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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 無意識

 人馬が激しく衝突する下の絵のタイトルは
 『アンギアーリの戦い』です。


      ルーベンスの模写に彩色

 1440年6月29日、アンギアーリにある橋を
巡るヴェネツィア・フィレンツェ・ローマ教皇
連合軍とミラノ公国軍との戦闘ですが、


    下絵とされる『タヴォラ・ドーリア』

 壁画のタイトルも、構成もフィレンツェ軍が
宿敵ミラノ軍を破った「アンギアーリの戦い」
の場面に相違ありません。

 人と人や馬と馬とが激突するシーンは
迫力満点で、その点に関しては模写をした
ルーベンスの筆力によるところが大きいと
言えるのかもしれませんが、

 

 この激戦の模様をフィレンツェ政庁舎の
大評議会広間を飾る壁画のテーマとして、
その制作を委嘱した中心人物が、1501年
にフィレンツェ共和国の国家主席となった
ピエロ・ソデリーニで、その意向を受けて


 ピエロ・ソデリーニとニッコロ・マキャベリの肖像
      デッラルティッシモ画

 当時のフィレンツェ政府の第二書記局長で
あった『君主論』『戦術論』などの
著者としても知られるニッコロ・マキャベリ
壁画の制作をダ・ヴィンチとミケランジェロに
依頼したとされていて、制作に関する契約書
にはマキャベリのサインがあるそうです。

 
      ニッコロ・マキャベリ

 マキャベリの部下によるこの「戦い」
関する記述がアトランティコ手稿の第202葉
に詳細に記されていて、フィレンツェ政府が
描くべき戦闘の概要をダ・ヴィンチに伝えて
いたことがここからも窺えるわけですが、



 その内容を搔い摘むと、

  連合軍の指揮官以下の個人名
  ミラノ軍傭兵隊長の訓示
  聖ペテロの顕現
  橋を巡る攻防戦の詳細
  アクレイア総大司教の砲兵隊攻撃
  ミラノ軍ピッチーノの退却
  日没までに勝負が決する
  総大司教スカランボは兵を引き、
   死者を埋葬して戦利品を掲げる



 こうして、

 ダ・ヴィンチが残したアトランティコ手稿から



 『アンギアーリの戦い』下絵
(軍旗争奪場面)における登場人物の推測が
可能となり、その人物たちの構成については、


 下絵とされる『タヴォラ・ドーリア』 部分

  『ダ・ヴィンチの罠 黙示画』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/488.html

 にも記してありますが、

 実際にはダ・ヴィンチの無意識下では
「罠」構築巧みになされていて、

 彼の脳裏では時間を超越した2つの時代
における「アンギアーリの戦い」
投影された次のような人物たちの戦い
場面が想定されていたのかもしれません。



 真ん中で刀を振りかざしている傭兵隊長の
ニコロ・ピッチーノとされる人物は マリア教に
堕落したバチカン(ローマ・カトリック教会)を
代表する人物であり、他方(別の解釈)では
イエス・キリストでもあるのです。



 その横(画面左上)で身体を捻るニコロの
息子フランチェスコが 初代のローマ教皇で
あるシモン・ペトロであり、

   
      初代ローマ教皇ペトロ
    ピーテル・パウル・ルーベンス画

 他方においてはキリスト教の生みの親とも
言える聖パウロ(サウロ)を象徴しています。

   
      聖パウロ(サウロ)

 同様に

 右上奥のアクレイア総大司教 スカランボが
教皇配下の総大司教でありながらドラゴンの
兜によって、バチカンに対抗する勢力を代表
する者にされ、他方においてはイエスの磔刑
当時のユダヤ教大祭司アンナス または婿の
カヤパ(カイアファ)でもあるのです。

 
 カイアファの前に立つイエス Mattias Stom画

 その手前にいるフィレンツェ軍槍騎兵隊長
オルシーニが、ダ・ヴィンチの「罠」として
未来(各時代)に甦(よみがえ)る意識
存在を描かれていない空白部分
(消えている体)を通して暗示させていて、

 
  イエスの脇腹を槍で刺すロンギヌス

 同時に、イエスが磔刑に処せられた当時の
ローマ総督のポンテオ・ピラトまたはイエスの
生死を確かめるために脇腹に槍を突き刺した
とされているローマ兵のロンギヌスをイメージ
しているのです。

     
    聖ロンギヌス by Wikipedia

 そして、
 
 盾で馬の蹄を避けている左下にいる歩兵が
イエスの受難と対をなす人類が受けることに
なる艱難辛苦を表し、他方においては流刑地
パトモス島で『黙示録』を著す使徒ヨハネ

  
    パトモス島の使徒ヨハネ

 に初期キリスト教徒が受けた著しい迫害
歴史苦悩を重ねています。


  洞窟のヨハネと若きヨハネ   聖パウロ  聖ペテロ
        エル・グレコ画

 中央右下で格闘する兵士たちは人類同士の
殺戮歴史地球的規模で起こる
天変地異演出するもので、新約聖書
『マタイの福音書』24章21節が述べる

 「世の初めから今に至るまで起きたことが
 なく、二度と起きないような大患難がある」



 とする件(くだり)のメタファ(暗喩)なのです。

 マルティン・ルタージャン・カルバン等の
宗教改革者は、反キリストであるローマ教皇
とイスラムの脅威を患難とみたわけですが、



 ダ・ヴィンチは人類が自然を顧みることが
なければ未来のある時点まで患難は続き、
やがて人類は地球の免疫的な拒絶反応に
よって滅び去ると感じていたのです。

 さらに、他方においては、

 首を押さえられて倒されている兵士の姿は



 ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスによって、
首を刎ねられることになる洗礼者聖ヨハネの
無念を活写しているわけで、

     

 ここに、ダ・ヴィンチが主張したい最も重要
なメッセージのひとつが隠されているのです。

        

 とまれ、

 こうした時代を超えた出来事の断片
表象する歴史の一コマ、一コマのすべてを
ダ・ヴィンチが承知していたはずもなく啓示
に導かれるがままに複合的に描写したのだと
思われてならないのですが、

 おそらくは、

 対立構造のいくつかはダ・ヴィンチ自身の
想定のなかにもあったのかもしれません。

 いずれにしても、

 アンギアーリの戦いをモチーフにして
我々の知り得ぬところで「神々」とされて
きた異星人同士の争いを、一方の血を引き
継ぐバチカン(ローマ・カトリック教会)を
頂点とする蜥蜴系のレプティリアン



 それに敵対する者として「神」から悪魔
としてのサタンルシファーにまで

  

 貶められた、もう一方の勢力である龍蛇系

 

 ドラコニアンの血で血を洗うがごとき
対立の抗争の真実を世に知らしめようとして



 見事に失敗したように見せかけているのが
幻とされるダ・ヴィンチの珠玉大壁画
『アンギアーリの戦い』なのです。

 ところで、

 『最後の晩餐』での使徒ヨハネ
とされる人物の正体と『モナ・リザ』との
関係や『アンギアーリの戦い』での
人物構成の相関関係などについてですが、


 鏡絵(ミラー・イメージング)に隠し絵



 騙し絵などの手法を用いて、「神」



 (異星人たち)を表象的に表現しているのが

 

 ルーブルにある『モナ・リザ』

 

 『アンギアーリの戦い』であって、



 それらの手法『最後の晩餐』



 仕組まれたイエスの鏡絵トリック



 端を発するのですが、本来はそこが最終の
 ゴールとなる終着点のはずでした。

  

 所謂(いわゆる)、視覚的寓意の発露です。

 ところが

 『最後の晩餐』テンペラ画
描いたことで腐敗腐蝕による剥落
始まり計画に大きな狂いが生じます。

 

 それ以前にデビュー作から積み上げてきた
「罠」集大成となるはずだった壁画
(完結版)に異常事態が発生したわけです。

 

 しかしながら、

 このことが結果的にはダ・ヴィンチに新たな
インスピレーションをもたらせます。

        

 そして、それ以降のダ・ヴィンチの作品には、

 さらにバージョン・アップやスケール・アップ
した「罠」が登場するようになるのですが、

 

それらはすべて『最後の晩餐』
秘匿されているダ・ヴィンチのメッセージ
補完するためのヒントであり、レスキュー
であり、また、セキュリティ対策として
「罠」でもあったということになるのです。

 

 さて

 『最後の晩餐』で食卓の上で両手の
指を組みイエスの隣で眠っているかのように
伏し目がちに首を傾げる女性らしき人物は、



 一般にはヨハネであると言われています。

 イエスの隣りという栄誉ある席の位置づけ
は主役と並ぶ準主役的なポジションですが、

 

 ヨハネがイエスの横で眠るようなポーズで
描かれることが多いのも事実のようで、


 『最後の晩餐』アンドレア・デル・カスターニョ画

 現に、

 頬杖をついたり、肩に首を預けた姿勢で
眠る少年ヨハネの絵をよく見かけますが、



 『ダ・ヴィンチ・コード』の中では
これをマグダラのマリアだとしたわけです。

 

 しかし、彼女は多くの場合、香油の入った
壺を持った姿で描かれるわけですが ・・・



 この準主役的なポジションに座る人物が
マグダラのマリアか否かはひとまず置いて
おくとして、この顔が『岩窟の聖母』
における聖母マリアの顔とヨハネとされる
人物の顔がそっくりなのは事実でしょう。


『最後の晩餐』のヨハネ 『岩窟の聖母』のマリア

 ということで

 次回では、この人物に少しだけ迫ります。

 「少しだけ」とは、どういうことなのか
と訝(いぶか)る方もいるかもしれませんね。


 繰り返しになりますが、

 ダ・ヴィンチの「罠」には、彼自身の顕在
する意識が仕組んだものと、潜在する無意識
としての阿頼耶識(あらやしき)の導きに
よって生み出された「罠」という2種類
のものが存在するということです。


 『ダ・ヴィンチの罠 系統樹』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/486.html

 にも記したように、

 デボン紀に陸上への大規模な進出を開始
した植物が、自分自身の浸食と堆積作用に
よって地球気候環境大変革

   
     出典:wikipedia..org

 をもたらせた結果、人類のモトとなる半分の
DNAを持つ生命体がこの地上に誕生します。

 その太古の時点からいくつかの時代
経て地球外知的生命体との融合
が起こり、現生人類が出現するわけですが、

 この地球にとって、百害あって一利もない
人類の登場によって地球の環境は激変し、
未来のある時点に向かって加速度的に
スピードを増しているのが現在の状況です。

 言わば、

 そうした人類滅亡「Xデー」
予告警鐘を鳴らさんとする無意識下
での阿頼耶識(あらやしき)、すなわち


      出典:www.ne.jp

 この宇宙世界における森羅万象
形造るサムシング・グレートなるもの
からの最後通牒でもあるのです

 つまり、

 「神」分霊としての意識体である
阿摩羅識(あまらしき)の「罠」です。


 「なるほど、“花やしき”の罠か」

   

 「“アラヤシキ”と“アマラシキ”です」



 なっ、なんじゃこれ !!



 ひょっとして、ここは ・・・

   

 「お化け屋敷かぁ !!

 

 … to be continue !!

   
 『アンギアーリの戦い』模写 アントニオ・ヴィート


 
 

コメント一覧

小吉
『最後の晩餐』のヨハネと『岩窟の聖母』のマリアは本当に似ている。
寿限無寿限無
内容的には「ビックリ屋敷」か、ヨタ話やクズを集めただけの「ゴミ屋敷」のどっちかだね。

確かに、半分モナリザ、半分ヨハネの顔は、お岩さんみたいで「お化け屋敷」もアリだけど。

オレ的には、中身はオーライだな!
ダメな便利屋
このページにはSFチックな傾向がみられるが、それよりも、やぶにらみ氏のお茶目なコメントに驚いた。

変われば変わるものである。
やぶにらみ
まさしく「花やしき」に設営された「お化け屋敷」の罠・・・

んなわけないけど、読んでると「ロンパリ」になります。

え、「ロンパリ」が分からない。

アッシのハンドルネームでありやすよ!

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