あまねこブログ

守護天使のメッセージを降ろし、お手紙でお届けします✽あまねこ占✼心里遇ころりの見えない世界スピリチュアルな日常ブログ

光の射すほうへ⑱

2024-10-03 20:13:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
このあたりの数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…

あの日の出来事から
何年か過ぎた。

「この人」の「痛み」は
顕在だったが、
腕力が大分減り
暴言の方が激化した。
だが、たまの腕力は
これまでに増して激しかった。

主なターゲットは
やはり、私だった。
私への暴力は父にバレていない。

私も精神面が少しだけ成長し、
「虐待」と悲劇的な見方をするより
冷静に、何かと暴力で権限を
誇示したがる「野蛮な人」という
見え方になっていた。

中学になり
父は一軒家を建てて
2階建ての新築へ越した。

私の部屋は無かった。
多感な時期、
「この人」から逃れるための
逃げ場がないことに落胆していた。

別に一緒に行きたくはなかったが、
他に行くところもなく
まだ、社会に出るには数年ある。

どこか擬似的でも「家族」に
族するしかなかった。

その頃、新居で父方の
祖母と暮らすことになった。

自分の状況を思えば、
大丈夫なのかと思ったが
大丈夫ではなかった。

やはりこの状況、
誰から見てもおかしかった。
それは極々、当たり前のこと。
別に私がおかしいわけではなかった
と、ようやく肯定することができた。

祖母は優しく
我が家の状況を見て
私の立場について冷静に助言した。
そして、長らく疑問だった
大人たちの口癖
「この人は別」
の真実を語ってくれた。

私を産んだ母は
私のお産が悪くて
産んで直ぐ亡くなったと。

スッキリした。

私が社会的に大人になるまで
堪えるべき部分と、
感謝すべき部分を、
諭してくれた。

はじめて、マトモな大人に
出会えた気がした。
精神面での恩人だと思っている。

成人して、家を出るまで
いや、家を飛び出すまで
あと数年
辛抱すれば良かったが
の数年がキツくて
逃げ出したり、
親に迷惑をかけたりした。

ただ、祖母に迷惑を
かけたくはなかった。

そんな気持ちとは裏腹に
ありとあらゆる虐めを受けて
暮らしていたため
何度もブチ切れそうになった。
いや、静かにブチ切れたりした。

義務教育最後の
中学の3年間が一番辛かった。
歴史の中で、鎖に繋がれ
ムチを打たれながら
奴隷として生きることを
強いられた人々がいることを
学んだことがあるが、
折しも多感な時期。
自分の暮らしも
それと似たものに思えて
心身共に限界を感じていた。

それでも
幼い頃から続く虐待や
成長するに連れ陰湿になる
虐めのことを父には一切、
打ち明けなかった。

自分で解決できるものではないが
最早、父にも心を開いていなかった。

何故だか、独りでもがき戦った。
今思えば、必ずしも
戦い方が正しくはなかったことも。
でも、自分を救えるのは
最早、自分しかいないと
そう考えていた。

目上の者は
「親に迷惑かけてなにやってる」
的なことを言うが、
あなたのことは
父が助けるでしょうが、
私のことは
誰も助けてくれないので
自分で切り抜けるしか
ありません。

という態度でいた。
実際、誰も
助けてはくれなかった。

私は常にただ、早く
精神的にマトモな暮らしがしたかった。
そういう暮らしができる所へ
身を置きたかった。

どうすれば、それができるか
それだけを考えて過ごしていた。
その答えが、当時は安直に
その場から“逃げる”しか
考えつかなかったのだ。

おバカな10代だった。
でも、それほど苦痛な10代だった。

父は相変わらず出張で
不在な期間があり、
穏やかな
自分の生きる道を探したくて
早く大人になりたかった。





光の射すほうへ⑰

2024-09-18 19:02:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
このあたりの数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…

前記事で書いた出来事の
翌朝のこと。

何故か皆、
スッキリしていた。

スッキリしていないのは
私の方だった。

頭が包帯でグルグル巻きの
目上の者がいた。
包帯には血が滲んでいた。
やはり、夢ではなかったのだ。

あれだけの事があって、
何故みんな笑っていられるのか
「大人はよくわからない」
「家族って不思議なもの」
と、思った記憶がある

私が疲れ切って寝落ちたあと
何が話し合われたのかは
知らない。

今の私なら
家庭崩壊の道もあっただろう
と、思う。
でも何故か、誰も、
そちらの道は選ばなかった。

こんな恐ろしい家庭から
逃げ出したい、と考えるのは
私だけなのか、と思った。
やっぱり私だけ「別の人」
なのかもしれない。

翌朝ちょっとした
家族会議のような事があり、
目上の者の姿を
人から聞かれたら
「階段から落ちて怪我した。」
と説明することで満場一致した。

このことで、父ははじめて
「この人」の暴力を知った。
薄々気づいていたとして、
はじめて現場を目撃した。
ショックが無かった訳はない筈だ。

家族それぞれに、
いろいろなことで限界が訪れていた
そのことに、気が付かなければ
ならない次期だったのだろう。

そして気づくきっかけとなる
その役が、何故か私ではなく
目上の者だったのだ。

寝ている部屋が別なので
目下の者たちがあの夜、
全く物音にも気づかず
寝ていたのか
どうかはわからない。
でも、不思議と
家族の誰しも
何事もなかったように
過ごしていた。
少なくとも、そのように
過ごすようにしていた。

そして、ほんの少しだけだが
家族の誰もが優しくなったような
態度が柔らかくなったような
気がした。

少なくとも、
兄弟姉妹の目上も目下も
私に対して
疎ましい態度や
小突いたり、蹴ったり
ということはしなくなった。

それだけは少し
張り詰めていたものが
楽になった。

但し、目上の者の一件で
逆に、私が日常的に
虐待を受けていることは
明るみに出ることはなかった。

結局、父は
目上の者を常に擁護するようになり、
私に起きていることは知らぬまま
ということだと思う。

そうして、いよいよ
私は誰にも頼らない
独りの戦いを覚悟した。

その辺りから、
仄かに期待していた
父からの理解も
救いを求めることも
もう、全て諦めることにした。

私はかなり大人になるまで
ずっと、このときのことを
何のために起きたことだったのか
自分に、
自分の天使に、
宇宙の源に、
その答えが判る日が来ますように
と、問つづけた。

見えない存在たちからは
護られていることを実感できたが、
見える世界の家族たちからは
益々、助けも理解も
遠くなってしまった。

私はある種の
「絶望」を抱えて
大人になっていった。

そういえば、
このときの出来事で一つだけ
なんとなく判ったことがあった。

ある意味、いろんなことが
救われた日だったが、
読者の方は
子どもが暴力から救われて
良かった、と安堵したかもしれない。
一方で、私は
何でこんなことになるまで、
「この人」は心身をコントロール
できなくなってしまっていたのか?
誰かが早く救い出さなければ
ならなかったのではないか。
という感触を覚えた。

この出来事は、
私の人生のテーマにもなり
自分探しの基礎にもなり
成人した後に、
心理学やスピリチュアルの
カウンセリングを学ぶことへ導かれた。

光の射すほうへ⑯

2024-09-03 10:56:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
このあたりの数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…

「この人」の、
罵倒する声と
身体を殴打する音が
夜の静けさを突き破るように
家中に響いた。

この日「痛み」を受けたのは
秀才タイプの目上の者だった。

後にも先にも、
私以外の兄弟姉妹が
「痛み」を受けるなんて
このときだけの出来事だった。

おそらく既に
深夜を回っている。
私の時はそうだから。
エスカレートしていく
この感覚もよく解った。

いつも「やられている側」
の私を疎ましく眺めながら
「もっとうまくやれよ」
と言っていたハズが、
何がどうして
この状況を呼んだのか
全くわからない。

一体、いつ収束するとも知れない
あまりにも長い夜だった。
余程、逆鱗に触れてしまったのか
どんどんエスカレートしていく。

人の「痛み」を聞いているのも
かなりキツかった。
何しろ皆まだ小学生だ。
人であれ、自分であれ、
このような「痛み」を目の前にして
「怖い」以外の感情が出てこない。

私が「痛み」を受けているとき
他の兄弟姉妹は
何を感じていたのだろう?
何も感じはしなかったのだろうか?

私はこのとき正直、
全く生きた心地がしなかった。

引き続き
寝たふりを決め込みながら
天使なのか堕天使なのか
誰と話してるのか
わからなくなるくらい、
いろいろな事を呟き
早くこの状況が収まりますように
と、祈った。

怖くて、布団の中で震えながら
「お父さん早く帰ってきて!」
と、天に祈った。

父は出張中だった。
あと1週間は帰ってこない。

どれくらい時が経ったのか
ほんの一瞬、静かになった。
「えっ…?」
祈りが届いた…?

終わった…

わけではなかった。

一瞬、静かになった
次の瞬間。
「やる側」と
「やられている側」の
声のトーンが
“叫び”のようなものに
一段切り替わったのを感じた。

日々「痛み」を受けている経験から、
これは単なるヒートアップではない。
最後の一線を越えようとしている
ということが感覚的に解った。

私は直感的に「マズい!」
そう思った。
瞬間的に上半身だけガバっと
起き上がってしまったが…
足がガクガク震えて
布団から這い出ることが
できなかった。

頭では仲裁に入らないと
大変なことになる…
と思いながら
ただ全身が震えるばかりだった。

「この人」は遂に
刃物を手にしたようだった。

天に向けて「誰か助けて!」
と思ったその時。
こんな真夜中なのに
玄関の戸が開いた。

父だった。

父が帰宅した

真夜中に
父の物静かな声が聞こえた。
「これは…何をした。」
「…………。」
「何を使った。」
「…包丁だよ。」
そう開き直った声が返ってきた。

父は冷静で、
傷を負った目上の者が
すすり泣く声と…
父が手当をする音が聞こえた。

「神様…ありがとう」
涙がこぼれ落ちた。
私は全身の力が抜けて
そのまま寝落ちした。

こうして、
自分の人生に起きる
過酷な出来事を憂いてはいたが
「神様なんていない」
という拗ねた幼心からは
卒業しかけていた。

時折、窮地を救ってくれる
見えない存在がいることに
感謝の気持が湧いてきた。

そして、
ささやかで良いから
穏やかな
自分の生きる道を探したくて
早く大人になりたかった。





光の射すほうへ⑮

2024-08-20 03:26:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
このあたりの数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…

それは意外な形で起きた。
まさか
不意打ち的な出来事だった。

「この人」による「痛み」を
日常的に受けているのは
私の役目だった。

よく何時間も立たされ
怒られている私の姿を見ていた
他の兄弟姉妹たちは
その事を横でどう見ていたのか…

目上の者たちは、
イチイチ「この人」を怒らせて
「鈍臭い」とか
「もっと賢くやれよ」的な
ことを言って私を疎んでいた。

目下の者たちは、
「この人」を真似て
人差し指で私のオデコを小突いて
走り去ったり…
立たされている私を誂いに来た。

父以外の家族全員、
私のことを
そのような対象として扱い
見下していた。

なので
誰かに助けを求めることも
相談することもしなかった
というよりも家族に
そんな相手はいなかった。

ただ独り
無言で耐えた。

ところが
不意打ちで起きた
この日は違った。

対象は私ではなかった。

目上の者たちは秀才タイプだった。
少なくとも私と異なり
「うまくやれるタイプ」
だったハズが…
一体、何があったのかは
全くわからなかった。

珍しく平和に
夜、寝落ちて
しばらく経った頃だった。

いつもの「この人」の、
罵倒する声と
身体を殴打する音が
夜の静けさを突き破るように
家中に響いた。

夢の中でも殴られているのか…
眠気の中で、
私の脳が確認しようとする。
またいつもの時間が始まった?
いや、
私はここにいる。
遂に精神崩壊したのか?
「この人」が
独りで暴れているのだろうか

私の脳が
必死で事を整理しようとする…
と、「やめて…やめて!」
叫びながら逃げ惑う声がする…

やっと整理がついた。
今日は私ではなかったのだ。

こんなことは珍しい。

私の中の堕天使が
こう言った。
客観的に見た私の「痛み」は
こういう状況だったのか…

目上の秀才は
逃げ惑いながら
日頃受けている私の「痛み」を
理解しただろう。
逃れられないこの「苦痛」を
理解しただろう。

一方、天使は言った。
これ程までに「この人」の
逆鱗に触れるとは
一体、何があったのか
一体、何をした?
一体、何を言ったのか?
子ども心で純粋に発した何かが
「この人」の中の傷つく部分を
刺激してしまったのだろう。
暴れ方が尋常ではない。

私の「痛み」の場合は
これとは理由が異なる

単なる「この人」の
ストレスの捌けぐちだ。
何故ならいつも、
「痛み」と一緒に
「哀しみ」のような
ある種の「やり切れなさ」が
伝わってくるからだった。

ただ、私に他人の
「やり切れなさ」を
整理する必要があるのか?
といえば
そんな必要があるはずがない。
しかも暴力を受けることによって
整理する時間を提供している
ようなものだ。

小学校高学年にもなると
私の脳が
そのように解釈していた。

しかし、この日のことは
そういった私の「痛み」とは
全く質の異なる出来事だった。





光の射すほうへ⑭

2024-07-21 19:17:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
ここからの数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…✼…

小学校も高学年になると
言葉による暴力に腕力の暴力も
加わるようになっていた。

じっと耐えるほど
それはエスカレートしていった。

父は長期の出張が多かった。

「この人」による「痛み」が
烈しく、治まる逃しが見えないとき
お空に向かって祈った。
「早く帰ってきて」
「お父さんが早く帰ってきますように」
一体、何に向けて祈っているのか
自分でよくわかっていなかったが
自然と手を組み空に向かって
祈った。

そんな中、時折
「あっ…父が帰ってくる」と、
突然何処かから降って来るように
わかる瞬間があった。
また、夢の中で、
学校から帰ると駐車場に
父の車が停まっているのを見つけて
喜びと安堵に浸る自分の姿を見たので
「お父さん帰ってくるよ」と
妹弟に予感を知らせたりした。
そんなことのあった翌日、やはり
帰宅すると父の車が駐車場にあった。
夢で見た通りだった。

私は妹弟に
「ほ〜らね。」
なんて言っていた。
所謂、デジャヴとか正夢だろうか。
夢で知らされることはよく有った。

だから「神様なんていない」
思って生きて来たが、
少しずつ、
見えないけれど何かの存在は
「いるかもしれない」と、
思うようになっていった。

だからと言って
何かが見えたわけでもない。
ただ自分の中に、説明できない
ある種の感覚を受取る体質がある
のは薄々、気づきかけていた。

世の中には、人には見えないものが
見えてしまう、という子もいた。
霊能力とはそうしたものであって、
自分のように何かを感じ取る感覚は
そういう特別な物ではない
思って封じていた。

そんな時期。
ある事に引っかかりを覚えていた。

親戚の伯父叔母たちが、
我が家の子ども達を
他人に紹介するとき
私だけ決まって
「この人は別だから」
と説明するのだ。

「ん?」
「別って何?」
と、子ども心は傷つく。
どんなに慣れていても傷つく。
いや、こんなことに
慣れっこになるのもどうかと。

それって、自分だけ
他人てことじゃないのか?
私は他所の人間なのか?
だから殴られるのか?

しかし、「この人は別」の理由を
キチンと説明してくれる大人は
誰もいなかった。
父さえも、
何も話してはくれなかった。

ハッキリさせたい気持ちもあったが
想像したことが正解だった場合、
この家に居て良い理由が
全く無くなりそうで
自分からはとても
怖くて聞けなかった。

なんだか何時も
心に寂しさを抱えて
青年期へと成長していく。

大人になりかけていた次期。
自我を抑え込むには
限界を迎えていた。