見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 斬首刑

 「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」


     『ダニエル書』9:26

 この言葉を指して、

 洗礼者ヨハネによる洗礼を受けて、
膏(あぶら)そそがれし者(メシア)となった
イエスが、およそ三年半にわたる宣教を
経て、十字架上の死による(あがな)い
で、この世の清算(完済)したとする
考え方が一般的で、それをもって、


 『Christ of Saint John of the Cross』
 十字架の聖ヨハネのキリスト ダリ画

 exclamation 注 洗礼者ヨハネと十字架のヨハネは
  それぞれ別の人物です。

 また、ひとつ、『旧約聖書』における
預言成就されたと見るようですが、

 ダ・ヴィンチの解釈によれば、

 イエスキリスト(救世主=メシア)で
はなく 洗礼者ヨハネ後継者であり、



 『ダニエル書』にある膏そそがれた者
とはアロンメシアとなるはずであった
洗礼者ヨハネのことであって、ナザレ
イエスではないと言うのです。

 救世主(キリスト)は志半ばにして
「斬首刑」に陥ってしまったアロン
末裔である洗礼者ヨハネであると、
ダ・ヴィンチはそう考えていたようですが、

 ポイントはAD27年という年にあります。

 過去記事の繰り返しになりますが、

 イエス伝承には「謎」として残る
大きな空白期間が2つあります。

 第1に、預言されていたメシア(救世主)
の誕生があったとして、イエスが生まれた
当時のユダヤの王、ヘロデ大王から命を
狙われますが、その難を逃れるために養父
ヨセフと母マリアとともにエジプトに逃避
していたとされている 0~12歳ぐらいまでの
消息はまったくの不明で、


 『エジプトへの逃避行』カルロ・マラッタ

 これが第1空白期間です。

 12歳の頃に、イスラエルに戻ったイエス
は、神殿でユダヤ教のラビ(律法学者)たち
を相手に議論を戦わせ、一歩も引くことなく
老成したラビたちと渡り合ったそうですが、

 彼らが舌を巻くほどの知識をすでに会得
していたイエスはその後 なぜかぷっつり
と姿を消してしまいます。

 これが第2空白期間です。

 そして、


 『イエスの洗礼』www.daiwanmsr.com

 再び人々の前に現れるのが30歳になった
頃で、それが洗礼者ヨハネから洗礼
受ける有名なシーンであり、


 イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

 かくして、


 『キリストの洗礼』ヴェロッキオ工房作

 イエスの公生涯がいよいよ始まるという
わけなのですが、

 『ルカの福音書』では、

 「イエスが宣教をはじめられたのは、年、
 およそ30歳のときであって、人々の考え
 によれば、ヨセフの子であった

 (ルカの福音書3:23)とありますが、



 それがAD27年だとされているわけです。

 ナザレイエスメシアであるという
根拠は、イエスが、『旧約聖書』
預言と結びつくことで証しとされています。 

 十字架上での死は「神」意志による
もので必然結果であると、

 曰く、『イザヤ書』53章に述べられる

 url https://www.wordproject.org/bibles//jp/23/53.htm

 
    預言者イザヤ wikipedia

 「無実なる神の僕」苦難姿
して、約束されていた旧約メシア預言
が、イエスにおいて成就したと ・・・

しかし、

 イエス洗礼者ヨハネの異母弟で
父親は「神」ではなく下級祭司であった
ザカリヤであるとする独自シナリオ
構築していたダ・ヴィンチは、



 洗礼者ヨハネ斬首についても、
独特推理を展開します。

 さて、

 洗礼者ヨハネについて 直接言及して
いる資料は『福音書』『使徒言行録』
を除けば、ヨセフス『ユダヤ古代史』
にみられるだけで、他には二次的な記録が
あるだけです。

 しかも、『福音書』『使徒言行録』
は、ヨハネイエスのまえの先駆者
して位置づけ、その視点でのみ語っている
ので、それがヨハネ実像として正確な
ものかどうかどうかはわかりません
 
 ところで


 『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ1608年

 洗礼者ヨハネが、ガリラヤの領主で
あったヘロデ・アンティパスの手中に
嵌まり、「斬首」されることになったのは、
AD28~29年頃のことと思われますが、

 これより先に、洗礼者ヨハネは ・・・



 異母兄弟フィリポの妻であるヘロディア
とガリラヤの領主ヘロデ・アンティパス
の婚姻に際し、それを非難したとして捕縛
されマケラス城(砦)の牢に投獄されますが、



 これは『福音書』の記述によるものです。

 洗礼者ヨハネの生い立ちについては、
『ルカの福音書』1章において彼の誕生
の次第が語られています。

 ここから彼が下級祭司の家の出身である
ことが推察できます。

 祭司職は当時 エルサレム宮殿を中心と
する貴族的祭司階級と地方に暮らす下層
の祭司階級とに分かれ、両者の間の格差
は大きく、それは パレスチナ(イスラエル)
地方の支配層と被支配層との関係を反映
するものでもありました。

 それは、洗礼者ヨハネの属する階層
がそのままクムラン宗団に属する人たちの
層と重なりますが、


    出典:plaza.rakuten.co.jp

 エッセネ派が 母体であったクムラン宗団
洗礼者ヨハネとの関連性を直接示す
資料が存在しているわけではありません。

 しかしながら、エルサレム宮殿の祭司や
ファリサイ派と対立する彼の姿はクムラン
のそれを思わせるだけではなく その名が
示すように、ヨハネの最大の特徴である
「洗礼」はクムランのそれを踏襲している
ように見えます。

 そして、イエス「謎」の空白期間
を埋めるのに格好の規則がクムラン宗団
にはあったのです。

  12歳までは宗団の規則に従い暮らす。
  21歳までは見習いとして修業を積み、
  入会資格を得たのちに試験を受けて
   30歳までに一人前の宗団員になる。

 つまり、ヨハネのみならずイエスまで
もが幼少期より、クムラン宗団に所属して
いて修業を積んでいたことが推測される
のです。

 ダ・ヴィンチの推理はこうです。


 『幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 ヨハネイエスは、祭司ザカリヤ
父に、従姉妹同士のエリサベツとマリアを
それぞれの母として生まれるも 腹違いの
兄弟であることを知らないままにクムラン
の共同体で生活を共にします。


 『幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分

 修業成績の優秀なヨハネは早々に卒業
したか、考え方の相違から集団と袂を
分かつことになったかで、

   
 『洗礼者ヨハネ』サンドロ・ボッティチェッリ

 独り荒野での宣教活動に入るわけです。

 ヨハネが行う「洗礼」の目的のひとつ
「裁き」「浄め」であって それ自体は
クムラン宗団の教えに基づいていますが、

 クムラン宗団の用いる「洗礼」のあり方
ヨハネ「洗礼」には決定的な違い
がありました。

 まず第一に、ヨハネの授ける「洗礼」
は、一回限りのもので、祭儀も宗団の名に
よるのではなく、ヨハネひとりが授与者で
あって、そのことを「洗礼者」という彼の
呼び名が如実にあらわしているわけです。

 第二には、「洗礼」を授ける受洗者
対して 何らの条件も求めていない点です。

 クムラン宗団の場合には一定の条件が
あって、身障者や年老いた人々は「会衆」
に参加できずに、当然、「洗礼」に与かる
こともありませんが、そうした制限を一切
もうけてはいないのです。

 第三に、ヨハネのもとに集まったのは、
一般庶民や下層の人たちばかりではなく、
比較的上層の人々や知識階級、さらには
社会的にも影響力のあった人たちが混在
していた可能性が高いと思われるのです。


  『洗礼者ヨハネの証(説教)』ピーテル・ブリューゲル(子)

 クムラン宗団の人々と同様に ヨハネも、
エルサレムの指導者たちやファリサイ派を
非難しましたが、彼らを「蝮の子らよ」
と呼んで罵っていたとしても、クムラン宗団
のように彼らを差別することはなく、平等に
「悔い改める」ことを説いていたのです。


 『洗礼者ヨハネの証(説教)』部分 www.senzoku.org

 (いや)、平等に、と言うよりは、

 むしろ、彼ら(蝮の子right悪魔の僕)にこそ、
積極的に「悔い改め」を説いたわけで、
差し迫る終末の裁きを前にして、


  ゴグとマゴクの戦い ameblo.jp

 なお「神」による「罪の赦し」の恵み
があることを彼らに向かって伝えようとしていた
わけです

 つまり、

 ダ・ヴィンチに言わせれば、こうした行為
こそが「救世主」「救世主」たる
所以(ゆえん)であって、


 『荒野で説教をする洗礼者ヨハネ』サルヴァトル・ローザ

 ここにヨハネ「斬首」されるに至る
淵源が見つかるわけです。

 ヨハネは あらゆるユダヤの民は正しい
生活を送り、人々には公正に「神」には
敬虔であるよう求めたわけで、

 「洗礼」が、「神」に受け入れられる
には、こうした準備が必要で、犯した
してもらおうとして「洗礼」を受けるの
ではなく、正しい行いによって浄化
されたことに基づいて、体を「聖別」する
ために「洗礼」を受けなければならない
としたわけです。

 そして、

 悔い改めたあらゆる階層の人たちは、
それぞれに付与された社会的な身分や
職業に応じて「悔い改めにふさわしい
実を結ぶ」
ように説いて回った。

 つまり、それは自己の仕事(職務)を
「神」の前に、正しく実行することで、
ローマに虐げられる属国の(くびき)
からユダヤ解放する体制の変革
(転覆)を意図していたのです。

 だからこそ、

 ヘロデ・アンティパスは、ヨハネ
指導者(救世主)として、民衆が蜂起し、
大暴動となることに恐怖したわけで、


    ジョヴァンニ・ファットーリ画

 それ故に、

 ヨハネ捕縛して投獄し、折を見て
「斬首刑」に処したのであって、


 『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック1906年

 ヘロディアとの結婚非難された
からでも妖艶なるサロメの舞いの褒美
としての無粋な要求(おねだり)に応じた
わけでも、「断じてない」というのが、

  

 ダ・ヴィンチの導き出した結論です。



 

 さて

 洗礼者ヨハネが目指したのは、自身
の宣べ伝える「悔い改め」とそれに伴う
「洗礼」であって 何らかの規律や戒律に
基づく宗団の形成や後の「キリスト教」
のような教団の創設ではなく、

 自分のもとに集まる人たちを他の宗団や
世俗の枠や家族から分離することなしに、

 ユダヤ(ガリラヤ地方)の民衆の全体に
別け隔てなく「悔い改め」を呼びかけた
わけで そこには些かのポーズもなければ、

 『福音書』に記されるイエスような
わざとらしさは微塵も感じないわけです。

 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何を
 しているのか自分でわからないのです」
    (ルカの福音書23:34)


   『キリストの磔刑』ルーベンス

 自から十字架に架かっておきながら、

 ホント「よく言うよ !!

 ダ・ヴィンチはそう思ったはずです。

 十字架上での間際につぶやく
「わたしは渇く」にしても、

  
     出典:jcfa,,exblog.jp

 『詩篇』 9:21にみられるメシア預言

 「彼らは私の食物の代わりに苦みを与え、
  私が渇いたときには酢を飲ませました」

 が成就したと『福音書』は讃えますが、

 「イエスは、今や万事が終わったことを
 知って、『わたしは、渇く』と言われた。
 それは聖書が全うされるためであった」
   (ヨハネの福音書19:28)


     出典:blog.goo.ne.jp

 要は、

 『旧約聖書』の記述が成就するため
「わたしは、渇く」と わざわざ言った
ということであって、


     出典:blog.goo.ne.jp

 最後にイエスは人々が差し出す酸い
ぶどう酒を含ませた海綿を口に受けて、


     出典:blog.goo.ne.jp

 「すべてが終わった(完了した)
と言って、首を垂れて息を引き取ります。
   (ヨハネの福音書19:30)



 「完了した」

 この言葉こそが、最大偽りであると
ダ・ヴィンチには思えたのですが、

 それはまた次回以降での話としましょう。

 洗礼者ヨハネ「斬首刑」となった
時期はAD28~29年頃のことと思われます
ので、イエス「洗礼」を受けて宣教を
開始したAD27年からは、すでに1年近くは
経過しています。

 その間に 何度も奇跡を起こして見せた
イエスに対して、ただの一度として奇跡
を起こしたことさえない洗礼者ヨハネ
ヘロデ・アンティパスは恐れていたの
に 凄まじいばかりの奇跡を演じてみせる
イエスを恐れなかった理由とはいったい
何なのでしょうか

 この辺りに、されているもうひとつの
真実があるのかもしれませんね



 小生は単純に 洗礼者ヨハネによって
始められた宣教イエスに受け継がれ、
さらにパウロという天才的ペテン師
打ち立てたドグマ(教義)によって、

   
      『聖パウロ』

 旧約の時代は終焉を迎え、新約の時代が
始まったと思っていました。
 
 従って、

 旧約と新約との間には明確なる断絶
あって、それが「福音」という言葉に代表
される「まやかし」によって、より強固に
隔絶されるものになったと思っていました。

 つまり、どこまでが旧約のユダヤ教で、
どこからが新約のキリスト教なのか
の境界線の問題です。

 『新約聖書』では ファリサイ派(学者)
も、ユダヤ人も悪者扱いで、エッセネ派に
至っては文字面にさえも現れません

 新約への道を切り開いたパウロたちは
エッセネ派の何を隠したかったのでしょう

 まあまあ

 なにやら臭うことはニオイますが・・・

 「イエスの出自」じゃな

   

 まあ、それはそれとしても、

 「腑に落ちないのは、新約聖書の行き着く
 先には常に『十字架』があることじゃ」



 さらに、

 『十字架』ありきに文言が貫かれている
のは「ハーケンクロイツ(鉤十字)の旗のもと
に民衆を煽動したナチスと同じじゃ」

   

 でも、ペテロ役が

 「そんなこと言って大丈夫」

 な~に、「アンタも同罪じゃ」
 
 

 「そ、そんな濡れ衣です」


      
     (ホンマかいな)

 それ、

 『濡れ衣』でのオチ(未使用)だろ。

    

 よって、

 盗みの罪で『斬首刑』に処す !!

 

   ・・・ っておいおい


 

      出典:www.jizai.org


 … to be continue !!
       (… to be continued !!)

     
 『洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ』チェザーレ・ダ・セスト

 舞台はまわり、歴史は踊るのである

 
     (なんのこっちゃ・・・)


 「え~、やだぁ、わたし妊娠するの」


 「裏切ったのはユダではない」

   
 

コメント一覧

小吉
なんだか頭の良い人達が何も知らない市民(民衆)を騙しているように思えてきた。
dankainogenki
キリストは、新約聖書であり、旧約聖書とは袂を分かつと
言われるが、違いますよネ。

アダムとイブの話は、ユダヤだけのはず。
キングダムは、天に増します神が普遍性で世界に広がるのがキリスト教ですから。
リンゴとバナナ
そもそも、イエスの話そのものがイザヤ書53章に当てはまるように脚色されているんじゃないか!? と考えることもできるよね?
ガブリアス・マーレン
ここではそれを、天才パウロの仕業にしたいようですが、「ヨハネ・キリスト説」を推し進めるには、「申命記」のページでもコメントしたように、イザヤ書53章がネックになります。

このページでの記事の内容として、「緋色のマント」さんは、イリュージョニストであるイエスとペテン師パウロの黄金のタッグによって、キリスト教が誕生したとする趣旨を要約して、それ以前が旧約のユダヤ教で、それ以後が新約のキリスト教であると説明していますが、多分その点についてはそういうことでしょう。

ただし、洗礼者ヨハネをメシアとするには、イザヤ書53章の預言をどう切り崩すかがカギで、事の正否はそこにかかっていると思います。
 
あり得ない発想ですが、ダ・ヴィンチならばと思わせるところが肝ですね。
やぶにらみ
断り書きがある以上、緋色のマント氏の意見ではないと思うが、そこが分かれ目であったということですな!
緋色のマント
この記事を読む限りにおいての話ではあるが、どこまでが旧約のユダヤ教で、どこからが新約のキリスト教であるのか、天才的ペテン師パウロの言を俟つまでもなく、他に類を見ない超天才的イリュジョニストであるイエスがユダヤ教の改革者たる洗礼者ヨハネのお株を奪った時点までが、旧約のユダヤ教だったわけやと思うけどな。
きくらげ
確かに、聖ヨセフが登場してるのなら『聖母子と聖人たち』
という画題に、違和感を覚えるが、それが聖ザカリヤだと
すれば、その問題は解消するし、似てる似てないの問題も
一定の推論が成り立つが、未だ、記事の内容とはパラレル
に近く、ヨハネとイエスの異母兄弟説を補完するとまでは
言えないと思われますが、「DN」サインと言い、奇妙な
絵であることは間違いないでしょう。
おじゃま虫
聖母マリアと幼児のヨハネがそっくりで、聖ヨセフとイエスが似ているという「DN」のサインのあるポントルモの絵について、むらさき納言さんは聖ヨセフにイエスを似せる意味がないから気のせいと言っていますが、ココナンさんが『神格化』でコメントしたように、聖ヨセフに聖ザカリヤが重ねられているとしたら、ヨハネとイエスの異母兄弟説をバックアップすることになりますよね。

そうであれば、『聖母子と聖人たち』というタイトルにある違和感も消えるのですが・・・
やぶにらみ
「兄弟」ですか!?

修道士や修道女のことをブラザーやシスターと言いますな。

キリスト教の会衆などでは互いを兄弟姉妹と呼び合うのが
普通のようだが、そこには案外と深い意味が隠されている
のかもしれませんな。

さて、「デジャヴ」だが、フランス語で Deja Vu
(すでに見た)が語源らしいがイタリア語でも Deja Vu
となる。

これも、頭文字は「D」じゃが、まあ、やぶにらみという
ことで、勘弁してくだされ!
江戸川ドイル
デジャヴのようなシチュエーションですが、

どうして打ち終わるとすぐに投稿ボタンを押すのかなあ。

RとT、となりのキーか、

ベツレヘムとするところが、ベルレヘム。

深夜で、いいかげん早くヤスミたかったのはわかるけど、
確認くらいしろや!

だけど、今度、自分がミスタッチしたら、何を言われるか
わからないから、もう止めよう!

ポントルモの絵に関しては、ほぼほぼ兄貴と一緒かな!?

ただ、ここにもダブル「Ⅾ」が関係してると思うよ!

オレたち「兄弟」だし・・・
江戸川ケイシ
意図しない偶然はあるので、ポントルモの絵はその範疇に
あるのだと思うしかないのですが、ここ最近の記事の内容
に準拠しているように感じるのは確かです。

『聖母子と聖人たち』では、聖家族と聖ヨハネに大ヤコブ
と使徒ヨハネの兄弟。

『聖母子と聖アンナ(と4聖人)』では、聖母子と聖アンナの家族とペテロとアンデレの兄弟。

『聖母子と2聖人』では、人面顔の獅子と羊とベルレヘム
で生涯を終えた聖ヒエロニムスと小さき兄弟会の創始者の
聖フランチェスコ。

『聖母子と幼児聖ヨハネ』では、兄の話に耳を傾け幼い弟
を腕に抱く母親ようなマリアの姿。

『エマオの晩餐』では、プロビデンスの目と二人の弟子の
足もとにいる犬と猫。

偶然とはいえ、ポントルモの絵を等しく探れのアナグラム
には驚くしかないからですが、

決して、アナグラムを肯定したわけではありません。
むらさき納言
おやおや、随分とケイシさんらしくないコメントですが、
アナグラム派に好意的なんてどうしたことでしょう?

江戸川ケイシ
アナグラムにも、ポントルモにも、本当は関わりたくない
のですが『聖母子と聖人たち』にしろ『聖母子と2聖人』
にしろ『聖母子と聖アンナ』にしても「家族兄弟」という
ワードで括ろうと思えば括れるうえに、さらに『聖母子と幼児聖ヨハネ』は「兄弟」と言うタイトルでも
おかしくないイメージで描かれています。

それはアナグラムが語る「ポントルモの絵を等しく探れ!」
からイエスとヨハネの出自に一定の方向性を示すものになっています。

キーワードは「家族」で突き詰めれば「兄弟」です。
きくらげ
『眉唾物』での要望に沿った内容での構成に感謝します。

同時に、これだけ外野がうるさいと、ざぞや
大変だろう
とお察し申し上げます。
むらさき納言
「仲間はずれ」としての最後の「鬼」が誰か? の正解は、
何に主眼を置くかで違ってくるのかもしれません。

ケイシさんのコメントで気づいたのですが、聖母マリアと
幼児のヨハネは親子のようにそっくりです。

イエスは、何故か養父である聖ヨセフの方に似ているよう
で奇妙な感じです。

もっとも、聖ヨセフに似せる意味は皆無ですので気のせいですが、

そもそも、イエスが十字の杖を持っているのも変ですし、
やはり、ヨハネとイエスの入れ替えや異母兄弟説を示唆
しているように思えてなりません。
江戸川ケイシ
ダ・ヴィンチの罠 と 72 で検索すれば、ココナンさんの言う2つの記事がピックアップされるけど、イタリア語の数の意味が Numero で「DN」➡「神の数」 Numero de Dio なら面白いとは思うけど、無理でしょうね。

むらさき納言さんの「鬼」である「D」は、聖母マリアか、幼児の聖ヨハネのどちらかでしょうが、個人的には「D」は、その両方(Doppio)ダブルだと思います。

「指導者] Dirigente と「反対者」Dissidente としての
「鬼」Demone です。
ココナン
やぶにらみさんの「にらみ」にちょっとだけ付き合えば、
「AD27年」の「27」とは逆の数字「72」には見覚えがあるんで、調べて見たら、

『モナリザ』の背景にある石橋のアーチの下に数字の「72」
があることが確認されたという記事が、これも「DN」と
逆のイニシャル『新発見』New Discoverry =「ND」に
なる記事に載ってました。

確か、その前の『瞳の奥』でも話題になってましたけど、
むらさき納言
『不文律』などの記事に、ラファエロの『聖家族と仔羊』での養父ヨセフの姿がヨボヨボで惨めすぎるとか、子羊が人面羊に描かれていて、そこに洗礼者ヨハネが暗示されているというような意味合いの文章がありました。

2号さんは「気のせいですね」として誤魔化しましたが本音だと思われます。

ポントルモの『聖母子と2聖人』での聖ヒエロニムスに付き添うライオンは人面であることを除けば、不自然ではありませんが、二人の天使の間にいる人面の仔羊は幼児聖ヨハネの身代わりとしか思えません。

そして、ライオンと羊は、イエスとヨハネです。

その他にも、養父のヨセフを聖家族とは見なさない「DN」のサインのある『聖母子と聖人たち』。

隠れた犬と猫とプロビデンス目がある『エマオの晩餐』。

マリアとアンナの手と足のバランスが不自然なうえに4人の聖人と12人の人物が登場する『聖母子と聖アンナ』。

幼児聖ヨハネの言葉に耳を傾ける姿が母親そのものに見える『聖母子と幼児聖ヨハネ』など。

ここ最近の記事の内容を思わせる絵が、いくつもあるので、以前に、ココナンくんの6/11の『陰謀論』でのアナグラムに関するコメントが影響してると書いたわけです。

前にも、おじゃま虫さんに言ったと思いますが、最初の仲間はずれは聖フランチェスコですが、最後に仲間はずれになる「鬼」=「D]は別人ですよ。 
やぶにらみ
引っ掛かりを感じているのは、むらさき納言さんだけではないですぞ!

今回の更新の遅れにポントルモの絵が関係しているかは、分からないが、記事の中で、AD27年を強調している割にはイエスの公生涯が始まった年ということ以外に、特段の説明がなされていないのは解せないですな。

「Ⅾの秘密」もそうだが、かなり念入りに仕組まれた罠というか、伏線があちこちに用意されているように感じる。

言葉遊びが好きなようだし、「AD」を西暦ではなく、アンサー「D」だと仮定すると、ポイントがAD27年にあるとは、「D」の答は、27年から見つかるという意味になりますな!

あー、いや! とんだ、やぶにらみだと思ってくだされ!
おじゃま虫
今回が「D」で始まるタイトルだとしても、もとから予定されてたテーマだから驚かないけど、ポントルモの絵が更新が遅れた原因だと言い切るむらさき納言さんの主張には驚かされます。
いったい何がそれほどの自信を与えているのでしょうか?

本来なら「陰謀論」の方で質問すべきかもしれませんが、この「DN」のサインのある絵での仲間はずれは聖フランチェスコですよね。

同じポントルモの「聖母子と2聖人」では、ダ・ヴィンチの絵に見られる「dn」サインの聖ヒエロニムスと聖フランチェスコが2聖人で、そこにライオンと子羊がいるんですが、むらさき納言さんの言うように、やけに人間顔なんですよね。

このことと関係あるんですか? 

ほかにも聞きたいことがありますが、それはまた向こうの方で質問します。
むらさき納言
ドイルさんが言うように『聖母子と聖人たち』の絵画には、
ポントルモの気持ちが入っていると思います。

誰がタイトルを付けたのかわかりませんが、聖ヨセフがいるのに、なぜ「聖家族」とはせずに「聖母子」なのでしょう?

ココナンくんは、この絵と今回の更新の遅れに因果関係はないと思っているようですが、わたしは大いに関係してると思います。

おそらく、2号さんは「DN」の意味を知っていたか予測がついていて、今回予定していた記事に書いたか、近々にも、書くつもりだったと思われます。

たぶん、ココナンくんの6/11の『陰謀論』でのコメントが、
予定を狂わせたものと想像されますが・・・

江戸川ドイル
「教えてください」ってイタリア語で、Dimmiだよ!

これも「D」だけど、ま、これは余談です!

「DN」の意味は、「デス・ノート」かと思ったけど、
イタリア語では、
Nota di Morte だから、即アウト!

だけど、この絵にはポントルモの気持ちが入っている気がする。

9人の視線や指先が示すものは何だろう?
ココナン
ひと月ぶりの記事ですが、『斬首刑』も「D」が頭文字に
なるタイトルです!

英語 Decapitation イタリア語 Decapitazione

やぶにらみさんによれば、4つに1つが「D」だとか。

今回は、「トウ・ビイ・コンティニュー」の下にカッコで
(… to be continued !!)を加えていますので、公式に
「Ⅾの秘密」というか、「Ⅾ」になんらかの意味や意図が
あることを認めたんだと思います。

記事の遅れに「DN」のサインが入ったポントルモの絵が
直接的に関係していた様子はないので、絵の題名とURL
をお知らせします。

タイトルは『聖母子と聖人たち』です。
http://art.pro.tok2.com/P/Pontormo/z007.htm

「DN」のサインの意味、わかったら教えてください。
むらさき納言
エルサレムに入城する時もわざわざロバを探させてるし、
それに乗って東門から堂々と入城してるのは、旧約聖書の
預言の成就をもろに意識している証拠だし、わざとらしい
パフォーマンスは枚挙にいとまがないですよね!

でも、何かが引っ掛かるんです。
 
それが何かはうまく言えないけど・・・
やぶにらみ
AD27年がポイントになるというのは、奇跡云々だけの話ではないでしょうな!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事