歌手の斉藤和義さんが原発批判ソングを歌った事がNET上で話題となっていますが・・・
なんかこの事が今回の大事故を招いた縮図のように見えてならないのです。
それは、アーティストがかなりの想いをもってこの歌を届けてくれたと思うから。
もちろん批判される事は承知だったでしょう。
まだまだ日本が一丸となって震災の傷跡を癒して、乗り切らなければならないのに・・・
今そんな歌を歌わなくてもいいんじゃないの?
といった批判的な意見もあるようですが・・・
私はとても素晴らしい決断だったと思っています。
国民(震災者や利権者以外の)の感情は皆一緒だと思うんです。
東電や原子力安全委員会、政府の対応の甘さ、これまでの取り組みがまずかったと思う気持ち。
利権によって守られていて、安全管理を怠った責任。
みんないろいろ思っていて、なんかその怒りが徐々に込上げ爆発しそうな時に・・・
この歌を聞くと・・・
ちょっとガス抜きになる気がします。
歌詞には怒りが込められているのに、なんだかそのウソを見抜けなかった自分たちも”バカ”だったんだ。
もっと僕らもしっかりしないといけないといったメッセージが込められているような気がします。
昨晩、ユーストリームでも生歌を披露していたようですが、最初にアップされYoutubeの映像(演奏)は所属事務所の要請等で削除されてしまったようですが・・・
本人のコメント等を私は確認していないのでどんな気持ちでこの歌を歌ったのか?
どんな覚悟で自分の曲を替え歌にし、皆に訴えたかったのかはわかりませんが・・・
ただ悲観的に歌ったんじゃない。
そう思っています。
---
しかし、問題はこの歌が所属事務所等によって闇に葬られそうになっていたということ。
原子力に反対した意見はキチンと声になる前に掻き消されてしまう世の中。
その事がこの原発事故を招いたという事を全く反省していないんだろうか?
某TV局で原発特番でコメントしていた原子力関係の専門家が、番組と意見が合わないからといって降ろされたり・・・
ツイッターで解説員を名指しで非難していた国会議員がいたり・・・
なんだか、いろんな圧力で批判的な意見を根元からそぎ取っている。
そういう事が大問題だと思うんですよ。
それは、原発の件だけでなくて・・・
記者クラブに所属している人にしか公開しない記者発表だったり・・・
前回の仕分けの際に批判的な意見をイロイロ言っていた仕分け人が仕分けられたニュースがあったり・・・
なんか、議論をする前に抹殺する。
このメディア・政治の在り方が根本にあるのだと思います。
フェイスブックなどの新しいメディアの出現によってイスラム圏も大きな変化を遂げていますが・・・
日本も少しは変るのかな?
---
私のブログも個人のブログ+仕事の要素も持っているので、こういう問題に対し自分の意見をキチンと表明する事はプラスになること以上にマイナスの要因が強い物だと思っています。
批判意見に賛成してくれる人はいても、そこからお客さんになる人は少なくて、逆に意見が合わないからといって敬遠されてしまう可能性のほうが高いからです。
だから、斉藤和義氏がこの歌を届けようと思った覚悟が痛いほど解るのです。
でも、声にしなければならない。
声にしないと自分まで嘘になってしまう。
アーティストとして贈って頂いたメッセージをどう受け止めるか?
まだ、この歌を聞いていない人がいたら是非聞いてみてください。
※Youtubeにアップされている動画です。
これもまた削除されてしまうかもしれないので「斉藤和義 ずっとウソだった」と動画検索すればすぐに対象の歌が見れるかと思います。。。
なんかこの事が今回の大事故を招いた縮図のように見えてならないのです。
それは、アーティストがかなりの想いをもってこの歌を届けてくれたと思うから。
もちろん批判される事は承知だったでしょう。
まだまだ日本が一丸となって震災の傷跡を癒して、乗り切らなければならないのに・・・
今そんな歌を歌わなくてもいいんじゃないの?
といった批判的な意見もあるようですが・・・
私はとても素晴らしい決断だったと思っています。
国民(震災者や利権者以外の)の感情は皆一緒だと思うんです。
東電や原子力安全委員会、政府の対応の甘さ、これまでの取り組みがまずかったと思う気持ち。
利権によって守られていて、安全管理を怠った責任。
みんないろいろ思っていて、なんかその怒りが徐々に込上げ爆発しそうな時に・・・
この歌を聞くと・・・
ちょっとガス抜きになる気がします。
歌詞には怒りが込められているのに、なんだかそのウソを見抜けなかった自分たちも”バカ”だったんだ。
もっと僕らもしっかりしないといけないといったメッセージが込められているような気がします。
昨晩、ユーストリームでも生歌を披露していたようですが、最初にアップされYoutubeの映像(演奏)は所属事務所の要請等で削除されてしまったようですが・・・
本人のコメント等を私は確認していないのでどんな気持ちでこの歌を歌ったのか?
どんな覚悟で自分の曲を替え歌にし、皆に訴えたかったのかはわかりませんが・・・
ただ悲観的に歌ったんじゃない。
そう思っています。
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しかし、問題はこの歌が所属事務所等によって闇に葬られそうになっていたということ。
原子力に反対した意見はキチンと声になる前に掻き消されてしまう世の中。
その事がこの原発事故を招いたという事を全く反省していないんだろうか?
某TV局で原発特番でコメントしていた原子力関係の専門家が、番組と意見が合わないからといって降ろされたり・・・
ツイッターで解説員を名指しで非難していた国会議員がいたり・・・
なんだか、いろんな圧力で批判的な意見を根元からそぎ取っている。
そういう事が大問題だと思うんですよ。
それは、原発の件だけでなくて・・・
記者クラブに所属している人にしか公開しない記者発表だったり・・・
前回の仕分けの際に批判的な意見をイロイロ言っていた仕分け人が仕分けられたニュースがあったり・・・
なんか、議論をする前に抹殺する。
このメディア・政治の在り方が根本にあるのだと思います。
フェイスブックなどの新しいメディアの出現によってイスラム圏も大きな変化を遂げていますが・・・
日本も少しは変るのかな?
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私のブログも個人のブログ+仕事の要素も持っているので、こういう問題に対し自分の意見をキチンと表明する事はプラスになること以上にマイナスの要因が強い物だと思っています。
批判意見に賛成してくれる人はいても、そこからお客さんになる人は少なくて、逆に意見が合わないからといって敬遠されてしまう可能性のほうが高いからです。
だから、斉藤和義氏がこの歌を届けようと思った覚悟が痛いほど解るのです。
でも、声にしなければならない。
声にしないと自分まで嘘になってしまう。
アーティストとして贈って頂いたメッセージをどう受け止めるか?
まだ、この歌を聞いていない人がいたら是非聞いてみてください。
※Youtubeにアップされている動画です。
これもまた削除されてしまうかもしれないので「斉藤和義 ずっとウソだった」と動画検索すればすぐに対象の歌が見れるかと思います。。。
以前からホームページを見させていただいていました。
ブログははじめてですけれど。
私たちが知らないところで、知る前に葬られていることはとても多いのでしょうね。
しかしながら、情報を発信する者も、情報を得ようとする者も、
手段が増えているのは確かですね。
その分、危険も多くなっているのも確かですが。
私は斉藤和義さん「ずっとウソだった」を聴いた時に
否定的に想うことは全くありませんでした。
でも聴き手によっては受け取り方もそれぞれですね。
当たり前と言えば、それまでですが。
ブログ、頷きながら読ませていただきました。
どうもありがとうございます。
少しでも斉藤和義さんのメッセージが届くといいなぁと思っています。
やはり不満は吐き出さないと解消されないと思うんですよね。
声にしないで呑み込む事が問題。
しかし、声が届かないのも問題という事で記事にさせて頂きました。共感していただける方がいて嬉しいです。