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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 新天地

 大航海時代の先進国家であったスペインやポルトガルに
対する南米のインディオたちや西部開拓時代(北米大陸)
におけるネイティブ・アメリカンの悲劇を見るまでもなく、

 文明やテクロノジーといった総合的な国力の差が大きく
掛け離れている場合には、劣っている側が優っている側
からの一方的な凌辱を受けざるを得ないわけですが、

 最も悲惨なのは均衡するパワーバランスにある者同士
の戦いで、壮絶なる総力戦が展開された末の凄惨極まり
ない結末や死闘の大惨劇が予想されることになります。

 しかしながら、

 あまりにも圧倒的な差が開き過ぎている場合には、むしろ
平和的解決が自然の流れであって、そこには当然のことに
絶対的な上下関係や主従関係が発生します。

 偉大なる「神」または「神々」とその(しもべ)
なる者たちといった具合に ・・・


 当時、地球宇宙安全のひとつ
であり、可能性に満ち溢れていた惑星でした。

 なぜならば争いの対象となる文明がなかったと思われる
だけでなく、手つかずの自然と未熟な生命が懸命に進化の
可能性を探っている状態だったわけで、植民地にするのも
実験プラントにするのも自由で勝手放題だったのです。

 いったい何の話かって

 ダ・ヴィンチの脳内を貫いた幻影的ヒラメキ
舞台設定時代背景です。

 彼にすれば、太古も太古 ・・・  

 創世記で言えば 1章23節~25節あたりの話で、五日目が
終わり、六日目の途中、人間以外のあらゆる生き物がその
種類にしたがって造られた頃の出来事です。


 symbol2 主要な舞台装置UFO(未確認飛行物体)で
 symbol2 主なる登場人物UMA(未確認生物)でした。
 
 
 彼らが大挙してやって来た時代には、地球上
どこにも未だ文明と呼べるだけのものがありませんでした。

 当然ながら古代文明象徴たるピラミッドは、
そのかたち微塵もなかったのです。

   

 さて

 日本で応仁の乱が起こる前年にあたる西暦1466年、
ダ・ヴィンチが14歳になったときに、郊外のヴィンチ村から
フィレンツェにある音楽、版画など多方面に才能をみせた
画家であり彫刻家のアンドレア・デル・ヴェロッキオの徒弟
として彼の工房にダ・ヴィンチは入ります。

 6年間にわたる工房での修行を終えたダ・ヴィンチが
フィレンツェの画家組合に加入したのが20歳の時でした。

 彼が唯一「神」として理解し得る「自然」以外の
ものとして、人間とは異質存在としての「何か」
幻影とともに初めて意識したのが、ヴェロッキオの
工房で『キリストの洗礼』の制作を手伝っていた
21歳の頃であったことはすでにお話しましたが、


             『キリストの洗礼』

 インスパイア(誘発)されるキッカケとなったのは、師匠の
ヴェロッキオから左下の天使を手がけるように指示された
ことに始まります。

        

 ダ・ヴィンチが担当した天使の色合いや傑出した筆使い
を見たヴェロッキオがその出来映えに驚いて二度と絵筆
を取ろうとはしなかったという話は有名ですが、厳密には
少し違うようです。

 この「絵筆を折った」とするエピソードは間違いで、絵画の
制作は弟子たちに任せ、本人は彫刻に専念していたという
のが真実のようです。

 事実、

 ダ・ヴィンチが念願だった自分の工房をかまえ、一人立ち
した1477年頃に、トスカーナ地方のピストイアにある大聖堂
の祭壇画の制作と記念墓碑の設計・建築などを依頼された
ヴェロッキオの仕事をダ・ヴィンチは手伝っています。

 逸話名言といったは、いつだって大袈裟
脚色されて伝わるか、フィクションであることの方が
ほとんどでしょうnose4ase2

 『キリストの洗礼』も、ヴェロッキオやダ・ヴィンチ
以外にも複数の人間の手が加わっていて


    ヴェロッキオ 『キリストの洗礼』 1470~1476年

 人物の衣装はもとより岩肌の表現は稚拙だし、全体的に
不調和で統一感のなさがシロウト目にも見てとれますが、

 なによりも残念なのが、精悍な顔つきの凛々しいヨハネに
対し、キリストが如何にも貧相に見えて仕方ないのです


    イエス・キリスト        洗礼者聖ヨハネ

 そしておそらく、

         

 背景の一部(中段)と二人の天使は左端の天使だけに

         

 ダ・ヴィンチの筆が入っているものと思われます。



 その理由はダ・ヴィンチの事実上のデビュー作となる
『受胎告知』と見比べて欲しいのですが、


   『受胎告知』1472-1475年(ウフィッツィ美術館蔵)



 2枚の絵には共通する要素がいくつか見られるのです。



 処女懐胎を告げる大天使ガブリエルの突き刺すような目
と、聖母マリアの象徴である白百合には禁断のおしべが



 描かれています(当時はおしべを描くことはタブーでした)

          

 処女懐妊に対する皮肉めいたオブジェクション(反論)の
意思をその射るような瞳で訴えている大天使ガブリエルの
「疑心」の表現のようにも感じとれます。

       


 同じ上目がちの目線で、同様のコンセプトで描かれている
のが『キリストの洗礼』における左端の天使です。

        

 その瞳(視線)は主役のキリストではなく洗礼者聖ヨハネ
の方に注がれていて、

    

 イエス・キリスト存在をそれとなく否定して
いるようにも感じられます。

          

 あるいは視線の先にあるものは洗礼者聖ヨハネでもなく、



 その頭上背後を飛ぶ鳥のようなものかもしれませんが …

        

 さらに『キリストの洗礼』『受胎告知』には
他にも類似(共通)するものがあります。

 『受胎告知』(1472-75年)は実質的なダ・ヴィンチの
デビュー作で、まだ自分の工房を持つ以前のヴェロッキオ
の工房で『キリストの洗礼』(1470-76年)を手伝い
ながらの同時並行で仕上げた作品だと思われますが、

 類似点はアンバランス人物対比です。

 『キリストの洗礼』の二人の天使たちの間柄は、
イエス・キリストと洗礼者聖ヨハネとの師弟関係を、そして、
『受胎告知』での大天使ガブリエルと聖母マリアとの
関係にもそれは対応するもので ・・・

 そのDNA『岩窟の聖母』における聖母マリア
と大天使ウリエル(一説ではガブリエル)と幼児のイエスと
ヨハネの対比から『最後の晩餐』でのクライマックス
へと引き継がれていきます。

 さらにそれからも、

 『聖アンナと聖母子』を経て、『モナ・リザ』
『洗礼者聖ヨハネ』分割遺伝されるのですが、

 この『聖アンナと聖母子』以降の3枚の絵画を
ダ・ヴィンチは生涯にわたり手放しませんでした。


『聖アンナと聖母子』  『モナ・リザ』   『洗礼者聖ヨハネ』

 おそらく、彼に付き纏っていた幻影がそうさせたのかも
しれませんが、それこそがダ・ヴィンチを経験の弟子にして
「万能の天才」たらしめる要因でもあったのです。

 失礼、話が逸れそうなので急いで元に戻すとase2

 『キリストの洗礼』の構図は師匠のヴェロッキオ
が決定したと思われますが、『受胎告知』と共通する
エッセンスは「疑惑」「疑念」「懐疑」です。

      
     『聖トマスの懐疑』オルサンミケーレ教会

 ヴェロッキオを代表する彫刻のひとつがフィレンツェの
オルサンミケーレ教会にある『聖トマスの懐疑』

       

 復活したイエスが手のひらと脇腹に残る傷痕をトマスに
確認させるシーンが、そのまま『キリストの洗礼』
での貧相なる風貌のイエス・キリストと洗礼を施す聖ヨハネ
を見つめる鋭い視線の天使の瞳と ・・・

       

 さらには、

 『受胎告知』での聖母マリアを睨むように見つめる
大天使ガブリエルの姿と「疑いのトマス」とが
それぞれにオーバーラップ して、二重、三重、四重写しの
「疑念」(かたまり)として、いつしかダ・ヴィンチの
心のなかで醸成されていったのです。

 そして、そんな折のことでした。

 無意識が見せるインスピレーション幻影
エデンの園でのヘビ正体を告げたのです。

 それにしても『受胎告知』奇妙作品です。



 この絵をよく見ると何かが変なのです



 画面の右と左とのバランスが不均衡で書見台が絨毯の
手前に出ている分、聖母マリアの身体がうしろに離れ、

      

 その所為で右の二の腕が異常に長くなって、肘から先の
手首までが縮んで見えるのです。

    

 不思議なアンバランスはそれだけではありません。



 画面の右側は中央の奥に見える山に向かって、立体的
な遠近法で描かれていますが、

        

 左側は塀に囲まれた庭園で唯一 外界につながる門から
奥に向かって開かれた道に焦点が当てられています。



 そしてその焦点の中心には聖母マリアのシンボルである
白百合が配され、そこにおしべが描かれているのですが、
左側はややもすると平面的に見える世界です。

 しかし、これが計算し尽くした構図であり配置なのです。



 中央右上にある山(男性の象徴)と中央左の開かれた門
(女性の象徴)の2箇所にフォーカス・ポイントを置いたうえ
で、開かれた門に問題の白百合を描いているのですから、

      

 ダ・ヴィンチはあきらかに聖母マリアの処女懐胎
疑っていたということでしょう。

          

 それにしても解せないのが、



 右手の塀がそのままマリアの背後の建物に延び、塀の外
にもうひとつ別の建物があるように描かれていることです。



 そして、右端の1本だけ離れた糸杉の木が建物の奥や
山側ではなく手前にあるのも変だと言えば変ですが ・・・

      

 似たような2つの建物を塀の内と外に描いたのは異なる
世界が他にも存在することを意味しているのでしょうか

 それとも、美術評論家の先生方の言うように、デビュー作
でもあり、経験不足による未熟さや同じヴェロッキオの工房
にいた他の弟子たちがダ・ヴィンチを手伝うかたちで描いた
部分があるからなのでしょうか

 右手が長いのは絵の依頼主の希望で右下から見上げる
ように見られることを念頭に構図を決めたとか ・・・

 たとえば、こんな感じですが、

     

 確かに、これならば全体が立体的に見えますねpeace

 書見台と聖母マリアは密着し、見る人の視線は主役の
聖母に集中しますし、右腕も長くは感じられません。

     
 
 そしてなによりも、二つあるように思えた焦点が左側に
移行し、大天使ガブリエルの持つ白百合の花にそれとなく
フォーカスされることで「二つがひとつ」になります。



 だからと言って、

 それでがすべて氷解するわけではありません。

 おそらく右腕はそうした理由によるものでしょう。

 そのことは後年(20数年後)に、『最後の晩餐』
での大いなる「罠」につながるアイデアとなるわけ
ですが、この時点でのダ・ヴィンチの真意はまったく別の
ところで露見することになるのです。


   縦方向に上下を描き足した『受胎告知』の模写

 ここでは左右での次元の違いを平面(2次元)的な左側の
庭園と立体(3次元)的な右側の建物、さらにで囲まれた
内側と外側の世界という異質で異様な別々の空間が同時に
存在することを暗に表現したかったのかもしれません

 それが2箇所に焦点を当てる動機となって、塀の外
の建物を山並みに、内側の建物を白百合にそれぞれ対応
させることで「二つがひとつ」であるとしたのでしょう。

 要はプラトニズムの思想的な影響ともうひとつには、
人間以外の奇異なる存在を知ってしまったからですが、

 そもそも『受胎告知』における最大は、
それらとはまったく異質の一種異様なモノなのです

 それが得体の知れないコイツです
                down


 場所はフクロウの彫り物が施された書見台の右側の
脚(丸印)の部分です。


                        down
 ズームすると、こんな感じですが、いったい何でしょう
                        down


 この件に関しては、

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 サイン』および
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/404.html
 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 謎の肢』などを
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/405.html

 参考にしてください。
 
 それ以外にも、違和感を拭えないのが聖母マリアの座る
イスの背もたれ(丸印)にかけられた衣装の不自然さです。



 まるで、何かを隠すかのようにして被せられていますが、
わざとらしさと奇妙なうねりが怪しさを増幅させるのです。



 ダ・ヴィンチの幻影に現れたものは、新天地を求めて
漂流する宇宙難民となった異様で異形な姿かたちの
異星人たちによる地球への漂着の一部始終でした。
 


 どうやらそれは、うつつ(現実)ではないようですが、



 なのか、天啓ヒラメキが映し出すビジョン
なのかは、その時点では判断が付きませんでした。

 なぜなら



 大挙して押し寄せた避難民は一種族だけでなく、




 龍族蛇族、あるいは牛族鷲族にも

      

 獅子に似た生き物や人間のような姿の生き物など



 総勢で数万人は下らない異様な生き物たちの集団
だったので、とても現実だとは思えなかったのです。



 しかしながら、

 こうした白昼夢のようなヒラメキ が、その後の
ダ・ヴィンチの一生を左右し、彼の作品の数々に多大なる
影響を与え続けていたことは疑いようもないことです。

 以来

 ダ・ヴィンチは『聖書』「神」が何故(なにゆえ)に



 悪魔(サタンやルシファー)の化身としたのか

   

 どうして(ドラゴン)を忌み嫌い退治するのか 

 ・・・ というようなことを真剣に考えるようになるのです。





 『レダと白鳥』は、そのオリジナルが失われている
だけに、その中身とともに余計にめいて見えますね。





 このようにして

 ダ・ヴィンチの脳内では目まぐるしいばかりのスピードで


   『レダと白鳥』 ラファエロのスケッチと弟子の模写

 
              
 
              
 
     ディノサウロイド(恐竜人間)のフィギュア
 
 幻影セル(細胞)の分裂暴走が起こります。

     


      


       
       日本のUMA(未確認生物) 河童


 ここからは幻影セル(細胞)が活性化する前の時代
に時間を巻き戻し、その変遷を見てみたいと思いますが、

 それはまた、

 次回の話ということにいたしましょう。 

 そう言えば、以前に

 「地球で神となった異星人が罠のプロローグになっている
 とかなんとか言っておったな」

 「それって、ピッコロ大魔王のこと 」

   

 「地球の神が宇宙の難民なら、宇宙の神は誰なのだ

 「まっ、まさかの界王さま !!

     

 んなわけねえだろう!?


             


 ドラゴンボールじゃあるまいに nose6anger

        

        
    わっ、ワシ いやぁ、コンドルですが、何か

 じゃなくて、サブタイトルは、

 『新天地』 なんすけど・・・

         「なにか !?

 … to be continue !!

     

      「・・・・・・・・・・・」

コメント一覧

江戸川ドイル
リアルかどうかはわからないけど、イエスキリストが美男じゃない
ところがいいね。
現代なら確実に女性の信者はつきそうにないけど …
小吉
そろそろまとめに近い感じになってきましたね✩
透明人間2号
ボッティチェッリが描いたのかどうかは何とも言えませんが、
出来からは右の天使はかなりの技量の持主だと思われます。
洗礼者ヨハネの痩身的なところがボッティチェッリ風に見える
のかもしれませんね。
総合的には、チーム・ヴェロッキオで仕上げたのでしょうから
むらさき納言さんのご指摘どおりに、ヴェロッキオ工房作品と
するべきものかもしれませんが、そうなるとこの時代の作品の
多数がチーム○○○になってしまいそうですが ・・・
むらさき納言
2人の天使のうちの右側と洗礼者ヨハネはボッティチュッリの
筆だと言われていますがどうなのでしょう?
彫刻のイエスをみるかぎりではキリストもヴェロッキオの手が
入っているようには思えませんが、そうなるとヴェロッキオの
作と言っていいのでしょうか?
ヴェロッキオ工房作品とするのが正しいのではないでしょうか。
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