せっかく生まれてきたのに我慢するだけの生活に
埋もれてしまい、夢も希望も掴めやしない。
あるのは「辛抱」の二文字だけなんて悲し過ぎます。
これって、ブラックバイトが横行する現代の話
ではありませんよ
今から38年前の若き1号さんの東京での嘆き節です。
「都会の魔力」 作詞作曲 透明人間1号
頭のくろいアリンコたちが ウヨウヨ ウヨウヨうんざりだ
こんな街は 嫌いだね ヘロインみたいに 嘘つきで
本当の自由を むしばんで 心はすさんで 白々として
腐った果実 そのものさ うわべだけは にぎやかで
抱き締めるのは不安だけ …
なのに、
逃げ出す 勇気が出ない 都会の魔力に侵されたんだ
インポテンツと不感症ばかり 都会の魔力に侵されたんだ
頭のくろいアリンコたちが せっせとせっせと 働いて
ちんけな家も建ちゃしない 暮らしに疲れて気がつくと
本当の自分は 死んでいて 窒息しそうな 息苦しさは
ゴミ溜めの中 そのものさ 夢はとっくに ひからびて
つかめるものは昨日だけ …
なのに、
逃げ出す 勇気が出ない 都会の魔力に侵されたんだ
インポテンツと不感症ばかり 都会の魔力に侵されたんだ
昭和52年(1977年)10月7日
こうして、
雑踏と喧騒に満ち溢れた誘惑の毎日に苛まれる
だけの便利だけど薄っぺらな「都会の魔力」の
呪縛から抜け出すことができずにいた1号さんでしたが、
ついには3年半後、夢に向けての脱出に成功します
勇気を奮って、魔力と対決したというわけですね
さて、
いつの時代でも洋の東西を問わずに思い通りにならない
のが人生というものですが、
どうしたら人生の主人公になれるのか、果敢に挑んだ男
、それがダ・ヴィンチだったような気がしてなりません。
彼がリアリストで他人の言うことを聞かない頑固な性格で
あったことは否めません。
請け負った仕事を途中で放り出すことは一度や二度では
なく、制作を放棄しないまでも納期に間に合った例(ためし)
などほとんどないような遅筆家で、自由にして勝手きままな
わがまま放題の無手勝流を地で通したような印象です。
1452年4月15日の未明、フィレンツェ郊外のヴィンチ村に
生まれたレオナルドは、14歳のときにフィレンツェに赴いて
、画家であり彫刻家のアンドレーア・デル・ヴェロッキオの
徒弟として工房に入ります。
6年間にわたる工房での修行を終え、フィレンツェにある
画家組合に加入してプロとしての第一歩を踏み出したのが
弱冠20歳のときでした。
この年にデビュー作『受胎告知』を制作しますが、
若気の至りというか、大胆不敵だったのか、ある罠
をいたずら感覚で仕掛けてしまいます
この得体の知れない奇妙なものはなんでしょう
その詳細は 『ダ・ヴィンチの罠 謎の肢』 で
解説されていますので参考にしてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/405.html
いまにすれば、よくぞこれが問題にならなかったと言える
ほどに危険なチャレンジだったと思われるのですが …
もし、これが、端から予定されていたものだったとしたら
末恐ろしいほどの天才性とその計画性に息を呑む
のも忘れて、ただただ驚嘆するのみです。
ダ・ヴィンチの言葉 …
「十分に終わりのことを考えよ。
まず最初に終わりを考慮せよ」
を、まさに実践していたことになります。
ところで、
新約聖書には最後(巻末)の書として『啓示の書』、
若しくは、『黙示録』(英語でアポカリプス)と呼ばれる
ものが収められています。
啓示という意味の英語(アポカリプス)は、ギリシャ語の
「アポカリュプシス」を訳した関係上、「ベールを脱ぐこと」や
「覆いをはずす」といった意味合いを「世界の終末」
と理解して、ハルマゲドン を世界の滅亡である
と勘違いする人々も少なくありませんが、
「天下分け目」ならぬ「善悪分け目」の大決戦、
つまり 闇と光、神とサタンとの決戦は、確かに聖書
巻末の書の中では「全能者なる神の大いなる日の戦争」
と表現されています。
そして、それが、
『ダ・ヴィンチの罠』の主題のひとつであり、
『モナ・リザ』のメインテーマにもなっているのです。
それでは、メイン・キーである『モナ・リザ』を鍵穴
にセッティングして右に90度回転してみましょう
ある時、使徒ヨハネは幻を見ます。
そのなかで、宇宙飛行士が体験する物理的な宇宙空間
よりも、さらに遠い銀河星雲よりもはるか上方に高められ、
「神」の住む目に見えない天界に引き入れられます。
吸い寄せられるように招き入れられた天界での思わず
息をのむようなパノラマは荘厳で、碧玉や赤メノウのような
宝石で飾られた玉座に座る「神」はエメラルドのような
虹に取り囲まれていて、その周りには二十四の座があり、
二十四人の長老が白い外衣を纏((まと)い、頭には黄金の
冠を戴いて座っているのが見えたのです。
しかも、
玉座(み座)の真ん中と玉座の周りには、前にも後ろ
にも目がいっぱいある四つの生き物がいたのです
ヨハネはこのように綴っています。
「そして、第一の生き物はライオンに似ており、第二の
生き物は若い雄牛に似ており、第三の生き物は人間
のような顔があり、第四の生き物は飛んでいる鷲に似て
いる」 『黙示録4:7』
のライオンとの雄牛との人間のような顔はわかる
けど、の飛んでいる鷲の姿が見つからないですって
それならば、との直ぐ下にあるモナリザの髪の毛と
右肩のラインのかたちに注目してください。
ネっ、翼を広げて飛ぶ鷲の勇姿が見えるでしょう
この動物が『モナ・リザ』の絵に隠されてるという説
はニューヨーク在住のアメリカ人でグラフィック・デザイナー
のロン・ピッシリーニョ氏が2011年末に発表したもので、氏
はライオンとサルとバッファロー以外にもヘビやワニなどが
見つかるとしていますが、翼を広げた鷲や『黙示録』
の記述には一切触れることはありませんでした。
彼によると、左側に出た道は天国への道で、それに対し、
右手を背ける様子が「神への妬み」を表現している
と主張していますが …
確かに「妬み」はキリスト教の「七つの大罪」の
ひとつである嫉妬で、蛇(レヴァイアタン)と対応しますし、
傲慢はライオン(ルシファー)、憤怒はドラゴン(サタン)
ですが、それが『モナ・リザ』やその他の動物たちと
どのように関連するのか、よくわかりません。
おそらく、鷲の姿を見つけることができなかったために
『黙示録』に辿り着けなかったのだと思います
そもそも、
自分が人生の主役であり、主人公であるダ・ヴィンチに
は「七つの大罪」のいくつかは、むしろ彼にとっての
エネルギー源やアクセルペダルになるもので、ブレーキに
しかならないテーマを絵にするはずもないのです
よしんば、「七つの大罪」がテーマのひとつだった
としても、その含意は一般的な意味合いとは逆のものに
なっているはずです。
さてさて、
使徒ヨハネの幻は、さらに続きます。
「それからわたしは、み座に座っておられる方の右手に、
内部にも裏側にも書き込まれた巻き物があるのを見た」
「それは七つの封印で堅く封印されていた」
「そしてわたしは、ひとりの強いみ使いが、『巻き物を
開いて、その封印を解くにふさわしい者はだれか』と
大声でふれ告げているのを見た」
「しかし、天にも地にもまた地の下にも、巻き物を開き、
あるいは、その中を見ることのできる者はひとりもいな
かった」
「それで、巻き物を開き、あるいはその中を見るにふさ
わしい者が見いだされなかったので、わたしは激しく
泣きだした」
「しかし長老の一人がわたしにこう言う」
「泣くのをやめなさい。 見よ、ユダ族の者であるライオン
、ダビデの根が征服を遂げたので、巻き物とその七つの
封印を開くことができる」 『黙示録 5:1-5』
ダ・ヴィンチが決して手放さなかった3枚の油彩画を
太陽系モデル 地球モデル その他の星モデル
であると、『ダ・ヴィンチの罠 地動説』で解説
をしましたが、使徒ヨハネの幻では …
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/420.html
「また、大きなしるしが天に見えた。それは太陽で装った
女で、月がその足の下にあり、頭には十二の星の冠が
あって、彼女は妊娠していた。そして、苦痛と子を産む
もだえのために叫ぶ」 『黙示録12:1-2』
月の化身を演じる聖ヨハネと太陽で装った地球である
モナリザは、聖母マリアを意図しているようですが …
子羊でもあり、月でもある聖ヨハネが指差す『モナリザ』、
頭には十二の星の冠という幻をダ・ヴィンチは十二使徒
に重ねています。
このスーパー・インポーズした「合成・合体画像」
の中に『最後の晩餐』に登場させた謎の指を立てる
トマスをマリアの頭の上に反転投影させているからです。
「また、別のしるしが天に見えた。 見よ、火のような色の
大きな龍であって、七つの顔と十本の角があり、その頭
には七つの王冠があった」
「その尾は天の星の三分の一を引きずって、それを地に
投げ落とした。 そして龍は、子を産もうとする女の前に
に立っていた。 彼女が子を産んだ時に、その子供を
むさぼり食うためであった」
「そして彼女は子を産んだ。男子であり、あらゆる国民を
鉄の杖で牧する者である。そして彼女の子供は神のもと
に、そのみ座のもとに連れ去られた」
「それから 女は、神によって備えられた自分の場所が
ある荒野に逃げた。それは、彼らが千二百六十日の間
そこで彼女を養うためであった」
「また、天で戦争が起こった。 ミカエルとその使いたちが
龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが、優勢になれず
、彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった」
「こうして、大いなる龍、すなわち、初めからの蛇で、悪魔
また、サタンと呼ばれ、人の住む全地を惑わしている者は
投げ落とされた。 彼は地に投げ落とされ、その使いたち
も共に投げ落とされた」 『黙示録12:3-9』
「さて、自分が地に投げ落とされたのを見た時、龍は、男
の子を産んだ女を迫害した」
「しかし、大きな鷲の二つの翼が女に与えられた。 荒野
の中の自分の場所に飛んで行くためであった。 そこは、
一時(ひととき)と二時(ふたとき)と半時(はんとき)の間
彼女が蛇の顔から離れて養われるところである」
「それから、蛇は口から川のような水を女の後ろに吐き
出した。彼女をその川によっておぼれさせるためである」
「しかし地が女の救助にまわり、地は口を開いて、龍が
自分の口から吐き出した川を呑み込んだ」
『黙示録12:13-16』
これが 『モナ・リザ』のモデルと背景の正体であり、
『ダ・ヴィンチの罠』のクライマックスである
『最後の晩餐』の封印を解く鍵の鍵としての
マスターキーなのですが、
もう少し具体的な解説が必要だと思われますので、
次回からは『黙示録』を演出する使徒ヨハネに
啓示された幻の数々が、それぞれ『モナ・リザ』の
どの鍵と対応するかについての説明を予定しています。
結局のところ、
あらゆる種類の人間たちの営みが、最終的に
生み出す作品(現実の世界)をダ・ヴィンチは、芸術
(社会)だと考えていたのかもしれません。
その昔、大都会の魔力からの脱出に悩んでいた
1号さんに、ある時、ある種の啓示らしきものが降りた
とか、降りなかったとか ・・・
たぶん、「天啓」めいた何かが降(くだ)ってきたのだと
勝手に思い込んだのでしょうが、錯覚だろうと勘違いだろう
と結果がよければすべてOKです
「なにぃ、結果オーライじゃとぉ~」
「わしにくだるのは腹具合だけじゃい」
「ううっ、下り龍 」
… to be continue !!
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