「三本指」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、
100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。
記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、
正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。
上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの
重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を
果たさなければならないのですが、漸くこれで29作目です。
さてと、それでは、ここからが、
『ダ・ヴィンチの罠 三本指(改)』
の記事になります。
(以下、本文)
今年は戌年🐩です。
で、ですが ・・・
モジモジ
ん !!
パ、パンダ !!
おおっ !!
「ミッキーマウス・ドッグ」に、
角の生えた神の子羊のプードルや、
これはケルベロスのつもりなのかな
でも、もはや、
こうなると猫もオワリかも ・・・
たとえば、
このようなペットたちは、閑暇を持て
余しているシロガネーゼやアシヤレーヌ
などから愛玩されるセレブ犬やセレブ猫
たちかもしれませんが、
窮屈な着ぐるみに身を包まれた彼らは
自分の境遇をどう感じているのでしょう。
果たして彼らは幸せなのでしょうか?
着ぐるみにしてもペットの服だろうと、
見栄えのいい拘束衣に思えてしまう
のは小生の羨望が卑屈に折れ曲がり、
歪んだ心が網膜に屈折した像を結んで
いるだけのことであって、所謂ところの
世にいう偏見というやつでしょうか。
こうしたペットを見ていると、少なくとも
心の部分だけについて言えば、ノラ犬や
ノラ猫の方が自由であるとは思うけど、
彼らには生存のための厳しい競争が
待ち受けているうえに、駆除という名の
もとに保健所その他の団体などの取り
締まりの網からも逃れねばならぬ運命
にあるわけで、心の自由を捨てて安穏
とした暮らしを選ぶのか、刺激に富んだ
スリリングな世界に生きるのかの選択
にはハムレット並みの苦悩と葛藤
が伴うのかもしれません。
・・・ って、大仰な、贅沢で楽な暮らし
の方がいいに決まってるっしょ!
(言わずもがなやで)
さて、こうした
ペット事情もさることながら、
生きていくうえで、必要のないものまでを
「持っていないと不幸」であると
されてしまう現代社会ってどうなんだろう
すなわち、物質至上主義経済で成り立つ、
貨幣が絶対の世の中 ・・・
今風に言えば、ネオコン的新自由主義の
中でグローバル化の波に侵されてしまった
社会とでも、
あるいは、
グローバリゼーションの罠に犯されて、
毒づいている社会とでも言うのか、
その端緒も端緒、キッカケのキッカケが
アポロンによるデルフォイの利権
(神託権)の収奪に始まったと考えると、
『デルフォイの巫女』 ジョン・コリア画
この絵画の持つ意味の重さが判ろうと
いうものです。
つまり、
この三脚の椅子の脚に彫刻された謎の
三本指の肢の正体ですが ・・・
ギリシャの首都アテネの北西に位置する
コリント湾の北にアポロンの神託で有名な
デルフォイがあります。
アポロンは主神ゼウスの息子であり、
アルテミスとは双子の姉弟(きょうだい)で
オリンポス十二神の一柱ですが、
紀元前4世紀頃になると太陽神ヘリオス
と習合(同一視)されるようになり、
太陽の戦車を御するヘリオス
ヘリオスの妹で月の女神であるセレーネ
はアポロンの双子の姉であるアルテミスと
同一視されるようになります。
デルフォイの地は古代ギリシャの時代を
遡る往古からピュト(ピュート)と呼ばれ、
聖蛇ピュトン
そこには大地の女神にしてすべて
の神々の母とされるガイアの代理、
あるいはガイア自身とも考えられて
いる大蛇(聖蛇)ピュトンが住み着き、
デルフォイの地を守護していました。
ピュトン souryudo.com
神話によると、
デルフォイには地母神であるガイアに
捧げられた託宣所があり、女神テミス
と女神ポイベが神託を司っていました。
文字資料に乏しい紀元前12世紀頃から
紀元前7世紀頃までをギリシャ暗黒時代
(初期鉄器時代)と呼びますが、
この時期にアポロンがこの地に到来し
、ガイアを守護する聖蛇ピュトン
(絵画では竜として描かれることが多い)
を倒し、託宣所を奪い取ってしまいます。
アポロンは洞窟に逃げ込んだピュトンを
退治し、神託権を得るとそこに神殿を建て、
神託所として巫女たちを置いたとあります。
アポロンからのお告げをおろす巫女たち
をピュティアと呼んだのは、ピュートと
いう地名と聖蛇ピュトンの名前に由来
するのは明らかですが、
そこにはもとより聖蛇ピュトン(ガイア)
による託宣が本来的にあって、それを娘
たち(テミスとポイベ)におろしていたという
のが実情で ・・・
のちの神話においては、女神テミス
もしくは、女神ポイベ(アポロンの祖母に
あたる)が託宣所をアポロンに与えたとして
アポロンの行為を正当化していますが、
多分に後ろめたいものがあったからでは
ないでしょうか?
神託の起源、すなわち、
デルフォイの管理は大地母神ガイア
に始まり、ティターン神族の女神テミス
と女神ポイベへと引き継がれ、神々の
戦(ティターン戦争)に勝利したゼウス軍
(オリンポス神族)が覇権を握ると今度は
アポロンが取って代わるというシナリオで、
テミスやポイベとともに「神託」
を授けていた聖蛇ピュトンを殺した罪
によりガイアから一年間の人間界での
奴隷生活を課せられたアポロンがその責を
果たした後に、テミス(ポイベ)等から
アポロンに「神託権」が譲り渡された
というストーリーが創作されたわけです。
下の図は、
赤像式酒杯(キュリクス)『テミスとアイゲウス』
三脚椅子に座る女神テミスがアテナイ王
アイゲウスに予言を告げている場面です。
もう、お分かりですね
この三本指の肢は聖蛇ピュトン
であり、その流れを汲むティターン神族を
無意識のうちに追慕するものなのです。
それは意識的には想起されないままに
我々人間の脳裏に深く刻み込まれた遥か
遠い昔の記憶の断片であって、
記憶 academist-cf.com
聖蛇ピュトンが倒されたことにより、
我々の住むこの世界が変わってしまった
ことを暗示しているのです。
この辺りの考察については、
『ダ・ヴィンチの罠 千里眼』
『ダ・ヴィンチの罠 獅子吼』
『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
『ダ・ヴィンチの罠 神無月』
『ダ・ヴィンチの罠 白日夢(改)』
などを参考にしてください。
このアポロンによる聖蛇ピュトンの
成敗の場面をルーベンスは、
『アポロンと大蛇ピュトン』ルーベンスの下絵
その後に起こるダフネの月桂樹への
変身譚につなげるべくアポロンに金の
矢を射かけるエロス(キューピット)
を登場させています。
ルーベンスの小さなサイズの下絵が、
彼の指揮下で弟子のコルネリスにより、
大きなサイズの本絵になっていますが、
『アポロンと大蛇ピュトン』本絵 コルネリス・デ・フォス
ビジュアル的には同じように見えても
ディテールには差が生じていて素人目
にもクオリティの違いがわかりますね。
それはさて置き、
この竜(ピュトン)の肢を象ったのが
ジョン・コリアの描く、デルフォイの巫女
(ピュティア)が座る三脚椅子の爪先に
彫り込まれた三本指の肢であり、
『デルフォイの巫女』三脚肢(三本指) ジョン・コリア omochi-art.com
それは、
ダ・ヴィンチの『受胎告知』における
フクロウがあしらわれた書見台の脚に
彫刻された三本指の肢のうえに、
そっと添えられている謎の肢に始まり、
ルーベンスの『最後の晩餐』では
『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
ユダが座る椅子の脚に犬が咥える
大きな骨を思わせるが如くに、
また、
シャンパーニュの『エマオの晩餐』
『エマオの晩餐』 フィリップ・ド・シャンパーニュ
ではイエスの足もと近くにある食卓
の脚が子猫を襲うかの如くに、
さらに、そのシャンパーニュが描き出す
『アウグスティヌス肖像』での
『アウレリウス・アウグスティヌの肖像』
書見台の脚に見られる三本指。
ことほど左様に、
ダ・ヴィンチのスピリチュアル・パワー
(作意の無意識的な潜在エネルギー)を
敏感に感じ取ったり、受信することが
出来た画家たちの中でも、
ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像
ある画家は意図して、またある画家は
無意識に三本指の肢を描き込んだ
ものと推理・考察したわけですが、
確実に何かを感じ取っていた画家の
代表がルーベンスやシャンパーニュで、
無意識的に受信をしていたと思われる
のがジョン・コリアやヤコポ・バッサーノ
であり、ダ・ヴィンチに幾久しく協力して
いたのがラファエロ・サンティなのです。
『デルフォイの巫女』を描いた
ジョン・コリアの他の作品を紹介すると
『Lilith with a Snake』
夜の魔女として恐れられるリリスや
人魚と人間の女の子が描かれた
『The Land Baby(大地の子)』と
題された絵画がありますが、
『The Land Baby』
彼女たちは本当に人魚や人間の
子どもなのでしょうか?
それとも ・・・
どちらの絵も「三本指の肢」の
持ち主たちと無関係ではありませんが、
それを解説している時間も紙幅も
残されていませんので、
『デルフォイの巫女』 トランス状態の巫女 omochi-art.com
次回の記事において、
ルーベンスやシャンパーニュの作品と
ともに、その概要の解説を試みたい
と考えています。
ま、まさか。 お前さん・・・
「三本指なんじゃあ !!」
「三つ指は日本の礼儀作法」
「何か問題でも・・・」
なんなら十字でも切った方が
「よかったのかしら」
聖堂内で十字を描く花嫁(グルジア正教会)ja.wikipedia.org
はい、これです。
・・・ って、おいおい、
おまえは「正教会」か !!
ちなみに、正教会においては、「十字を画く(かく)」
「十字を描く」といった表現が用いられ、「十字を切る」
という表現は皆無では無いがあまり使われないそうです。
そう言えば、
原爆の映像で拍手するオバマ元米大統領ら西側諸国の
首脳を尻目に、ひとり十字を描いたというプーチンさん!
プーチン悪玉説 ameblo.jp
もちろん、それだけで人を判断することは出来ないけど、
日本人としては、やはりプーチンさんの方に心が傾く・・・
… to be continued !!