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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改)

 「メス猫」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 メス猫 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 メス猫 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 メス猫』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで28作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 2018年は戌年🐶です。

 古来からペットとして、あるいは狩猟の相棒
として深い関係にあったは人間の友達から
現在では、盲導犬、介助犬、救助犬、警察犬、
麻薬犬など日々の生活に欠かせない存在である
ばかりか、人の心を癒したり病気の治療などを
目的としたセラピー・ドックとしてもその活躍
の場を広げていて、両者の関係は以前よりも、
さらに強固で深いものとなっているようです。



  ☆★ これはフェイクです。

 (新種でも奇形でもありませんよ)

 あたりまえやん

      
      (しょうもな ・・・)

 ところが、戌年を前に昨年末の業界団体の
調査発表では、そのペットの王様であるはず
の飼育数がを下回るという逆転劇が
起こったのです。

 の方が飼育に費用がかかるうえに、
散歩や予防接種など猫よりも何かと手間が
かかり、面倒であるというのも理由のひとつ
かと思われますが、たとえ、飼育数では
に負けても人間にとってが特別な存在
であることは、ダ・ヴィンチの時代も現代も
変わりはないように思われますが ・・・

 不思議なことにあれほど多種多様な素描を
残しながらもレオナルド・ダ・ヴィンチには
を描いたものがほとんどありません。

 躍動する姿態をあれこれ描いているのは
馬と猫ばかりで、かろうじて馬のデッサンの
なかにがいるのを見つけましたが、


     『騎兵、竜、馬、犬の習作』

 今のところ、これでしかを見ていません。


    『ダ・ヴィンチの猫?(Acats-lions-and-a-dragon)の素描』

     
 ひょっとしたら、

 この中にがいるかも知れませんが ・・・

 ところで、

 は聖書の中に合計で54回登場します。

    

 旧約聖書で45回、新約聖書が9回ですが
そのどちらの聖書の記述でもの扱いは
ぞんざいで、芳しいものではありません。

 犬好きにとっては実に由々しきことですが、
悲しいことに聖書の中の犬たちはその辺の
ごろつきやチンピラの如き存在なのです

 おそらくは聖書の時代のは野犬が多く
家畜や旅人たちにとって危険この上のない
動物だったのでしょう。

 同様に、日本でのことわざや慣用句でも
の評価は決して高くはなく、概して余り
いい意味では用いられてはいません。

 「飼い犬に手を嚙まれる」だとか、
 「負け犬の遠吠え」「犬死」とか、
 「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」等 ・・・

 尤も、

 「猫に小判」「猫糞(ネコババ)
 「猫の首に鈴を付ける」という具合で、
 
 の方も負けてはいません。

 但し、

 

 には、いい意味での「招き猫」
いう言葉が日本にはありますが ・・・

 

 さて

 54回と出番の多いに対し、の方は
どうかというと、

 まったくと言ってほど出番がアリマセン。 


   「そんニャー、あほニャー」

 旧約聖書および新約聖書を通じて、
登場するのはエレミヤの手紙だけです。

  
 死のただ中にある命-預言者エリヤとエレミヤ-近藤勝彦 

 それも、たったの一行、

 「その体や頭の上を、こうもりやつばめ、
 小鳥が飛び交い、猫までやってきます」

 とだけ記述されているのみで、あとは影も
かたちもありません。

 エレミヤの手紙はカトリック教会と正教会
では旧約聖書に含まれますが、ユダヤ教や
プロテスタントでは外典としての扱いとなり
ますので、聖書に猫は登場しないということ
になってしまうわけです。

 エレミヤの手紙はバルク書(外典)の6章
にて、哀歌の後続の小編として偶像崇拝の
馬鹿らしさを伝える文脈のなかで、

 そこ(偶像のもと)に「猫までやって来る」
と偽のメシアや預言者を皮肉っています。


          猫とスフィンクス gigazine.net

 見方を換えれば、いよいよ待ちに待って
いた「猫までが ・・・」というが如き
トリを受け持つ大物の登場のような扱いでも
あるわけです。

 「別格」ということでしょうか

 聖書の記述がないことを受けて
悪魔使いとか魔女化身説
声高に唱えたのがカトリック教会です。

 中世の魔女狩りでは、悪魔
化身と見なされ、無惨にも殺戮
対象にされますが、聖書編纂時代には、
異教と結びつけられて、
(エジプトのファラオは頭に蛇の飾りをつけ
オス猫太陽神ラーの象徴)
として意識されていたわけです。

 そんな中で、

 
     『バビロン捕囚』

 エレミアの手紙はバビロン捕囚
となってバビロニア地方に拉致連行される
イスラエル(ユダ王国)の民に対する手紙
という形式で、かの地での偶像礼拝(崇拝)
の愚かしさや無意味さを一貫して指摘する
内容になっています。

 偶像は「生命を宿さず、歩けず、喋れず、
何も見えずに、何も感じない」としたうえで

 その無力で無能なただの塊に過ぎない
ものを畏れる者も、また嘲けられるものと
なるというのが手紙の主題(主旨)です。

 そうした脈絡のなかでの21節に ・・・

 「その体や頭の上を、こうもりやつばめ、
 小鳥が飛び交い、猫までやってきます」

 として、一見、「猫まで」と如何にも
を馬鹿にしているようですが、

  

          !!

 こうもりやつばめ、その他の小鳥たちが
何の畏れもなく偶像の上を飛び回っては
その体や頭の上に糞尿をまき散らすさま
をつぶさに目撃すれば、

 それらの像がでないことがわかる。

 そして敵対する悪魔(サタン)の使い
であるまでが安心して近寄ってくる。

 というような意味合いに因果を含めて
理解を求めているようなのですが ・・・

 前述のように、他方では偽メシア
到来を示唆する表現でもあるのです。

 ・・・ ということで、

 持ち越しになっていた猫の寓意

 それもとりわけ受胎告知の場面に
何故にが登場するのかについての
見解をここで披露したいと考えます。

 まずは、

 ロレンツォ・ロットのコミカルでユニーク
なシーンから見てみましょう。


   『受胎告知』 ロレンツォ・ロット

 受胎告知の使命を帯びて降臨した
大天使ガブリエルの気配を感じたが、

  (おいおい誰なんだ コイツ)

 とばかりに驚いて走り出す姿が躍動的
に描かれていますが、

 

 「やだぁ」と逃げ出すマリアのもと
に駆け寄ろうとしているシチュエーション
にはかなりの存在感があります。

      
      (ゲロゲロ ・・・)

 この場合に、

 一般的な解釈としては天使は霊的な
存在なので普通なら見えないのですが、

 が驚いて逃げ出したのは、
悪魔的な存在として見なされている
からであるとされます。


     (キモイ奴だニャー)

 続いては、フェデリコ・バロッチの

  

 upup『受胎告知』 フェデリコ・バロッチ  

   

  スヤスヤ  zzz2  気持良さそう・・・

           up_slow
 そして、ピーテル・パウル・ルーベンスの
『受胎告知』での zzz2 です。

 こちらも気持ち良さそうに眠っています。

 他にも、ガロファロやヤン・デ・ビアなどの
『受胎告知』にもが登場します。


           『受胎告知』 ガロファロ1528年
    


      『受胎告知』 ヤン・デ・ビア 1520年頃


 フェデリコ・バロッチには、『聖母の猫』
というズバリそのままの作品まであります。


     『聖母の猫』 フェデリコ・バロッチ

 幼い洗礼者聖ヨハネを見つめる猫の目に
警戒の色を感じるのは気のせいでしょうか。


     『聖母の猫』(La Gatta della Madonna)

 この右の猫の目は尋常ではありませんね。

 はてさて、古い伝承によれば、

 イエス・キリストがこの世に誕生した夜に
一匹のメス猫も子猫を出産したというような
言い伝えがあり、それが聖母マリアの象徴に
なっているということなのでしょうか?

 教会から疎まれ嫌われているはずの
は聖母マリアだけでなく、イエス・キリストの
足もとにも登場します。


     『エマオの晩餐』 フィリップ・ド・シャンパーニュ

 これらの絵画に登場するたちには
どんな意味が込められているのでしょう。

 先のキリスト誕生の夜に子猫を産んだ
というメス猫の言い伝えの根拠は乏しく、
この伝承に関する文献や出典は明らか
にされてはいませんが、それが本当なら
は聖母マリアの、子猫はイエスの
アトリビュートな存在であるということ
になりますが ・・・

 そんな話はとんと耳にしませんねnose7

 思うに、 

 そこに少なからざる影響力を及ぼして
いたのがレオナルド・ダ・ヴィンチである
推理したとするとどうなるでしょう。

 下のデッサン画は、


    『猫のいる聖母の素描』 1478-1481年
 
 『猫のいる聖母の素描』という
題名で、この他に聖母子とともに
いる素描をダ・ヴィンチは6枚描いています。

 イエスが誕生した夜の同じ時間に子猫を
産んだメス猫の伝説はあるものの、
一角獣や子羊や魚のように明確に聖母子
と象徴的に結びつくことはありません。

 むしろ、ロレンツォ・ロットのように悪魔の
シンボルとしての認知度の方が圧倒的に高い
わけですが、ロレンツォ・ロット自身の
真実はその限りではありません。

 そこで、ある時期において、

 レオナルド・ダ・ヴィンチが聖母子
ともにを一緒に描いたデッサンを多数
描いていたというが各地域に広まった
と考えると ・・・

 この問題は解決します

 伝統的な因習としての寓意
踏襲するよりも革新的アレゴリーとしての
聖母子と猫の関係の方が斬新でモチーフ
としても挑戦的刺激的だと考える
画家が出て来ても不思議ではありません。

 問題は悪魔象徴と見なして
忌み嫌うカトリック教会からの追及を如何
にして躱(かわ)し逃れるかの一点です。

 

 それがキリストの誕生と子猫の誕生が
同日同夜の同じ時刻であったという古い
「言い伝え」としての「メス猫」
の話だったというわけです。

 こうして、

 アリバイができた画家たちの何人かが
勇気と意欲を掻き立てて聖母子
を描いたというわけですねpeace

 さらに、

 ダ・ヴィンチにインスパイアされた多くの
画家の中から数人の猛者がある奇妙な事象
に気づきます。

 それが、

 ダ・ヴィンチのデビュー作品である



 『受胎告知』のなかに仕組まれた


                     up_slow
 三本指正体秘密です。



 それでは、その猛者なる画家たち
が描いた絵画を時系列的な事象の流れ
に沿って紹介しましょう。

 ラファエロ前派の一人、イギリスの画家
ジョン・コリアと『デルフォイの巫女』

 
   『デルフォイの巫女』ジョン・コリア

 バロック期のフランドルの画家である
P・P・ルーベンスと『最後の晩餐』


 『最後の晩餐』ピーテル・パウル・ルーベンス

 バロック期のフランス派の画家である
P・シャンパーニュと『エマオの晩餐』


 『エマオの晩餐』 フィリップ・ド・シャンパーニュ

 盛期ルネサンス期の三大巨匠のひとり
ラファエロ・サンティと『聖チェチリア』
 

   『聖チェチリア』ラファエロ・サンティ

 但し、

 彼らはその入口に気づいただけのことで、
中に入ったかどうかは知る由もありません。

 さて

 推論のための論理を集約すると、演繹
(えんえき)と帰納の二通りに大別される
『帰納法』の記事内で述べましたが、

ダ・ヴィンチの罠 帰納法(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 帰納法(改) - 透明人間たちのひとりごと

「帰納法」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 帰納法(改)』

 演繹法は「Aだから、Bである」
という論理をつないでいく三段論法
な思考方法です。

 言わば、それには、

 大前提となるルールファクト
が必要かつ絶対的な条件となります。

 演繹法の欠点は正しくない、または適切
ではない前提を用いてしまうことですが、

 たとえば、


            猫と魔女のイメージ dime.jp

 この場合に、「悪魔の化身」
であるという前提にしましょう。

 この当時(中世からルネサンス期には)、
猫は悪魔の使いであるとされ、人間の罪や
悪徳の象徴として、カトリック教会からは
忌み嫌われていた存在であり、


         猫と魔女のイメージ nekochan.jp

 15世紀~18世紀のヨーロッパで盛んに
行われていた魔女狩りにおいて、
悪魔の手先で魔女が変身した動物として
殺戮の対象にされていました。

 でも、

 『受胎告知』でのを見る限りでは
そんな風には感じられませんね。

 しかしそれを、三本指など
に絡めて演繹(えんえき)したとすれば・・・

 「風が吹けば桶屋が儲かる」
の段階を踏んで、

 だから

 マリアイエスであるという結論
に達するのかもしれません

 要するに、 

 は、「悪魔の化身」であるとする
前提は、ここでは、演繹的にも、逆説的には
適切であると言えるのかもしれないのです。


 次回では、そんな前提の前提ともなるべき
三本指が描かれた絵画
ついての考察を予定しています。

 ところで、

 「メス猫とはお前さんなのか」

  

 「どうかニャ、わかんニャーい」


        メス猫と三匹の子猫 dictionary.petsallright.net

 
    猫と魔女 ハロウィン nekochan.jp

 てか
        
         (ネコ🐈丸出しじゃん)

 … to be continued !!

コメント一覧

小吉
? どうしてメス猫だと?

オスネコかもしれないじゃないか。
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