閉ざされたドアの向こうに

天才も忘れた頃にやってくるのだろうか

最近、「少年革命家」、「天才YouTuber」を称する不登校の小学生YouTuberが話題のようである。

彼の意見(彼の父の意見という方が正確か?)について論ずる気はないのだが、気になる事がある。

それは「天才」というキャッチコピーである。

「天才」とは、自称するものかというとそうではないと思う。

中村俊輔選手のスコットランドリーグ時代の監督が中村俊輔選手を評してこのように言った

「ヘディングも出来ない。タックルも出来ない。それがどうした。彼は天才だ。」

このように他者からの賛辞で使うのではないか。

一方で、才能がある誰に対して使える賛辞の言葉かどうかというと何とも言えなくなる。

「天才」という言葉の後には「少年」や「少女」など若い人を表す言葉が続く。「大人」や「老人」にはつかない。

使うとすれば、「科学者」や「画家」等特定の分野である。

革命家と呼ばれる人は才覚に溢れる人なので「凡才革命家」ってのはいないと思う。

ちなみに天才大学生が少年革命家叩きを分析するという動画もある。

何の分野の天才だろうか。単に頭が良いってニュアンスで捉えているのか。頭が良いってのはあやふやな言葉である。

記憶が曖昧だが、昔読んだ『空想映画読本』にこんな話がある。

ある大学教授が学生に映画『アルマゲドン』を見せて、劇中の事象の物理学上の問題点を指摘せよという課題を出した。

当の教授本人が指摘したのは

「劇中に世界一頭の良いとされる科学者が登場するが、どのような基準で世界一なのか」という趣旨のものであった。

問題は指摘したがこれは物理学上の問題点ではないので、課題を出した教授が0点になったとさ。

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