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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 案山子(改)

 「案山子」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 案山子 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

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『ダ・ヴィンチの罠 案山子』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで3作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 案山子(改)』

 の記事になります。(以下、本文)

 「神」とは、教えられてきた聖なる者
とは程遠い存在で、むしろ邪悪で醜い
悪魔やサタンなどの使いとして恐れられ
忌避されてきた龍蛇(ドラゴン蛇)こそが
「神」とも「天使」とも呼ぶべき存在
であったとは ・・・ 

 人類創世に纏(まつ)わる秘密を、幻
(白日夢)によって見せられたダ・ヴィンチは、

 確かに、我々人類は聖書が述べるが如き、
「被造物」であり、彼ら(ドラゴン蛇)の姿
に似せるべく遺伝子操作や異種間での交配の
結果、造り出された新種の生物であって、

 決して、進化による奇跡の産物など
ではなかったのですが、

 
   Lilith <ジョン・コリア>作

 どうした加減か、人類の女性は彼らの容姿
からは想像がつかぬほどに、美しく魅力的に
出来上がってしまったことに気づきます


     出典:bokete.jp

 そして、

 人間が見た目のうえで彼らと比べ、あまりに
器量に恵まれ過ぎた姿態に生まれついたこと
が事件(悲劇)を引き起こします。

 それが、

 聖書におけるネフィリム(Nephilim)の
記述やギリシャ神話での神々と人間の
娘たち、特に女狂いの主神ゼウスの破天荒な
女性遍歴として記録されているわけですが、

 聖書では、大洪水(ノアの箱舟)という
悲惨な結果を齎(もたら)せる前段階(理由)と
して、ネフィリムの話を挿入させています。


      映画 「ノア 約束の舟』より

 ネフィリムは、旧約聖書の『創世記』
や『民数記』、外典としての『ヨベル書』
や『エノク書』などに登場する種族の名称
で、一般的には「巨人族」とされています。


       『創世記6:1-4』

 ① 地上に人が増え始め、娘たちがうまれると
 ② 神の子らは人の娘たちが美しいのを見て、
   おのおの気に入った者を妻にした。
 ③ 主は言われた。 「わたしの霊が人の中に
   いつまでもとどまるべきではない。人は肉
   にすぎないのだから」こうして人の一生は
   120年となった。

 このようにして、人間の寿命が定められます。

 ④ 当時もその後も、地上にはネフィリム
   がいた。 これは神の子らが人の娘たちの
   ところに入って産ませた者であり、大昔の
   名高い英雄たちであった。

  
 『メドゥーサの頭を持つペルセウス』 アントニオ・カノーヴァ作

 曰(いわ)く、これがペルセウスやヘラクレスを
はじめとするギリシャ神話の英雄たちのことだと
ダ・ヴィンチは考えたわけですが ・・・


 『ペルセウスとアンドロメダ』 ティツィアーノ・ヴェッチェッリオ画

 このあと、

 地上には「悪」が蔓延(はびこ)り、人間を
造ったことを「神」は悔いて心を痛めます。

 「わたしは人を創造したが、これを地上から
 ぬぐい去ろう。 人だけではなく、家畜も這う
 ものも、空の鳥も、わたしはこれらをつくった
 ことを後悔する」

 こうして、


      映画 「ノア 約束の舟」より

 『創世記』では「ノアの物語」が
始まるのです。


 ところで、

 現代では、かなりの数の人々が「神」や「仏」、
あるいは「天使」や「菩薩」を捨てて、エイリアン
(異星人)やUFOに信仰を求めるような時代に
なっている気がします。

 これは、

 「この世から『神』という存在だけでなく、
そうした概念までも消し去ろうとする」一群の
者たちによる陰謀の結果なのでしょうか

 ネット上を飛び交う数々の「陰謀論」では
、レオナルド・ダ・ヴィンチもその怪しげな一群と
微妙に交錯する秘密結社のメンバー
であったとか、なかったとか ・・・

 政界や財界、あるいは文化芸術界などで隠然
たる力を誇る裏社会の秘密組織。

 『ダ・ヴィンチ・コード』の大ヒットに
よって、「シオン修道会」なる秘密結社
が注目されることになり、この結社の実行部隊

  
    テンプル騎士団と他の騎士団

 (攻撃隊)として、「テンプル騎士団」


      テンプル騎士団の紋章

 が召集され、その残党が現在知られるところ
の「フリーメーソン」を組織したとか


    フリーメーソンのシンボルマーク

 そして、

 この「シオン修道会」なる秘密結社に
名を連ねていたのがレオナルド・ダ・ヴィンチで、

 
      シオン修道会の紋章

 しかも、彼は、


          画像元:casie.jp

 歴代総長のひとりであったというのです。

 1956年に「シオン修道会」を巡る一連
の文書がフランス国内で発見されたことにより、
この修道会の歴代総長の名前や沿革が明らか
になったというわけで、発見された歴代総長の
名簿を信用するならば、

 ダ・ヴィンチの前任者はサンドロ・フィリペピ
(ボッティチェッリ)で、時代が下ると

 『万有引力の法則』の発見で有名な
アイザック・ニュートンや『レ・ミゼラブル』
の著者であるヴィクトル・ユゴーなどそれはもう
豪華な顔ぶれで、それだけで眉に唾を付けたく
なるわけです。

 ところで、

 『ダ・ヴィンチの罠』として、これまで
に述べてきた内容を吟味し短絡すれば、

 このブログもそうした陰謀を企てる一味
に心ならずも加担することになるのでしょうか

 「陰謀論」とは、言わば、「案山子」
(かかし)のようなもので、こけおどしには
なっても、実効性には疑問符がつくだけ
でなく、見ようによってはその正体が判明
した時の惨めさには言い知れぬペーソス感が
漂い、そのもの悲しさと滑稽さの同居にタメ息
すら覚えてしまうものです。

 そうは言っても、

 そこにはそれぞれに論破されるべき弱点
や「ありえへん」、「なんでやねん」など
とツッコミを入れる間のようなものがあって、
イベントやゲームのようにして楽しめるもので、

    
    (ホンマかいな)

 言い換えれば、切迫し窒息しそうになる
現実というプレッシャーからの逃避
としての「気晴らし」や「気分転換」
には役立つ以外、これといった適当な言葉が
見つかりませんが、「案山子」との違いは
、決して「気休め」にはなりえないシロモノ
だということです。

 「陰謀論」とは、常として、主観と客観の
入り混じった理論展開が巧妙に使い分けられ
、エンターテインメント化されていくものですが、
怠惰で無為無策に退屈を紛らわすには
もってこいの刺激剤であって、人間の業に
起因する悪癖の一種かもしれません

 ところで、

    

 ここに、英国でのある調査結果があります。 

 英国の成人が信じる超自然的な存在としての

 <トップ5>は以下の順位で ・・・

         <TOP-5>
        1位 幽霊(55%)
        2位 異星人(51%)
        3位 UFO(42%)
        4位 天使(27%)
        5位 神(25%)

 ザ・ヘラルド(THE Herald 2014年10月27日付)

 これによると、半数の英国人が「神」よりも
エイリアン(異星人)の存在を信じている
わけで、「神」の存在を信じる人の倍以上
の人たちがエイリアン(異星人)は存在
すると思っているのです。

 キリスト教の国でさえ、このありさまですから、
日本ではこの差はもっと顕著かもしれません。

 15世紀~16世紀におけるルネサンス運動が、
イタリアにおいてはギリシャ・ローマの古典的な
文化への回帰・復興・再生であったのに対し、

 ドイツ(神聖ローマ帝国)においては聖書へ
の復帰(原始キリスト教精神に立ち還る)という
かたちで現れたとも言えるわけで、

 これがマルティン・ルターらによる宗教改革へ
とつながるのですが、こうした時代に超自然的
な存在に関するこの種の調査が実施されたと
したらどうだったでしょう

 おそらくは、

 神と天使は断トツの比率で、1位、2位を
競い合い、幽霊は現代と同率くらいで、異星人
とUFOは10%前後か、それ以下でしょうね

 しかし、そんな時代にあってもごく少数の人々
は異星人の存在を確信していたのです。



 レオナルド・ダ・ヴィンチもそのうちのひとりで
あり、彼は「幻視」や「白日夢」を通して
そのことを知るに至ったわけですが、



 だからと言って、

 ダ・ヴィンチが無神論者だと言い切って
しまうのは早計で、超古代に地球にやって
来て、人類の誕生にも一役買ったとされる
宇宙難民としての異星人たちにしても、



 突き詰めれば、

 何らかの意思や都合でこの世(宇宙)に存在
することになったわけで、そこに「神」なる
超自然的な存在を否定することはできません。

 それが、

 『モナ・リザ』に象徴されるメタファ
(暗喩)であって

  

 ダ・ヴィンチが思うところの「神」としての
「サムシング・グレート」なのですが



 安直に言えば、自然の中の自然とでも
いうべき「偉大なる何か」でしょうか 
 
 さて、

 「神」の存在の有無はともかくとして、

 日本人なら特定の宗教を信奉していなくとも
身内の葬儀や法事にしろ、因習的な諸行事や
催しにしろ、仏教的な要素を完全に排除・払拭
して日常生活を営むことは困難であり、多かれ
少なかれ、なんらかのかたちで仏教と触れ合う
ことになりますが、

 ダ・ヴィンチとて大同にして小異であって
、「マリア教」に成り下がったとは言っても
ヨーロッパを席捲するローマ・カトリック教会
を100%無視しての生活はできませんでした。

 肖像画を除く彼の作品のほとんどが宗教画
(キリスト教絵画)であったということは、

 特定の宗教を持たない者でも、日本人なら
仏教を完全に排除した生活を送るのが困難
なように、ダ・ヴィンチも「マリア教」たる
ヴァチカン(ローマ・カトリック)と無縁
ではいられないない以上、

 「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

 に徹した結果なのかもしれません。

 これから「ダ・ヴィンチの罠」の
最終版にして集大成となるべく計画
され、練り上げられた『最後の晩餐』の
謎に挑むわけですが、

  

 ミラノ(イタリア北部)の政情不安と覇権争い
の中で本来の企図を完結することができずに
テンペラ画で描かざるを得なかったこと
が『最後の晩餐』に数奇な運命
を背負わせることになります。

 その意味で言えば、ダ・ヴィンチにとっての
『最後の晩餐』は「日陰者」と
ならざるを得ない運命にあったのですが、

   

 数奇なるが故に脚光を浴びることとなり
、世界屈指の名画とされる『モナ・リザ』
と並んで彼の代表作として、普(あまね)く
知られることになるのもまた運命の皮肉
というべき出来事なのかもしれません 

 しかして、いや、だからこそ、
 
 つまり、そのぉ、ダ・ヴィンチが、

 『最後の晩餐』を未来に託すべき
「罠」の完結版として見限らざるを得なく
なったからこそ『聖アンナと聖母子』
や謎の微笑みで知られる『モナ・リザ』
や『洗礼者聖ヨハネ』など後につづく
傑出した作品にも「罠」が仕込まれる
ことになるわけで何が禍し何が幸いするのか、


『聖アンナと聖母子』 『モナ・リザ』 『洗礼者聖ヨハネ』

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」
 
 (ことわざとして適切ではないような ・・・)

 ならば、「人間万事塞翁が馬」

  (これもなんだか違うような気が ・・・)

 まあ、いずれにしてもase2

 「日陰者」として、出来るだけ目立たぬ
ことが望まれた壁画は、運命のイタズラ
によって、日の当たる場所と言うよりも、

 常に、

  

スポットライトが当てられるような作品
になってしまったのですが、


 ライトアップされた『最後の晩餐』

 しかしまだそれは、遠目から目立ちはしても
田畑に佇(たたず)む 一本足の「案山子」
に過ぎず、(ダヴィンチにとっての)有害鳥獣で
あるローマ・カトリック教会にとっては痛くも
痒くもない存在です
 
 見かけは立派でも、ただそこに突っ立ってる
だけで、何もしないし何も出来ない。

 たしかに「案山子」は、実効性に乏しい
「気休め」程度の存在でしょう。

 無能で役立たずの人間を「かかし」と
評するようにモノ(物質)としてただその場所
にあるだけで用をなさない存在であるとも
言えますが、

 「案山子」のない田畑は、それはそれで
寂しいものです。
 
 「陰謀論」とは存外にそうしたものでも
あるのかもしれませんね

 先に、

 「陰謀論」は「気晴らし」にはなって
も「気休め」にはならないと言いました。

 ならば、

 「気休め」にはなる分だけ「案山子」
の方がマシであるとも言えますが ・・・ peace

 さて、

 「陰謀論」はともかくも、陰謀の種は
尽きないわけで、それはそれとして、注意が
肝要なのは言うまでもありませんが、

 人類への警告と保護という意味から
は『最後の晩餐』もまた「案山子」
としての使命と役割を担っていたのです。

 『最後の晩餐』の壁画が一本足の
「案山子」に甘んじているのは「罠」の
封印が解かれないままでいるからですが、

 農作物を鳥獣の被害から守るという役割
と使命を「案山子」が担っているのなら
「罠」の封印の謎を解明して、

 地球という共同体の保護者としての
使命を果たしてもらおうではありませんか。


 『アンドロメダを救うペルセウス』 パオロ・ヴェロネーゼ画

 メドゥーサを倒し、その首を使って海の
怪物からアンドロメダ姫を救出した
英雄ペルセウスのように ・・・


 『アンドロメダを救うペルセウス』 ヨアヒム・ウテワール画

 ということで、次回からは、いよいよ以って

 『最後の晩餐』の謎解きです。
 

 『ペルセウスとアンドロメダ』 ミニャール 1679年

 「王様と、うしろにいるオッサンが、
  メドゥーサの首をガン見してる
    ようだけど大丈夫かいな」

 「石のカカシが、2つ出来ても
   重くて厄介で迷惑なのよね」

 

 「面倒くさ(メドゥーサ)ってか !!」

  メドゥーサの頭部 ルーベンス画

 … to be continued !!

 

 ちなみに、

 実質的な解散後も何世紀もの期間にわたって

 絶大なる存在感を誇り続けるイルミナティ

       イルミナティ

「陰謀論」界の『案山子』のようです 。

コメント一覧

小吉
異星人はもしかしたら「遠い宇宙の違う星」ではなくて、「違う世界の同じ星」なのかもしれない。

陰謀論といえば、最近気になっているマンガ『ようこそ! FACTへ』。
『チ。』という地動説について書いたマンガで有名な魚豊さんのマンガ。
なかなか興味深い。
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