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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 松果体

 ある時、ダ・ヴィンチは幻視を体験します。

 そのは、実によく出来ていて、夢うつつ
ながらもより現実感を漂わせるものでしたが、

 彼の生きた時代においては、極めて危険な
真実を告げる内容のものでした。

 人類が進化していく過程において、少しずつ
失っていったとされるものに脳の最深部にある
松果体(Pineal gland)がありますが、



 それからも、

    
      赤い点が松果体の位置
      (出典:Anatomography)

 たびたび経験することになる異次元
見せる映像は、ダ・ヴィンチの脳内(松果体)
で分泌されたジメチルトリプタン(DMT)
の為せる神秘なる業のようで ・・・

 ※ ジメチルトリプタン(DMT)とは、

   

 トリプタン類の原型となるアルカロイド物質で
自然界に発生する幻覚剤ですが、極めて稀に
脳内の松果体から分泌される神経伝達物質の
一種とされています。

 それが、

 所謂(いわゆる)「第3の目」でサーチ
した多元的な情報ビジョン(啓示)だったのです。

   

 ダ・ヴィンチはそれを心の奥底に隠しつつも、
その真実を人びとに知ってもらいたいという
願望ばかりが日々に大きくなっていくなかで、

 ある日、ついに彼は決心をします。
 
 そこで、

 レオナルド・ダ・ヴィンチが得た結論は、

 大いなる「罠」を仕掛けることで、
未来のいつの日にか、この難題を解く時代が
訪れて、「解決することになるだろう」
という根拠のない希望だったのですが

 まず、

 彼は手始めに師匠ヴェロッキオの工房で



 『キリストの洗礼』の制作を手伝う

       

 なかで、実験的な模索(イタズラ)をします。



 ダ・ヴィンチは言います。



 「芸術の科学と科学の芸術を
       研究せよ」


 並行してデビュー作品『受胎告知』




 制作に取り掛かったダ・ヴィンチは、




 ここでも「罠」の実験にチャレンジします。



 タブーとされていた白百合におしべを描いた

   

 ことでの批判はあったものの実験の結果は

      

 おおむね良好で、彼の意図が見抜かれる
ことはありませんでした。


     出典:i86.photobucket.com

 『東方三博士の礼拝』から「罠」
は始まり、『岩窟の聖母』経由して
『最後の晩餐』で終わる予定でしたが、

 「自分の芸術を真に理解できる
     のは数学者だけである」


 と彼自身が言っているように難解で多元的
で幾何学的な「罠」の解明には、手引書の
存在が必要で それ以後の作品のほとんどに
を紐解くヒントが隠されています。

 結局のところは、終生にわたって、


『聖アンナと聖母子』 『モナ・リザ』  『洗礼者聖ヨハネ』

 手もとに残して置いていた3枚の油彩画が、
その手引書としての最大を握る


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプA)


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプB)


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプA)の使用例


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプB)の使用例


 導き出された正体不明(UMA)の画像

 「ドラゴン・レーダー」を構成する
ためのパズルのピースになっていたのです。


 ドラゴン・レーダー(パイロットタイプA)


 導き出された正体不明(UMA)の画像

 ドラゴン・レーダーについては、

 『ダ・ヴィンチの罠 パズル』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/416.html
 『ダ・ヴィンチの罠 地動説』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/420.html
 『ダ・ヴィンチの罠 羅針盤』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/427.html 
 『ダ・ヴィンチの罠 直観力』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/430.html

 などを参考にしてください。

 さて



 『東方三博士の礼拝』における

       

 天を指さすポーズの始まりが「罠」

     

 スタートで、『最後の晩餐』での



 聖トマスの仕掛ける「罠」の仕込み
完了するはずだったのですが、

  

 『ダ・ヴィンチの罠 挑戦状』にも
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/469.html

 書いたように、テンペラ画法を用いて描いた
『最後の晩餐』が、フレスコ画に比べて
長持ちしないことをダ・ヴィンチは十分に理解
していました。

 しかし、

 現実には彼の予測を遥かに超えるスピード
で腐蝕し剥落が始まってしまったのです。

    

 理由は『最後の晩餐』を描いた場所
が修道院の食堂の壁であったということです。

 完成後からほどなくして、カビが生え始めて、
ダ・ヴィンチの存命中に、すでに黒いかたまり
がいくつもできてしまっていたようなのですが、


 サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会の食堂

 彼はそのことを予期していたにもかかわらず
適切な処置を施すでもなく、修復もしなければ
、それを希望した素振りも形跡もありません。

 あたかも原型が崩れ、変化することで生じる
自然の景観というか、新しい景色をひそかに
楽しんでいるかのような無頓着ぶりです。

     

 もとより、そこには、この壁画が後世の記憶
に残らなくても構わない、否や、むしろ残したく
ないというような動機さえ感じてしまいます。

 伝統的な最後の晩餐の場面における図法を
無視した異端的な構図をダ・ヴィンチが用いた
ことも、教会がこの壁画に敬意を払わなかった
理由かもしれませんが、

 描きっぱなしで顧みられることのない壁画の
運命は悲惨で、イエスの足もとは教会の都合
でその場所に出入り口を設けるために壁ごと
ぽっかりとくり抜かれてしまいます



 ドメニコ会系(原罪派)の修道院だったミラノ
のサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会は
1492年に、ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァの
命令で改築され、壁画『最後の晩餐』
言わば、その総仕上げのはずだったのです。

 察するに、そこには、

 パトロンであるミラノ公の権力が永久に続く
ならば、ダ・ヴィンチの身の安全も保障される
のでしょうが、その保障が担保されないような
世情不安や情勢分析がダ・ヴィンチの頭の中
では展開していたのかもしれません。

 事実、壁画完成の翌年にはルイ12世率いる
フランス軍がミラノに侵攻し、無残にもミラノ公
ロドヴィコ・スフォルツァは失脚してしまいます。

 これを機に、ダ・ヴィンチはミラノから離れて、
マントヴァ、ヴェネツィア(ベネチア)など各地を
転々とすることになるのです。

 要するに、

 知られてはならない「罠」を封印した壁画
をそのまま残して置いては危険である事態が
想定されていたわけで、自然に朽ち果てるか、
破壊されることをダ・ヴィンチは密かに願って
いたのかもしれないのです。

 そうでないと、

 「音楽は絵画と同様に感動を
 与えるが、音は消え、絵画は残る。
     ゆえに絵画は音楽に優る」


 という彼自身の言葉と矛盾が生じるわけで、
フレスコ画ではなく、テンペラ画法を採用した
裏にはそういう複雑な事情があったとすると、

 描きっぱなしのままで放置していた理由が
分かるような気がします。

 だからこそ、

 『最後の晩餐』の完成に合わせるよう
「罠」となる遺伝子(DNA)を引き継ぐべく

     

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
のデッサン画(1498年~1500年)を試作として、



 その後、

 『モナ・リザ』1503年-17年)
 『聖アンナと聖母子』1508年-10年)
 『洗礼者聖ヨハネ』1513年-16年)

 と先に紹介した死ぬまで決して手放そうとは
しなかった3枚絵画制作を、


『聖アンナと聖母子』 『モナ・リザ』  『洗礼者聖ヨハネ』

 まるで「気づいてくれ」と言わんばかりに
きっちり5年ごとに開始しているのです

 『受胎告知』などでの実験を経て、



 『東方三博士の礼拝』における

        

 天を指さすポーズに始まる「罠」

  

 『岩窟の聖母』ではウリエルの指先に



 そして、『最後の晩餐』での聖トマス
へと受け継がれて、

      

 そこで一応決着を見るはずでしたが、

 前述のように、

 そこでの完結不可能となったことで
「罠」はまた新たな段階を迎えることとなり、



『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
のデッサンでの聖アンナの指を皮切りにして、



 その後の作品からは何らかの「罠」
となるヒントのなかにそれとなく
埋め込まれるようになるのです


 そして、

 ダ・ヴィンチのによる最後作品
なった『洗礼者聖ヨハネ』における

    

 天を指さすポーズ「罠」の終わり
解決へと至る希望不安挑戦
逡巡(しゅんじゅん)をしい微笑
とともに暗示しているのです。

    

 すべての源(みなもと)である第3の目
サーチした啓示となるものは



 『岩窟の聖母』のなかに最初の種
として蒔かれていたのですが ・・・


        出典:sns.atgames.jp

 それは、また次回でのお話です




 ところで


 無関係なわしに向かって、

  「指をさすな !!

   

 それに、

 「ケツも突くな!!

 

 と、とりあえず、蟠(わだかま)りが ・・・



 そして、これが本当意味での


     出典:i86.photobucket.com
 
 「ダ・ヴィンチ・コード」

 黄白色に怪しげなを放つ球状の物体は、

 ドラゴンボールやドラゴンエッグなのかも ・・・

 … to be continue !!

コメント一覧

小吉
例えば本人が書いた完璧な「解説書」みたいのがあって、その意図を解くことができれば助かるのになあと思うけれど、
作品というものはときに「作者の意図」を超えることがあって、またそれが「作品」としての魅力でもあります。
つまり、例えば作者はただデタラメに破壊的な絵を描いただけで、「うっぷんをはらしたかっただけ」みたいな絵があって、でもそれを見た人が「これは終末論ではないか」とか「自我と無意識の関係性について描いている」とか勝手に解釈をしたらそれはそれでその絵に「意味」が出てくるのです。
同じようにダ・ヴィンチの作品はある意味こうやって500年以上経った未来でまったく遠い国の人間があれこれ「これはこういう意味で」「いや違う」みたいな議論をしていることに「意味」があるのではないかなあと思いました。
場末の踊り子
何だかインディアン(ネイティヴ・アメリカン)の踊り子
みたいな感じですが、「ネイティヴ・ダンサー」というのも悪くない響きですね!

やぶにらみさんの分析はわかりませんが、“やぶにらみ”と
第三の目の相互作用で第6チャクラが全開するのかも ...
やぶにらみ
ドサ廻りの場末の踊り子、稀代の名馬ネイティヴダンサーをそう訳したのは、確か、寺山修司だったと思うが、けだし、名訳(見事な和訳)ですな!

同様に、“場末の踊り子”さんのダ・ヴィンチに対する分析もなかなかのものですぞ!
場末の踊り子
ダ・ヴィンチの第6チャクラ、すなわち、内なる第3の目は開眼していたということでしょうか?

それで、直観力や理解力、幾多の発明や芸術的な才能が開花したとか、あるいは、目に見えないモノをビジョンとしても捉えられるような精神を超越した神秘的な能力を獲得していたのかもしれませんね。
やぶにらみ
第3の目ですか! チャクラですな。
小吉
「まとめ」に近づいてきた感がありますね✩
 次回期待!
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