あまねこブログ

守護天使のメッセージを降ろし、お手紙でお届けします✽あまねこ占✼心里遇ころりの見えない世界スピリチュアルな日常ブログ

光の射すほうへ⑬

2024-07-06 07:57:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
この辺りから数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…

引き続き、心の暗闇の中で
私の成長に大きく寄与した出来事と
その中で一筋の光を感じた出来事を
幾つか拾って書いてみる。

前回のお話で書いた
シロツメクサの丘で出会った
見たことのないお姉さんは
どこの家の子だったのろう?
また会えるのではないか
期待して、
シロツメクサの丘に
何度か行ったのだが
その後、一度も
見かけたことがなかった。

また独りになった。
おしえてもらったように
端を留めて、丸く冠を作り
シロツメクサを編んだ


子どもの頃、体が弱かったのか
暑い季節に決まって夏風邪をひき
毎年、夏休みに寝込んでいた。

具合が悪いときは「痛み」は
訪れ無かった。
父は、とても心配して私に
何が食べたいかと聞いてくる。
私は決まって「桃」と言った。
父は決まって桃の缶詰を買ってきた。

熱っぽいカラダに
缶詰の桃の冷たさが広がり
熱を絡め取って行ってくれた。
流石に「この人」も人の子だ。
平穏な時間が流れた。

しかし、熱で魘されてる間
悪い夢をちょくちょく見た。

よく「この人」は家事をしながら
様々な言い掛かりを付けては
私を何時間も立たせて
延々と私の悪いところ探しをした。
そして如何に私の根性が悪いか
証明するための説を滾々と述べた。

それは私の容姿から言葉の使い方、
話し方、イントネーション
考え方、思考ぐせまで
ありとあらゆることが対象で、
私という個体を丸ごと
存在全てを否定しなければ
ならないようだった。
ある意味「この人」のストレスの
捌け口にされていたのだ。
小学校高学年の頃には、
そういうことだと頭に気づいていた。

特に父の長期出張には
これが続いた。

放っておけば
1日中でも一晩中でも続いた。
途中、お風呂や食事で
「この人」の姿が消えると
私は疲労で「もういいだろう」
と判断して部屋に戻って横になり
寝落ちたりしたが、そうすると
忽ち追いかけて来て、
「誰が動いて良いと言った!」
「まだ終わってない!」
と布団から引き摺り出されて
再び同じ場所に立たされた。
そこからがまた、長い地獄だった。

気を逆なでしてしまったら、
益々荒れた言葉を浴びせられ
「おい馬鹿」「お前は馬鹿か」
「馬鹿」「返事しろ馬鹿」
何を言われても「はい」と
返事をしなければならない。
返事をしないとまた酷い。
こんなスパイラルに入ると
もう誰にも止められない。

夜中は眠気と疲労で
体力的にキツかった。
夜中、だんだんと気が遠くなり
私に向けて滾々と話し続ける
その声が小さく遠くなって
倒れたことがあった。

この時浴びせられた
「おい馬鹿」…的な時間が
具合の悪いときによく、
悪い夢となって出てくるのだ。

成人して一人暮らしをしてからも
時々、体調を崩して寝込むと
この悪い夢に魘されていた。

当に悪夢だった。

光の射すほうへ⑫

2024-06-22 10:08:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
ここから数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…

「見える世界」で経験した「痛み」
成長に合わせて濃淡を付けながら、
大人になるまで続いた。
私の中に「忍耐」を育んだけれども、
途轍もなく長い時間に感じられた。
その中で、
私の成長に大きく寄与した出来事と
光を感じた出来事を
幾つか拾って書いてみる。


「神様なんていない」
思って生きていたが、
時折、あれ?
と、思う瞬間があった。
だから何だと云うわけでもないし
何か見たというわけでもないが、
自分の中にある仄かな感覚が、
何かをキャッチする瞬間があった。

それは、小学校低学年の頃だった。

「この人」に対する「恐れ」
を抱く日常に麻痺しながらも
成長を続けていた。

近所の丘にシロツメクサが
一面に咲く場所があった。
その季節が来ると、そこで
シロツメクサの首飾りを編んで
遊んだ。

ある日のこと。
学校から帰り、丘へ向かった。
見たことの無い女の子がいた。
どこの家の子だろう?
わからないが、それよりも
シロツメクサを編むことに
没頭したかった。
たまに顔を上げると
彼女もまた、黙々と
でも楽しそうに
シロツメクサを編んでいた。

私より少しお姉さんだった。
女の子らしい娘で
誠実さと丁寧さと信頼感があり、
大人っぽく感じた。
お話の仕方もまた、
大人びていた。

お互い会話をすることも無く
気の済むまで黙々と編んだ。
いつしかシロツメクサは
長い長いロープのように
仕上がっていた。
ここ最近では超大作だ。

満足感に浸っていると
お姉さんが、自分で編んだものと
私が編んだものを器用にまとめて、
一方で冠の作り方を
一方で首飾りの作り方を
教えてくれた。

私達は、無駄に会話は
多くはなかったが
不思議と息が合い
人見知りの私が自然体で
その場を楽しんでいた。

お姉さんは、
「こうやって…えっと…こうするのよ」と
出来上がったシロツメクサの
冠と首飾りを私の頭と首にかけてくれた。

草のニオイがした。
心がス〜ッと澄みわたり
妖精になった気分がした。

このとき、
日常の「恐れ」や「不安」は
どこかへ消えて無くなっていた。

夢中で過ごして気付けば、
夕焼けが空に
その色を広げはじめていた。
雲と雲の隙間から
夕焼け色の光の柱が
幾つも射し込んでいて
お姉さんと私は
「ワ~っ キレイ〜」
と言って眺めていた。

すると、お姉さんが私に
「知ってる?あれはね。
 天国に昇る階段なのよ。」
「天国に行く人はね、あの光から
 エレベーターみたいにス〜ッと
 上っていくのよ。」
と、おしえてくれた。


今、思い返せば
あのお姉さんは天使かもしれない。
または、天使がこの世に
送り出してくれた御使い
だったのかもしれない。

私の心の中の暗闇に
光が射し込んだ瞬間だった。

どんなに苦痛の中に身を置き
逃れることが出来ないように
感じられても、
自分の気持ちの持ち方次第で
いつでも抜け出せるんだよ。
光の当たる場所へ出られるよ。
と、あの時私に
教えに来てくれたのだと思う。


光の射すほうへ⑪

2024-06-06 21:38:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

この「見える世界」に
無情さを感じながらも成長を続けた。
今、振り返り、あの頃の自分に
「よくがんばったね」
声をかけてあげたい

このブログを読んでくださっている
方々の中にも、もしかすると
何かしらの葛藤や
思うようにならない何かを
がんばって来られたことが
あると思う。その時の自分を、
ぜひ褒めてあげてもらいたい。
その時があって、今があるのだから。

私にとって、
その最初のステップは
「孤独感」「不安」「恐怖」の
3大ネガティブ要素だった。
これらをクリアして、
次のステージへ行くこと。

子どもにとっては
そう簡単な学びではない


「孤独感」とは、案外仲良くできた。
他の兄弟姉妹が自由に友達と
遊びに出かけたりしているところを、
私は、遊びに行くお許しが出なかった
理由は「出かけるとお金を使うから」
らしかった。

部屋で独り、
親戚から譲っていただいた
50巻ぐらいある大全集を
日替わりで、よく読んでいた。
画用紙とクレヨンだか鉛筆を
与えられ、お絵描きもよくした。

時折、空想に浸りながら。
ちっとも退屈はしなかった。

唯一の、本当の自分になれる
時間だったかもしれない。

一方で、孤独を楽しみ過ぎて
人とのかかわり方が
よくわからなくなる感覚もあった。


「不安」と「恐怖」は
「痛み」を経験する度に訪れた。
それ以外のことでは、特に
不安を感じる要素は無かった。

他の兄弟姉妹との差別も、
「孤独」を楽しむ時間が
中和してくれていて、
特に気にならなかった。

「痛み」について、
こと詳しく書くつもりはない。

ただ、その出来事の中に、
見えない何かとの繋がりを
感じる瞬間が極稀にあった。

そのことを拾って書いてみようと思う。


暴力的な描写が苦手な方は、
ここから先の何話かは
読まずに飛ばしてほしい。

光の射すほうへ⑩

2024-05-23 22:53:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆


私にとって「見える世界」は
「孤独感」「不安」「怖れ」の
3大ネガティブ要素との
闘いではじまった。

いつも緊張状態にあり、
10歳に満たないうちから
心の休まるときはなくなっていた。

それでもなんとか成長を続けた。
但し基本的に自分について、
「私は悪い人間だ」という
概念が植え付けられており、
自己肯定感の低さは
マイナスに振り切れていた。

小学生になり、「この人」以外の
大人の価値感と触れ合う場面もあった。

人それぞれに私への接し方が
異なることに気付き、戸惑った。
どう対処してよいのかわからない。
苦痛だった。
家では「はい」だけ言っていれば
事が済んだ。
自分の気持ちを表に現せば
叩きのめされてしまうだけだから。
「はい」以外喋らないのは我ながら
得策だし楽だった。

「この人」の抑圧のおかげで、
社会の中の様々なシーンでは
「大人しい子ね〜」
「しっかりした子ね」
「キチンとしてるわね」
と評されることが多かった。
実際のところ、単に
自分を出せないだけだった。
いや、自分を曝け出すことを
封印せざるを得なかっただけだった。

このギャップの狭間で苦しんだ。

人に褒められるのが苦手になった

何を褒められても
心からそう思ってはいないだろう?
という猜疑心で大人を見るようにるので
やめてほしかった。

「この人」にとっては
この子育ては成功モデルだと
満を持していたと思われる。
「この人」の成功事例が増えるほど
こちらは逆にしんどくなった。

そうして益々、空想に逃げ込んだ。
「私の本当のお父さんとお母さんはね、
お空の上にいて、いつか私を迎えに来て
くれるんだよ。」
と、自分に向かって呟いていた。

呟きながら見えてくるイメージは
ゴールドがかったサンドベージュの建物。
この世で見るタイプとは異なるが
「お城」のイメージだった。
シンデレラ城のようなものではなく
四角い建物が幾つか重なったもので、
イメージが近いとすればモロッコとか
中東辺りの風景に見える。
(行ったことはありませんが)
更に、もっと成長した後に見た
映画スター・ウォーズの世界が
少し近い雰囲気だった。

そこに、建物と同色の
お父さんとお母さんと思しき
人の姿が浮かんで見えた。

そうした、空想に逃げ込む事を
続けるうちに「この人」に
「お前は私の子どもではない」
と言われても、そりゃ〜そうだよね~
と思うようになり、いつの間にか
割り切って暮らすようになっていた。

なので、あまり血縁であるとか
親戚、一族、といった
コミュニティ意識には執着が無かった。
興味も持てなかった。

血が繋がっているから
何をやってもカワイイし許される
だとか、
血が繋がっていないから
やっぱりアイツは変わり者で悪者
だとか、
そういう目盛りで良し悪しを推し量る
「この人」的教育であったが、
私には、ちっとも賛成出来なかった。

「お前は私の子どもではない」
と言われて、そりゃ〜そうだよね~
と、受け入れた時から
何かが1つ楽になった。

これはこれで、1つの学びを
クリアしたということかもしれない。
ただもちろん、まだまだ先は長かった。

一本の糸ほどの細さでも
そこに光が射し込めば
実態はなくても「希望」という
光のEnergyを感じ取ることができた。

光の射すほうへ⑨

2024-05-08 12:22:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆


私にとって「見える世界」が
はじまって直ぐのレッスンは
「孤独感」「不安」「怖れ」の
3大ネガティブ要素との闘いだった。

10歳にもならない頃。
既に心休まることはなくなっていた。

「この人」の影響下で暮らすなかでは
言葉を発する機会が少ないため、
不安から気を揉んで、常に頭の中で
グルグル思考を巡らすようになっていた。

※「この人」については古い記事を
お読みいただくと、お話がつながります。


よくわからない自分との闘いは
このようにジワジワと
自分の内面へ侵食していった。

小学校へ上がると、
そのグルグル思考巡りは、
だんだんと空想の世界へ
入っていったようだ。

「痛み」を消化しきれず、
精神的に追い込まれていたのだろうか。
辛さ、苦しさから逃避するように
空想をして、時折、天に向かって
話しかけていた。

と言っても、傍から見れば
独り言をブツブツ言っている
変な子だ。

独りで、お絵描きをしながら
「私の本当のお父さんとお母さんはね、
お空の上にいて、いつか私を迎えに来て
くれるんだよ。」
と、自分に言い聞かせるように
呟いていた。

見る人が見れば、
この子おかしくなった?
大丈夫?
という感じだろう。

私には、天に向かって呟きながら
いつも見えているイメージがあった。
ゴールドがかったサンドベージュの建物に、
同色の、お父さんとお母さんと思しき
人の姿が浮かんで見えた。

自分では空想の世界だと思っていたが、
空想であれ、それは自分が今、
経験している範囲の
「見える世界」中には、
どこにも見当たらない
心地の良さを感じる
唯一安らぐ風景だった。
だから時々、天に向けて
おしゃべりをした。

その時だけは不思議と
遠慮する気持ちも湧かない、
何の気遣いも湧いてこない、
ありのままの自分で居られた。