し
双対できない最小形態の「核」(赤輪郭)で
あると前回、定義(想定)いたしました。
自己双対する正四面体
その彼女たちをイメージの中で表象的に
モデル化したのが、女性の肖像画(4作品)
に隠された秘密であり、『モナ・リザ』の
絵の中に塗り重ねられた第1層から第4層
に描かれている女性たちは、
最終的に『モナ・リザ』(バテシバ)に
統合され、天人合一し、「誰でもあって
誰でもない」存在へと昇華します。
意味不明で理解不能な場合は、
『ダ・ヴィンチの罠 次元域』
を参考にしてください。
要は、
その欺瞞性も含め、一切合切が融合して
ひとつになるということです。
さて、
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品をジャンル
ごとに4つずつのグループにカテゴライズ
してみたものが下記に示す一覧です。
【女性の肖像画】
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』
『白貂を抱く貴婦人』
『ミラノの貴婦人の肖像』
『モナ・リザ』
【男性の肖像画】
『サルバトール・ムンディ』
『音楽家の肖像』
『洗礼者聖ヨハネ』
『自画像』
【野外・荒れ野】(背景)
『受胎告知』
『聖ヒエロニムス』
『東方三博士の礼拝』
『アンギアーリの戦い』
【岩場・洞窟】(背景)
『岩窟の聖母』(2作品)
『糸車の聖母』(2作品)
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
『聖アンナと聖母子』
【窓のある作品】
『ブノワの聖母』
『リッタの聖母』
『最後の晩餐』
『カーネーションの聖母』
それぞれのグループには1つずつ下線が
ひかれた作品がありますが、上から順に、
『ミラノの貴婦人』は、両手が隠されていて、
『ミラノの貴婦人の肖像』(1490-96年)
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』は、下絵
としてのドローイングであり、
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
『自画像』は、デッサン的な肖像画であって、
『自画像』(1512年頃)
『アンギアーリの戦い』は、失われた幻の壁画、
『アンギアーリの戦い』ルーベンスによる模写
『最後の晩餐』は、第二次大戦による戦禍
の中で破壊されずに残った奇跡の壁画です。
『最後の晩餐』(1495年-1498年)
つまり、
それぞれのグループには 他とは違う要素
を持つ作品が1つずつ存在するということに
なりますが、それが偶然によるものなのか、
そこに何らかの意図が隠されているのか
現時点では、残念ながらわかりません
そこで、
新たなイマジネーションの着想を得るべく、
立体(正多面体)パズルでの正四面体
における考察は、ここで一旦、中断して、
プラトン立体 watson.jp
次なる正多面体(プラトン立体)である
正六面体に話を移すことにしましょう。
『ダ・ヴィンチの罠 設計図』
において、解説したように、
正六面体の各面を構成するダ・ヴィンチの
作品は、人差し指のジョイント・サインにより
特定されるとしたわけですが、
それは、下記の作品において6人の人物
によって案内されています。
1、『東方三博士の礼拝』
2、『岩窟の聖母』ルーブル版
3、『最後の晩餐』
4、『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
5、『洗礼者聖ヨハネ』
このうち、
『岩窟の聖母』ルーブル版(部分)
2、『岩窟の聖母』 ルーブル版だけが他と
違い、天を示さずに幼児イエスを指さして
いるだけでなく、指している人物も人間では
なく大天使ウリエルです。
『岩窟の聖母』ルーブル版(部分)
画像元:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
この2つの相違点によって、この作品は、
人差し指のジョイント・サインではあっても、
グループ内におけるもう一つのカテゴリー
からは外れることを意味しています。
すなわち、ここでも、
1、『東方三博士の礼拝』
2、『岩窟の聖母』ルーブル版(除外)
3、『最後の晩餐』
4、『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
5、『洗礼者聖ヨハネ』
『岩窟の聖母』 ルーブル版が消されて、
「4つ」の編成になることがわかります。
そして、新たに編成されたこのグループ
においても、『東方三博士の礼拝』だけが
天を指さす人物が2人描かれているわけ
で、他とは違う要素を持つ作品となります。
『東方三博士の礼拝』(修復版)
こうしたことから考察すると、
ダ・ヴィンチの作品が一定の法則性のもと
に組み合わされていることが見て取れます。
それでは、
ここまでを簡単に整理してみましょう。
正四面体の4つの面を構成する作品は、
【女性の肖像画】
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』
『白貂を抱く貴婦人』
『ミラノの貴婦人の肖像』
『モナ・リザ』
のグループです。
正六面体の6つの面を構成する作品は、
人差し指のジョイント・サインが描かれた
【人差し指のサイン】
1、『東方三博士の礼拝』
2、『岩窟の聖母』ルーブル版
3、『最後の晩餐』
4、『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
5、『洗礼者聖ヨハネ』
のグループで、2人の人物が天を指さす
『東方三博士の礼拝』についてはそれぞれ
上面と底面、あるいは、互いに対面に位置
する側面に対極的に配置されます。
しかしながら、
正四面体と立方体(正六面体)がこれらの
作品によってのみ固定されるということでは
ありません。
これらの作品は組み立てにおける順方向
の循環プロセスであると理解してください。
正四面体(展開図) xrea.com
すなわち、それは、
逆方向に働く作品もあるという意味ですが、
その解説はあとまわしとします。
ここまでが、正四面体と立方体(正六面体)
における展開の大雑把なまとめですが、
正六面体(展開図) xrea.com
正四面体は、「罠」の核にしてデルタ面
の株分けの素であって、立方体(正六面体)
の各面は、構成上の見本(展開サンプル)
であり、ジョイント・サインによる組み立ての
“ひな型”となるべき超次元域における
展開図(デベロップメント・ダイアグラム)
でもあるのです。
そして、
その立方体が、基本形である正十二面体
に内接する立方体(金色の輪郭)となって、
正十二面体に内接する立方体(正六面体) wikipedia
漸次 互いに双対する正八面体(赤い輪郭)
へと変化・変容するわけです。
互いに双対する正六面体と正八面体
繰り返しになりますが、
ここで 人差し指によるジョイント・サインは
天を指し示す作品とそれ以外とに分けられ、
新たな4作品のグループが再編成されます。
尚、【岩場・洞窟】グループの中にある
『岩窟の聖母』及び 『糸車の聖母』が、
それぞれに2作品ずつ用意されているのは、
立方体(正六面体)への回帰プロセスや
循環サイクルに対応させるための予備的
なストックであって、使用方法は相互交換
方式や交互循環方式が考えられます。
『バクルーの聖母』と『ランズダウンの聖母』
つまり、順方向と逆方向に作用する作品
を相互に交換したり交互に循環させること
でリサイクルするのです。
このようにして、
再編成された4作品ずつの各グループは、
4の倍数にあたる正四面体の他、正八面体
と正二十面体に対応することになります。
それを指し示しているのが、
『ダ・ヴィンチの罠 デルタ』
での正三角形を有する多面体としての
「デルタ多面体」に属する正多面体
(正四面体・正八面体・正二十面体)の間
を4作品ずつに編成された各グループの
作品がアモルファスに自在に展開し移動
するということなのですが、
同じ4の倍数でも、
正十二面体は基本形としての別ルート、
つまり、
『ダ・ヴィンチの罠 設計図』
において案内したように人差し指を媒介
として構成される正八面体の8つの各面
に対応する別の組み合わせによる作品と
フマガッリ(すべてを知る者の微笑み)
を持つ4つの作品を加えた構成が、まず
最初の正十二面体を組み立てます。
そして、
前述したように、プラトン立体(正多面体)
のうちのデルタ多面体の間でアモルファス
に縦横自在なる展開と移動を繰り返し、
徐々に、互いに双対する正二十面体から
正十二面体に反転移行(変化・変容)したり
互いに双対する正十二面体と正二十面体
正八面体から立方体(正六面体)へ移行
したりするわけです。
互いに双対する正六面体と正八面体
所謂(いわゆる)、これが逆方向への展開
ということなるのですが、
以下の各グループ編成の中から任意に
選出された作品が相応に適合し順次循環
する設定になっているわけです。
【天を指し示すサイン】
『東方三博士の礼拝』
『最後の晩餐』
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
『洗礼者聖ヨハネ』
【女性の肖像画】
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』
『白貂を抱く貴婦人』
『ミラノの貴婦人の肖像』
『モナ・リザ』
【男性の肖像画】
『サルバトール・ムンディ』
『音楽家の肖像』
『洗礼者聖ヨハネ』
『自画像』
【野外・荒れ野】(背景)
『受胎告知』
『聖ヒエロニムス』
『東方三博士の礼拝』
『アンギアーリの戦い』
【岩場・洞窟】(背景)
『岩窟の聖母』ルーブル版
『糸車の聖母』
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
『聖アンナと聖母子』
【窓のある作品】
『ブノワの聖母』
『リッタの聖母』
『最後の晩餐』
『カーネーションの聖母』
は、天を指す人差し指が描かれた作品
は、人を指す人差し指が描かれた作品
要するに、順方向であれ、逆方向であれ、
正多面体(プラトン立体) weblio.jp
正六面体と正十二面体以外のプラトン立体
(デルタ多面体の中の正多面体)には再編成
された各グループの作品が臨機応変に、
プラトン立体 watson.jp
それこそ縦横無尽の組み換えによる展開を
見せてくれるというわけです。
言わば、
こうした変化・変容におけるネットワーク(網)
が、幾重にも折り重なるように張り巡らされて
いるわけで、
『最後の晩餐』に隠された音符
ダ・ヴィンチが企図していた総合芸術とは、
『最後の晩餐』に隠された音符
『最後の晩餐』に隠された譜面(右から左に音符を読む)
絵画・彫刻・演劇・舞踊・音楽などの融合
による展開上の妙に、
『最後の晩餐』に隠された音符
その真髄をみることができるのです。
その一例が『最後の晩餐』に隠された音符
(40秒の荘厳な鎮魂歌)にあるわけですが、
『最後の晩餐』に隠された音符の記事
これも単にパンと手の位置というだけでなく、
指先、手の平、手の甲、ワイン入りグラスなど
あらゆるパターンで解析してみるとまた違った
意外な結果が得られるのかもしれません
ここに紹介した作品以外にも 習作としての
デッサンやドローイングのほか、武器その他
の発明のアイデアや研究資料などの中から
適宜に選び抜かれて編成されるパターンや
場合によっては後世の画家たちの作品に
よる特殊な組み合わせも考えられないわけ
ではありません。
ダ・ヴィンチ自身がプラトンに傾斜・傾倒し
その影響力を十分に自覚していることから
も、察するには余りあることですが、
『アテナイの学堂』でのプラトン(ラファエロ画)
「罠」の本質にともなう精神性(真髄)が
以心伝心することを想定していたのです。
その説明には、かなりの紙幅が必要です
ので、別の機会に解説したいと考えますが、
たとえば、
師から弟子へ代々にわたり、仏法を正しく
伝える血脈相承(仏法相承)の如く、それは
無意識に伝播し伝心するのかもしれません。
ところで、
『東方三博士の礼拝』における人物
の位置関係と、『最後の晩餐』での人物
の配置には多くの類似性が見られます。
そこで、以下においては、
『東方三博士の礼拝』
『最後の晩餐』
として、 と に省略して解説すると、
『東方三博士の礼拝』(修復版)
での天を指し示す左右の2人に対して、
では、イエスに対して、人差し指を立てる
仕草のトマスの右手の指と、
誰かを指し示すような小ヤコブの左手の指
が2人に対応することになるわけですが、
最初の段階ではトマスの右手の指ではなく、
大ヤコブの右手と小ヤコブの左手での設定
だったのかもしれません。
さらに、
木の陰から天を指さす右側中段の人物は、
一般的には洗礼者ヨハネとされていますが、
小生は洗礼者ヨハネであると同時に使徒
ヨハネ(白丸印)でもあると考えています。
そして、もう一方の左側の人物を大ヤコブ
であると推理・想定しました。
大ヤコブの習作とされるデッサン
そこには相応なる明確な理由があります。
なぜなら、
天を指すポーズは、すべて名の知られた
人物たちが担っています。
『最後の晩餐』では、使徒トマスの右手が、
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』では、
聖アンナの左手が、
『洗礼者聖ヨハネ』では、洗礼者聖ヨハネ
の右手が、お決まりのポーズを
ビシっと決めていますよね
従って、もう一方の人物も名の知れた者
であるはずなのです。
そのあたりのことも含め、次回以降では
より詳しい考察をしたいと考えています。
我々の目に真実は、たった一つだけの
ように見えますが、今、我々に見えている
世界は現実の一部分で、「真実」は一つ
ではないのです。
ダ・ヴィンチは、そうした考えを基本ベース
に数々の「罠」を作品に組み込みました。
この「罠」は、実際に感知可能な現実の
世界とオカルトの世界のほかに 解析能力の
有無、言わばリテラシー(読解力)の優劣
によって、その理解に大きな違いが見られる
という特徴を持っています。
『洗礼者聖ヨハネ』 の鏡絵 deskgram.net
但し、ここでは情報を伝える側のリテラシー
(適切なる表現)は完全に度外視され、むしろ
誤解を生む恐れのあるような微妙なタッチの
描写に終始していますが、
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
それこそが、「罠」としてのダ・ヴィンチの
狙いでもあったのです。
「えっ !!」
なんか、
“へんてこりん”なものが出てきたけど、
「名の知れた人が天を指さす」
っていう話じゃなかったの
その話題は、
「次回以降になったんじゃよ」
「私たちも名の知れた人物なのかしら」
「そ、そのはずなんじゃが ・・・」
ボニー・パーカーとクライド・バロウの物語を映画化eiga.com
ハリウッド映画『俺たちに明日はない』
のポニーとクラウドよりも、
『俺たちに明日はない』ボニーとクライド hateblo.jp
・・・ って、おいおい、
ポニー じゃなく、ボニー・パーカーだし、
クラウドじゃなくて、クライド・バロウ ・・・
てか、そもそも、
「アンタたちに明日はない !!」
だって、とっくの昔に死んでるんだから。
むむむ ・・・
「キャンセルカルチャー」をキャンセルできるか!
出典:japan.techrepublic.com
なんちゃってね !!
… to be continue !!
(… to be continued !!)
であり、根源にして根幹たる彼女たちを、
「4人のモナリザ」見逃したテレビドラマを見る方法
変化・変容する立体(正多面体)パズル
の正四面体において、これ以上、内側に対し
双対できない最小形態の「核」(赤輪郭)で
あると前回、定義(想定)いたしました。
自己双対する正四面体
その彼女たちをイメージの中で表象的に
モデル化したのが、女性の肖像画(4作品)
に隠された秘密であり、『モナ・リザ』の
絵の中に塗り重ねられた第1層から第4層
に描かれている女性たちは、
最終的に『モナ・リザ』(バテシバ)に
統合され、天人合一し、「誰でもあって
誰でもない」存在へと昇華します。
意味不明で理解不能な場合は、
『ダ・ヴィンチの罠 次元域』
を参考にしてください。
要は、
その欺瞞性も含め、一切合切が融合して
ひとつになるということです。
さて、
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品をジャンル
ごとに4つずつのグループにカテゴライズ
してみたものが下記に示す一覧です。
【女性の肖像画】
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』
『白貂を抱く貴婦人』
『ミラノの貴婦人の肖像』
『モナ・リザ』
【男性の肖像画】
『サルバトール・ムンディ』
『音楽家の肖像』
『洗礼者聖ヨハネ』
『自画像』
【野外・荒れ野】(背景)
『受胎告知』
『聖ヒエロニムス』
『東方三博士の礼拝』
『アンギアーリの戦い』
【岩場・洞窟】(背景)
『岩窟の聖母』(2作品)
『糸車の聖母』(2作品)
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
『聖アンナと聖母子』
【窓のある作品】
『ブノワの聖母』
『リッタの聖母』
『最後の晩餐』
『カーネーションの聖母』
それぞれのグループには1つずつ下線が
ひかれた作品がありますが、上から順に、
『ミラノの貴婦人』は、両手が隠されていて、
『ミラノの貴婦人の肖像』(1490-96年)
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』は、下絵
としてのドローイングであり、
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
『自画像』は、デッサン的な肖像画であって、
『自画像』(1512年頃)
『アンギアーリの戦い』は、失われた幻の壁画、
『アンギアーリの戦い』ルーベンスによる模写
『最後の晩餐』は、第二次大戦による戦禍
の中で破壊されずに残った奇跡の壁画です。
『最後の晩餐』(1495年-1498年)
つまり、
それぞれのグループには 他とは違う要素
を持つ作品が1つずつ存在するということに
なりますが、それが偶然によるものなのか、
そこに何らかの意図が隠されているのか
現時点では、残念ながらわかりません
そこで、
新たなイマジネーションの着想を得るべく、
立体(正多面体)パズルでの正四面体
における考察は、ここで一旦、中断して、
プラトン立体 watson.jp
次なる正多面体(プラトン立体)である
正六面体に話を移すことにしましょう。
『ダ・ヴィンチの罠 設計図』
において、解説したように、
正六面体の各面を構成するダ・ヴィンチの
作品は、人差し指のジョイント・サインにより
特定されるとしたわけですが、
それは、下記の作品において6人の人物
によって案内されています。
1、『東方三博士の礼拝』
2、『岩窟の聖母』ルーブル版
3、『最後の晩餐』
4、『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
5、『洗礼者聖ヨハネ』
このうち、
『岩窟の聖母』ルーブル版(部分)
2、『岩窟の聖母』 ルーブル版だけが他と
違い、天を示さずに幼児イエスを指さして
いるだけでなく、指している人物も人間では
なく大天使ウリエルです。
『岩窟の聖母』ルーブル版(部分)
画像元:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
この2つの相違点によって、この作品は、
人差し指のジョイント・サインではあっても、
グループ内におけるもう一つのカテゴリー
からは外れることを意味しています。
すなわち、ここでも、
1、『東方三博士の礼拝』
2、『岩窟の聖母』ルーブル版(除外)
3、『最後の晩餐』
4、『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
5、『洗礼者聖ヨハネ』
『岩窟の聖母』 ルーブル版が消されて、
「4つ」の編成になることがわかります。
そして、新たに編成されたこのグループ
においても、『東方三博士の礼拝』だけが
天を指さす人物が2人描かれているわけ
で、他とは違う要素を持つ作品となります。
『東方三博士の礼拝』(修復版)
こうしたことから考察すると、
ダ・ヴィンチの作品が一定の法則性のもと
に組み合わされていることが見て取れます。
それでは、
ここまでを簡単に整理してみましょう。
正四面体の4つの面を構成する作品は、
【女性の肖像画】
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』
『白貂を抱く貴婦人』
『ミラノの貴婦人の肖像』
『モナ・リザ』
のグループです。
正六面体の6つの面を構成する作品は、
人差し指のジョイント・サインが描かれた
【人差し指のサイン】
1、『東方三博士の礼拝』
2、『岩窟の聖母』ルーブル版
3、『最後の晩餐』
4、『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
5、『洗礼者聖ヨハネ』
のグループで、2人の人物が天を指さす
『東方三博士の礼拝』についてはそれぞれ
上面と底面、あるいは、互いに対面に位置
する側面に対極的に配置されます。
しかしながら、
正四面体と立方体(正六面体)がこれらの
作品によってのみ固定されるということでは
ありません。
これらの作品は組み立てにおける順方向
の循環プロセスであると理解してください。
正四面体(展開図) xrea.com
すなわち、それは、
逆方向に働く作品もあるという意味ですが、
その解説はあとまわしとします。
ここまでが、正四面体と立方体(正六面体)
における展開の大雑把なまとめですが、
正六面体(展開図) xrea.com
正四面体は、「罠」の核にしてデルタ面
の株分けの素であって、立方体(正六面体)
の各面は、構成上の見本(展開サンプル)
であり、ジョイント・サインによる組み立ての
“ひな型”となるべき超次元域における
展開図(デベロップメント・ダイアグラム)
でもあるのです。
そして、
その立方体が、基本形である正十二面体
に内接する立方体(金色の輪郭)となって、
正十二面体に内接する立方体(正六面体) wikipedia
漸次 互いに双対する正八面体(赤い輪郭)
へと変化・変容するわけです。
互いに双対する正六面体と正八面体
繰り返しになりますが、
ここで 人差し指によるジョイント・サインは
天を指し示す作品とそれ以外とに分けられ、
新たな4作品のグループが再編成されます。
尚、【岩場・洞窟】グループの中にある
『岩窟の聖母』及び 『糸車の聖母』が、
それぞれに2作品ずつ用意されているのは、
立方体(正六面体)への回帰プロセスや
循環サイクルに対応させるための予備的
なストックであって、使用方法は相互交換
方式や交互循環方式が考えられます。
『バクルーの聖母』と『ランズダウンの聖母』
つまり、順方向と逆方向に作用する作品
を相互に交換したり交互に循環させること
でリサイクルするのです。
このようにして、
再編成された4作品ずつの各グループは、
4の倍数にあたる正四面体の他、正八面体
と正二十面体に対応することになります。
それを指し示しているのが、
『ダ・ヴィンチの罠 デルタ』
での正三角形を有する多面体としての
「デルタ多面体」に属する正多面体
(正四面体・正八面体・正二十面体)の間
を4作品ずつに編成された各グループの
作品がアモルファスに自在に展開し移動
するということなのですが、
同じ4の倍数でも、
正十二面体は基本形としての別ルート、
つまり、
『ダ・ヴィンチの罠 設計図』
において案内したように人差し指を媒介
として構成される正八面体の8つの各面
に対応する別の組み合わせによる作品と
フマガッリ(すべてを知る者の微笑み)
を持つ4つの作品を加えた構成が、まず
最初の正十二面体を組み立てます。
そして、
前述したように、プラトン立体(正多面体)
のうちのデルタ多面体の間でアモルファス
に縦横自在なる展開と移動を繰り返し、
徐々に、互いに双対する正二十面体から
正十二面体に反転移行(変化・変容)したり
互いに双対する正十二面体と正二十面体
正八面体から立方体(正六面体)へ移行
したりするわけです。
互いに双対する正六面体と正八面体
所謂(いわゆる)、これが逆方向への展開
ということなるのですが、
以下の各グループ編成の中から任意に
選出された作品が相応に適合し順次循環
する設定になっているわけです。
【天を指し示すサイン】
『東方三博士の礼拝』
『最後の晩餐』
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
『洗礼者聖ヨハネ』
【女性の肖像画】
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』
『白貂を抱く貴婦人』
『ミラノの貴婦人の肖像』
『モナ・リザ』
【男性の肖像画】
『サルバトール・ムンディ』
『音楽家の肖像』
『洗礼者聖ヨハネ』
『自画像』
【野外・荒れ野】(背景)
『受胎告知』
『聖ヒエロニムス』
『東方三博士の礼拝』
『アンギアーリの戦い』
【岩場・洞窟】(背景)
『岩窟の聖母』ルーブル版
『糸車の聖母』
『聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ』
『聖アンナと聖母子』
【窓のある作品】
『ブノワの聖母』
『リッタの聖母』
『最後の晩餐』
『カーネーションの聖母』
は、天を指す人差し指が描かれた作品
は、人を指す人差し指が描かれた作品
要するに、順方向であれ、逆方向であれ、
正多面体(プラトン立体) weblio.jp
正六面体と正十二面体以外のプラトン立体
(デルタ多面体の中の正多面体)には再編成
された各グループの作品が臨機応変に、
プラトン立体 watson.jp
それこそ縦横無尽の組み換えによる展開を
見せてくれるというわけです。
言わば、
こうした変化・変容におけるネットワーク(網)
が、幾重にも折り重なるように張り巡らされて
いるわけで、
『最後の晩餐』に隠された音符
ダ・ヴィンチが企図していた総合芸術とは、
『最後の晩餐』に隠された音符
『最後の晩餐』に隠された譜面(右から左に音符を読む)
絵画・彫刻・演劇・舞踊・音楽などの融合
による展開上の妙に、
『最後の晩餐』に隠された音符
その真髄をみることができるのです。
その一例が『最後の晩餐』に隠された音符
(40秒の荘厳な鎮魂歌)にあるわけですが、
『最後の晩餐』に隠された音符の記事
これも単にパンと手の位置というだけでなく、
指先、手の平、手の甲、ワイン入りグラスなど
あらゆるパターンで解析してみるとまた違った
意外な結果が得られるのかもしれません
ここに紹介した作品以外にも 習作としての
デッサンやドローイングのほか、武器その他
の発明のアイデアや研究資料などの中から
適宜に選び抜かれて編成されるパターンや
場合によっては後世の画家たちの作品に
よる特殊な組み合わせも考えられないわけ
ではありません。
ダ・ヴィンチ自身がプラトンに傾斜・傾倒し
その影響力を十分に自覚していることから
も、察するには余りあることですが、
『アテナイの学堂』でのプラトン(ラファエロ画)
「罠」の本質にともなう精神性(真髄)が
以心伝心することを想定していたのです。
その説明には、かなりの紙幅が必要です
ので、別の機会に解説したいと考えますが、
たとえば、
師から弟子へ代々にわたり、仏法を正しく
伝える血脈相承(仏法相承)の如く、それは
無意識に伝播し伝心するのかもしれません。
ところで、
『東方三博士の礼拝』における人物
の位置関係と、『最後の晩餐』での人物
の配置には多くの類似性が見られます。
そこで、以下においては、
『東方三博士の礼拝』
『最後の晩餐』
として、 と に省略して解説すると、
『東方三博士の礼拝』(修復版)
での天を指し示す左右の2人に対して、
では、イエスに対して、人差し指を立てる
仕草のトマスの右手の指と、
誰かを指し示すような小ヤコブの左手の指
が2人に対応することになるわけですが、
最初の段階ではトマスの右手の指ではなく、
大ヤコブの右手と小ヤコブの左手での設定
だったのかもしれません。
さらに、
木の陰から天を指さす右側中段の人物は、
一般的には洗礼者ヨハネとされていますが、
小生は洗礼者ヨハネであると同時に使徒
ヨハネ(白丸印)でもあると考えています。
そして、もう一方の左側の人物を大ヤコブ
であると推理・想定しました。
大ヤコブの習作とされるデッサン
そこには相応なる明確な理由があります。
なぜなら、
天を指すポーズは、すべて名の知られた
人物たちが担っています。
『最後の晩餐』では、使徒トマスの右手が、
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』では、
聖アンナの左手が、
『洗礼者聖ヨハネ』では、洗礼者聖ヨハネ
の右手が、お決まりのポーズを
ビシっと決めていますよね
従って、もう一方の人物も名の知れた者
であるはずなのです。
そのあたりのことも含め、次回以降では
より詳しい考察をしたいと考えています。
我々の目に真実は、たった一つだけの
ように見えますが、今、我々に見えている
世界は現実の一部分で、「真実」は一つ
ではないのです。
ダ・ヴィンチは、そうした考えを基本ベース
に数々の「罠」を作品に組み込みました。
この「罠」は、実際に感知可能な現実の
世界とオカルトの世界のほかに 解析能力の
有無、言わばリテラシー(読解力)の優劣
によって、その理解に大きな違いが見られる
という特徴を持っています。
『洗礼者聖ヨハネ』 の鏡絵 deskgram.net
但し、ここでは情報を伝える側のリテラシー
(適切なる表現)は完全に度外視され、むしろ
誤解を生む恐れのあるような微妙なタッチの
描写に終始していますが、
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
それこそが、「罠」としてのダ・ヴィンチの
狙いでもあったのです。
「えっ !!」
なんか、
“へんてこりん”なものが出てきたけど、
「名の知れた人が天を指さす」
っていう話じゃなかったの
その話題は、
「次回以降になったんじゃよ」
「私たちも名の知れた人物なのかしら」
「そ、そのはずなんじゃが ・・・」
ボニー・パーカーとクライド・バロウの物語を映画化eiga.com
ハリウッド映画『俺たちに明日はない』
のポニーとクラウドよりも、
『俺たちに明日はない』ボニーとクライド hateblo.jp
・・・ って、おいおい、
ポニー じゃなく、ボニー・パーカーだし、
クラウドじゃなくて、クライド・バロウ ・・・
てか、そもそも、
「アンタたちに明日はない !!」
だって、とっくの昔に死んでるんだから。
むむむ ・・・
「キャンセルカルチャー」をキャンセルできるか!
出典:japan.techrepublic.com
なんちゃってね !!
… to be continue !!
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