異物混入ならまだしも
食べられるものが捨てられる事のほうが大問題だと思う
カロリーベースの食品自給率 大阪は2%。東京は1%。
買う金がある、買えるものがあるうちはまだいい。
一年間に捨てられる食品は約1000万トンとも聞く
これは米の生産量よりも多い。
安全安心と言いながら虫が食べた葉物野菜は買わない
国の法律の中に賞味期限や消費期限を規定するもの無かったように思う
夕刻遅くに生鮮品が棚に並んでなくてもええでないか
それに「なんでないの?」と言う客に合わせ過ぎていないか
スーパーの中のアンケートで必ず出てくるのが「新鮮な物」
新鮮でいいものは必然的に相場が高い
仕入れてみてもそれ言うた客は財布との相談で多分買わない
定休日も無くなった
深夜営業のスーパーもある。24時間営業のコンビニもある
なら、一般家庭には大型冷蔵庫なんて要らないのではないか
私は極端な話アイスクリームと牛乳、マーガリンを保存できる冷蔵庫さえあればいい
狭いマンション少しは広くなるし、電気代も多分助かる。
年末のバターの不足のみを云々言う消費者庁は
ブラックなクレーマーの指導もしていただきたい。
さすれば廃棄食品も減るはずや。
観光客が2000万
うち中国からは500万。企業にとっては爆買いはありがたい現象だけれども
インド、インドネシアや南アメリカなど新興国?が国力と生活水準が上がってくると
食品輸入がふえ相場が上がる。
買いたくても変えなくなる時がくるのではないか
せめてお米くらいは自給体制にしておかないとと思ってしまう
パンの消費が米を抜いたというけれども
スーパードライがラガーを抜いたのとは訳が違う
米があってのパンやと思う
米がパソコンで言うOS、パンはエクセル?みたいなもん。
食べれるものを捨てる。
必ずどこかでしっぺ返しが来る。
「精米から1ヶ月のものしか販売いたしません」
お米は年に1回しか収穫できないのです
工場のラインに並べて1粒を20個に増やすことなぞとうてい不可能なのです。
ばあちゃん達とならんで落ち穂を拾い集めて
「これで一杯分になる。」と言われたのはもう半世紀も前のこと
この事を企業の事件でなく
「いただくこと」の意味について少し考えてみませんか。
知っている人には問題なのだろうが
知らない人にはワケ判らん?
選ぶことが出来ません。
CFに出ておる方がコチラからあちらへ。
これはやったらアカンやろ。
そんなキャラクターは使ったらあかんし、本人さんもすべきではないと
そして何より品数はあるようでも実は商品の幅、選べる幅はありゃせん。
クラフトビールが今、巷ではやっておるけれども
ヨーロッパなどのそれに比べるとこじんまりしておると
ドキドキ感はほんまに少ない
スタバのコーヒーは便利でありますがコーヒーと思っていらっしゃる方々は
グルメとは違うと思う