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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 秘密裏

  レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の中で最も印象的な
作品は、何と言っても『最後の晩餐』でしょう!

 前回の『悪巧み』の記事で、壁画『最後の晩餐』は、

ダ・ヴィンチの罠 悪巧み - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 悪巧み - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチが仕組んだ大いなる「罠」の目的は、1⃣人類は「神」によって、創造されたのではなく、異星種との交配により、作られたこと。2⃣預言されていた救世主(メシア)...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 悪巧み』 

 「一般に知られる処刑前夜の十二使徒との晩餐の場面
の他に、復活した後の顕現の朝餉のシーンでもある」と
書きましたが、その意図は〝イエス・キリスト計画〟 
の決行前夜における段取りや役回りを再確認するための
幹部会(晩餐=夕餉)の様子や決行後の集合場所である
ガリラヤでの祝宴(朝餉)の描写を通して、この計画が
イエスをキリスト(救世主=メシア)とするための謀略
であり、大ペテン師パウロのシナリオによる陰謀である
ことを暴露するという目的を持った壁画だったのです。

 つまり、『最後の晩餐』は密室での最後の打ち合わせ
にして、決起集会でもあったわけで、 

「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」
というユダに対するイエスの言葉が、計画のスタートを
意味する合図になっていたのです。

 ところで、まだ、

 洗礼者ヨハネが、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパス
に投獄される前に、この計画の一部をパウロはヨハネに
告げますが、あっさりと拒否され、その矛先がイエスに
向かったことは以前に話しましたが、思わぬユダの登場
によって、洗礼者ヨハネは亡き者となり、パウロが思い
描くシナリオは順調の上にも順調に推移したのでした。


 『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)

 そして、

 ユダと使徒ヨハネを除く、他の主だった弟子たちとの
密約も済んだパウロは、相変わらず偽旗よろしく彼らを
迫害するファリサイ派(パリサイ人)の一員として勇名
を馳せていたのです。

 さて、

 師であるヨハネが処刑されると、イエスは正式に彼の
後を継ぐかたちで後継者としての名乗りを上げて、宣教
と洗礼の継続を高らかに宣言します。

 幹部としての十二使徒には、ペテロやゼベダイの子を
始めとするガリラヤ湖の漁師(大ヤコブやヨハネ)たち
や徴税人のマタイ、通訳係のフィリポ、会計係のユダと
いった面々を迎え入れ、ユダヤ教ナザレ派の勢力は日に
日に拡大して行きました。

 組織も大きくなり、信者数も大幅に増えた頃、計画の
決行に必要だとして過ぎ越し祭りにあわせてエルサレム
に入城するようパウロからの指令が入ります。


          エルサレムに入城するイエス w.atwiki.jp 

 その際には、雌のロバと子ロバを用意して、イエスは
子ロバに乗って、エルサレムの東門から入城するように
との細かい指示がありました。

 
   画像元:igmtokyo.com        画像元:nanbuchurchga.com 

 『最後の晩餐』は、その最終的なパウロからの指示を
確認する決行のための決起集会でもあったのです。

 ここで〝イエス・キリスト計画〟のディテールの一部
にあるドグマに触れるとすれば、

 パウロは、亡き洗礼者ヨハネが説いた「回心」の教え  
をさらに発展させるべく、偏狭なるユダヤ教から異邦人
や異教徒を含む全人類を対象とした世界的宗教を目指す
意味からも、イエスの贖いによる贖罪信仰を教義の中心
に据える必要性があると確信します。

 そして、イエス・キリストを心から信じる者はすべて
「天国で永遠の命に与かれる」という、実に都合の良い
キャッチ・フレーズを生み出すことに成功します。

 しかし、

「イエス・キリストを信じれば救われる」、その為には
イエスの犠牲的な死と死後の復活という一大イベントを
人々に知らしめなくてはなりません。

 パウロはイエスたちがエルサレムに入城する少し前に
イエスとの秘密の会談に臨み、彼の説得に腐心します。

 そこにどれほどの問答や葛藤があったのか不明ですが、

 説得に応じたというよりは、『旧約聖書』の終末期に
出現する救世主(メシア)その人になるという自意識や
自覚に芽生えたイエスは、むしろ積極的にパウロの計画
に便乗する決意を固めたのでした。

 パウロが提案したアイデアと一連のシナリオの骨子は

 ① イエスが犠牲になることで、以後の生け贄(燔祭)
   を廃止する。
 ② 死後に復活することで、イエスの救世主(メシア)
  すなわち、キリスト化を絶対的なものとする。

 上記、2点の内容を中心とした子細なプロットが書き
連ねられた書簡を手に冒頭の夕餉(晩餐)が設けられて
いたのです。 

 ところで、

 ユダの裏切り行為が、イエスによる指示であったこと
が、『新約聖書』の経典から外された『ユダの福音書』
の記録によって、あきらかにされつつありますが、この
記述は、後にキリスト教団の存続の都合により歴史から
抹消されてしまいました。

 たとえば、それは、


ユダとイエス William Hole画 ceramicarte.majo.moo.jp

 こういうことだったのかもしれません。 

 「過ぎ越し祭り」が始まる3日前までの1週の間に
イエスとユダが、極秘裏に話し合いをもっていたとする
内容の古文書が発見されたのです。


        『ユダの福音書』 natgeo.nikkeibp.co.jp

 偽書・偽典とされる『ユダの福音書』なる古史古伝
(古代史の主要な資料とは、著しく異なる内容を伝える
文献)です。

    ユダの福音書 - ユダの福音書の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

 ユダの福音書(写本の最初のページ)

 ★ その『ユダの福音書』によれば、

 イエスの教えを真に理解しているのは、ユダだけで
あり、イエスはユダをほかの使徒よりも一段上の存在
として彼らを導いて行くのはユダの仕事だと語ります。

 要するに、

 最もイエスから信頼されていた弟子が、ユダであり
実質的No.2だったユダに対して、イエスはさらに、

 「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とすること
で、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」と
話し、イエスを包む物質としての肉体を、イエスから
取り除き、内なる真の自己、つまり「神」の本質
を解放するように諭したのでした。

 つまり、これが、

キリストの受難 神様の領域
       画像元:godarea.net  

 〝裏切り〟とされる行為における真実の一片であり、
決してイエスをサンヘドリン(ユダヤ教の最高法院)に
売り渡したわけではなく、素直にイエスの言葉に従った
結果が、捕縛され、たらい回しの裁判の末にゴルゴダの
丘へ続く 「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)を辿り、
贖いの十字架に果てるという一連の事件の顛末なのです。

 そのすべては、


      出典:blog.goo.ne.jp     

     
      「完了した !!

 イエス自身の、否や、パウロが描いた周到なる奸計
(シナリオ)に基づいての野外劇(一大ページェント)
であったというのが、ダ・ヴィンチが導いた結論です。


     イエスの死(磔刑) www.jizai.org

 要するに、状況から判断するに最も史実に沿った真実
により近い信憑性に富んだものであると考えられる記述
が、こうした古史古伝の中から見つかるのです。

 そうだとすれば、

 イエスの十字架上(磔刑)での顛末の一切が自作自演に
よるものであったとの疑いが新たに生じてきます。

 イエスが、パウロの思い描くキリスト化計画に乗った
最大の理由は、ユダヤ社会におけるイエス共同体である
ユダヤ教ナザレ派の行く末に不安を感じていたからです。

 ユダヤ教の他派からの迫害の度合いが日増しに強まる
傾向にある中で、その窮状を打破するには共同体の責任
を自分一人が背負うことで解消できると考えたイエスは 
、計画の一部を変更・修正することで解決可能なことを
見つけ出していたのです。

 弟子たちのすべてがイエスに離反し、彼を否定する者
となれば、迫害の恐れは消滅し共同体は地下組織化して 
抹殺から逃れ、存続することが可能になると踏んでいた
のです。

 パウロのシナリオによると、処刑の後にイエスは復活
する手筈で、それを実際に目撃したと弟子たちが口裏を
合わせることで『旧約聖書』に預言されていたキリスト
の降臨をイメージさせるというものでした。

 つまり、

 🅰 見せ掛けの離反による教団の地下組織化 
 🅱 死からの復活によるイエスのキリスト化

 イエスのアイデア🅰とパウロのシナリオ🅱の合作が
最後の晩餐で再確認された〝イエス・キリスト計画〟の
二大要件だったのでした。

 さて、

 ここで、一旦、洗礼者ヨハネとイエスの母体であった
クムラン宗団に話を移すことにします。 

 こうした経緯を経て、エッセネ派内のクムラン宗団も、
自らの企てによる「二人のメシア計画」が頓挫したこと
を知り、イエスによる単独の救済プランが秘密裏に進行
しつつあることをパウロが放っていた二重スパイの情報 
によって察知することになります。

 この場合、二重スパイ(double agent)とは言っても
もともとはクムランの考え方にシンパシーを覚えていた
人間であったことからも、イエスの贖いによる贖罪信仰
には抵抗感がなく、偽旗情報をむしろ積極的に流布して 
いたものと思われます。

 つまり、原始エルサレム教団(ユダヤ教ナザレ派)の
一員であるとの自覚をやむなくされてしまったのです。

 イエスの否、パウロのアイデアである贖い(贖罪)に
よる脚本=台本(シナリオ)では「新しい契約の民」と
いう概念が信仰の柱となります。


           「新しい契約」www.bibleinfo.com

 そこで特にエッセネ派からキリスト信仰に入った人々
が同地区の原始エルサレム教団(ユダヤ教ナザレ派)に
対し、何かしらの影響を与えたことが考えられますが、

 この「新しい契約」の理解について、エッセネ派から
直接の影響があったかどうかは不明のままです。

 もし仮に、

 影響があったとしても新約聖書における「新しい契約」
は、エッセネ派が理解する「新しい契約」とは根本的に
違っていました。

 エッセネ派の「新しい契約」は祭司の正統性をめぐる
対立からエルサレムの祭儀共同体を分離しましたが、

 基本的には「モーセ契約」と同じ線上にあり、モーセ
の律法をさらに厳格にしたものにすぎません。

 それに対して、

 キリストの福音における「新しい契約」は、律法遵守
を条件とするモーセ契約とは、まったく別の原理に立つ
契約であり、「恩恵の契約」となっていたのです。

 さて、話を稀代のペテン師パウロに戻しましょう。

 洗礼者ヨハネの後継者となるべくヨルダン川での洗礼
を模倣していたイエスのもとに、パウロの魔の手が及び
、迂闊にもその誘惑に乗ってしまったイエスと彼の主要
な高弟(ユダと使徒ヨハネを除く他の十二使徒)たちが

十二使徒 | 播州うえぶチャペル
            イエスと十二使徒たち webchapel.jp

 パウロと秘密裏に密約を結んでいたことについては、
以前に、記載したとおりですが、

 パウロは洗礼者ヨハネの処刑から数年も経ないうちに、
すぐさま〝イエス・キリスト計画〟の実施を決定します。

 イエスが自ら進んで十字架刑を選んだことが、福音書
の記述から読み取ることができますが、イエスがローマ
の兵隊に捕縛され連行される際の罪状認否として、その
時に「あなたがユダヤの王を名乗ったのは事実ですか?」
という罪の確認が行われていたのかもしれませんが、


      カラヴァッジョの「キリストの捕縛」 artmuseum.jpn.org

 symbol2『マルコの福音書』15章では、

 イエスを裁くことになったユダヤ総督であるピラトが
2節で「お前がユダヤ人の王なのか」と問い質します。

 
      イエスの裁判におけるプロセスの一部   

 祭司長たちが「自分こそユダヤ人の王だ」とイエスが
言って、ローマの支配を否定しようとしていると訴えた
からですが、「本当にお前は自分がユダヤ人の王である
と主張するのか?」と尋ねたものだと思われるのです。


           イエスの裁判(法廷)の様子 www.jw.org

 ピラトにとって王とは、ある地域や人々に対する絶大
なる力を握る権力者であり、その権力を行使するために
軍勢を率い、家来たちを従えている者を意味します。

 しかし、

 目の前にいるイエスは、軍勢どころかひとりの家来も
なく、捕えられて裁かれているまったく力のない者です。

 そんな者が自分は王だなどと言うのは笑止千万であり、
チャンチャラ可笑しかったのです。

 恐らく、ピラトは

「お前はそれでもユダヤ人の王などと言うつもりなのか」
という皮肉な思いで、この問いを発したのでしょう。

 ところが、イエスの答えは、

 ピラトを驚かせ、困惑させるのに十分なものでした。

 イエスは「それは、あなたが言っていることです」と
切り返したのです。これは直訳すれば「あなたは言う」
というだけの簡単な言葉です。

 この言葉を「あなたの言う通りだ」と解釈することは
可能でしょう。

 確かに以前の口語訳聖書では「そのとおりである」と
訳されていました。

 しかし、「それは、あなたが言っていることです」と
いうここでの答えを「あなたの言う通りである」として
受け取れば肯定の答えとなりますが、それでは、5節に
あるフレーズとの整合性が疑われてしまいます。

 その後、

 祭司長たちが盛んにイエスの罪状を訴えますが、彼は
ピタリと口を閉ざして何も答えませんでした。

   

 「彼らがあのようにしてお前を訴えているのに、お前
は何も答えないのか」とピラトはイエスに問いましたが
イエスは最早、何も答えようとはしなかったのです。

 ピラトはこのことを不思議に思ったと5節にあります。


     ポンティオ・ピラト claratfmm.wordpress.com

 普通なら死刑になるかもしれない罪で訴えられている
者たちは、皆、何とかして罪を免れようと必死になって
弁明するものです。

 あるいは、また、

 ローマの支配を打倒しようとして捕えられた確信犯で
あるならば、ローマへの怨みと呪いの言葉を吐いて死刑
になったことでしょう。

 この部分のポイントは「あなた」に置かれています。

 そう読めば、ここは、

 「私がユダヤ人の王であるかどうか、それはあなたが
 問われていることなのです」という意味になります。

 つまり、イエスは、

 「答えなければならないのは私ではなくて、私が王で
あるか否かは、あなたにこそ問われているのだ」という
ように訴え返していたのかもしれません。

 しかしながら、イエスは、じっと沈黙していました。

  

 それはピラトにとって不思議な、理解できないことで
あると同時に、このイエスの沈黙は先ほどの答えと同じ
ように、ピラトに問いをつきつけるものでした。

 「問われているのは私ではない、あなたなのです!」

 あなたは私をどうするのか?というイエスからの無言
の問いかけをピラトは受け続けていたのです。

 symbol2『マルコの福音書』15章以下の問答については、

 横浜指路教会(yokohamashiloh.or.jp)の主日礼拝の
記事を部分的に引用し、アレンジと修正を加えて構成
しています。

     ま、まさか、お前さん!
 
 「ピラトとつるんでおらんじゃろな?」
   
 
「やだぁ、それを訊きたいのは私の方よ!」
 
      そっ、そうなの?
 
 ・・・ って、おいおい、

   
   なんだかなぁ!         う~む  (^▽^;)(^^ゞ 

 … to be continued !!

  さて、次回では、

  決行された「イエス・キリスト計画」の遂行経過を

   🅰 見せ掛けの離反による教団の地下組織化 
   🅱 死からの復活によるイエスのキリスト化

  という先に挙げた🅰と🅱2つの視点からの内幕に
  について可能なかぎり追究したいと考えています。

  
 
 

     !!


    symbol2 ダ・ヴィンチの推理は、まだまだ続きます。
                  

コメント一覧

小吉
イエスはいったい何を考えていたのだろうか。

自分の命を捧げるなんて余程のことがない限り普通はやらない。(普通の人であっては何の意味もないけれど)
そしてまた、「復活」なんてするわけがないのに、どうしてそんなことが「計画」の上に成り立っているのか。

まったくよく分からない。
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