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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 目論見(改)

 「目論見」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 目論見 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 目論見 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

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 『ダ・ヴィンチの罠 目論見』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで15作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 目論見(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 ダ・ヴィンチはメモ魔であったと思われる
ほどにたくさんの手稿類を残していますが、


    ダ・ヴィンチの手稿類

 大半が紛失や分散してしまっているために
実際には現存する約5000枚の手記の倍以上
に相当する量があったとされています。

 そのなかで、ダ・ヴィンチは、


      ダ・ヴィンチの手稿類

 幼少期における忘れ難い記憶として、

 
     記憶 cocoiro.me

 ハゲワシが空から舞い降りて来て、ベッドで
寝ている彼の口もとを その尾で何度も何度も
打ち据えるという話と、

 

 山野を散策中に洞穴(洞窟)を見つけて、
その中に潜んでいるかもしれない化け物に
怯えながらも穴の中がどうなっているのか
という好奇心で一杯になってしまった。

  

 とする出来事を手記に綴っています。

 プライベートな事柄には無関心でほとんど
触れることのない個人的問題をダ・ヴィンチ
がわざわざ記録に残しているということは、


     神秘体験イメージ (知覚の扉)karapaia.com

 余程のインパクトや強烈な印象を受けた
出来事が起こったからに他なりません。

 symbol2 「ハゲワシ」(手記ではハゲタカ)
の記憶について、もう少し詳しく記すと、


      ヒマラヤハゲワシ www.excite.co.jp  

 「このようにハゲタカについて克明に書き
 記すことは、私に定められた運命のよう
 に思われる。 というのは、私の幼少期の
 最初の思い出によれば、私が揺り籠の中
 にいた時、一羽のハゲタカが 私のところ
 に飛んで来て、尾で私の口を開かせ私の
 唇の内部を何度も何度もその尾で打った
 ように思われたからである」  (1505年)

 (アトランティコ手稿186v[紙葉65v])


  この件に関して、ダ・ヴィンチのことを

 「人がまだ寝ている暗いうちに、一人だけ
先に目を覚ましたような男」と評していた。

 精神分析学者のジークムント・フロイトは、

 

 彼の思い出を分析し、母親の乳首を口に
含んでいた頃の記憶に由来しているとして、


       リッタの聖母

 古代エジプト人は、ハゲワシにはメスしか
存在せず風によって受精をして 卵を産むと
考えられており、ヒエログリフではハゲワシ
が母親を意味することからも、

  
    
    ヒエログリフ文字

 自説には根拠があると主張しました。

 さらに、

 フロイトは自らの説を裏付けるものとして
『聖アンナと聖母子』にハゲワシが
隠されていことを補強の材料としています。

    

 聖母マリアの衣服に横向きのハゲワシの
姿がイメージされているというわけですね。

  

 しかしながら、   

 『アトランティコ手稿』に書かれていた
「ハゲワシ」はこの手稿を翻訳したドイツ人
による誤訳であって、実際には腐肉食を主
とする「ハゲワシ」ではなく、捕食者としての
鷹やトビのことだったのだそうです。

 その事実に慌てたフロイト学派の研究者
の中には、このフロイトの説を鷹やトビにも
当てはまるようにと、その修正作業に躍起
となっていたそうですase2

 また、

 ダ・ヴィンチが聖アンナと聖母子を一緒に
描くことを好んだことについても

  フロイトの仮説があるのです

 私生児(庶子)として生まれたダ・ヴィンチ
は父親と義母によって育てられる前までは
実母のカテリーナに育てられていました。

 
母カトリーナとされることもある素描 cocolog-nifty.com

 イエスの母であるマリアとマリアの母親の
アンナを親密な様子で作品に描くことは、


  『聖アンナと聖母子』部分

 ダ・ヴィンチの愛情の表れで、ある意味で
「2人の母」を持っていたという体験に
根ざしているとしています。


 『聖アンナと聖母子』部分    聖アンナと聖母マリア

 こちらの仮説は 『聖アンナと聖母子』、
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
ともに、親子であるはずのアンナとマリアが
同年代に描かれているという観点において
注目に値するとされますが ・・・

  
 聖アンナの頭部と聖母マリアの頭部の習作 

  

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』部分 hshimpo.blogpot.com

   『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』部分 hatenablog.com

 個人的には、いまさらフロイトを持ち出す
までもないものと考えます。
 
    『聖アンナと聖母子』部分と聖母マリアの頭部の習作

 ただ、天下のフロイトが自説の補強に
小生と大差のないような「隠し絵」の類
を利用するとは ・・・  



 あながち、

 この『ダ・ヴィンチの罠』の仮説も
捨てたもんじゃないのかも、「なんちゃって」



 そんな気にもなってしまいそうですが ・・・

    

 はてさて、実は、

 ハゲワシが彼の口もとを、その尾で何度も
何度も打ち据えるという件(くだり)でピン
と来たのがプロメテウスの話です。 


  天界の火を人間に与えたプロメテウス

 そのプロメテウスが受ける永遠の罰と


ハゲワシに内臓を食いちぎられるプロメテウス

 口もとを尾で打ち続けるというハゲワシ
の行為についての解釈を、

 

 これから先、何度も見ることになる「幻」
の中身を決して言葉にしてはいけないという
大いなる何者からの戒(いまし)めのように
感じていたのではないか、と

  

 『ダ・ヴインチの罠 変身譚(改)』

 に書きましたが、


           画像元:karapaia.com

 それが人類誕生の秘密とイエスの出生に
纏(まつ)わる謎(処女懐胎の真偽)などと
ともに未来の様子やその顛末を何らか
の方法(テレパシーやホログラムなど)で
知らせるものであったとしたならば、


      テレパシー(イメージ1)laurier.excite.co.jp

 ダ・ヴィンチの作品に見え隠れする不可解
な謎が一気に氷解するのですがpeace

    

 プロメテウスのことやゼウスから
の永遠に続く拷問については、

 『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』
 『ダ・ヴィンチの罠 リリス』 
 『ダ・ヴィンチの罠 好奇心(改)』

 などを参考にしてみてください。


 ダ・ヴィンチは

 洞窟での一件を、好奇心で一杯に
なったという言葉で誤魔化していますが、

    

 このとき、
 ダ・ヴィンチの好奇心は凍り付きながら
も爆発寸前にまで昂揚していたことは、
 
 『ダ・ヴインチの罠 匙加減(改)』

 に書いたとおりで、

 要するに、

 幼き日に、彼は洞窟の中で何者かと
出会ったか、「幻」を見せられたのです。



 そして、それを、

 人類の未来に託すべき救済のため
「罠」にアレンジしたのが、


  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

   
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 レオナルド・ダ・ヴィンチであるとする旨が、
本稿の趣旨であり、論旨なのです。

    

  うわっ、何だ、こいつ ら  !?

 

 いやはや、

 脱皮じゃなかった突飛すぎて、正直、

 これは、

     
    (飛躍し過ぎじゃね?)

 まあまあ、お気持ちはわかりますが ・・・

 たとえば、

 先の「ハゲワシ」の一件ですが、


      ヒマラヤハゲワシ www.excite.co.jp

 実際は鷹やトビの意味で「ハゲワシ」
ではなかったとしても、そんなことは然したる
問題ではありません

 物心がつくかつかないかの時期における
拙(つたな)い最初の思い出です。

 そこにどれだけの正確性が必要でしょう

 要は、鷲や鷹やトビのような猛禽類で
あったというだけで十分なのです。

 

 そいつが尾で彼の口もとを何度も何度も

  

 打ち据えたという思い出を運命で
あると感じたことの方が余程重大であり、
重要なポイントなのです。

 それが、自分に定められた「運命」
であるとダ・ヴィンチが思い込んだ以上は、

 そのことが、後々の彼の作品に何らかの
影響を及ぼさないわけがないのです。

 
『モナリザとレダと白鳥』の模写デッサン(ラファエロ)
            up_slow  
 
      up 『レダと白鳥』模写チェーザレ・ダ・セスト
      down         up_slow
 首の短いラファエロの白鳥と長い首をした
ダ・ヴィンチの弟子チェーザレ・ダ・セスト
とフランチェスコ・メルツィの白鳥の違いが

          down       
     

 意味するものとは ・・・   

 そして、

 首の短いラファエロの白鳥からイメージされる

ものの正体と幼少期の記憶の産物との関係は?

 ダ・ヴィンチが自ら廃棄処分にしたとされる
『レダと白鳥』には何が描かれていたのか?

 『レダと白鳥』の模写 チェーザレ・ダ・セスト

 さらには、

 水掻きのあるラファエロの白鳥と鋭い爪をもつ
猛禽類のような足をしたダ・セストの模写 ・・・



 これらの違いは、いったい何を意味し、
何を物語っているというのでしょうか?

 個人的見解では、

 『レダと白鳥』におけるダ・ヴィンチ
のメタファ(暗喩)的なモチーフの双方が
ダ・ヴィンチの「目論見」の通りに
それらのデッサンや模写に生かされている
ように感じています。

 同様に、


      ルーベンスによる模写

 失われたヴェッキオ宮殿の巨大壁画


   彩色を施したルーベンスの模写

 『アンギアーリの戦い』の絵の



 白塗りの部分と白枠で囲った部分に爬虫類



 (レプティリアン)系の姿が見て取れますが、

 小生の気のせいでしょうか?


『レダと白鳥』については、

ダ・ヴィンチの罠 確信犯 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 確信犯 - 透明人間たちのひとりごと

ある意味では、自らの信念に基づいて行動する性分ゆえにレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチは思想犯にも、政治犯にも、テロリストにも、なり得る危険人物であ...

goo blog

 

 『ダ・ヴィンチの罠 確信犯』

 『アンギアーリの戦い』は、

 『ダ・ヴィンチの罠 誤作動』
 『ダ・ヴィンチの罠 黙示画』
 『ダ・ヴィンチの罠 無意識』

 などを参照してみてください。


 さて、時間を巻き戻してみれば、
 
 師匠であるヴェロッキオの創作を手伝った

  

 『キリストの洗礼』では、



 「罠」の予行演習をしていますし、

           


 デビュー作品の『受胎告知』では、

 アナモルフォーズ(歪像画)への
挑戦と「罠」の思考実験として、

目線

 跪拝する大天使ガブリエルに龍(ドラゴン)
の化身を見い出し、




 やや長めの右腕で聖書のページをめくる



 
 聖母マリアに蛇の影を想定しています。

 そして、

 「罠」の重要なサインとしての
天に向かって指をさすのポーズを
スタートの合図に、いよいよもって

 ☆『東方三博士(マギ)の礼拝』
から本格的な「罠」の仕込みが始まる
わけなのですが、


『東方三博士(マギ)の礼拝』 1481-1482年

 最近になって実施された修復作業に
よって、『最後の晩餐』における
トマスの「謎の指」の本来の持ち主かも
しれない人物の姿が捉えられました。


  フィレンツェ観光局より情報提供

  やや縦長の画像に違和感を覚えたので
 横幅を10%程伸ばして眺めていたら


修復版『東方三博士(マギ)の礼拝』 1481-1482年

 左端の白枠の人物に目が止まりました。

 天を指さす人物が二人いることは分かって
いたのですが、木の影から天を指し示す人物

 (壮年のダ・ヴィンチ及び洗礼者ヨハネ)に
比べて、さほどの注目をしていなかったことは
確かで迂闊としか言いようがありません。

 修復前にはまったく気づきませんでしたが、
この人物の顔に見覚えがありませんか?

 てか、
      
     (誰かに似てるやん)


    『最後の晩餐』 大ヤコブの習作

 これですよ。 これ ・・・ peace

   
     大ヤコブの顔の習作

 そうです。 大ヤコブの顔です。

 つまり、それは、こういうこと
なのです。 down_slow

 

 トマスのものだと思われていた右手は、

        

 もともとは大ヤコブの手だったのです。

         

 
 ということで、
 
  次回はこのつづきから始めます

 
 世の中には見える人にしか見えないものと

 見えない人にだけ見えるものがあるのかも
 
 しれませんが ・・・

 前述した『アンギアーリの戦い』で、
盾で馬を避ける左下の兵士(丸枠)などに

 こんな輩たちや、


  
 シュメール(イラク・ウバイド遺跡)の爬虫類像

 このような顔をした連中の奇妙な姿が
どうしても見えてしまうのです。

 
 法隆寺にある謎の塑像(動物頭侍者像)

 
  馬頭形侍者像    鼠頭形侍者像
     
       鳥頭形侍者像

 なんだか、クラックラッ 💫しそうですが、


      出典:blog.livedoor.jp

 やはり、見える人にしか見ることができない
(存在のない)ものなのでしょうか?


      出典:shanti-phuia.net


       出典:shanti-phuia.net

   「こ、怖っ~」ase2

   
 
 

 「ワシじゃ、わし ・・・」  

  

  「お面じゃないぞぃ」


 


 果たして、

 ダ・ヴィンチの「目論見」通りの
展開になっているのかどうか?


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 「十分に終わりのことを考えよ。
 まず初めに終わりを考慮せよ」

       (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

           画像元:goshominami-clinic.jp
     っ!
   
   

   「は、はい !!」

 
 『洗礼者聖ヨハネ』部分  1513-1516年   

 … to be continued !!

 
出典:www.lets-bible.com  出典:shanti-phuia.net

 

   画像元:goshominami-clinic.jp

           四次元に住む龍 wakara.co.jp

        画像元:www.canstockphoto.jp

コメント一覧

小吉
ダヴィンチは幼い頃に宇宙人に誘拐されて脳みその中にプログラムをインストールされたのかもしれない。

なぜなのかは知らない。宇宙人の暇つぶしかもしれないし、何らかの意図があるのかもしれない。

もちろん、かもしれないという話だが。
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